サヴァイヴ〜ドルトムント財閥〜   作:一塔

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帰る場所

 

調査船が、三度だけ向きを変える。

 

補助推進器の短い噴射。

 

停止。

 

船体負荷の確認。

 

次の操作まで待機。

 

帰還のための反転は、始まったばかりだった。

 

完全に船首を返すまで、最低でも六時間。

 

そこから既知領域へ戻るまで、さらに十日以上。

 

現在の調査船は動いている。

 

通信も繋がっている。

 

乗員にも、重大な負傷者は出ていない。

 

だが、それは安全を意味しなかった。

 

推進出力は十パーセントに制限されている。

 

護衛艦二隻は、すでに帰還航路へ入った。

 

船体には、通常検査で確認できない損傷が残っている可能性がある。

 

さらに未探索領域の奥では、通信中継点との接続も不安定になり始めていた。

 

反転を始めたからといって、もう安心してよい状況ではない。

 

むしろ。

 

最も危険な時間は、これからだった。

 

ペルシアは調査船の推進ログを見つめながら、急速に頭を切り替えていた。

 

つい先ほどまで、ヴァレン准将や調査隊を相手に怒りをぶつけていた。

 

だが、権限が宇宙管理局へ移った以上。

 

ここから先は、怒っているだけでは誰も帰せない。

 

必要なのは、救援体制。

 

通信の維持。

 

機体監視。

 

医療支援。

 

護衛。

 

そして。

 

調査船が自力航行不能になった瞬間、迷わず動ける船だ。

 

「リュウジ」

 

ペルシアが通信へ呼びかける。

 

『聞こえてる』

 

「次の姿勢変更まで、あとどのくらい?」

 

『二分四十秒』

 

「船体負荷は?」

 

『さっきの噴射から減衰中。許容範囲内』

 

「操縦席に振動は?」

 

『ない』

 

「違和感も?」

 

『今のところはない』

 

「そう」

 

ペルシアは短く答えた。

 

「そのまま続けて」

 

『了解』

 

通信を切らずに、ペルシアは隣のシャオメイを見る。

 

「シャオメイ」

 

「はい」

 

「宇宙管理局へ繋いで」

 

「通常回線でしょうか」

 

「統括官専用回線」

 

シャオメイの目が僅かに鋭くなる。

 

「警戒体制を発令されますか」

 

「ええ」

 

ペルシアは即答した。

 

「もう調査船だけを見ていればいい段階じゃない」

 

「了解しました」

 

シャオメイは連盟指令室の通信卓へ認証端末を接続する。

 

連盟の回線と、宇宙管理局の内部通信網。

 

通常なら、それぞれ別の系統で管理される。

 

だが現在は、調査船の運航及び安全管理権限が宇宙管理局へ移っている。

 

ペルシアの統括官認証。

 

マーカス局長の承認。

 

その二つを使い、シャオメイは両組織の通信基盤を接続していく。

 

「宇宙管理局主回線への接続を開始します。連盟指令室識別コード送信。統括官認証、確認。局長承認、確認」

 

画面上の表示が一つずつ緑へ変わる。

 

「接続完了。宇宙管理局オペレーションルームを呼び出します」

 

 

宇宙管理局では、ペルシア達が連盟本部へ向かった後も通常業務が続いていた。

 

フレイが統括官席の横に立ち、進行中の案件を管理している。

 

イーナは複数の報告を整理し、優先順位に従って各担当へ振り分けていた。

 

リリアは宇宙警察から届いた追加照会を確認している。

 

ナミとマリは、通信障害訓練の手順書を修正しながら、通常回線の異常監視も続けていた。

 

ファルコは訓練航路の記録を眺め、片手で端末を操作している。

 

クリスタルは医療支援時の受入れ手順を確認していた。

 

フォックスが不在であるため、オペレーションルームは普段より僅かに静かだった。

 

その時。

 

室内へ、通常とは異なる呼出音が響く。

 

低い警報音が三度。

 

続いて、壁面画面へ統括官専用回線が表示された。

 

ナミが即座に顔を上げる。

 

「連盟本部からの回線です」

 

マリが識別情報を確認する。

 

「ペルシア統括官の認証コードと一致しています」

 

フレイは迷わなかった。

 

「全員、現在の作業を一時停止してください」

 

ファルコが椅子を戻す。

 

「何があった?」

 

「まだ分かりません」

 

フレイは回線を開いた。

 

大型画面へ、連盟指令室の様子が映る。

 

中央にペルシア。

 

背後にはマーカス局長。

 

