調査船が帰還航路へ入ってから、十日が経った。
推進出力は、依然として十パーセント。
推進器後部の構造負荷は、ジェームズの予測した範囲内に収まっている。
だが、それは損傷が回復したという意味ではない。
出力を抑え。
急激な姿勢変更を避け。
負荷が上昇するたびに航行を止める。
そうした慎重な操縦によって、辛うじて悪化を防いでいるだけだった。
調査船は現在も、北部未探索領域の内部にいる。
第三セーシング領域までの距離は、以前より確実に縮まっていた。
それでも。
救助船、医療船、技術支援船、補給船が待機する第三セーシングポイントまでは、まだ遠い。
救援船団側から見ても、調査船は粉塵帯の向こうにいた。
その間。
宇宙管理局の警戒体制は、一度も解除されていない。
フレイは救援船団全体の勤務交代と補給を管理し。
イーナは人員配置と資機材の不足を確認する。
リリアは宇宙警察の巡視艦二隻との連携を続け。
ナミとマリは、通信遅延と調査船の推進音を監視していた。
シャオメイは連盟指令室と宇宙管理局のオペレーションルームを同期させ。
ジェームズは調査船の機体負荷から目を離さない。
グレートフォックスは、第三セーシングポイントで救援船団と共に待機している。
その格納庫では、フォックス、ファルコ、スリッピー、クリスタルが、いつでもアーウィンで発進できる状態を維持していた。
そして。
調査船よりも先に未探索領域を離脱した護衛艦二隻が、ようやく第三セーシング領域の外縁へ戻ってきた。
二隻とも、無事とは言い難い姿だった。
外装には粉塵や小隕石による無数の損傷。
冷却系統の一部は能力が低下。
推進出力も、通常時の半分以下まで落ちている。
それでも。
乗員を失うことなく、二隻は戻ってきた。
連盟指令室の大型画面に、護衛艦二隻の位置が表示される。
第一護衛艦から通信が入る。
「こちら第一護衛艦。第二護衛艦と共に第三セーシング領域へ到達しました。乗員に重大な負傷者はいません」
ペルシアは大きく息を吐くことなく、すぐに問い返した。
「よく戻ったわね。機体状態を報告して」
「第一護衛艦は主推進出力四十六パーセント。第二護衛艦は三十九パーセントです。両艦とも長時間の高出力航行は困難です」
ジェームズが送信された機体記録を開く。
推進軸。
支持材。
冷却系統。
船体外装。
一つずつ数値を確認していく。
「第一護衛艦は右側支持部が歪んでる。第二は冷却器が落ちかけてる。無理に速度を出せば、どちらかが止まる」
ペルシアは護衛艦の艦長へ伝えた。
「聞こえたわね。二隻とも第三セーシングポイントへ向かって。まず補給と応急修理を受けて」
第一護衛艦の艦長はすぐには答えなかった。
「統括官、我々は調査船の護衛として派遣されました。可能であれば、応急修理後に再び調査船との合流へ向かいたいと考えています」
ペルシアは調査船と護衛艦二隻の位置を見比べた。
調査船はまだ、第三セーシング領域へ到達していない。
帰還経路上には、不安定な宙域が残っている。
護衛艦が一隻もない状態で、損傷した調査船をそのまま進ませることにも不安がある。
「気持ちは分かる。でも、その船で無理をさせるつもりはない。修理結果を見てから決める」
「了解しました」
護衛艦二隻が第三セーシングポイントへ進路を取った、その直後だった。
ナミが監視画面を見ながら顔を上げる。
「統括官、護衛艦二隻と第三セーシングポイントの間に高密度粒子反応を確認しました」
ペルシアが振り向く。
「粉塵帯?」
マリが観測範囲を拡大する。
「はい。周辺天体の重力変動により、帯の一部が移動しています。護衛艦二隻の最短航路を横切る形です」
大型画面へ、新しい粉塵帯の位置が表示される。
第三セーシングポイント。
そこへ向かう護衛艦二隻。
両者の間に、濃い赤色の粒子群が伸びている。
ファルコがグレートフォックスから画面を見て声を上げる。
「帰ってきた途端、また粉塵帯かよ」
クリスタルが静かに言う。
「さっきまで、その位置にはなかったわ」
スリッピーも観測値を確認する。
「粒子の密度は、調査船が最初に入った場所より低い。でも、今の護衛艦で入るのは危険だよ」
