監視クローン大量生産系TS主導者「どうしてこうなった」 作:ギンの助
静寂に包まれた補修途中の管制室。
その空気を切り裂くように、連続したタイピング音だけが響き渡っていた。
ディスプレイに映し出される膨大なソースコード。
私はそれを高速で確認して、キーボードを叩き、次々とコマンドを確定させていく。
普段なら憂鬱でしかないシステムログの最終確認作業。だが今日に限っては、その膨大な行数さえも愛おしく思えるほど、私は機嫌が良かった。
気を抜けば踊り出してしまいそうだ。
椅子の下で私の足先は、逸る鼓動のリズムに合わせてコツコツと床を小さく叩いている。
ほら……こんな感じに。
おっと……決してこれは貧乏揺すりじゃないぞ。
あと少し。あと数行のコードを修正すれば、今日の――いや、今月のノルマが全て終了し、私が楽しみにしていたアレが受けられる。
この一ヶ月、崩壊寸前の世界で数少ない私の楽しみであるアレが今日なのだ。それのために今日まで生きてきたと言っても過言じゃない。
「……管理人? なんか今日、やけにゴキゲンじゃないっすか? やっぱりアレがあるから?」
すると、上機嫌な私に背後から、呆れたような声がかけられた。
振り返ると、私の秘書であるクローンロボット、リズがマグカップを片手に立っていた。
「分かっちゃいますか、リズ」
「そりゃもう。目を細めて頑張れば、背中からうっすらと『楽しみすぎて仕方がない』という文字が浮かび上がってきそうなくらいには。……少し前まで、レジスタンスにあんだけ派手に襲撃されてバッド入ってた管理人が嘘かのように思えちゃいますよ」
そう言いながら、リズがデスクに置いたのは、いつもの黒い栄養補給液だ。
私のために持ってきてくれたようだ。
それを一口すすり、ふふん、と不敵に笑って椅子を回転させた。
「あれは直近の中で五本の指に入るくらいには私にとって最低な出来事でしたけど、そんなのどうでも良く思えるくらいには、一ヶ月に一回のこの日は私にとって大切でハッピーな日なのです」
「知ってる……だって今日――」
リズが流し目で部屋のカレンダーに目をやる。
今日は、月の最後の日。
「そう、今日は一ヶ月に一度の『私自身へのご褒美の日』です!」
私は両手を広げてそう高らかに宣言した。
説明しよう!
人類を存続させるために、この箱庭を維持管理する終わりなき激務の毎日。
そんなストレスフルな日々を生き抜くために、私が私自身に制定したのが、一ヶ月に一回訪れるこのご褒美の日なのだ!
そして、そのご褒美の日の肝心のご褒美は、毎月変わらない。
それは――。
「――マッサージをしてもらいにいける!! 外へ出られず、デスク作業ばかりしてる私はどうしても腰や肩が痛くなりがちなのですが、そんな私を癒してくれる至福のひと時といったらこれしかありません」
私の力説にリズは肩をすくめた。
私はタスクを終えるため、最後のコマンドを完了させるエンターキーを、パターンという音を立てて力強く押した。
――全タスク、完了。
「さあ、行きますよリズ! 久しぶりの
「へいへい。……あー、マジですか。また街にいるシアンに変装させられるのか。管理人もやるの?」
私の高いテンションとは裏腹に、リズは露骨に嫌そうな顔をした。
彼女の視線が、部屋の隅にある姿見へと向けられる。
「やりますよ、仕方ないでしょう。私が管理人として
私は言葉を切り、真剣な眼差しでリズを見た。
「――襲撃の件は直近で起きたことなのです。あのレジスタンスに関しては壊滅状態に追い込めたとはいえ、別の過激派が私を狙っていないとも限りません。私は良くも悪くも有名人ですから」
