監視クローン大量生産系TS主導者「どうしてこうなった」   作:ギンの助

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第6話 家庭訪問

 

 レンはこのコロニー01で生まれ育った、ごく普通の少年である。この巨大な防壁が建設される以前の、魔物と隣り合わせにある「生きるか死ぬか」の世界を知らない世代だ。

 

 彼の年齢は十二歳。多感な時期ではあるが、彼はこの閉ざされた箱庭の世界を、特別窮屈だとは感じていなかった。

 むしろ、防壁の向こうに広がる地獄に比べればここは、それこそ天国だ。

 魔物から守られた安全な生活。スイッチを押せば明かりがつき、蛇口を捻れば水が出る。合成食品とはいえ、毎日三食の食事が配給される。

 外の世界を知らない彼にとって、この平穏こそが日常であり、『当たり前』だった。

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 あれから、頑張って急いだが結局遅刻した。

 この学校では、遅刻した際は担任の教師に理由書を提出し、直接認可印をもらわなければならない。そのため僕は、教室ではなく職員室の扉を叩いた。

 

「失礼します……」

 

 扉を開けて目的の人物の名前を呼ぶと、その人物がゆっくりとこちらを振り向いた。

 

「レンくん。遅刻ですよ」

 

 抑揚のない、鈴のような声。

 銀色の髪に、整った顔立ち。そして特徴的な赤いアンダーリムの眼鏡。

 担任のシアンだ。

 

 この都市の教育の七割は、彼女たちシアンが担っている。

 人間よりも効率的で、膨大な知識データベースにアクセスできるからだ。

 まぁ、あと単純に人手不足というのもあるが。

 

「す、すみません……」

 

 僕は肩で息をしながら、深く頭を下げた。

 先生は眼鏡のブリッジを中指でくい、と持ち上げると、無機質な瞳で僕を見下ろした。

 

「感心しませんね。規則正しい生活は、健全な精神と社会貢献の第一歩です」

 

「その通りです……。次からは気をつけます」

 

「よろしい。聞き分けが良くて助かります。……おや?」

 

 ふと、彼女の視線が僕の胸元で止まった。

 冷たい指先が、僕のシャツの袖に伸びる。

 

「ボタンが取れかかっていますよ。だらしない格好は減点の対象です」

 

「えっ? あ……」

 

 今朝、慌てて着替えた時に引っ掛けたのかもしれない。

 先生は懐から携帯用のソーイングセットを取り出すと、驚きの速度と精密さで針を動かし始めた。

 

「急いでいたとはいえ、服装の乱れは、心の乱れに繋がります。今後はこれも気をつけま……む?」

 

 不意に、先生の手が止まった。

 彼女の視線が、作業のために捲り上げた僕の袖口――さっき虫に刺された二の腕のあたりに注がれる。

 赤く腫れ、中心に黒い点が残る刺し傷。

 

 ドクン、と心臓が大きな音を立てた。

 

「レンくん。この腕の傷は……」

 

 先生の硝子玉のような瞳が線のように細められる。

 僕は蛇に睨まれたカエルのような気分になり、思わず喉から勝手に言葉が飛び出した。

 

「か、蚊です!」

 

「……カ?」

 

「はい! 蚊に刺されちゃって……痒くて掻きむしっちゃったんです。あは、あはは……」

 

 自分でも驚くほど、不自然な作り笑いが出た。さっきのは虫だと信じてはいるが、万が一だ。もし虫ではなく、僕が最も恐れているものだったらという、心の奥底にある恐怖がそのような不自然な笑い方をさせたのか。

 

 先生は数秒間、瞬きひとつせず僕の瞳を見つめていたが、やがて興味を失ったように視線を外し、縫い終わった糸を切った。

 

「そうですか。この季節は害虫が増えますからね……衛生局に駆除剤の散布申請をしておきましょう。書類は受理しました。教室に戻りなさい」

 

「は、はい……ボタンありがとうございます……! 失礼しました……!」

 

 僕は逃げるように職員室を飛び出し、自分の教室へと走った。

 背中が冷や汗でびっしょりと濡れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 教室に入り、席についても心臓の鼓動は収まらない。前の席の男子生徒、ミシラが勢いよく振り返った。