シャオメイ。

 

ジェームズ。

 

フォックス。

 

そして複数の連盟職員がいる。

 

ペルシアの表情を見た瞬間。

 

フレイは、説明を待たずに端末を警戒体制用の画面へ切り替えた。

 

「統括官」

 

「フレイ」

 

ペルシアの声に、普段の軽さはなかった。

 

「宇宙管理局を警戒体制へ移行する」

 

フレイはすぐに尋ねる。

 

「対象案件をお願いします」

 

「北部未探索領域の調査船」

 

オペレーションルームの空気が変わった。

 

「護衛艦二隻は粉塵帯で損傷し、すでに離脱。調査船は単独航行中。推進系統に構造損傷の疑い、通常出力は使用不能。現在、推進出力十パーセント。調査を中止し、帰還のため反転操作を開始している」

 

フレイの指が止まることはなかった。

 

内容を聞きながら、同時に記録を作成していく。

 

「調査船の乗員数は?」

 

「調査隊全員。現時点で重大な負傷者はいない。ただし、帰還には十日以上かかる。自力航行を失う可能性がある」

 

クリスタルの表情が引き締まる。

 

イーナも作業画面を切り替えた。

 

フレイが尋ねる。

 

「警戒体制の段階は?」

 

ペルシアは一瞬だけ考えた。

 

調査船は救難信号を発していない。

 

自力航行も続けている。

 

形式上なら、緊急救難段階ではない。

 

だが。

 

異常が起きてから船を集めたのでは遅い。

 

「第二種警戒体制」

 

ペルシアは明確に告げた。

 

「救助船、医療船、技術支援船、補給船を出す。北部未探索領域手前のセーシング領域で待機させる」

 

フレイが北部宙域の航路図を開く。

 

「待機地点の指定をお願いします」

 

ペルシアも同じ航路図を表示する。

 

未探索領域と既知領域の境界。

 

過去の観測データが揃い、安定した通信中継設備が存在する場所。

 

救助船団が複数待機できるだけの空間もある。

 

「第三セーシングポイント」

 

ペルシアが座標を指定する。

 

「調査船が既知領域へ戻る場合、最も早く接近できる地点。そこを前方待機拠点にする」

 

「承知しました」

 

フレイが待機船の一覧を開く。

 

「救助船の必要数は?」

 

「二隻。一隻は調査船の乗員救助、もう一隻は予備兼牽引支援。医療船一隻、技術支援船一隻、補給船一隻。救助船には追加の通信中継機を積んで、帰還途中で通信が切れた時に使う」

 

フレイは正確に復唱する。

 

「救助船二隻、医療船一隻、技術支援船一隻、補給船一隻、全船、第三セーシングポイントへ前進待機。救助船へ臨時通信中継機を搭載。間違いありませんか」

 

「ええ」

 

「発進期限は?」

 

「可能な限り早く」

 

フレイの指が止まった。

 

「統括官」

 

ペルシアは一瞬、フレイを見る。

 

「何?」

 

「各部署へ具体的な期限を示す必要があります」

 

警戒体制でも、フレイは変わらない。

 

曖昧な指示をそのまま命令として流さない。

 

焦っている時ほど、ペルシアの言葉を正確な形へ直す。

 

ペルシアは短く息を吐いた。

 

「救助船と医療船と技術支援船と補給船、二時間以内。通信中継機の積載を優先 ――分離して運ぶくらいなら、救助船の発進を三十分遅らせてもいい。ただし、二時間半を超えないで」

 

「承知しました」

 

フレイが即座に各部署へ発進準備命令を送る。

 

壁面画面へ待機候補船が表示された。

 

救助船二隻。

 

医療船。

 

技術支援船。

 

補給船。

 

整備状態。

 

現在の乗員。

 

出動可能時刻。

 

必要な追加装備。

 

一つずつ、状態表示が通常待機から緊急準備へ変わっていく。

 

「イーナ」

 

フレイが呼ぶ。

 

「はい」

 

「各船の乗員構成を確認してください。連続航行及び長期待機を想定し、通常より一班多く編成します」

 

「承知しました」

 

イーナはすぐに乗員名簿を開く。

 

「救助船二隻は、操縦士及び救助要員ともに確保できます。医療船は医師二名、看護師四名、救急対応員二名です」

 

クリスタルが画面を確認する。

 

「医師をもう一名追加した方がいいわ」

 

イーナがクリスタルを見る。

 

「理由をお願いします」

 