ジェームズは護衛艦の機体状態と粉塵密度を重ねる。
「突破は無理だ」
ペルシアが尋ねる。
「通常出力の半分近く残っていても?」
「外装だけの問題じゃない。第一護衛艦は支持材が傷んでる。第二は冷却能力が落ちてる。粉塵帯の中で出力調整を繰り返せば、どちらかが止まる」
第一護衛艦の艦長が答える。
「低速であれば突破できる可能性はあります」
ジェームズは即座に否定した。
「低速なら粉塵へ晒される時間が延びる。今の船体じゃ、その方が危険だ」
ペルシアは迷わなかった。
「粉塵帯には入らないで。迂回路を取って」
第一護衛艦の艦長が航路を確認する。
「迂回した場合、第三セーシングポイントまで約十六時間です」
「十六時間……」
ペルシアは二隻の推進状況を見る。
現在の機体状態で。
粉塵帯を大きく避け。
十六時間航行する。
速度を上げれば、推進器への負荷が増える。
速度を抑えれば、時間が延びる。
いずれにしても。
傷ついた護衛艦へ長時間の航行を強いることになる。
ジェームズが険しい表情で言う。
「十六時間そのまま進ませたら、第一の支持部か第二の冷却器が先に持たなくなる可能性がある」
ペルシアは航路図を見つめる。
護衛艦二隻は、調査船へ再合流するためにも必要だった。
だが、今は第三セーシングポイントへ戻ることさえ難しい。
救助船や技術支援船を護衛艦の方へ向かわせても、同じ迂回路を十六時間進む必要がある。
大型船では、時間を短縮できない。
その時。
ペルシアの視線が、グレートフォックスの格納庫に並ぶ四機のアーウィンへ向いた。
小型。
高速。
高い機動性。
粉塵帯そのものへ入るわけではなく、迂回路を通るなら。
大型船より早く護衛艦へ到達できる。
ペルシアはスターフォックスとの通信を開いた。
「ファルコ」
ファルコがすぐに答える。
「何だ?」
「アーウィンで迂回路を通って、護衛艦二隻まで行くなら何時間?」
ファルコは航路図を確認した。
距離。
粒子密度。
牽引装備による速度低下。
燃料。
四機の機体状態。
短い計算の後、答える。
「グラップリング装置を積んだ状態なら、十二時間ってところか」
ペルシアは護衛艦二隻の位置を見る。
「十二時間」
スリッピーが補足する。
「護衛艦まで行くだけなら燃料も足りるよ。牽引を始めた後は護衛艦側の速度も使えるし、第三セーシングポイントへ戻ればすぐに補給できる」
ペルシアの目が鋭くなる。
「よし。それなら行ける」
連盟の航路担当職員が驚いたように尋ねる。
「アーウィン四機で、護衛艦二隻を牽引するのですか?」
ペルシアは航路図へ新しい計画を表示する。
「護衛艦を完全に停止させて引っ張るわけじゃない。二隻は自力航行を続ける」
ジェームズも意図を理解し、護衛艦の出力値を修正する。
「アーウィンで推進力を補えば、護衛艦側の出力を落とせる。支持部と冷却器の負担を減らしながら速度を維持できる」
ペルシアは続ける。
「アーウィンが護衛艦まで十二時間。そこから牽引補助を開始」
「護衛艦二隻も、今すぐ迂回路を低速で進んで」
第一護衛艦の艦長が確認する。
「我々も、アーウィンとの合流地点へ向かうということですか?」
「そうよ。止まって待たないで」
「機体を壊さない範囲で進んで」
「アーウィンも護衛艦へ向かう」
「両側から動けば、合流まで十二時間もかからない」
航路担当職員が再計算する。
護衛艦二隻の低速航行。
アーウィン四機の高速航行。
互いの接近速度。
新たな合流地点が表示された。
「合流予測、約八時間です」
連盟職員達が一斉に画面を見る。
「八時間……」
「当初の十六時間から半分です」
「速い……」
ペルシアはすぐに答えた。
「アーウィンが速いだけじゃない。護衛艦も動くからよ」
「動ける船を止めて待たせない」
「でも、壊れるほどの出力も出させない」
「それぞれが出せる力を合わせる」
ファルコが通信越しに笑う。
「簡単に言ってくれるな」
ペルシアはファルコを見る。
「できない?」
「誰に言ってんだ。やるに決まってるだろ」
「なら準備して」
フォックスが口を開く。
「四機で二隻を担当するなら、二機ずつ分かれる」
ジェームズが機体状態を確認する。
