サヴァイヴ〜ドルトムント財閥〜   作:一塔

90 / 92
粉塵の向こう側

 

 

「行って」

 

ペルシアの声が届いた瞬間。

 

リュウジは主推進器の出力制限を解除した。

 

十パーセント。

 

機体後部に、低く抑えられていた推進光が灯る。

 

調査船の船首は、粉塵帯の薄い進入口へ向いている。

 

前方右十一度。

 

出口側は左へ流動中。

 

粉塵帯そのものが、一定の形を保っているわけではない。

 

膨張し。

 

収縮し。

 

周辺天体の重力に引かれ。

 

無数の粒子が波のようにうねっている。

 

一秒前まで通れた場所が閉じる。

 

閉じていた場所が、一瞬だけ薄くなる。

 

通常の航路計算では追いつかない。

 

マリが算出する密度変化。

 

ナミが送る位置情報。

 

ジェームズが監視する機体負荷。

 

その全てが、リュウジの正面へ重ねて表示される。

 

だが。

 

リュウジは画面だけを見ていなかった。

 

操縦桿へ伝わる僅かな反力。

 

座席の背を通して届く船体振動。

 

補助推進器が噴射した後、船首が戻ろうとする速さ。

 

主推進器の音が、船体内部を伝わって操縦室へ届くまでの僅かな間。

 

それらを、一つずつ感じ取っていた。

 

数値は、異常なしを示している。

 

だが、船は正常ではない。

 

右後方が重い。

 

一番補助推進器の反応が遅い。

 

船首を右へ振った後。

 

操縦を戻しても、船体がほんの僅かに右へ残ろうとする。

 

計器では誤差の範囲。

 

だが。

 

その小さな遅れが、粉塵帯の中では致命傷になる。

 

リュウジは呼吸を整えた。

 

粉塵帯の入口が、前方へ迫る。

 

「主推進出力、十一パーセント」

 

推進光が僅かに強くなる。

 

ジェームズが負荷波形を確認する。

 

「支持部負荷上昇。まだ許容範囲内だ。そのまま五秒維持しろ」

 

「了解」

 

一秒。

 

二秒。

 

船体後部の振動が強くなる。

 

三秒。

 

右側支持部の波形が僅かに跳ねる。

 

四秒。

 

リュウジは操縦桿へ返る力が、一瞬だけ軽くなったのを感じた。

 

数字が変わるより先に。

 

出力を戻す。

 

「十一パーセント終了。十・五へ落とす」

 

ジェームズが画面を見た。

 

「まだ五秒経ってない」

 

「右支持部が開きかけた」

 

「数値には出てない」

 

「戻した」

 

直後。

 

右側支持部の負荷値が、遅れて上昇する。

 

ジェームズの目が鋭くなる。

 

「……今出た」

 

連盟指令室にいる職員達が、一斉に波形を見る。

 

リュウジが出力を下げた後に。

 

異常値が表示された。

 

反応が出るより先に。

 

リュウジは感じ取っていた。

 

ジェームズは短く息を吐く。

 

「その判断でいい」

 

リュウジは返事をせず、前方を見る。

 

粉塵帯の外縁が迫る。

 

細かな粒子が、調査船の前部装甲へ触れ始めた。

 

最初は小さな音。

 

雨粒が遠くの窓を叩くような。

 

かすかな連続音。

 

だが。

 

一秒ごとに。

 

音の数が増えていく。

 

操縦室の照明が自動的に落ちる。

 

前方観測映像が暗視補正へ切り替わる。

 

粉塵が星の光を遮り。

 

外が灰色へ沈んでいく。

 

マリが密度変化を報告する。

 

「進入口正面、粒子密度が予測値より三パーセント上昇しています。右側の流入が強くなっています」

 

リュウジが即座に船首を左へ一・二度振る。

 

「左へ一・二度修正」

 

ジェームズが確認する。

 

「一番補助推進器は使うな」

 

「分かってる」

 

リュウジは三番補助推進器を短く噴射する。

 

船首が左へ動く。

 

だが。

 

調査船の後部が、僅かに遅れてついてくる。

 

船首だけが先へ入り。

 

船尾が右へ残る。

 