「調査隊は一か月間、未探索領域で緊張状態が続いている。負傷がなくても、帰還途中に体調を崩す可能性があるわ。睡眠不足や判断疲労もある。心理対応ができる医師も必要ね」

 

ペルシアが画面越しに頷く。

 

「クリスタルの言うとおりにして」

 

「心理対応ができる医師を一名。それから、長期勤務に対応できる交代要員も追加して」

 

イーナはすぐに候補者を検索する。

 

「承知しました。待機名簿から選定します。医療船の乗員確定後、クリスタルさんにも確認をお願いします」

 

「ええ」

 

クリスタルは調査船の情報へ視線を戻した。

 

「船内の医療記録は共有できる?」

 

ペルシアはシャオメイを見る。

 

「できる?」

 

「調査船側の承認が必要ですが、技術的には可能です」

 

「セレナへ確認して、医療情報は、医療船とクリスタルだけが見られる区画へ分けて。全回線へ流さないで」

 

「承知しました」

 

ペルシアは次にリリアを見る。

 

「リリア」

 

「はい」

 

「救助船団の護衛を宇宙警察へ頼みたい」

 

リリアの表情が引き締まる。

 

「必要な護衛規模は?」

 

「巡視艦か警備艦を二隻。第三セーシングポイントまで救助船団に同行。待機後は周辺警戒と航路管理。不審船の接近だけじゃなく、救助船団の航路を他の船が塞がないようにして」

 

「承知しました」

 

リリアはすぐに宇宙警察との専用回線を開こうとする。

 

ペルシアが続けた。

 

「グレイ本部長へ直接上げられる?」

 

リリアの指が僅かに止まった。

 

宇宙警察本部長グレイ。

 

リリアの父親。

 

だが、リリアが答えるまでに迷った時間は僅かだった。

 

「可能です。宇宙管理局からの正式要請として連絡します」

 

「お願い」

 

「共有する情報は、調査船の現在位置、船体損傷、救助船団の航路、待機地点まで」

 

「調査内容と隊員の個人情報は出さないで」

 

「承知しました」

 

リリアは姿勢を正す。

 

「宇宙警察本部、緊急連絡コードを使用します」

 

回線が接続される。

 

『宇宙警察本部です』

 

「こちら宇宙管理局、リリアです」

 

リリアの声は丁寧だった。

 

しかし、以前の受付時代のような遠慮はない。

 

宇宙管理局の一員として。

 

必要なことを、明確に伝える。

 

「宇宙管理局第二種警戒体制に基づき、救助船団の護衛を正式に要請します。北部未探索領域手前、第三セーシングポイントまで巡視艦二隻の派遣をお願いします。対象船団の情報を送信します」

 

リリアが資料を送る。

 

画面上に、宇宙警察側の受領表示が出た。

 

ペルシアはそのまま次の指示へ移る。

 

「ナミ」

 

「はい」

 

「調査船の通信を常時監視。音声が繋がっていても、位置情報の更新が遅れたら異常として扱って」

 

ナミはすぐに回答する。

 

「中継点ごとの遅延を分離して監視します。調査船側の送信遅延なのか、中継設備側の問題なのかを判別します」

 

「通信が途切れた時は?」

 

ペルシアが聞く。

 

「最初に最終位置を確定します。次に進行方向と速度。その後、船体状態と乗員状況を取得します」

 

「そうして」

 

ナミが以前から訓練で主張していた順番だった。

 

危険な通信では、全てを聞こうとしない。

 

回線が切れる前に、救助に必要な情報を最初に確保する。

 

「マリ」

 

「はい」

 

「機体ログと通信ログの変化を照合して、推進系統に異常が出た瞬間、声や背景音にも変化がないか見て」

 

マリは端末へ複数の波形を表示する。

 

「推進音、警報音、船体振動、通信雑音を分けて記録します。通常時との差が閾値以下でも、継続して同じ周期に出る場合は異常候補として報告します」

 

ジェームズが画面越しに言う。

 

「推進音の周期を優先しろ」

 

マリがジェームズを見る。

 

「理由をお願いします」

 

「構造負荷が計器に出る前に、推進器の回転音が変わる可能性がある。支持材がずれれば、推進軸の振動が音へ出る」

 

マリはすぐに項目を追加する。

 

「承知しました。推進音の周期変化を最優先監視へ変更します。ジェームズさんが指定する正常音と比較します」

 

「ああ」

 

ジェームズは短く答え、再び調査船の機体ログへ視線を戻した。

 

ペルシアも調査船へ注意を戻す。

 

「リュウジ」

 

『聞こえてる』

 

