監視クローン大量生産系TS主導者「どうしてこうなった」 作:ギンの助
旧市街区画の一角。そこには、半透明のドーム状簡易エネルギー障壁が展開されていた。
普段は見慣れぬ位置に設置された光の壁を、遠巻きにした野次馬たちが不安げに見上げている。
その障壁の前に、二つの人影が立つ。
私とリズだ。
二人とも、顔全体を覆う無骨なガスマスクを装着している。感染症の疑いがある以上、厳重な防疫装備は必須だった。
だが、分厚い防護ガラス越しの視界は、今の私の陰鬱な心情を投影したかのように、どこまでも薄暗く曇って見えた。
『……管理人。準備はいいっすか』
マスクの内側に仕込まれたマイクを通じ、インカム越しにリズの声が響く。いつもの軽薄さは鳴りを潜め、硬質な緊張感が混じっていた。
『ええ、行きますよ。……彼女を助けましょう』
私は自分自身に言い聞かせるようにそう呟いた。
まだ最悪の事態と決まったわけではない。
自分の目で直接確認するまでは。凶暴化という現象が、本当に取り返しのつかないものなのか、まだ分からないのだから。
『いいですかリズ。サユリさんを見つけても、決して致命傷は与えないこと。拘束優先でお願いします』
『……了解』
私たちは障壁付近に待機していた警備シアンに合図を送り、管理者権限で防壁の一部を一時的に透過させ、その内側へと足を踏み入れた。
ドームの中は、恐ろしいほど静かだった。
住民たちの避難は既に完了している。
だからこのドーム内に残っているのは――感染し、凶暴化した2人の人間だけ。
入り組んだ路地の奥。古びた木造の扉。
つい先日、笑顔で送り出してくれたあの場所。
「……サユリさん」
鍵のかかっていない扉を押し開ける。
室内の空気がひどく澱んでいるのを、防護服越しですら肌で感じた。
部屋の様子は、あの日と大きくは変わっていない。
ただ一つ、テーブルの上には食べかけの合成食品が放置されていた。
私は慎重に奥へと進んだ。
リズが私を庇うように先行する。
施術室のカーテンを開けた、その時だった。
部屋の隅、影に沈む床の上に、うつ伏せに倒れている小柄な人影を見つけた。
「っ、サユリさん……!?」
私は思わず駆け寄ろうとした。
だが、
『近づいちゃダメッ!!』
リズの絶叫がインカムを貫いたのと、その影が動いたのは同時だった。
倒れ伏していたはずの老体が、まるでバネ仕掛けの人形のように不自然に跳ね起きたのだ。
背骨がミシミシと軋む音と共に、老婆とは思えない初速で放たれた回し蹴りが、私の首を刈り取ろうと迫る。
『――ッ!』
ザスッ。
間一髪、私の前に割り込んだリズが、腕でその蹴りを受け止めていた。
私は衝撃の余波で尻餅をつきながら、その攻撃をした者を見上げた。
「あ……ぁ……」
喉から、空気が抜けるような音が漏れた。
そこに立っていたのは、確かにサユリさんだった。
だが、その皮膚は紫色に変色し、焦点の合わない瞳は白濁している。口からは涎と共に、獣のような唸り声が漏れていた。
――ゾンビ。
かつて前世の映画やゲームで見た、歩く死体。
それを彷彿とさせる、見た目に変貌していた。
だが、見た目だけで、動きはとても私の知ってるゾンビとは似ても似つかないくらいアクティブだった。
「グルルルゥ……ッ!!」
彼女は獣のように四つん這いになると、壁を蹴り、天井を蹴り、狭い室内をピンボールのように跳ね回った。
――速い。
加齢で腰が曲がっていたはずの老婆の身体能力ではない。魔物の汚染が、肉体のリミッターを強制的に解除しているのか。
『くっ、速ぇ……ッ! マジかよ』
リズが迎撃態勢をとるが、その動きには精彩を欠いていた。
彼女は強い。本来なら、サユリさんを一撃で粉砕できる力を持つ。
だが、私の「拘束しろ」という命令が枷になっていた。暴れまわる超人化した人間を、手加減しながら無力化する。それは殺すことよりも遥かに難易度が高い。
ドガァッ!