「まあ、確かにね。否定はしない。そんな連中からしたら管理人は格好の的だし、街に溶け込むために、量産型のシアンの格好をして風景に同化するのは正解だと思いますよ。……けどさ」
リズは納得したように頷くが、すぐに不満げに唇を尖らせた。
「管理人が変装する必要性とかは分かった。……でもさ、自分のアイデンティティをなくしてまで、アタシも変装する必要なくない? あたしの存在なんて、住人のほとんどは知らないわけじゃん。管理人の連れじゃなくて通りすがりのギャルってことにしとけばよくないですー?」
「だめです……というかなんですか、通りすがりのギャルって。アポカリプス系の世界観でギャルは浮いていることを理解してください。世界観にあまり合ってない存在なんですから」
「それ、アタシ造った本人が言う?」
「では今から真面目にダメな理由を話します……いいですか?」
「あ、都合が悪くなって若干話そらした」
「鏡をよく見てください。貴女のその顔立ちは、メイクで分かりにくくなってはいるものの、街に溢れている量産型のクローンと全く一緒です」
「そりゃ、同じ管理人の遺伝子受け継いでるからね」
「そうなのです。だから、住人にとって、その顔は見慣れた街の量産型クローンロボットそのものに見えるでしょう。……だというのに、そんな見慣れた顔をしたクローンロボットが、金髪に派手なメイク、露出の多い服で歩いていたらどうなりますか?」
「……あー」
「クローンと顔立ちは一緒なのに、装いだけが極端に派手な異端なクローンと認識されるでしょう。仮に普通のギャルがいたとして、そのギャルより、様子のおかしい派手なギャルクローンロボットの方が目立つのは必然、そうなれば隣にいる私までついでという形で、注目の視線を浴びてしまいます。せっかく私がシアンのふりをしていても、たくさんの視線に晒されればバレる可能性が高くなる」
「じゃあ、そんなバレる必要があるなら、あたしここにいちゃダメですぅー?」
リズが意地悪くニヤリと笑う。
私はその言葉を聞いたて、ガシッと彼女の両手を握りしめた。そして、上目遣いで懇願する。
「ダメに決まっているでしょう。万が一ですよ?万が一私が襲われた時、一番強くて頼もしい存在はあなたしかいないのですよ。…………私を守ってくださいお願いします。信頼してますよ、リズ」
私のその言葉に、リズは一瞬きょとんとして、それから少し照れくさそうに頬をポリポリと掻いた。
「……けっ。口が上手いんだよ、管理人は。そうやって頼られたら断れないじゃん、まぁ、もっともあたしは管理人に従うようプログラムされてるから、命令すれば従うんだけども」
リズは諦めたようにため息をつくと、鏡の前で自身の派手な金髪ウィッグに手をかけた。
これから私たちが向かうのは、都市の一般居住区画だ。
当然、お忍びである。
この街には、私と同じ顔をしたクローンロボット、シアンが沢山溢れている。私たちはただ、量産型のフリをして紛れ込めばいい。
私は普段着ている服を脱いで、量産型シアンと同じ制服へと袖を通す。
私のほうはこれで完了だ。
問題は――。
「……あー、マジ無理。テンション下がるわー」
鏡の前で、リズが死んだ魚のような目をしていた。
バサバサのつけまつげも、ギラギラのアイシャドウも、ぷるぷるのグロスリップも、すべて拭き取られ、髪も地毛の白銀に戻されている。
そこに立っていたのは、この都市では当たり前のようにありふれた量産型のシアンだった。
「よし、それでOKです」
「アタシのアイデンティティが死んだ! 個性が! ソウルが!」
リズが鏡の中の没個性な自分を見て悲鳴を上げる。