「次の姿勢変更は?」

 

『四十秒後』

 

「ジェームズ」

 

「負荷は戻ってる。補助推進器一番、四番ともに温度正常。今の設定でいい」

 

ペルシアが通信へ言う。

 

「そのまま開始して」

 

『了解』

 

短い噴射。

 

船体が、さらに三度だけ傾く。

 

負荷波形が上がる。

 

ペルシアは無意識に息を止めていた。

 

一秒。

 

二秒。

 

数値が下がる。

 

ジェームズが言う。

 

「問題ない」

 

ペルシアは小さく息を吐いた。

 

「次まで三分」

 

『了解』

 

その間にも。

 

宇宙管理局の警戒体制は動き続ける。

 

救助船。

 

医療船。

 

技術支援船。

 

補給船。

 

必要な人員。

 

必要な資機材。

 

一つずつ準備が始まる。

 

ファルコは壁面画面に表示された北部宙域を見ていた。

 

調査船の位置。

 

救助船団の予定航路。

 

第三セーシングポイント。

 

そして、調査船と待機地点の間にある長い距離。

 

「ペルシア」

 

ファルコが声を上げる。

 

「何?」

 

「救助船だけじゃ遅くないか」

 

ペルシアの目がファルコへ向く。

 

「どういうこと?」

 

「調査船が今すぐ止まったら、救助船が第三セーシングポイントへ着いても届かねぇ」

 

ファルコは航路図を拡大する。

 

「未探索領域へ入れる船が、もう一隻必要だ」

 

クリスタルも画面を見る。

 

「グレートフォックスなら、通常の救助船より速いわ。通信設備も索敵装置もある。スリッピーがいれば、応急修理にも対応できる」

 

ファルコが続ける。

 

「俺達も出る」

 

ペルシアは数秒、黙って考えた。

 

スターフォックス。

 

グレートフォックス。

 

高速航行。

 

長距離通信。

 

索敵能力。

 

船外作業能力。

 

未確認領域での活動経験。

 

何より。

 

予測不能な状況で、それぞれが自分の役割を理解して動ける。

 

救援船団へ加える価値は十分にある。

 

だが。

 

現在、フォックスは連盟指令室にいる。

 

スリッピーは休息中。

 

グレートフォックスの発進準備もできていない。

 

ペルシアは横にいるフォックスを見る。

 

「フォックス」

 

「ああ」

 

「宇宙管理局へ戻って」

 

フォックスはすぐに立ち上がった。

 

「グレートフォックスを出すんだな」

 

「ええ」

 

「ファルコ、クリスタル、スリッピーと合流。救助船団より先に第三セーシングポイントへ向かって、調査船が完全停止した場合は、最前線の救援船として動いて」

 

「了解」

 

フォックスは迷わず答えた。

 

ペルシアが続ける。

 

「ただし」

 

フォックスが足を止める。

 

「独断で未探索領域の奥へ入らないで、調査船と通信が繋がっている間は、リュウジの判断を聞く」

 

「通信が切れた場合は?」

 

ペルシアは航路図を見る。

 

最後に確認した位置。

 

調査船の速度。

 

推進出力。

 

機体状態。

 

通信断が起きた場合。

 

どこまで進むことを認めるか。

 

判断を誤れば、救助する側まで戻れなくなる。

 

「最後に確認した位置と進行速度から予測地点を出して、グレートフォックスが確実に帰還できる範囲までなら入っていい。粉塵帯は避けて、救助船団との通信を切らさないで」

 

「ああ」

 

フォックスは短く答える。

 

それだけで十分だった。

 

ペルシアは宇宙管理局側へ視線を戻す。

 

「ファルコ」

 

「おう」

 

「クリスタル」

 

「ええ」

 

「スリッピーを起こして」

 

ファルコが立ち上がる。

 

「やっと動けるな」

 

「遊びに行くんじゃないのよ」

 

「分かってる」

 

「分かってる顔に見えない」

 

「俺はいつもこういう顔だ」

 

クリスタルが穏やかに言う。

 

「それが問題なのよ」

 

「お前まで言うのかよ」

 

クリスタルも席を立つ。

 

「スリッピーは昨夜遅くまで中継装置の調整をしていたわ。かなり疲れていると思う」

 

ペルシアは一瞬だけ迷った。

 

だが、グレートフォックスの機体と通信設備を最も理解しているのはスリッピーだ。

 

「起こして。ただし、クリスタルが状態を確認して。作業できないなら無理に乗せない、技術支援船から別の整備士を付ける」

 