通常なら姿勢制御を追加する。

 

だが。

 

リュウジは操作しなかった。

 

そのまま。

 

船体が粉塵の流れへ触れるのを待つ。

 

連盟職員の一人が思わず声を上げる。

 

「船尾が流れています」

 

ジェームズが低く言う。

 

「黙って見ろ」

 

船尾が右へ流れる。

 

だが、その直後。

 

右側から流れ込んだ粉塵の圧力が。

 

遅れていた船尾を左へ押した。

 

調査船の軸が、進入口の流れと一致する。

 

リュウジはその瞬間だけ、三番補助推進器を止めた。

 

船体が。

 

粉塵の流れへ沿う。

 

無理に向きを変えるのではない。

 

押し返そうともしていない。

 

流される力を。

 

必要な方向へ使っている。

 

ジェームズの目が僅かに見開かれる。

 

「粒子流を姿勢制御に使ったのか」

 

リュウジは前を見たまま答える。

 

「補助推進器を使うより負荷が少ない」

 

ファルコがグレートフォックスの格納庫から映像を見ていた。

 

「相変わらず、無茶なことを普通にやりやがる」

 

クリスタルは画面から目を離さない。

 

「無茶ではないわ。流れを読んでいるのよ」

 

スリッピーが機体波形を見る。

 

「でも、一秒ずれたら逆に回されてた」

 

フォックスが静かに答える。

 

「ずらさない」

 

ペルシアは何も言わなかった。

 

指令室の中央。

 

統括席の前に立ったまま。

 

両手を身体の前で握っている。

 

右手で、左手の拳を包むように。

 

強く。

 

指先が白くなるほど。

 

誰にも気づかれないように。

 

だが。

 

その拳は、小さく震えていた。

 

止めたかった。

 

今も止めたい。

 

通信を開き。

 

戻ってと言いたい。

 

もう十分だと。

 

別の方法を探すからと。

 

そう叫びたい衝動を。

 

握った拳の中へ押し込めている。

 

自分が言った。

 

任せると。

 

信じると。

 

リュウジの操縦判断を邪魔しないと。

 

だから。

 

ペルシアは何も言わない。

 

画面の中にいるリュウジから、一度も目を逸らさず。

 

ただ。

 

見守っていた。

 

調査船が粉塵帯へ入る。

 

外装を打つ音が、一気に激しくなる。

 

細かな衝突音が。

 

船体全体を包む。

 

通信映像に乱れが入る。

 

前方観測装置の一つが、粒子の直撃を受けて停止する。

 

ナミが報告する。

 

「前方副観測器三番、信号消失。主観測器は維持しています」

 

シャオメイがすぐに回線を調整する。

 

「映像通信の容量を下げます。位置情報と機体ログを優先します」

 

画面の解像度が落ちる。

 

リュウジの顔が荒い映像へ変わる。

 

それでも。

 

表情は変わらない。

 

粉塵帯へ入るほど。

 

静かになっていく。

 

焦りが消える。

 

余計な操作も消える。

 

必要なものだけを残すように。

 

呼吸。

 

視線。

 

指先。

 

全てが。

 

操縦へ集中していく。

 

前方の粒子密度が上がる。

 

マリが声を上げる。

 

「正面の密度が急上昇しています。現在航路の先に高密度域が形成されます」

 

ペルシアの拳が、さらに強く握られる。

 

だが。

 

口は開かない。

 

リュウジは密度図を見る。

 

正面。

 

右。

 

左。

 

上下。

 

出口側。

 

粉塵は均一ではない。

 

正面に濃い壁ができ始めている。

 

右へ避ければ、一番補助推進器を使う必要がある。

 

左へ大きく振れば、船尾の遅れで側面を粒子流へ晒す。

 

上方は密度が低い。

 

だが。

 

船体を上へ向けるには、主推進器の角度を変える必要がある。

 

リュウジは一瞬だけ計器から目を離した。

 

前方映像。

 

粒子の流れ。

 

明滅。

 

遠くで粉塵がぶつかり。

 

波が割れるように散る場所。

 

一つの流れが。

 

上方から下へ押し込んでいる。

 

その下。

 