サユリさんの拳がリズの腹部を殴打する。
リズはあえて防御に徹し、組み付く隙を伺うが、サユリさんは本能的な危機察知能力でそれを回避し、再び距離を取る。
目の前で繰り広げられる、サユリさんの一方的だと言っていい攻撃の連続。
私は、ただ床に座り込んで震えていることしかできなかった。
一目見て、分かってしまったのだ。
彼女は――もう助からない。
もう、手遅れだ。
理屈では分かっている。管理者の演算能力は、瞬時に絶望的な結論を導き出している。
だが、心がそれを拒絶した。
違う、嘘だ……だって、ついこの前まで……
あんなに優しく笑っていた。
私の背中をあんなに温かく押してくれた。
そんな彼女がこんな悲惨なことになるなんて。
急激に、私の心臓が冷えていくのを感じた。
恐怖ではない。虚無だ。
指先から感覚が消え、視界が灰色に染まっていく。
――私って何のためにこんなに頑張ってるんだろ。
ふと、そんな思考が頭をもたげた。
人類を守る? 世界を救う?
ずっと、ずっと、眠る間も惜しんで、新しくもらった自分の人生を全て捧げて。
その結果がこれか?
私にとって一番大切な人間ひとり、守れなかった。
ザルのような掌で砂を掬い上げている気分だった。
どれだけ必死に指を閉じても、本当に大切な砂粒だけが、指の隙間からさらさらと零れ落ちていく。
……もう、疲れたな。
リズが必死に彼女の攻撃に耐えている鈍い音を聞きながら、私はどこか他人事のように考えていた。
心を殺してしまえば楽になれる。
感情なんて機能があるから、こんなに辛いのだ。
どす黒い諦念が、思考を塗り潰そうとした、その時。
ふと、視界の端に映るものがあった。
部屋の隅に置かれた、施術ベッドだ。
使い込まれて革が擦り切れた、あの台。
――ズキリ。
幻痛が走った。
この間、サユリさんに激痛のツボを押された時のこと。
あの時の痛みと共に、彼女の言葉が鮮烈に脳裏へ蘇る。
◆
「あだァーッ!!」
私の絶叫が、狭い治療院に木霊した。
ビクン、ビクンと跳ねた背中からようやくサユリさんの親指が離れる。
私は施術ベッドに顔を埋めたまま、荒い息を吐いた。
「はぁ、はぁ……っ! 痛すぎます、急になんですか私を痛みで殺す気ですか……」
「大げさだねぇ。これくらいで死んでたら、この街の管理なんて務まらないよ」
サユリさんはケラケラと笑う。
だが、ふと気配が変わった。
「……あのね、管理人さん」
「はい……?」
「冗談でも、『心が死ぬ』なんて言うもんじゃないよ」
声のトーンが真剣なものになる。
顔を上げようとすると、頭を優しく押さえつけられ、タオルでぐるぐる巻きにされた。視界が遮断された暗闇で、サユリさんの声だけが響く。
「いや、冗談じゃないんです。割と本気で……サユリさんがいなくなったら、私はもう、拠り所がなくなってしまう。そうなればひたすら自分の感情を押し殺して働き続けるしかなくなる。先ほども言ったように、まるで働く機能しか付与されていない機械のように……」
私はタオルの繊維に唇を押し付けながら、くぐもった声で本音を漏らした。
それは、長年抱えてきた恐怖だった。
人の醜さに絶望し、心を閉ざしかけた私を、この場所に繋ぎ止めているのはサユリさんだ。その楔がなくなれば、私は容易に人間として沈んだらいけない深淵まで、ブカブカと沈んでしまう。
すると、背中に置かれた温かい手が、じんわりと熱を伝えてきた。
「だとしても、だよ」
サユリさんは、諭すように、けれど決して譲らない強さで言った。
「はっきり言わせてもらうよ。どんなに辛いことがあっても、独りぼっちになっても管理人さんは主導者である事を決意した以上――心だけは殺すんじゃない。これは、私からのお願いだ」
「……どうして、……ですか」
「心を殺したら、管理人さんは本当に人間から逸脱するからだよ、さっきのはどうも冗談のように聞こえない」
「……冗談ではないですからね」
「はぁ、全く。勝手な話で申し訳ないけど、管理人さんは、背負うものがある。だからそれは許されないよ。
……迷える人間たちを導く。それができるのは、高性能なロボットでも、神様でもない。『人間』だけなんだ。人間の事を一番知るのは結局人間で、その中でも痛みを知り、悲しみを知る一番人間らしいやつだけが、人の世を統治できるんだ。……それがあんたさ」
私は苦笑した。
人間、か。