「分かったわ」

 

ファルコが言う。

 

「スリッピーなら起きるだろ」

 

「起きることと、正常に判断できることは別よ」

 

クリスタルはファルコを見る。

 

「寝起きの貴方なら分かるでしょう?」

 

「俺は寝起きでも動ける」

 

「機嫌が悪いだけね」

 

「それは関係ねぇだろ」

 

ペルシアが二人の会話を遮る。

 

「ファルコ」

 

「何だよ」

 

「勝手に先行しないで」

 

「フォックスを待って」

 

ファルコが少し不満そうな顔をする。

 

「分かってる」

 

「本当に?」

 

「今日、何回それ聞くんだ」

 

「普段の行い」

 

クリスタルが即座に答える。

 

ファルコはクリスタルを見る。

 

「お前はペルシアの味方かよ」

 

「安全な方の味方よ」

 

ペルシアは二人をまっすぐ見る。

 

「頼むわよ」

 

その一言で。

 

ファルコの表情から軽さが消えた。

 

「任せろ」

 

クリスタルも静かに頷く。

 

「ええ」

 

二人は休息区画へ向かった。

 

 

スリッピーは、簡易ベッドの上で眠っていた。

 

枕元には端末。

 

床には工具箱。

 

机の上には、途中まで作成された通信中継装置の設計図が表示されている。

 

作業を終えたのではない。

 

途中で力尽きたように眠っていた。

 

ファルコが扉を開ける。

 

「おい、スリッピー」

 

反応はない。

 

「スリッピー」

 

ファルコは少し声を大きくする。

 

それでも起きない。

 

クリスタルがファルコの横を通り、ベッドのそばへ座る。

 

「スリッピー」

 

肩へ軽く手を置く。

 

「起きて」

 

スリッピーの眉が僅かに動く。

 

「……あと少し」

 

「出動よ」

 

「出動……?」

 

薄く開いた目が、ゆっくりとクリスタルを捉える。

 

「何かあったの?」

 

ファルコが答える。

 

「北の未探索領域で調査船が孤立してる。護衛艦は二隻とも離脱。推進器も壊れかけてる」

 

スリッピーの目が一気に開いた。

 

「推進器?」

 

身体を起こす。

 

「どの船?」

 

「情報は今送る。グレートフォックスで出るぞ」

 

スリッピーはクリスタルから端末を受け取り、表示された資料を読み始めた。

 

「推進出力十パーセント……」

 

「動的負荷が出てる?」

 

「ジェームズが見つけた」

 

クリスタルが答える。

 

スリッピーは少しだけ安心したように息を吐く。

 

「ジェームズが見てるなら、原因の見立てはかなり正確だと思う。グレートフォックスの役割は?」

 

「第三セーシングポイントで前進待機」

 

ファルコが言う。

 

「調査船が止まったら救援へ入る。必要なら応急修理もする」

 

スリッピーはすぐに必要装備を考え始める。

 

「牽引装置。外部作業用アーム。大型船用の応急補修材。通信中継機も必要。

 

「積む予定だ」

 

「推進器の固定部に使える支持材は?」

 

ファルコが黙る。

 

クリスタルが尋ねる。

 

「グレートフォックスにあるの?」

 

「小型船用しかない」

 

スリッピーは端末を操作する。

 

「でも、格納庫三番に廃船回収用の支持フレームがあるはず、規格を変更すれば、大型推進器の固定補助に使える」

 

「準備にどのくらいかかる?」

 

「一時間」

 

ファルコが言う。

 

「長いな」

 

「短くできる?」

 

スリッピーは一瞬考える。

 

「四十分」

 

クリスタルが即座に言う。

 

「無理な時間を言わないの」

 

スリッピーは黙った。

 

クリスタルは目を逸らさない。

 

「正確には?」

 

「……五十五分」

 

「固定試験までやるなら、一時間十分」

 

「一時間十分でいいわ」

 

クリスタルは言った。

 

「急いで壊れるものを積んでも意味がない」

 

ファルコも頷く。

 

「フォックスが戻るまでには終わるだろ」

 

スリッピーはベッドから立ち上がった。

 

一瞬、足元が揺れる。

 

クリスタルがすぐに腕を支える。

 

「大丈夫?」

 

「大丈夫」

 

クリスタルの目が細くなる。

 

「その答えだけでは分からないわ」

 

スリッピーは一瞬、戸惑った。

 

「少し眠い」

 

正直に答える。

 

「でも作業はできる。発進後に交代で休めば、問題ないと思う」

 