密度が僅かに薄くなる瞬間がある。

 

リュウジは呟く。

 

「谷が来る」

 

ジェームズが聞き返す。

 

「何?」

 

「七秒後」

 

マリが計算する。

 

「現在の観測では、正面密度は上昇中です。低下予測は出ていません」

 

リュウジは答えない。

 

五秒。

 

四秒。

 

船体を打つ音が強まる。

 

三秒。

 

粉塵の流れが、前方上部でぶつかる。

 

二秒。

 

密度の高い二つの流れが互いを押し合う。

 

一秒。

 

その間に。

 

一瞬だけ。

 

下方へ抜ける隙間が生まれる。

 

「主推進十二パーセント。船首下げ三度」

 

リュウジが出力を入れる。

 

ジェームズが反応する。

 

「十二パーセント。支持部負荷上昇」

 

調査船が前へ出る。

 

船首が三度下がる。

 

高密度域が閉じる直前。

 

船体が、その下へ滑り込む。

 

まるで。

 

押し寄せる波が崩れる、その僅かな谷間へ。

 

船を差し込むように。

 

外装を叩いていた音が、一瞬だけ弱くなる。

 

マリの画面で。

 

正面密度が急激に低下する。

 

連盟職員が息を呑む。

 

「本当に下がった……」

 

リュウジは十二パーセントの出力を維持しない。

 

高密度域を抜けた瞬間。

 

十パーセントへ戻す。

 

だが。

 

右側支持部の負荷が大きく跳ねた。

 

ジェームズが叫ぶ。

 

「右支持部、限界に近い。出力を落とせ」

 

「落とした」

 

「まだ負荷が下がらない」

 

リュウジは操縦桿へ伝わる振動を感じる。

 

右側。

 

船尾。

 

細かな震え。

 

支持部が壊れた振動ではない。

 

粉塵が、船体後部の一部へ集中して当たっている。

 

リュウジは主推進をさらに九パーセントへ落とす。

 

同時に、三番補助推進器を〇・五秒だけ噴射する。

 

船首が僅かに左へ動く。

 

船尾の右側が粉塵流から外れる。

 

負荷が下がり始める。

 

ジェームズが波形を確認する。

 

「下がった」

 

リュウジは短く答える。

 

「支持部じゃない」

 

「粒子衝突か」

 

「そうだ」

 

ジェームズは黙った。

 

外部の粉塵流。

 

船体内部の支持部。

 

計器上では。

 

どちらも同じような負荷上昇として現れる。

 

だが。

 

リュウジは振動の違いだけで。

 

原因を判断していた。

 

指令室の中で。

 

ペルシアの拳は、まだ震えている。

 

爪が手のひらへ食い込む。

 

それでも。

 

何も言わない。

 

リュウジが判断している。

 

今。

 

誰かが声を入れれば。

 

その一言へ意識を向けさせてしまう。

 

リュウジは、全てを機体へ預けている。

 

なら。

 

自分も。

 

全てをリュウジへ預ける。

 

そう決めて。

 

震える拳を握り続けた。

 

粉塵帯の内部で。

 

調査船の周囲を複数の粒子流が横切る。

 

前方映像は、ほとんど見えない。

 

星も。

 

出口も。

 

何も映っていない。

 

視界にあるのは。

 

灰色と。

 

観測装置が粒子を捉える僅かな光だけ。

 

通常であれば。

 

計器を頼る。

 

航路計算に従い。

 

自動姿勢制御で機体を安定させる。

 

だが。

 

リュウジは自動制御を切った。

 

ジェームズが気づく。

 

「自動姿勢制御を切ったのか」

 

「補正が遅い」

 

「手動だけで保つ気か」

 

「自動制御は船を水平に戻そうとする」

 

「それが駄目なのか」

 

「ここでは水平が正しいとは限らない」

 

調査船が右へ傾く。

 

警報が鳴る。

 

船体姿勢。

 

右十五度。

 

通常の安全基準を超え始める。

 

連盟職員の一人が声を上げる。

 

「姿勢が崩れています」

 

ジェームズが言う。

 

「崩してる」

 

リュウジは傾きを戻さない。

 