「……買いかぶりすぎですよ。前にも言ったかもしれませんけど、私、身体の成長が止まってからもう長い間経つんです。とっくに不老の化け物になってる。生物学的に人間かどうかも、際どいラインですよ」
自嘲気味にそう返した。
民衆は私を英雄のように讃えるが、その讃えている対象は種としての定義すら怪しい存在だ。
「何言ってんのさ」
サユリさんが、呆れたように鼻を鳴らした。
「身体が老いるかどうかなんて、些末なことさ。そんなもんは、ただの機能の話だろう?」
「重要ですよ」
「いいや、重要じゃないね」
グッ、と。
サユリさんの指が、私の肩に食い込んだ。
その力強さに、私は息を呑む。
「それは器の話に過ぎない。悩んで、傷ついて、愚痴をこぼして、それでも誰かのために歯を食いしばって……そうやって足掻いているあんたの、どこが人間じゃないって言うんだい」
サユリさんの言葉が、胸の奥深くに突き刺さる。
「アタシがこの長い人生で見てきた誰よりも、あんたは人間臭くて一番人間をやってるよ。……不器用で、優しすぎるあんたは」
「――――」
「だから、約束しておくれ。もしアタシがいなくなっても、その人間らしさを捨てないって。機械のフリして、心を暗いところに閉じ込めたりしないって」
そのサユリさんの一言一言には、私では出せない重みと、揺るぎない芯があった。
「……サユリさんは、意地悪だ。そんな真剣に言われたら何も言い返せないじゃないですか」
「まぁ、私はできるだけ長生きするつもりだから、ここの話もいつになるかだけどね」
サユリさんは満足げに笑うと、最後にポンと背中を叩いた。
「はい、おしまい。……ほら、起きた起きた! いつまでも甘えてんじゃないよ、みんなの管理人さん!」
◆
その記憶が、凍りつきかけた私の心臓を、強引に鷲掴みにした。
「……っ、あ……」
ガスマスクの中で、私はハッと息を呑んだ。
そうだ。約束したんだ。
私が私であり続ける――主導者である前に、人間らしくあることを。
彼女が信じてくれた「私」を、私自身が捨ててどうする。
心を殺して楽になる? そんなの、ただの逃げだ。
彼女にそんな私を見せられない。
現実が戻ってくる。
目の前では、リズがサユリさんに馬乗りになられ、首を締め上げられていた。
『ぐぅ……ッ! 管理人……逃げ、て……ッ!』
拘束命令を守り、反撃を封じられたリズは、一方的に壊されようとしていた。
「――リズッ!!」
私は叫んだ。
涙で視界がぐしゃぐしゃに歪む。
ガスマスクの内側が結露して、呼吸が苦しい。
それでも私は、震える足に力を込めた。
「うあぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
私は地面を蹴った。
貧弱な身体で、戦術も何もないただの捨て身のタックル。
ドンッ!
私の全体重をかけた体当たりが、馬乗りになっていたサユリさんの横腹を捉えた。まぐれか、あるいは意識外からの特攻だったためか、彼女は一瞬だけバランスを崩し、リズの上から転がり落ちた。
「……サユリさんっ……」
私はよろめきながら、彼女の前に立ちはだかった。
ゆっくりと起き上がったサユリさんが、私を見る。
その白濁した瞳には、もう私の姿なんて映っていない。あるのは破壊衝動だけだ。
涙が止まらない。マスクの中に水が溜まり、溺れそうだ。
それでも、私は見なければならない。
私の大切な人が、人間としての尊厳を失い、化け物として振る舞うことになってしまった現実を。
「……ごめんなさい……っ!」
声が震える。
喉が張り裂けそうだ。
「サユリさんの恩を、仇でしか返せない私を……許してください……!」
心を殺せば、心の痛みを感じない。
けれど私は、あえて心に痛みを与えながらこの判断を下す。
サユリさんが、私に向かって跳躍しようと身構えた。
その瞬間、私の背後で体勢を立て直したリズが、鋭い呼気と共に踏み込む気配がした。
私は、血を吐くような思いで、最後の命令を口にした。
「さっきの指示を、撤回します……ッ!!」
インカム越しに、私の悲鳴のような声が響く。
「もう……彼女を、楽にさせてあげてくださいッ!!」
その言葉は、私自身の心を切り裂いた。
だが、迷いはない。
『――了解!!』
リズの声には、痛々しいほどの悲痛さと、そして覚悟が込められていた。
サユリさんが跳んだ。
同時に、リズの拳が閃いた。
◇
狭い部屋に、重い衝撃音が響き渡る。
それは一瞬の交錯だった。
リズの拳は、正確無比にサユリさんの心臓を貫いていた。