「第一護衛艦の方が構造損傷が大きい。牽引力の調整が細かくなる」
スリッピーが言う。
「フォックスと僕が第一護衛艦。ファルコとクリスタルが第二護衛艦でいいと思う」
ファルコが不満そうに返す。
「何で俺が第二なんだよ」
スリッピーは真面目に答えた。
「第一護衛艦は支持部に損傷があるから、細かい出力調整が必要なんだ。フォックスが先頭で、僕が固定点を監視する方がいい」
クリスタルが穏やかに言う。
「第二護衛艦も冷却系統が傷んでいるわ。簡単な方という意味ではないわよ」
ファルコは短く息を吐いた。
「分かったよ」
ペルシアはグレートフォックスへ視線を向ける。
「グレートフォックスは動かさないで」
フォックスが確認する。
「ナウスに任せて、第三セーシングポイントで待機させるのか」
「ええ」
「救助船団の通信中継拠点として残す」
「グレートフォックスまで迂回路へ出したら、第三セーシングポイントの管制と長距離通信が弱くなる」
ナウスが答える。
「了解しました。グレートフォックスは第三セーシングポイントで待機し、アーウィン四機、護衛艦二隻及び救援船団の通信を中継します」
ペルシアは続ける。
「ナウス、アーウィンの位置と燃料を常時監視して」
「護衛艦との合流前に帰還限界へ近づいたら、すぐに報告」
「承知しました」
「救助船と補給船も発進準備を維持して」
「アーウィンか護衛艦に問題が出たら、迂回路へ出す」
「各船へ共有します」
ペルシアはスターフォックスの四人を見る。
「フォックス」
「何だ」
「護衛艦の機体を無理に引っ張らないで」
「ジェームズの指示に従う」
「ああ」
「ファルコ」
「分かってる。勝手に出力を上げるな、だろ」
「よく分かってるじゃない」
「何回言われたと思ってる」
「クリスタル」
「二機と二隻の状態を確認するわ」
「操縦者の疲労も見て」
「ええ」
「スリッピー」
「グラップリング装置の状態は問題ないよ」
「現地で少しでも怪しいと思ったら使わないで」
「分かった」
ペルシアは四人を見渡した。
「頼むわよ」
フォックスが短く答える。
「任せろ」
ファルコが続く。
「八時間より早く着いてやる」
クリスタルがすぐに釘を刺す。
「速さを競う任務ではないわ」
スリッピーも言う。
「燃料と牽引装置の負荷を優先しよう」
ファルコが呆れたように返す。
「分かってるって」
四機のアーウィンが、グレートフォックスの格納庫から順に発進する。
先頭はフォックス。
右後方にファルコ。
左後方にクリスタル。
中央後方にスリッピー。
四機は粉塵帯を大きく避ける迂回路へ入り、急速に加速していく。
グレートフォックスは第三セーシングポイントへ残った。
ナウスが四機の航路と救援船団を管理する。
連盟職員達は、画面上を高速で移動する四つの光点を見つめていた。
大型艦では十六時間。
だが。
アーウィンと護衛艦が両側から接近すれば、八時間。
宇宙連邦連盟の職員が小さく呟く。
「スターフォックスは、これほど速いのか……」
ペルシアは画面を見たまま答える。
「速いだけじゃない」
「状況が変わった時、自分達で考えて動ける」
「だから行かせるのよ」
◇
アーウィン四機が発進してから、七時間五十二分。
フォックスが前方に二つの船影を確認した。
「護衛艦二隻を確認した」
第一護衛艦から通信が返る。
「こちら第一護衛艦。アーウィン四機を確認しました」
第二護衛艦も続く。
「第二護衛艦、通信良好です」
ファルコが二隻の周囲を旋回しながら、外装の損傷を確認する。
「本当にボロボロじゃねぇか」
クリスタルが静かに注意する。
「聞こえているわよ」
第二護衛艦の艦長が苦笑を交えず答える。
「事実です」
スリッピーは第一護衛艦の右側へ回り込み、推進器周辺を観測する。
「ジェームズ、第一護衛艦の支持部を映すよ」
連盟指令室でジェームズが映像を拡大する。
「もう少し後ろ」
スリッピーが機体位置を調整する。
「ここ?」
「そこだ」
外部映像には。
右側推進器を支える構造部に、僅かな歪みが見える。
推進出力が上がるたび、接合部が振動していた。
ジェームズが低く言う。
「出力をこれ以上上げたら開く」
ペルシアが確認する。
「牽引すれば、出力をどこまで落とせる?」