右へ傾いたまま。

 

主推進を維持する。

 

粉塵の強い流れが、船体左側へ当たる。

 

水平なら。

 

側面全体で流れを受ける。

 

だが。

 

右へ傾けたことで。

 

左側面へ当たった粒子が。

 

船体の上を滑るように後方へ抜けていく。

 

衝突負荷が分散する。

 

機体ログの負荷値が下がる。

 

ジェームズは小さく呟く。

 

「船体を盾にしたのか」

 

リュウジは返事をしない。

 

右十五度。

 

船首下げ二度。

 

主推進九パーセント。

 

補助推進器を使わず。

 

粉塵流に押される力だけで。

 

船を僅かに左へ移動させる。

 

船は。

 

まっすぐには進んでいない。

 

流され。

 

傾き。

 

押され。

 

それでも。

 

結果として出口へ近づいている。

 

操縦しているというより。

 

巨大な粉塵の流れと、互いに力を渡し合っている。

 

波に逆らわず。

 

しかし流されきらず。

 

必要な場所だけ。

 

操縦桿で支える。

 

リュウジは一度、右手の力を抜いた。

 

操縦桿が僅かに戻る。

 

その戻り方。

 

速度。

 

抵抗。

 

そこから次の粒子流を読む。

 

「五秒後、左から来る」

 

マリが観測画面を見る。

 

「左側密度に大きな変化はありません」

 

四秒。

 

三秒。

 

二秒。

 

左側の遠方で。

 

粉塵の小さな渦が崩れる。

 

その内部に溜まっていた粒子が。

 

一気に調査船側へ流れ込む。

 

「左側粒子流、急上昇」

 

マリが報告するより僅かに早く。

 

リュウジは船体を水平へ戻していた。

 

左からの流れが当たる。

 

だが。

 

傾きを戻した船体が、正面ではなく斜めに受ける。

 

衝撃が船尾へ抜ける。

 

船体は大きく揺れない。

 

ファルコが映像を見て、低く言う。

 

「見えてんのか、あいつ」

 

スリッピーは首を振る。

 

「観測装置でも、直前まで出てなかった」

 

クリスタルが静かに答える。

 

「見ているんじゃないと思う」

 

「感じてるのか」

 

フォックスが言う。

 

「船と同じものを」

 

調査船内部。

 

操縦席の後方で。

 

セレナも。

 

ソフィアも。

 

ノアも。

 

誰も口を開かなかった。

 

リュウジへ何かを聞くことも。

 

進路を提案することもない。

 

今。

 

自分達にできることは。

 

余計な言葉を入れないこと。

 

それだけだと。

 

ようやく理解していた。

 

警報音が変わる。

 

前方観測装置。

 

粒子密度。

 

出口方向。

 

マリの画面に。

 

粉塵帯外部の低密度領域が表示される。

 

「出口まで、推定八百四十キロメートル」

 

シャオメイが通信を維持する。

 

「回線遅延二・二秒。位置情報は正常です」

 

ナミが進行方向を確認する。

 

「現在航路を維持すれば、七分以内に外縁へ到達します」

 

七分。

 

わずかな時間。

 

だが。

 

粉塵帯の中では。

 

長い。

 

リュウジの呼吸が、少しずつ重くなっている。

 

額に汗が滲む。

 

右手は操縦桿。

 

左手は出力調整。

 

指先が小さく震える。

 

疲労。

 

睡眠不足。

 

十日間の緊張。

 

その全てが身体へ残っている。

 

だが。

 

操作には出さない。

 

一つの動きも。

 

余計にしない。

 

粉塵が正面から押し寄せる。

 

リュウジは船首を変えず。

 

主推進を一瞬だけ八パーセントまで落とした。

 

連盟職員が戸惑う。

 

「出口が近いのに減速を?」

 

ジェームズは画面を見る。

 

「前方の流れが速い」

 

粉塵が調査船へ追いつく。

 

船体が押される。

 

その力を受けた瞬間。

 

リュウジは主推進を十パーセントへ戻す。

 

後方から押す粒子流。

 

前へ進む推進力。

 

二つが重なり。

 

調査船の速度が上がる。

 