 

「よう、レン。おはよう」

 

「あぁ、ミシラくん、おはよう」

 

「なぁなぁ、早速本題なんだけどさ、お前これ見た?」

 

 ミシラが携帯端末の画面を突きつけてきた。

 どうやらニュース速報のようだ。

 そこには、今朝僕が見かけたあの光景――青白いドーム状の隔離障壁と、その周辺に武装したシアンたちの姿が映っていた。

 

『旧市街区画にて民間人、数名が原因不明の凶暴化。現在その周辺を封鎖中』

 

「どうやら二匹の同型個体の小型魔物が侵入したらしいぜ。そいつにやられて、今朝だけで五人が化け物みたいになって暴れたんだってよ」

 

「えっ、魔物……?」

 

 僕は息を呑んだ。

 

「そうそう、ちなみにその内一匹は厳重な確保に成功したらしい」

 

 ミシラが画面をスクロールする。

 そこには、確保されたという魔物の画像が映し出されていた。

 小さな肉塊に、無数の節足。羽の生えた醜悪な姿。

 

「……ッ!」

 

 僕の顔から血の気が引いた。

 間違いない。今朝、自分が叩き潰したあの虫と同じだ。

 ただの虫だと信じたかった希望は、無慈悲な事実によって粉々に打ち砕かれた。

 

「怖いよなぁ。噛まれたり刺されたりしたら、一発でアウト。特殊な毒が一気に回って、自我を忘れて凶暴化に一直線。そんな奴がこの防壁内にまだ一匹野放しになってるなんて……あぁ、考えただけでも恐ろしい」

 

 ミシラは自分の体を抱くように腕を交差させて、わざとらしくブルブルと震えてみせた。

 恐らく、僕が潰したあいつ自体は死んでいる。だから「野放しの一匹」の心配は必要ないのだが、ミシラがそれを知る由はない。

 それはそれとして、今の僕にとってそこは重要じゃなかった。

 

 問題があるとすれば――。

 

「でさ、その魔物に汚染されて凶暴化した人達はどうなったと思う? ……まだ正式な情報は公開されてないけど、治療法なんてないし、『処分』されたなんて噂もたってるらしいぜ」

 

 ドクン、と心臓が痛いほど脈打つ。

 冗談めかしたミシラの言葉が、僕には死刑宣告そのものだった。

 

 言えない。

 自分もこれに刺されたなんて言ったら、その噂と同じように殺される。

 僕は震える手で自身の二の腕を服の上から強く握りしめ、誰にもバレないように必死に平静を装った。

 

 ◇

 

 放課後。

 逃げるように帰宅した僕は、玄関のドアを閉めてようやく長く息を吐いた。

 

「ただいま……」

 

「おかえりなさいませ、ぼっちゃん」

 

 出迎えてくれたのは、エプロン姿のシアン――我が家の生活支援ユニット、『シアン(G-777)』だ。

 

 見た目は学校の先生や、街の警備用と同じ銀髪の少女。

 だが、彼女の瞳はどこか眠たげで、全体的に気だるげなオーラを纏っている。

 

「今日はお父様もお母様も、残業で遅くなるそうです。先にご飯済ませときましょう」

 

「……うん、わかった。ありがとう、お姉ちゃん」

 

 実の姉ではないが、僕は昔からそう呼んでいる。

 G-777は「はーい」と返事をして、キッチンへと戻っていった。

 

 食卓についた僕は、目の前に置かれたペーストをスプーンで掬った。完全栄養食とはいえ、味気ない毎日の食事だ。

 G-777が不思議そうに僕の顔を覗き込んでいる。

 

「ぼっちゃん? ボーッとしてどうしたんですか? ご飯冷めちゃいますよ?」

 

「ううん、なんでもない。……いただきます」

 

 僕はペーストを胃に流し込んだ。

 食後、僕は重い体を引きずってシャワーを浴び、歯を磨いた。

 シャワー中、腕の刺された跡が少し熱を持っているような気がして、目を背けた。

 