「我慢してください。仕事の合間をぬって今度ネイルアートを施術してあげますから」
「マジ? 言ったね? 絶対だからね?」
私の提案に、リズがパァッと顔を輝かせた。
「管理人ほんとネイルアートの才能あるから、やってくれるならチョー嬉しい」
「まぁ、器用さには自信があります」
先程までの不満そうな顔はどこへやら、彼女は期待に満ちた眼差しで私を見つめてくる。
リズはパン、と自分の頬を叩いた。
「よし」
気合を入れるような声を漏らした次の瞬間、彼女の纏う空気が変わった。
だらりと片足に体重をかけていた重心をスッと直し、猫背気味だった背筋をピンと伸ばす。
感情豊かに動いていた瞳からはスッと光を消し、口元を引き結ぶ。
その立ち姿は、街に溢れる量産型シアンそのものだった。
「……どう? これでいいでしょ」
「バッチリです。ここから出たら、声の出し方とか口調も寄せてくださいね。……では、参りましょう」
私も無表情の仮面を被る。
ここからは、二体のシアンという体でなりすましていく。
私たちは管制室の裏口から街へと滑り出した。
◇
メインストリートは人で賑わっていた。
防壁の外の魑魅魍魎とはうってかわって防壁の中は穏やかなものだ。
私たちは巡回中のシアンになりすまして歩いている。
隣を歩くリズは、先程までのギャルな振る舞いが完全に抜け、一切の無駄のない機械っぽい挙動をしている。
私もそれにならって、監視クローンであるシアン達に寄せているが――
……それにしても。
私は行き交う人々にバレない程度に歯を強く噛み締めた。
足が、痛い……!
機械の体を持つリズや他のシアンたちと違い、生身の人間である私は、舗装された道路を一定の速度で歩き続けるだけでもかなりの負担になる。
移動といえば、自分がこもっている施設内で済ませるのがほとんどだ。
しかも大の運動嫌いだから、これだけで多少、私は怯んでしまう。
かといって車に乗れば三半規管が死ぬ。
なんて生きづらい体なんだ。
だが、量産型シアンが「疲れた」などという顔をするわけにはいかない。
私は涼しい顔をして歩いているが、これがいつまで持つか。
すれ違う人々は、私たちを見ても特に反応しない。
リズはもちろん、私もシアンになりきれているということだろうか。
――と、その時だった。
「おっ、ご苦労さん!」
荷物を運んでいた男が、不意に私たちに向かって声をかけてきたのは。
私は一瞬、ビクリと肩を跳ねさせそうになったが、ギリギリのところで踏みとどまる。
マッサージ師のところまで向かう道のりのここが正念場だ。
私は隣のリズに視線を送ることなく、呼吸を合わせる。
私たちは立ち止まり、同じタイミングで角度四十五度のお辞儀をした。
「「都市の安全維持のため、巡回任務を遂行中です」」
二人の声が完全にハモる。
流石、私のクローンなだけある。息がピッタリだ。
私は意識して声を低くし、抑揚を殺した。自分自身が設計したシアンの声音に限りなく近づけたつもりだ。
だが、男は立ち去るどころか、足を止めて不思議そうに首を傾げた。
「ん? ちょっと待ってくれ」
ギクリ、とした。
冷や汗が背中を伝う。
男の視線が、リズではなく、私の方へと向けられる。そして、あろうことか私を指差したのだ。
「こっちのシアン……なんか、声が違わねぇか?」
ぐぬ……!?
私は心臓が跳ね上がるのを感じた。
何かミスをしただろうか。
私が焦りで硬直していると、男は顎に手を当てて唸った。
「なんかこう……他のやつと比べて、若干『柔らかい』っていうか。機械っぽさが薄くて、やけに生っぽい声してる気がするんだよなぁ」
嘘でしょ!? 早速……!?