支持部へかかる主推進負荷を増やさず。

 

速度だけを得る。

 

ジェームズが初めて、明確に息を呑んだ。

 

「粉塵に押させた」

 

出口まで六百キロ。

 

五百。

 

粒子密度が低下し始める。

 

だが。

 

その直前。

 

調査船の右前方に。

 

新たな高密度域が発生した。

 

マリが報告する。

 

「出口右側に高密度反応。現在航路と交差します」

 

ナミが別の航路を算出する。

 

「左へ五度変更すれば回避可能です」

 

リュウジは左へ動かさない。

 

ナミがもう一度言う。

 

「現在航路では高密度域へ入ります」

 

ペルシアの拳が震える。

 

だが。

 

やはり何も言わない。

 

リュウジは前方を見ている。

 

高密度域は、出口を塞ぐように横へ流れている。

 

左へ避ければ。

 

粉塵帯の内部へ戻される。

 

右はさらに密度が高い。

 

正面。

 

塞がれている。

 

リュウジは主推進を十パーセントから九へ落とす。

 

船速が下がる。

 

マリが状況を確認する。

 

「高密度域との接触まで四十秒」

 

三十五秒。

 

リュウジは動かない。

 

三十秒。

 

外装を叩く音が強まる。

 

二十五秒。

 

ペルシアは拳を握ったまま。

 

小さく震えている。

 

止めない。

 

信じる。

 

そう決めた。

 

二十秒。

 

高密度域が。

 

調査船の前を横切る。

 

十五秒。

 

リュウジはまだ動かない。

 

ジェームズが画面を見る。

 

何かに気づく。

 

高密度域の後方。

 

粒子が引かれ。

 

薄い空間が生まれている。

 

十秒。

 

リュウジが主推進を十一パーセントへ上げる。

 

「来る」

 

高密度域が正面を通過する。

 

その後ろへ。

 

一瞬だけ。

 

細長い空間が開く。

 

「船首右二度。主推進十二パーセント」

 

調査船が加速する。

 

高密度域の直後。

 

粒子の少ない空間へ飛び込む。

 

ジェームズが支持部を監視する。

 

「右支持部負荷上昇。二十秒以内だ」

 

リュウジは答えない。

 

正面。

 

粉塵の灰色が薄くなる。

 

遠くに。

 

一つ。

 

星の光が見えた。

 

出口。

 

だが。

 

粉塵帯が後方から閉じ始める。

 

十二パーセント。

 

十五秒。

 

支持部負荷。

 

上昇。

 

右側接合部。

 

警戒値。

 

十八秒。

 

ジェームズが声を上げる。

 

「出力を落とせ」

 

リュウジは落とさない。

 

「あと二秒」

 

「支持部が持たない」

 

「持つ」

 

十九秒。

 

警告音。

 

右側支持部、限界値接近。

 

二十秒。

 

調査船の船首が、粉塵帯の外へ出る。

 

前方観測映像が一気に明るくなる。

 

星。

 

既知領域。

 

通信中継設備の光。

 

だが。

 

船尾はまだ粉塵帯の中にある。

 

ここで出力を落とせば。

 

後部が粒子流へ引かれる。

 

リュウジは操縦桿を握り直す。

 

主推進。

 

十二パーセント。

 

二十二秒。

 

支持部の波形が大きく跳ねる。

 

ジェームズが叫ぶ。

 

「リュウジ!」

 

リュウジはその瞬間。

 

主推進を完全に切った。

 

同時に。

 

三番補助推進器を最大で短く噴射する。

 

船首が左へ振れる。

 

粉塵帯の外へ出ていた船首が。

 

船体全体を横へ引く。

 

残っていた船尾が。

 

粉塵流から剥がれる。

 

調査船が。

 

粉塵帯の外へ滑り出す。

 

慣性だけで。

 

ゆっくりと回転しながら。

 

灰色の帯から離れていく。

 

主推進停止。

 

補助推進停止。

 

機体は静かになる。

 

粉塵が外装を叩く音も。

 

一つずつ消えていく。

 

やがて。

 

完全に。

 

何も聞こえなくなった。

 

調査船の全体が。

 