「どのくらい眠れば戻る?」

 

「二時間」

 

「なら、格納庫で作業を終えたら食事を取って、移動中に必ず二時間休んで」

 

「分かった」

 

「約束よ」

 

「うん」

 

ファルコが扉を開ける。

 

「行くぞ」

 

スリッピーは工具端末を手に取った。

 

「ナウスにも発進準備を頼まないと」

 

その瞬間。

 

部屋の端末から、落ち着いた声が流れる。

 

『すでに開始しています』

 

ファルコが僅かに笑う。

 

「聞いてたのか」

 

『宇宙管理局の警戒体制発令と同時に、グレートフォックスの発進前点検を開始しました』

 

クリスタルが尋ねる。

 

「現在の状態は?」

 

『主推進器、正常。補助推進器、正常。索敵装置、正常。長距離通信装置、正常。搭載燃料、八十二パーセント。第三セーシングポイントへの往復航行は可能です』

 

スリッピーがすぐに言う。

 

「外部作業用アームを詳しく確認して」

 

『了解しました』

 

「牽引装置の接続部も」

 

『確認します』

 

「中継機を二基積めるように空間を空けて」

 

『搭載物を再配置します』

 

ファルコは休息区画を出る。

 

「話が早くて助かるな」

 

クリスタルとスリッピーも後に続いた。

 

 

一方。

 

連盟指令室では、シャオメイが宇宙管理局との同期作業を続けていた。

 

調査船の位置情報。

 

機体ログ。

 

推進系統の波形。

 

船内通信。

 

医療記録。

 

連盟本部から送られた過去の命令ログ。

 

宇宙管理局が準備している救助船団の位置。

 

宇宙警察の護衛状況。

 

グレートフォックスの発進準備。

 

それら全てを、同一の時刻基準で管理しなければならない。

 

「連盟側時刻と宇宙管理局側時刻に〇・四秒のずれ、調査船内部時刻は基準時より〇・三秒進んでいます。第三中継点による平均遅延、一・七秒。第二中継点、〇・八秒」

 

シャオメイが一つずつ補正値を設定する。

 

ナミの声が宇宙管理局から届く。

 

『こちらでも時刻補正を確認しました』

 

「位置情報の更新時刻は一致していますか」

 

『一致しています』

 

マリも続く。

 

『推進器の噴射時刻と構造負荷の上昇も一致しました』

 

「同期率九十四パーセント」

 

シャオメイが答える。

 

「残りは医療記録と、救助船団航路です」

 

ペルシアが言う。

 

「医療記録は分離して、セレナ、クリスタル、医療船以外からは見えないようにして」

 

「承知しました」

 

「救助船団の航路は全員で共有して、調査船が停止した時、どの船が最短で行けるか常に出して」

 

「設定します」

 

シャオメイの指が休むことはない。

 

その横で。

 

ジェームズも、一度も機体ログから目を離していなかった。

 

ペルシアが尋ねる。

 

「次の姿勢変更は?」

 

ジェームズは波形を見る。

 

「あと三十秒。支持材の負荷は戻ってる。補助推進器四番の温度が、前回より少し高い」

 

ペルシアはすぐに通信へ向く。

 

「リュウジ」

 

『聞こえてる』

 

「四番の温度が上がってる」

 

『許容範囲内だ』

 

ジェームズが言う。

 

「許容範囲でも、上昇傾向は無視するな」

 

『使用を止めるか?』

 

「次は一番と三番を使え」

 

リュウジの返答が僅かに遅れる。

 

『三番は粉塵帯で一度停止している』

 

「修理後の検査結果は正常だ」

 

『四番より信頼できるのか』

 

「支持位置が主推進器から離れてる。共振の影響は少ない。ただし出力は八割。一回の姿勢変更は二度半に落とせ」

 

『反転時間が延びる』

 

「延ばせ」

 

ジェームズは即答した。

 

「時間より推進器を残せ」

 

リュウジは数秒、機体情報を確認する。

 

『了解。補助推進器一番、三番。出力八十パーセント。姿勢変更角度、二・五度』

 

「それでいい」

 

短い噴射。

 

調査船が二度半だけ向きを変える。

 

ジェームズの目が波形を追う。

 

負荷上昇。

 

減衰。

 

温度。

 

振動。

 

「問題ない」

 

ペルシアは小さく息を吐いた。

 

そして。

 

ジェームズの横顔を見る。

 

「ジェームズ」

 

「何だ」

 

「調査船が帰るまで、機体監視をお願い」

 

ジェームズは画面を見たまま答える。

 