というか声を二人重ねて喋っていたのに、よくそんな細かいところまで気づけたな。
心臓が早鐘を打つ。
まずい。このまま追求されれば、私が人間であることがバレる。人間だとばれてしまえば、芋づる式に私が管理人なのが分かってしまう。
私がどう切り抜けるべきか必死に思考を巡らせていると、隣のリズが素早く間に入った。
「当該ユニットは、市民対話機能を強化した『コミュニケーション特化型』の試作モデルです。不快感を与えましたか?」
リズの口からスラスラと出てくるもっともらしい説明。
リズの機転に、私は内心で胸を撫で下ろした。
「ああ、新しいやつか! いやいや、不快なんてとんでもない」
男はパッと顔を明るくし、ニカッと笑った。
「むしろ、その声の方がずっといいよ。なんか人間味を感じていいじゃないか」
男はそう言うと、また荷物を担いで去っていった。
彼が角を曲がって見えなくなった瞬間、私は大きく息を吐き出しそうになったが、まだメインストリートの道中だと思い直して飲み込んだ。
私たちは顔を見合わせることもなく、再び歩き出す。
……危なかった。寿命が縮むかと思った。
それにしてもナイスアシストだったな、リズ。
私の秘書なだけある。
そうして悲鳴を上げ続ける足を引きずり、なんとか誤魔化しながら歩くこと数十分。
喧騒が遠ざかり、道幅が狭くなっていく。
車など到底通れない、人一人がようやく通れるほどの細い路地。
私たちはようやく、街の喧騒から外れた静かな路地裏にある、目的の場所へとたどり着いた。
◇
たどり着いたのは、少し古びた居住区画。
大規模なコロニー01が完成する前――まだ『仮拠点』だった頃から存在する、古い路地だ。
手書きの看板に『治療院』とだけ書かれた、小さな診療所。
私は扉の前で立ち止まり、一度深呼吸をしてシアンの真似をやめた。
ノックを二回して扉を開け中に入る。
「こんにちはー」
中に入ると、そこには消毒液の匂いとは違う、独特の香り――お香と、湿布と、そして人の生活臭が混じった、どこか懐かしい匂いが充満していた。
「おや……。もう、そんな日かい」
奥から出てきたのは、腰の曲がった小柄な老婆だった。そんな老婆の体には不釣り合いなほど太くて逞しい腕をもっている。
人間不信の私が心を許している数少ない知人で、名をサユリさんという。
「いらっしゃい、管理人さん、それにリズちゃんも。一ヶ月ぶりだねぇ」
量産型のシアンと同じような見た目でもサユリさんにとってはいつものことなので、私とリズだということは承知している。だからここではわざわざ気負う必要はない。
「…………ちーっす、サユリさん。今日も管理人をお願いねぇー」
リズがいつもの口調に戻り、気だるげに手を振る。
私も、張り詰めていた表情筋を緩め、ホッとした息を吐いた。
「お久しぶりです、サユリさん。……今日もお世話になりに来ました」
「はいはい、わかってるよ、歓迎するよ」
サユリさんは私が認めるマッサージ師であり、私がこの世界に転生してまだ右も左も分からず、ただ必死に人々を魔物から守ろうとしていた『仮拠点』時代からの付き合いでもある。
当時はまだ、ここまで固い防壁もクローンも存在しなかった。
不老の体ですらなかった、ただの人間の少女だった私。
仮拠点は混乱の極みで、資源を巡って争う人々の醜さに失望し、あとにコロニーの設計思想を改めるきっかけとなった場所だが――同時に、サユリさんに出会った場所でもあった。
あの頃、私が主導者として名乗り出て人々を束ね始めた初期の段階。慣れないことをしている自覚はあり、心身ともに限界だった。あの時に比べたら今の私の精神状態はマシな方だといえるくらいには。
そんなトップとしてすべてを一人で抱え込み、誰にも弱音を吐けず、眠る時間さえ惜しんで働いていたある夜のことだ。
フラフラと拠点を見回っていた私に、一人の女性が声をかけてきた。まだ今より若かった頃のサユリさんだ。
彼女は、私の顔をじっと見つめ、こう言ったのだ。
『管理人さん、いつもワタシ達のためにありがとう。……顔色が悪いようだけど大丈夫かい?』
『私は大丈夫です。それより、どうしましたか? 貴女の配給が足りていませんでしたか?』