ジェームズはアーウィン二機の推進力と、護衛艦の質量を計算する。
「第一護衛艦は現在三十二パーセントで航行中。フォックスとスリッピーが補助すれば、二十四まで落とせる」
「速度は?」
「今とほぼ同じで維持できる」
「第二護衛艦は?」
「ファルコとクリスタルの補助で、二十八から二十一まで下げられる」
ペルシアは即座に命じる。
「その設定でグラップリング作業を開始して」
ジェームズが補足する。
「一度に二隻とも始めるな。第一護衛艦からだ」
フォックスが第一護衛艦の船首右側へ移動する。
スリッピーは船首左側。
二機の下部からグラップリング装置が展開される。
高強度ワイヤー。
磁気固定具。
牽引時の衝撃を吸収する緩衝装置。
ジェームズが接続位置を指定する。
「船首側の主構造材へ付けろ。外装板には付けるな」
スリッピーが映像を拡大する。
「右側はここでいい?」
「もう一つ内側」
「ここ?」
「そこだ」
フォックスが先に答える。
「接続する」
グラップリング装置が射出される。
ワイヤーが伸び。
第一護衛艦の船首右側へ固定される。
接続表示が緑へ変わった。
スリッピーも左側から射出する。
磁気固定。
補助爪展開。
ワイヤー張力、正常。
「左右とも固定できたよ」
ジェームズは張力値を確認する。
「まだ引くな。第一護衛艦、推進出力を三十へ」
第一護衛艦の艦長が答える。
「三十パーセントへ低下します」
推進器の光が僅かに弱まる。
「フォックス、スリッピー。牽引出力一パーセント」
フォックスが応じる。
「開始する」
二機が同時に推力を出す。
ワイヤーがゆっくりと張る。
第一護衛艦の船首が僅かに揺れる。
スリッピーがすぐに言う。
「右の張力が強い」
フォックスが出力を微調整する。
「〇・二落とす」
船体の揺れが収まる。
ジェームズが指示する。
「第一護衛艦、二十八へ」
「二十八パーセント」
「アーウィン、牽引出力を〇・五上げろ」
二機の推力が増える。
護衛艦の速度は変わらない。
だが、護衛艦自身の推進出力だけが下がっていく。
「二十六」
「二十六パーセント」
「最後、二十四」
第一護衛艦の推進出力が二十四パーセントまで落ちる。
支持部の振動が、明らかに小さくなった。
ジェームズが言う。
「安定した」
スリッピーも確認する。
「固定点も問題ない」
ペルシアは次に第二護衛艦へ指示する。
「ファルコ、クリスタル。始めて」
ファルコが船首左側。
クリスタルが船首右側へ位置を取る。
ジェームズが接続位置を指定する。
「第二護衛艦は冷却系統が弱い。推進器の熱をアーウィンへ当てるな。船首から少し外側へ開け」
クリスタルが機体を調整する。
「この位置なら大丈夫?」
「いい」
ファルコがグラップリング装置を構える。
「接続するぜ」
二本のワイヤーが第二護衛艦へ伸びる。
固定。
張力確認。
ファルコが少し強めに引いた瞬間。
第二護衛艦の船首が左へ揺れた。
ジェームズが鋭く言う。
「ファルコ、出力を落とせ」
ファルコはすぐに応じる。
「分かったよ」
クリスタルが穏やかに言う。
「最初からジェームズの指定どおりにして」
「誤差だ」
「大型艦を牽引する時に、その言葉は使わない方がいいわ」
ファルコは返事をせず、出力を正確に合わせた。
第二護衛艦の推進出力が二十八パーセントから。
二十五。
二十三。
二十一へ落ちる。
それでも航行速度は維持された。
冷却系統の温度上昇も緩やかになる。
ジェームズが二隻の数値を並べる。
「両方安定した」
ペルシアが護衛艦二隻へ告げる。
「このまま第三セーシングポイントへ向かって」
「アーウィンの牽引はあくまで推進補助」
「護衛艦側で急な姿勢変更をしないで」
第一護衛艦の艦長が答える。
「了解しました」
第二護衛艦も続く。
「牽引状態を維持します」
四機のアーウィンは、二機ずつ護衛艦の前方へ位置を取る。
フォックスとスリッピーが第一護衛艦。
ファルコとクリスタルが第二護衛艦。
二隻を完全に引くのではない。
傷ついた推進器の代わりに。
必要な力の一部を受け持つ。
それだけで。
護衛艦二隻は、機体を壊す危険を抑えながら航行を続けられる。