粉塵帯の外に出ている。

 

ナミが位置情報を確認する。

 

「調査船、粉塵帯外縁を通過」

 

マリも粒子密度を確認する。

 

「周辺密度、安全値まで低下」

 

シャオメイが通信状態を見る。

 

「回線正常。位置情報、機体ログともに受信継続」

 

ジェームズは機体負荷を確認する。

 

右側支持部。

 

一時的に限界近くまで上がった。

 

だが。

 

現在は低下している。

 

主推進器。

 

停止中。

 

補助推進器。

 

正常。

 

船体構造。

 

重大な破断なし。

 

ジェームズがゆっくりと言う。

 

「機体、維持してる」

 

一秒。

 

指令室は静まり返ったままだった。

 

誰も。

 

すぐには理解できなかった。

 

あの傷ついた調査船が。

 

護衛もなく。

 

牽引もなく。

 

十パーセントしか使えない推進器で。

 

粉塵帯を抜けた。

 

その事実が。

 

画面に表示されている。

 

リュウジは操縦桿から手を離さない。

 

呼吸を整える。

 

船体の反応を確かめる。

 

一番補助推進器。

 

右支持部。

 

主推進軸。

 

操縦桿を僅かに動かし。

 

船体が正しく反応することを確認する。

 

それから。

 

初めて通信へ口を開いた。

 

「調査船、粉塵帯を通過した」

 

その声が届いた瞬間。

 

連盟指令室の中で。

 

大きな歓声が上がった。

 

連盟職員達が立ち上がる。

 

互いに顔を見合わせ。

 

拍手をする。

 

宇宙管理局のオペレーションルームでも。

 

イーナが両手を胸元で握り。

 

リリアが大きく息を吐く。

 

ナミは安堵したように目を閉じ。

 

マリは表示された数値を見たまま、僅かに口元を緩めた。

 

グレートフォックスの格納庫では。

 

ファルコが拳を振り上げる。

 

「やりやがった!」

 

スリッピーも椅子から立ち上がる。

 

「本当に抜けた!」

 

クリスタルは胸へ手を置き、静かに息を吐く。

 

フォックスは画面を見たまま。

 

小さく頷いた。

 

歓声。

 

拍手。

 

安堵。

 

張り詰めていたものが。

 

一斉に解ける。

 

その中心で。

 

ペルシアだけは。

 

動かなかった。

 

拳を握ったまま。

 

画面の中のリュウジを見ている。

 

震えは、まだ止まっていない。

 

肩も。

 

僅かに揺れている。

 

だが。

 

泣いてはいない。

 

笑ってもいない。

 

ただ。

 

何度も小さく呼吸をする。

 

本当に抜けた。

 

生きている。

 

通信も繋がっている。

 

船も動いている。

 

リュウジが。

 

帰ってきた。

 

まだ。

 

完全にではない。

 

それでも。

 

粉塵帯の向こう側から。

 

こちら側へ出てきた。

 

ペルシアは握っていた拳を、ゆっくり開いた。

 

手のひらには。

 

爪が食い込んだ赤い痕が残っていた。

 

歓声は続いている。

 

だが。

 

ペルシアは。

 

そこで立ち止まらなかった。

 

中央画面に表示された調査船の位置。

 

救助船団。

 

アーウィン四機。

 

宇宙警察巡視艦。

 

護衛艦二隻。

 

それらを一度に確認する。

 

表情が変わる。

 

安堵を押し込み。

 

統括官へ戻る。

 

「歓声は後!」

 

ペルシアの声が指令室へ響く。

 

連盟職員達が一斉に静まる。

 

「調査船は粉塵帯を抜けただけよ!――機体は損傷したまま!――主推進器も止まってる!――救援作業へ移行して!」

 

全員が持ち場へ戻る。

 

ペルシアは即座に指示を出す。

 

「フォックス、アーウィン四機を発進!」

 

フォックスが答える。

 

「了解」

 

「フォックスとスリッピーは牽引装備を搭載!――ファルコとクリスタルは外縁警戒と船体確認!」

 

ファルコが応じる。

 

「任せろ」

 

クリスタルも続く。

 

「調査船の状態を確認するわ」

 