『違うんだ。物資が欲しいんじゃない。……ワタシは、アンタにお世話になりっぱなしだ。だから、少しでもお礼がしたくてね』
彼女は申し訳なさそうに、けれど真っ直ぐに私を見て言った。
『ワタシには戦う力もないし、難しい計算もできない。……でも、昔からマッサージだけは得意なんだ。よく自分の親にしてあげていたからね。……これしかできないけど、よかったら、どうだい?』
当時の私は、内心で首を傾げた。
マッサージ? 明日をも知れぬこの極限状態で? そんな悠長なものが何の役に立つというのか。
半信半疑というか、正直に言えば、そんなことをしている時間があれば少しでもタスクをこなしたかった。
けれど、断る気力さえ残っていなかった私は、言われるがまま、簡易的なマッサージをしてもらうことになった。
――その選択が正しいと証明されたのはすぐだった。
ゴツゴツとした手が、私の強張った肩に触れた瞬間。
全身に電気が走ったような衝撃と共に、張り詰めていた糸が、ぷつりと切れた。
『……貴女は見せてくれた。ワタシ達の想像を遥かに超える才を。
だからこそワタシ達大人は、まだ少女でしかない貴女に『希望』を見てしまった。貴女自身の負担も考えずに、勝手な期待を押し付けて……。
そのことに関しては、本当に申し訳ないと思ってる。
……だからさ、今ぐらいは力を抜いていいんだよ。力の抜き方が分からないなら、ワタシがこうやって定期的に、管理人さんをほぐしてやるからさ』
彼女の手から伝わる熱がとてもあたたかかった。
気づけば、私は声を上げて泣いていた。
理性では止められない涙が、ボロボロと溢れ出し、彼女の胸でただの子供のように泣きじゃくったのだ。
長らく忘れていた人の温もりの尊さをその時思い出した。
その後、仮拠点が安定し、人間たちの争いを見て心を閉ざした後も、サユリさんにだけは背中を預けられた。彼女が私を主導者としてではなく、一人の人間として見てくれたからだ。
それ以来、私は月に一度、こうして彼女のもとを訪れているのだ。
「さあさあ、こっちへお座り。リズちゃんはそこで管理人を待っとくといいよ」
私は促されるまま、上着を脱ぎ、施術ベッドにうつ伏せになった。
顔を埋めるタオルの、日向のような匂い。
それだけで、脳の芯にこびりついていた緊張が解けていくのがわかる。
「失礼するよ……んん、こりゃあまた、随分と溜め込んだねぇ」
サユリさんが、掌に温めたオイルを馴染ませる。
ぺとり、と。
その皺だらけの温かい手が、私のひんやりとした冷たい背中に触れた。
「ん……」
薄暗い室内。
あらわになった私の背中は、まるで新雪のように白く、大量のクローンを従え、大勢の生活を支える背中にしては、あまりにも小さすぎた。
「首の付け根なんて、鉄板でも入ってるみたいだよ」
サユリさんの親指が、髪の生え際にある窪みをじわりと圧迫した。
「ふ……ぅ……」
「力を抜きな。……あんたはいつも、一人で背負いすぎる。クローンロボットたちに任せりゃいいことも、全部自分で確認しなきゃ気が済まないんだろ?」
サユリさんの手が、肩甲骨の縁へと潜り込んでいく。
翼の根本に指を差し込むように、肩甲骨の内側をえぐるような強めの圧。
「んぐっ……!」
思わず情けない声が出る。
痛みと、快感が混ざり合う。
サユリさんは、そこに体重を乗せ、ゆっくり、ゆっくりとコリを押し流していく。
背中が波打つ。
私の意思とは関係なく、筋肉がビクンと反応し、白磁のような肌が赤く上気していく。
血が巡り始めた証拠だ。
冷え切っていた背中に、ポカポカとした熱が宿り始める。
人の手から伝わる熱や温かみは私の社畜のような日々を一時的に忘れさせてくれる。
「……ふぅ…………サユリさん」
「なんだい」
「長生き、してくださいね」
背中を押されながら、私はまどろみの中で呟いた。
「サユリさんが居なくなったら、私がかろうじて保ててる精神は本格的にどうにかなっちゃいます。心が死んで、人工知能などを搭載していない機械のようになるでしょう」
私がしんみりとした空気でそう呟くと、背中の上の気配が、ふっ、と苦笑したように揺れた。
「……なに、湿っぽいコト言ってんのさ」
サユリさんの声が聞こえた次の瞬間だった。
親指が、背骨のキワにある、ツボへと沈み込んだのは。
「――っ、あ!?」
ズプゥゥゥン!!