ペルシアは第三セーシングポイントまでの到着予測を確認する。
「到着まで?」
シャオメイが答える。
「現在の速度で約七時間四十分です」
「当初の迂回予測は十六時間」
連盟職員の一人が感嘆を隠せず言う。
「半分以下です」
ペルシアは短く頷いた。
「二隻が戻ったら、応急修理を最優先」
「その後、調査船との合流計画へ移る」
調査船は、まだ第三セーシング領域へ来ていない。
粉塵帯の向こう側で。
十パーセントの推進力を維持しながら。
一人の操縦士が帰還航路を進んでいる。
護衛艦二隻を先に立て直し。
救援船団へ合流させる。
それから。
改めて調査船を迎えに行く。
今の牽引作業は、そのための第一段階だった。
◇
護衛艦二隻へのグラップリング作業が完了し。
牽引状態が安定した後。
ペルシアは調査船との個別通信を開いた。
調査隊全体へ流れる共有回線ではない。
操縦席にいるリュウジへ直接繋がる回線。
「リュウジ」
少し遅れて返事が届く。
「聞こえてる」
その声を聞いた瞬間。
ペルシアの表情が変わった。
疲れている。
帰還を開始した直後から、声に疲労はあった。
だが今は、それ以上だった。
言葉が遅いわけではない。
報告も正確。
発音も乱れていない。
それでも。
声の奥に、力が残っていない。
感情を押し殺しているというより。
感情を出すための余力さえ失い始めている。
ペルシアは護衛艦の報告を簡潔に伝える。
「護衛艦二隻はアーウィンと合流した。今、第三セーシングポイントへ戻ってる」
「そうか」
「グラップリングも安定」
「二隻とも推進出力を下げた状態で速度を維持できてる」
「了解」
「調査船を迎えに行くための船は、これで揃う」
「まだ修理が必要だ」
「分かってる。でも戻せる」
リュウジは短く答える。
「そうか」
同じ言葉。
抑揚もほとんどない。
ペルシアは眉を寄せた。
「リュウジ」
「何だ」
「今、何時間起きてる?」
返答が少し遅れた。
「分からない」
その答えだけで。
ペルシアは確信した。
「分からないって何?」
「途中で少し寝た」
「少しって?」
「二時間くらい」
「いつ?」
「昨日」
「昨日のいつ?」
「覚えてない」
ペルシアは思わず目を閉じた。
声の疲れ方だけではない。
時間感覚まで曖昧になっている。
「セレナは近くにいる?」
「後ろにいる」
ペルシアは通信を共有する。
「セレナ、聞こえる?」
操縦席後方からセレナが答える。
「聞こえています」
「リュウジの状態は?」
「強い睡眠不足があります。集中力も低下しています」
リュウジが遮る。
「操縦に問題はない」
ペルシアは即座に言い返した。
「その判断を、今のあなたにさせるつもりはない」
「機体は安定してる」
「だから休めるでしょう」
「まだ第三セーシング領域に入ってない」
「分かってる」
「進路上の粉塵密度も変わる可能性がある」
「ナミとマリが見てる」
「機体負荷は?」
「ジェームズが見てる」
「通信は?」
「シャオメイが繋いでる」
「航路判断は俺がする」
「必要な時に起こす」
「最初から起きていた方が早い」
ペルシアの声が強くなる。
「早くても、間違えたら意味がない!」
通信の向こうでリュウジが黙る。
ペルシアは一度息を整えた。
怒鳴りたいわけではない。
だが。
このまま放っておけば、リュウジは第三セーシング領域へ到達するまで操縦席を離れない。
護衛艦が合流しても。
救助船が来ても。
自分で全てを確認し続ける。
「少し休んで」
ペルシアは今度は低い声で言った。
「今は無理だ」
「どうして?」
「まだ合流してない」
「護衛艦の話?」
「ああ」
「護衛艦はスターフォックスが見てる」
「調査船の護衛に戻れる状態か確認が必要だ」
「それはジェームズとスリッピーが判断する」
「最終的には俺も見る」
「何でも自分で見ないと気が済まないの?」
リュウジは答えない。
ペルシアは、声を僅かに柔らかくする。
「リュウジ」
「何だ」
「声が限界よ」
「声だけで判断するな」
「誰に言ってるの?」
ペルシアは静かに返した。
「私は声で相手の状態を読むのが仕事だったの」
「今のあなたの声が普通かどうかくらい分かる」
リュウジの返答が止まる。