サユリさんの身体から力が抜け、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
私は慌てて駆け寄り、その身体を受け止めた。
「サユリさん……サユリさんっ!」
床に座り込み、彼女を抱きしめる。
変色した肌。鼻をつく異臭。
けれど、私にとっては、いつまでも、かつて私の涙を受け止めてくれた、あの人に違いなかった。
「うぅ……あぁぁぁぁ……ッ!!」
マスクの中で、くぐもった嗚咽が漏れる。
子供のように、声を上げて泣いた。
初めて彼女からマッサージを受けた日のように泣きじゃくった。
でも、もう背中を撫でてくれる手はない。
「大丈夫だよ」と言ってくれる声もない。
冷たくなっていく骸を抱いて、私はただ泣き叫んだ。
管理者としての威厳も、プライドも、全てかなぐり捨てて。
そんな私を包み込むように、リズが背後から抱きしめた。
彼女の腕が、私とサユリさんをまとめて包み込む。
『……うぅ……っ、管理人……ごめん、なさい……』
リズもまた、インカム越しに震える声でそう呟いた。
所有者のいなくなった治療院の片隅で。
私たちは、物言わぬ彼女を真ん中に、一つの塊になって身を寄せ合った。
サユリさんとの約束通り捨てなかった「人間としての心」は、今、耐え難いほどの痛みを伴って、私の胸の中で脈打っていた。
◇
コロニー01のある路面で、駆け抜ける足音が響いていた。
「やばい! やばい! 遅刻するっ!」
息を切らして走るのは、一人の少年だ。
寝癖のついた黒髪に、少し着崩した制服。
この街の学校に通う、この街の平凡を享受する一般生徒――レンは、全力疾走で路地を駆け抜けていた。
「あーもう、朝から本当さいあくっ」
角を曲がり、走り続ける。
だが、しばらく走ってレンは思わず足を止めた。
いや、止めざるを得なかった。
「……なんだ、あれ?」
普段なら閑散としているその一角に、妙な人だかりができていたからだ。
人々が遠巻きに見つめる先には、メインの防壁とは違う、見慣れない青白く発光する半透明のドームが鎮座している。
その周囲には、武装した警備用シアンたちが物々しく立ち並んでいた。
「朝から何か事件か? ……どうしたんだろ」
レンは眉をひそめてその光景を見上げた。
ドームの中は見えないが、なんとなく空気が重い。野次馬たちのヒソヒソ話も、どこか不穏だ。
「……ま、僕には関係ないか」
そんなことより、今は自分の進退の方が重要だ。
レンは興味を失い、再び走り出そうとした。
――チクリ。
不意に、二の腕に鋭い痛みが走った。
「いっ……!?」
注射針で刺されたような、小さいが明確な刺激。
レンは反射的に、蚊を叩くように、反対の手でそこを思い切りひっぱたいた。
ブチッ。
嫌な手応えと共に、何かが潰れる音がした。
「……うわ」
恐る恐る手のひらを見て、レンは顔をしかめた。
そこには、潰れた「何か」がへばりついていた。
蚊と言っていいのだろうか……? これは……。
でも蚊って刺されても痛みを感じないよな……。
大きさは小指の爪ほどだが、羽虫というよりは、小さな肉塊に無数の節足が生えたようなグロテスクな形状をしている。
そして何より気味悪いのが――潰れたその死骸から、ドロリとした蛍光色の紫色の体液が広がり、皮膚に染み込もうとしていることだ。
「なんだこれ……気持ち悪っ」
見たこともない虫だ。
変な色。変な形。
生理的な嫌悪感が背筋を走る。
レンは慌てて制服のズボンでその体液を乱暴に拭い取った。
「……もしかして、魔物か?」
ふと、そんな単語が脳裏をよぎる。
だが、レンはすぐに頭を振ってその考えを否定した。
「いや、まさかね。もう長い間、コロニー内で魔物が発見されたなんて話、聞いたことないし」
管理人の作るシステムに抜け穴なんてないはずだ。
だから、これはただの変な虫だ。
そう自分に言い聞かせると、レンは気味の悪い死骸をその場に捨て、再び学校へ向けて全力で走り出した。
そして少年の背中は、あっという間に朝の喧騒の中へと消えていった。
捨てられた死骸からコンクリート越しにドロリとした液体が広がっていた。
◇
《――WORLD LOG UPDATED》
《観測対象:個体名『レン』》
《解析:世界の『特異点』となる存在の誕生を感知》
《処理:規定に基づき、当該特異点を『主人公』に分類します》
《――※WARNING: このログの閲覧には『神』以上の権限が必要です――》