容赦のない一撃が、私の神経中枢を直撃した。
「あい、だだだだだだだだだッ!!? ギブ! ギブですサユリさん! そこは! そこは――あだァーッ!!」
私の絶叫が、狭い治療院に木霊した。
◇
施術を終え、服を着た私は、ほうけた顔で長椅子に座り込んでいた。
体は驚くほど軽くなっている。背中に貼り付いていた鉛の板が消え去り、関節のキシみも嘘のように消えていた。
だが。
私の心は、体とは裏腹に鉛のように重かった。
「はぁ……」
深いため息をつく私に、サユリさんが問う。
「なんだい。せっかくほぐしたのに、またそんな難しい顔をして。すぐにまた固まっちまうよ」
「だって、サユリさん……。ここから帰る時、またクローンロボットの演技をしなきゃいけないと思うと……」
私は恨めしげに窓の外を見た。
行きはなんとか誤魔化せたが、帰りは分からない。
「せっかくのリラックスタイムだったのに……また気を張ってシアンになりきって、あの狭い路地を抜け、人混みを歩くなんて……憂鬱です」
私がテーブルに突っ伏して、むにゃむにゃと愚痴をこぼすと、サユリさんがこっちを見た。
彼女は少しバツが悪そうに視線を泳がせ、困ったように眉を八の字にした。
「……あのねぇ、管理人さん。ワタシゃ、前々から言おうか言うまいか迷ってたんだけどね」
「……?」
私が顔を上げると、サユリさんはやれやれといった様子で口を開いた。
「なんでわざわざ、毎回そんな窮屈そうにシアンの格好に変装して来るんだい? そんなことしなくたって、目深にフードでも被って、大きなローブで体ごと隠してくりゃいいじゃないか」
私は瞬きをした。
「え……? ローブ、ですか?」
「そうさ。このご時世だ。魔物の襲撃で古傷を負って傷痕を隠したいって理由で、肌を見せないように厚着をしてる住人は少なくないんだし、フードを目深に被って顔を隠して歩いてたって、この辺りじゃ誰も不審に思いやしないさ」
部屋に、沈黙が落ちた。
言われてみれば、その通りだ。
ここには魔物に傷つけられた人々が大勢いる。彼らが傷を隠すために布を纏うのは、ごく自然な風景であり、誰もそれを咎めたり、無理に覗き込んだりしないマナーが定着している。
わざわざ量産型クローンの制服に着替え、演技をして、足の痛みをこらえてシアンになりきる必要なんて……最初から、どこにもなかったのだ。
隣で話を聞いていたリズが、口をあんぐりと開けて固まっている。
そして私もまた、口をパクパクとさせていた。
「……あ」
私の口から、間の抜けた音が漏れた。
「……もしかして私、今まで……すごい無駄な苦労を……?」
「そのようだねぇ」
サユリさんは、可笑しそうにクスクスと笑った。
「管理人さんは誰もが認める天才発明家だけど、どうも抜けてる所があるわよねぇ。……ま、そういう隙があるほうが、ワタシとしては可愛げがあっていいんだけどさ」
「ぶっ……あはははは! ウッ、ウケる! でも確かにローブで隠せば済む事だったわ、こんな面倒くさい事しなくても! アタシも管理人も本当何やってんだろ、あはははっ」
リズが口を大きく開けて、腹を抱えて爆笑する。
「う、うるさいですよリズ! わ、笑うんじゃないです!」
私はテーブルに突っ伏して、耳まで赤くして呻いた。