最弱にして最悪 作:独歩
最悪の主人公を思い付きで書き始めてます。
反響があったら続き書くかもです。
男はまだ、生きていた。
指が三本足りない。
歯は半分以上なく、舌は腫れて口から垂れている。
それでも呼吸だけは、しつこく続いていた。
誰も止めない。
止める理由がない。
ここは、世界から捨てられた場所だ。
国でも島でもない。
名付ける価値すらない。
ただ、人々は勝手に呼ぶ。
“インクピット”と。
黒いものが溜まり、沈み、二度と浮かばない穴。
血も、金も、欲望も、
全部ここに落ちてくる。
誰も見ない端っこに溜まった埃のような場所。
この場所には犯罪という言葉は存在しない。
守るものがないからだ。
あるのは欲望だけ。
奪えるなら奪う。
売れるなら売る。
殺せるなら殺す。
そして、信じていいのは二つだけ。
自分の力と、金。
そんな地獄に少年は、その場に立っていた。
壁に背を預け、腕を組み、視線を床に落としている。
汚れたシャツ。
年相応の細い体。
どこにでもいそうな、普通の少年。
ただ、目立つことを、ひどく嫌っている。
「……もう、いいだろ」
小さな声だった。
誰に向けたわけでもない。
だが、その一言で空気が変わる。
銃を持っていた男が、迷いなく引き金を引いた。
鈍い音。だが聞き慣れた音。
男の頭が揺れ、崩れ落ちる。
死体はそのままだ。
片付ける者など当然いない。
踏まれ、蹴られ、忘れられるだけ。
少年は、撃った男を見ない。
感謝もしない。
命令したつもりもない。
ただ、結果を受け取っただけ。
それで、この場所では十分だった。
誰かが彼を慕っている。
誰かが彼を怖れている。
誰かが彼を真似しようとしている。
だが、少年自身は、誰の上にも立つ気がなかった。
人は勝手に集まり、勝手に従い、勝手に壊れる。
それを、黙って見ているだけだ。
昔、誰かが余計な言葉を使った。
大げさな呼び名だ。
少年は、露骨に顔をしかめた。
それ以来、その言葉を使う者はいない。
代わりに、人々は視線を逸らし、声を潜める。
名前も、呼び方も、いらない。
それが彼の望みだった。
床に、紙が落ちている。
誰かが持ち込んだ、外の世界の話だ。
少年は、皆に踏まれズタボロのそれを拾い上げる。
「海賊王、死す」
「探せ!この世の全てをそこに置いてきた!」
しばらく、動かない。
この場所には、欲望はある。
だが、未来はない。
「……外、か」
呟きは、ほとんど独り言だった。
夜明け前。
誰にも見られず、
誰にも別れを告げず、
少年は小さな舟に乗る。
インクピットは、今日も変わらない。
死体は転がり、欲望は沈み続ける。
ただ一つ。
ここで生まれた“何か”が、世界へ流れ出た。
それだけが、違っていた。
海軍特別観測地点。
そこはインクピットを監視や統制など全くしない。
ただ観察するための場所。
そこには片手で数えられる程度の海兵が常駐しており、時折インクピットを覗き、報告書に“異常なし”と記すためのやらかした人を厄介払いするための場所。
平和とは、日常とは、
銃声が鳴る。
誰かが倒れる。
血が流れる。
正常だ。
見張り任務に就いて三年。
1人の海兵は、そうやってこの島を理解してきた。
ここは、そういう場所だ。
世界から溢れた人間が捨てられる、底。まさしく地獄。
犯罪という言葉が意味を持たない場所。
奪うことも、殺すことも、売ることも、ただの生活だ。
だが、その日はいつもと違った。
違う、というより「元に戻っていた」。
双眼鏡を覗く。
路地で男が刺されている。
理由は分からない。
周囲は笑っている。
数年前と同じ光景。
…なのに。
「……あれ?」
海兵は、眉をひそめる。
最近まで、こうじゃなかった。
思い返す。
数ヶ月前。
この島は、確かに地獄だった。
だが、殺し方に癖があった。
誰でも殺されるわけじゃない。
誰かが“やらかした”後に、消える。
目立った奴。
秩序を壊しすぎた奴。
欲望を制御できなかった奴。
理由は、誰も説明しない。
だが、皆なんとなく分かっていた。
殺される側に、順番があった。
今は違う。
順番がない。
理由もない。
ただ、運が悪ければ死ぬ。
「前は、もう少し……」
言いかけて、海兵は口を閉じる。
『マシだった』
そう言いそうになった自分に、寒気が走った。
あの頃。
暴力は減っていた。
無差別殺しは、確実に減っていた。
その代わり、
特定の人間だけが、確実に消えていた。
支配者がいた?
王がいた?