ペルシアは続ける。
「怒ってる時の声でもない」
「機嫌が悪い時の声でもない」
「誰かを拒絶してる声でもない」
「疲れ切ってる」
「言葉を出すことまで面倒になってる」
「違う?」
長い沈黙。
やがて。
リュウジが小さく答える。
「少し疲れてる」
ペルシアは呆れたように息を吐いた。
「それを少しとは言わない」
「操縦はできる」
「できるかどうかの話じゃない」
「今はできても、次の判断で遅れるかもしれない」
「出力を一つ間違えるかもしれない」
「航路の変化を見落とすかもしれない」
「あなたがずっと言ってきたでしょう。小さな違和感を無視するなって」
リュウジは何も返さなかった。
ペルシアは畳みかけるのをやめる。
代わりに。
逃げ道を用意する。
「一時間だけでいい」
「操縦席を離れなくてもいい」
「座席を倒して、目を閉じて」
「操縦権限は一時的にソフィアとノアへ移す」
「無理だ」
「じゃあ自動航行」
「完全には任せられない」
「フォックスは今、護衛艦を牽引してる。でもナウスと宇宙管理局が航路を見てる」
「ジェームズも機体を監視してる」
「異常があれば起こす」
「通信が切れても?」
「起こす」
「粒子密度が上がっても?」
「起こす」
「推進負荷が変わっても?」
「起こす」
「本当に?」
ペルシアの表情が僅かに痛む。
リュウジは。
休むことが嫌なのではない。
眠ることが怖いのだ。
自分が目を閉じている間に。
また誰かが判断を誤ることが。
自分が起きた時には、取り返しがつかなくなっていることが。
「本当に起こす」
ペルシアははっきりと答えた。
「私が約束する」
リュウジはしばらく黙った。
「一時間だけだ」
ペルシアは小さく息を吐く。
「ええ。一時間」
「それ以上は寝ない」
「起きられなかったら?」
「起こせ」
「状態が良ければ、もう少し寝かせる」
「話が違う」
「今は一時間ってことでいいわ」
「曖昧だ」
「疲れてるくせに、そういうところだけ細かいわね」
ほんの僅かに。
通信の向こうから、リュウジが息を吐く音が聞こえた。
笑ったわけではない。
だが。
先ほどまでより、少しだけ硬さが緩んだ。
ペルシアはセレナへ言う。
「座席を倒してあげて」
「分かりました」
「操縦権限は?」
リュウジがすぐに尋ねる。
「自動航行へ移します。ソフィアとノアが監視し、異常時にはすぐに戻します」
「勝手に航路を変えるな」
ペルシアが答える。
「変えない」
「出力も?」
「ジェームズの許可なしでは変えない」
「何かあったら」
「絶対に起こす」
リュウジはまだ画面を見ていた。
ペルシアは低く言う。
「目を閉じて」
「まだ確認が」
「護衛艦は戻ってる途中」
「アーウィンも無事」
「グレートフォックスは待機中」
「調査船の機体負荷も安定」
「今すぐあなたが判断することはない」
リュウジはようやく、ゆっくりと目を閉じた。
「ペルシア」
「何?」
「護衛艦が戻ったら教えてくれ」
「分かった」
「修理結果も」
「起きてからね」
「すぐに教えろ」
「はいはい」
「軽く返すな」
「安心して寝なさいって言ってるの」
通信の向こうから返事がなくなる。
数分後。
セレナが声を落として報告する。
「眠りました」
ペルシアは画面に映るリュウジを見る。
眉間には、まだ僅かに力が入っている。
深い眠りではない。
いつ警報が鳴っても起きようとしている。
それでも。
眠っている。
ペルシアは小さく言った。
「一時間は起こさないで」
ジェームズが機体ログを見たまま返す。
「重大な変化がなければな」
「それでいい」
シャオメイも答える。
「通信状態を維持します」
ナミとマリからも、監視継続の報告が入る。
その頃。
迂回路では。
四機のアーウィンが、傷ついた護衛艦二隻を前方から支えながら進んでいた。
その先には。
グレートフォックス。
救助船。
医療船。
技術支援船。
補給船。
そして。
宇宙管理局が作り上げた帰還拠点がある。
調査船はまだ、その場所へ来ていない。
だが。
まず護衛艦を戻す。
傷ついた二隻を直す。
それから。
今度こそ。
リュウジ達の調査船を迎えに行く。
救援は。
一つずつ。
確実に進んでいた。