スリッピーは格納庫の状況を見る。

 

「牽引ワイヤーの交換は終わってる。すぐ出られるよ」

 

「ナウス、発進許可を出して!」

 

ナウスが答える。

 

「アーウィン四機、発進経路を確保しました」

 

ペルシアは次に救助船団へ回線を開く。

 

「救助船一番船、調査船へ直行!」

 

救助船の艦長が答える。

 

「了解しました」

 

「二番船は後方支援!――調査船が完全停止した場合に備えて、牽引設備を展開!」

 

「了解しました」

 

「医療船は救助船一番船の後方!――調査船との接触後、負傷者の有無に関係なく医療班を乗せて!」

 

医療船から返答が入る。

 

「医療班、出動準備完了しています」

 

「技術支援船は調査船後部へ!――推進器支持部の外部確認を最優先!」

 

技術支援船の責任者が答える。

 

「外部作業班を準備します」

 

「護衛艦二隻は?」

 

フレイが状況を確認する。

 

「第一護衛艦の補強作業は完了していません――第二護衛艦は冷却系統の試験中です」

 

ペルシアは一瞬で判断する。

 

「出さないで、今は宇宙警察の巡視艦を先行させる」

 

リリアが応じる。

 

「巡視艦二隻へ指示します。一隻は調査船前方。もう一隻は救助船団後方。他船の接近を止めて」

 

「承知しました」

 

ペルシアはジェームズを見る。

 

「調査船の主推進器は?」

 

ジェームズがログを拡大する。

 

「今は再起動させるな。右支持部が限界近くまで上がった。冷却後に外部確認が必要だ」

 

ペルシアは調査船へ通信を開く。

 

「リュウジ、主推進器はそのまま止めて」

 

「分かってる」

 

「姿勢は維持できる?」

 

「補助推進器だけで可能」

 

「一番は使わないで」

 

「使わない」

 

「現在速度は?」

 

「慣性航行中」

 

「救援船が向かってる」

 

「確認した」

 

リュウジの声は。

 

粉塵帯へ入る前よりも、さらに疲れていた。

 

集中が切れ始めている。

 

操縦を終えたことで。

 

押さえ込んでいた疲労が、一気に表へ出ている。

 

ペルシアは気づいた。

 

だが。

 

今はまだ。

 

話を止めない。

 

調査船を安全な状態へ移すまで。

 

確認しなければならない。

 

「船体に異常音は?」

 

「ない」

 

「振動は?」

 

「右後方に少し残ってる」

 

ジェームズがすぐに聞く。

 

「主推進停止後もか」

 

「小さくなってる」

 

「周期は?」

 

「一定じゃない」

 

「粒子が残ってる可能性がある」

 

スリッピーが回線へ入る。

 

「船体の隙間に粉塵が入り込んでるかもしれない。外から見れば分かると思う」

 

ペルシアは指示する。

 

「スリッピー、到着したら支持部だけじゃなく、粒子の残留も確認して」

 

「分かった」

 

格納庫内で。

 

四機のアーウィンが順番に発進位置へ移動する。

 

フォックス機。

 

スリッピー機。

 

ファルコ機。

 

クリスタル機。

 

補給を終えた推進器が点火する。

 

ナウスが発進経路を表示する。

 

「アーウィン一番機、発進可能です」

 

フォックスが答える。

 

「発進する」

 

フォックス機がグレートフォックスを離れる。

 

続いて。

 

ファルコ。

 

クリスタル。

 

スリッピー。

 

四機が編隊を組み。

 

調査船へ向けて加速する。

 

ペルシアは到着予測を見る。

 

「アーウィン到着まで?」

 

シャオメイが答える。

 

「現在位置から約一時間四十二分です」

 

「救助船は?」

 

「二時間十分」

 

「宇宙警察巡視艦は?」

 

リリアが確認する。

 

「一時間五十五分です」

 

ペルシアは考える。

 

アーウィンが最初に到着する。

 

船体外部を確認。

 

牽引準備。

 

その後。

 

巡視艦が周辺警戒。

 

救助船が接続。

 

技術支援船が修理。

 

医療船が乗員を受け入れる。

 