馬鹿な。
そんなものが存在できる島じゃない。
ただ、中心があった。
誰が、とは分からない。
姿も、名前も、確証もない。
双眼鏡越しに、そこに“何かがいる気がした”だけだ。
武器も持たず、
血にも触れず、
ただ、そこにいる。
それだけ。
そして今。
それが、いない。
そのある日は偶然などではなく、
島は、数年前の地獄に戻った。
理由のない死。
制御のない暴力。
誰も考えなくていい恐怖。
「……楽になったな」
海兵は、そう思ってしまう。
選ばれなくていい。
誰が殺されるか、考えなくていい。
理由を探さなくていい。
ただ、生きて、
ただ、死ぬ。
次の瞬間、吐き気がした。
楽になったと思った自分が、気持ち悪かった。
あの頃は違った。
皆が、理由を探していた。
自分はまだ生きていいのか。
次は自分じゃないのか。
地獄の中で、生き残る意味を考えさせられていた。
今は、考えなくていい。
それが、正しい地獄なのか?
報告書には書かない。
いや、書けるわけがない。
そこには、変化の理由も、
消えた存在の名前も、
事実として示せるものが何もない。
あるのは、海兵自身の中に残った疑問だけだ。
選ばれる地獄。選ばれない地獄。
どちらが、より地獄だったのか。
答えは出ない。
ただ一つ分かるのは、地獄は確かに一度、形を変えていた。
そして今、何事もなかったかのように、元に戻った。
海兵は、双眼鏡を下ろす。
海の向こうには、
この島よりも、ずっと“平和そうな”国々がある。
そこが、
この地獄より安全だと、
誰が言えるだろうか。
違和感は、消えた。
だからこそ、確かに“何か”が、ここにいたのだと分かる。
殺し方で名を売った海賊団だった。
奪うだけじゃない。
殺すだけでもない。
見せるために殺す。
港を襲えば、まず老人を吊るす。
理由は簡単だ。
若い者の逃げ足を止めるため。
次に女を裂く。
叫び声が一番遠くまで届くからだ。
子どもは最後。
泣かせてから殺す。
そうしないと“価値”が下がる。
彼らは言った。
「恐怖は道具だ」
「壊れてからが本番だ」
生き残った者に、わざと“判断”をさせる。
逃げるか。
売るか。
殺すか。
選ばせることが、娯楽だった。
だから、
逆らう者はいない。
裏切る者もいない。
疑うという発想すら、その海賊団にはなかった。
その日、小舟を見つけるまでは。
「……ガキだな」
見張りが吐き捨てる。
小舟の中央に、ひとり。
少年。
だが、妙だった。
泣いていない。
祈っていない。
助けを求めてもいない。
見ている。
こちらを。
まるで商品でも見るような目で。
「引き上げろ」
船長が言う。
「高く売れる」
その一言で、空気は戻る。
いつも通りだ。
弱いものを拾い、壊し、金にする。
少年は甲板に引き上げられる。
軽く、骨ばった身体。
だが、触れた瞬間、誰かが舌打ちした。
「……冷てぇ」
少年は、全員を見た。
ひとりずつ。
順番に。
まるで値踏みするみたいに。
「縛れ」
麻縄が巻かれる。
手首。
胴。
足。
逃げ場はない。
少年は座らされる。
殴られる。
蹴られる。
血が出る。
それでも、その少年は表情を変えない。
薄気味悪いその表情は、笑顔じゃない。
楽しそうでもない。
“知っている”顔だ。
人が壊れる瞬間を、何度も見てきた者の表情。
「気色悪ぃガキだ…」
誰かが言い、酒が回り始める。
時間が経つ。
甲板は宴になる。
叫び声はない。
女もいない。
ただ、酔った男たちの笑い声だけ。
少年は、縛られたまま。
ずっと、声を出さずに諦めた顔をしている。
「……ッ、おい」
下っ端の声。
酔いが一気に抜けたような声。
「……縄が」
誰かが近づき、固まる。
縄がほどけている。
「……は?」
切れていない。
ほどいた跡もない。
最初から縛っていなかったみたいに、整っている。
「誰だ」
「お前か?」
「ふざけんな……」
疑いが生まれる。
《血鯨》には、存在しないはずの感情。
その時。
少年が、はっきりと、笑った。
肩が震える。
喉が鳴る。
歯が見える。
楽しそうで、楽しそうで仕方がない子供の顔。
そこから先は、誰も正確に覚えていない。
銃声。
刃。
怒鳴り声。
疑いが疑いを呼び、恐怖が仲間を向く。
少年は、血に濡れた甲板の中央で、ずっと笑っていた。
数日後。
漂流していた《血鯨》の船が発見された。
外敵の痕跡はない。
砲撃もない。
斬り込みもない。
あるのは、
同じ刃で、何度も斬り合った跡。
至近距離で撃ち合った痕跡。
最後まで、互いを疑い続けた形跡。
報告書は、短かった。
「内部分裂により壊滅」
それ以上の説明は、誰にもできなかった。
出来るだけ戦いたくない主人公を作ってみました。
感想いただくと気力に繋がり続きを描けるかも?笑