「言われなくてもやる」

 

「休憩も取って」

 

「後だ」

 

「食事は?」

 

「後でいい」

 

ペルシアの眉が寄る。

 

「あなたまでリュウジみたいなことを言わないで」

 

ジェームズが僅かに顔を向ける。

 

「操縦はしてない」

 

「でも判断してる」

 

「あなたが疲れて見落としたら、同じでしょう」

 

「俺以外にこの異常を――」

 

「判断はあなたがして、でも数値を監視する人は増やす。異常が出たら起こす」

 

ジェームズは不満そうに黙った。

 

ペルシアは引かない。

 

「何時間後なら休む?」

 

「必要ない」

 

「ジェームズ」

 

「……三時間後」

 

「何分?」

 

「十五分」

 

「短い」

 

「十分でもいい」

 

「減らさないで」

 

ペルシアは腕を組む。

 

「三十分」

 

「二十分」

 

「三十分」

 

「二十五分」

 

「分かった」

 

ジェームズは再び画面へ向く。

 

「今は集中させろ」

 

「はいはい」

 

ペルシアは、ほんの少しだけいつもの調子を戻した。

 

しかし、すぐに全体を見渡す。

 

宇宙管理局。

 

宇宙警察。

 

救助船団。

 

医療船。

 

技術支援船。

 

補給船。

 

スターフォックス。

 

連盟指令室。

 

そして。

 

未探索領域を、僅かな推進力で帰ろうとしている調査船。

 

ようやく。

 

リュウジ一人へ押し付けられていたものが、分けられ始めている。

 

船を操縦するのはリュウジ。

 

だが。

 

船を帰す責任まで、リュウジ一人に背負わせてはいけない。

 

ペルシアはフレイへ呼びかける。

 

「フレイ」

 

『はい、統括官』

 

「各船の準備状況は?」

 

フレイが画面を切り替える。

 

『救助船一番船、発進準備率六十八パーセント。二番船、六十一パーセント。医療船、乗員搭乗中、技術支援船、応急補修資材を積載中。補給船、燃料及び酸素供給設備を確認中です』

 

「通信中継機は?」

 

『一基目は救助船へ積載完了。二基目は点検中です』

 

「宇宙警察は?」

 

リリアが答える。

 

『グレイ本部長の承認が下りました。巡視艦二隻が一時間以内に発進します。追加一隻も即応待機へ移行しました』

 

ペルシアは頷く。

 

「ありがとう、リリア」

 

『任務ですから』

 

「それでもありがとう」

 

リリアは僅かに目を伏せる。

 

『はい』

 

ペルシアは次に、グレートフォックスの準備画面を見る。

 

発進準備率、三十七パーセント。

 

数値が急速に上昇している。

 

ナウスの点検。

 

ファルコの発進準備。

 

クリスタルの医療資材確認。

 

スリッピーの装備改造。

 

「ファルコ」

 

『聞こえてるぜ』

 

格納庫の騒音と共に、ファルコの声が返ってくる。

 

「フォックスが戻るまで発進しないで」

 

『分かってるって』

 

「勝手に近道を選ばないで」

 

『まだ飛んでもいねぇよ』

 

「今のうちに言ってるの」

 

クリスタルの声が入る。

 

『ペルシアの判断は正しいわ』

 

『お前ら、俺を信用してないだろ』

 

『信用と警戒は両立するのよ』

 

ファルコがため息を吐く。

 

『クリスタルまでフレイみたいになってきたな』

 

『褒め言葉として受け取っておくわ』

 

スリッピーの声も入る。

 

『支持フレームの加工を始めたよ』

 

ペルシアが尋ねる。

 

「間に合いそう?」

 

『固定試験まで含めて、あと五十二分』

 

「急がなくていい」

 

『でも早く出た方が――』

 

「壊れるものを積む方が遅くなる」

 

ペルシアははっきりと言う。

 

「正確に作って」

 

『うん』

 

「頼むわよ、スリッピー」

 

『任せて』

 

その時。

 

フォックスがペルシアの横を通る。

 

「俺は戻る」

 

「ええ」

 

ペルシアはフォックスを見る。

 

「グレートフォックスの指揮は任せる。調査船を追い立てないで」

 

「了解」

 

「リュウジが待てと言ったら待つ」

 

「ああ」

 

「入るなと言ったら入らない」

 

「分かっている」

 

「通信が切れた時だけ、判断して」

 

フォックスはペルシアをまっすぐ見る。

 

「必ず見つける」

 

ペルシアは一瞬だけ黙った。

 