順序を崩さない。

 

粉塵帯を抜けた直後だからこそ。

 

焦らず。

 

確実に。

 

「フレイ」

 

ペルシアが呼ぶ。

 

フレイはすぐに答える。

 

「はい、統括官」

 

「救援作業の順序を全船へ共有して。第一到着、アーウィン、船体外部確認と牽引固定。第二到着、宇宙警察巡視艦、周辺警戒。第三到着、救助船一番船、調査船へ接続。その後、技術支援船、医療船」

 

フレイが正確に復唱する。

 

「アーウィンによる外部確認及び牽引固定。宇宙警察巡視艦による周辺警戒。救助船一番船による接続。技術支援船の作業後、医療船が接近。全船へ共有します。

 

「救助船二番船と補給船は後方待機。異常が出た時だけ前へ」

 

「承知しました」

 

指令室の歓声は。

 

もう完全に消えていた。

 

全員が。

 

新しい作業へ入っている。

 

リュウジが粉塵帯を抜けた。

 

それは奇跡ではない。

 

救援終了でもない。

 

調査船を。

 

全員を。

 

確実に帰すための。

 

一つの大きな段階を越えただけ。

 

ペルシアは調査船の映像を見る。

 

リュウジはまだ操縦席にいる。

 

両手は操縦桿と出力調整器の近く。

 

目も画面から離れていない。

 

だが。

 

もう粉塵帯はない。

 

前方には。

 

既知領域の星が広がっている。

 

ペルシアは個別通信へ切り替えた。

 

「リュウジ」

 

「何だ」

 

「抜けたわね」

 

短い沈黙。

 

リュウジは正面を見ながら答える。

 

「抜けた」

 

ペルシアの喉が僅かに詰まる。

 

言いたいことは多かった。

 

怖かった。

 

馬鹿。

 

もう二度とやらないで。

 

本当に。

 

本当に無事でよかった。

 

その全てを。

 

今は言葉にしない。

 

代わりに。

 

一つだけ。

 

「信じてよかった」

 

リュウジは暫く黙っていた。

 

それから。

 

疲れ切った声で返す。

 

「ありがとう」

 

ペルシアは目を伏せる。

 

握り締めていた手のひらが。

 

まだ痛い。

 

「でも、まだ終わってないから」

 

「分かってる」

 

「アーウィンが到着するまで、余計な操作はしないで」

 

「姿勢維持だけにする」

 

「主推進器は絶対に触らないで」

 

「触らない」

 

「何か感じたら、すぐ言って」

 

「分かった」

 

ペルシアは少し間を置く。

 

「リュウジ」

 

「何だ」

 

「よく抜けたわね」

 

通信の向こうで。

 

リュウジはすぐに答えなかった。

 

操縦桿を見て。

 

正面の星を見て。

 

ようやく。

 

小さく息を吐いた。

 

「船が動いてくれた」

 

ペルシアは首を横へ振る。

 

「違う」

 

リュウジが僅かに目を動かす。

 

「あなたが動かしたの」

 

リュウジは何も答えなかった。

 

ただ。

 

操縦桿から右手を離し。

 

疲れた指を、一度だけ握り直した。

 

ペルシアは中央回線へ戻る。

 

もう一度。

 

全体を見る。

 

アーウィン四機。

 

救助船団。

 

巡視艦。

 

調査船。

 

全てが一つの地点へ向かっている。

 

ペルシアは強く告げた。

 

「全員、調査船救援へ移行!――粉塵帯を抜けたからって油断しないで!――牽引固定、船体確認、乗員救出まで、一つずつ確実に進める!――今度こそ、全員を帰すわよ!」

 

複数の回線から。

 

返答が重なる。

 

「了解」

 

「承知しました」

 

「任せろ」

 

「準備できています」

 

画面の向こうで。

 

四機のアーウィンが加速する。

 

その先。

 

粉塵帯を背にした調査船が。

 

静かな宇宙空間を。

 

慣性だけで進んでいた。

 

リュウジは。

 

その船をもう一度。

 

帰る方向へ向け直している。

 

今度は。

 

一人ではない。

 

救助する者達が。

 

すぐそこまで来ていた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。