その言葉は、軽い励ましではない。

 

フォックスが言うなら。

 

本当に、そのために動く。

 

「お願い」

 

フォックスは短く頷き、連盟指令室を出ていった。

 

 

準備は進む。

 

それでも。

 

調査船が安全になったわけではない。

 

ペルシアは再び中央画面の前へ立つ。

 

各組織の回線を一つへまとめる。

 

宇宙管理局。

 

連盟指令室。

 

救助船。

 

医療船。

 

宇宙警察。

 

グレートフォックス。

 

そして調査船。

 

全ての担当者へ、ペルシアの声が届く状態にする。

 

「全員、聞いて」

 

複数の場所で、手が止まる。

 

ペルシアは一つずつ言葉を選んだ。

 

「目的は一つ。調査船を帰す。調査成果より、計画より、船体より、乗っている人間の命を優先する」

 

連盟職員の中には、僅かに表情を変える者もいた。

 

だが、ペルシアは気にしない。

 

「判断に迷ったら、安全な方を選んで、情報が整理できていなくても送る。異常だと確定していなくても、違和感があれば報告する。誰かが言った後に乗っかるんじゃなくて、自分が気づいた時に言う」

 

その言葉は。

 

調査隊へ向けたものでもあった。

 

「船の操縦判断は、リュウジを信じる。推進出力、航路、停止、反転、その判断へ、外から無理を言わない―――ただし」

 

ペルシアは一度、息を吸う。

 

「リュウジ一人に全てを背負わせない。機体はジェームズ。通信はシャオメイ、ナミ、マリ。救援体制はフレイ。医療はクリスタルと医療船。護衛はリリアを通じて宇宙警察。前方救援はスターフォックス。それぞれが自分の仕事をする。何か起きた時、操縦士のせいにしない―――それが宇宙管理局の方針よ」

 

ペルシアは調査船の回線を見る。

 

「リュウジ」

 

『聞こえてる』

 

「あなたは船を帰すことだけ考えて」

 

『ああ』

 

「こっちは」

 

ペルシアは準備が進む複数の画面を見る。

 

「あなた達が帰れる場所を作る」

 

通信の向こうで、リュウジは暫く答えなかった。

 

それまで。

 

帰るかどうかも。

 

進むかどうかも。

 

全員の命も。

 

一人で考えていた。

 

だが今。

 

自分が戻る先で。

 

複数の船が動こうとしている。

 

通信を守る者がいる。

 

機体を見る者がいる。

 

医療の準備をする者がいる。

 

護衛に出る者がいる。

 

自分達が辿り着く前から。

 

帰る場所が作られている。

 

『……頼む』

 

小さな声だった。

 

だが、はっきりと届いた。

 

ペルシアの表情が僅かに柔らかくなる。

 

「任せなさい」

 

そして。

 

宇宙管理局のオペレーションルーム。

 

格納庫。

 

救助船。

 

医療船。

 

宇宙警察。

 

連盟指令室。

 

全てへ向けて。

 

ペルシアは強く言った。

 

「頼むわよ!」

 

最初に返したのはフレイだった。

 

『承知しました』

 

イーナが続く。

 

『救助船団の人員を確定します』

 

リリア。

 

『護衛艦との連携を進めます』

 

ナミ。

 

『通信断の予兆を監視します』

 

マリ。

 

『機体ログとの時間軸を照合します』

 

クリスタル。

 

『医療船の受入れ体制を整えるわ』

 

ファルコ。

 

『グレートフォックスは任せろ』

 

スリッピー。

 

『必要な装備を全部積む』

 

ナウス。

 

『発進準備を継続します』

 

ジェームズは画面を見たまま、短く答えた。

 

「機体は俺が見る」

 

シャオメイも端末から目を離さない。

 

「全回線を維持します」

 

宇宙警察からも返答が入る。

 

『巡視艦二隻、発進準備へ移行』

 

そして。

 

未探索領域の奥から。

 

リュウジの声が届く。

 

『帰還操作を続ける』

 

短い噴射。

 

調査船が、また二度半だけ向きを変える。

 

それは航路図の上では、ほとんど分からないほど小さな変化だった。

 

だが。

 

その小さな船首の動きを支えるために。

 

救助船が動く。

 

医療船が動く。

 

宇宙警察が動く。

 

グレートフォックスが動く。

 

宇宙管理局全体が動き始める。

 

もう。

 

リュウジ一人の操縦だけで帰るのではない。

 

今度は皆で。

 

調査船が戻る道を作っていた。

 

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