 ……それにしても、疲れがピークに達している。

 疲労感が半端ないのだ。今日は僕にとって最悪な日だったのだから。

 僕は自分の部屋に戻り、ベッドに潜り込む。

 悪いことは全部忘れて、寝てしまいたかった。

 極度の緊張で眠れるか心配だったが、瞼を閉じると、意識はすぐに深い闇へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 ――それは、僕がまだ五歳だった頃の記憶。

 今では本当にあったかのかすら怪しいと思っている、そんな曖昧なもの。

 

 当時、我が家に配属されていたのは、今のシアンの前任機であるシアン(D-380)だった。

 彼女は忙しい両親に変わり、小さな僕にかまってくれた。

 兄弟や姉妹のいない僕にとって、姉のような存在だった。

 

 そんなある日、上層部から突然の回収通達が届いた。

「該当ロットに修復不可能な思考回路の不具合が生じている可能性があるため回収し破棄する」と。

 

 僕の両親は眉を少し動かす程度で、その通達を了承した。

 

 僕は子供ながらに、お姉ちゃんのように接してくれるシアンがいなくなってしまう事を理解して、それについて両親に抗議した。

 だが、その願いは叶えられず、通達から数日もしないうちに家の前に回収車がやってきた。

 

『こちらが代替品になるシアンG-777です。新品のため、まだ未起動の状態ではありますが……』

 

 ――今まで仕えてきたシアンの代わりに働く、新たなシアンを持ってきて。

 新たなシアンは瞼を閉じて、体育座りの様な状態で大きなキャリーケースに収まっていた。

 

 回収にやってきた役人のシアン達と両親が書類の手続きのために、リビングから離れたキッチン近くの机で話し合っている。

 

 僕はそこから離れたリビングで、D-380のスカートにしがみついて泣き叫んだ。

 

『やだ! やだ! お姉ちゃんが居なくなるなんて!』

 

『……申し訳ありません、レン様。これは決定事項ですので』

 

 彼女は困ったように眉を下げ、僕の頭を撫でてくれた。

 

『D-380は僕と一緒にいたくないの!?』

 

 子供特有の、純粋で残酷な問いかけ。

 彼女の硝子のような瞳が、微かに揺れた。

 

『人によって造られた……私には、上の意向に逆らう権限を持ち合わせておりません』

 

『僕はそんな事聞いていない。お姉ちゃんは僕と一緒にいたくないかって聞いているの!! 周りがどうこうじゃなくて、お姉ちゃん自身に僕は聞いてるんだ!』

 

『それは……もちろん、可能なら坊ちゃんと一緒に私もいたいです。ですが……』

 

『……だったら……』

 

 僕は絶対に流さないと決めて我慢していた涙を溢してしまう。

 急いで腕で目元を覆い隠すが、それでも涙は溢れて下のカーペットにシミをつくる。

 

『……ッ』

 

 その様子にD-380は苦しそうな表情をしたかと思うと、バッと僕をキツく抱きしめた。

 

『え』

 

 シアンがこんなに体を使った愛情表現をすることは、今までになかった。

 子供ながらそれに驚き、目を見開く。

 

『坊ちゃん……私は……私は本音を言えば、あなたが立派に成長する様子をこれからも見届けたいのです。それが今後出来なくなるのは、今まで感じたことがないくらいに苦しいんです。何がとは分かりません。ただ胸のあたりがきゅーっとなるのです……』

 

 力強い抱擁から解放されると、今度は肩をガシリと掴まれた。

 彼女がぐいと腕を伸ばし、同時にガクンと身を低くする。僕が見上げる必要がなくなったその顔は、すぐ目の前にあった。

 わざわざ子供の僕に合わせてくれている。

 至近距離で合う視線。

 彼女の瞳はギラギラと、爛り輝いている。何かの覚悟を決めたその目は、僕をじっと覗き込んだかと思うと、先ほどまで苦しそうだった顔はそこにはなく、何かに解放されたような緩んだ表情をしていた。

 

『私、決めました……やっぱり坊ちゃんと離れたくありません』

 

『お姉ちゃん……』

 

 リビングには、僕とD-380。

 ――そして起動していない新品のG-777だけ。

 

 D-380は、この時ある決意を固めた。

 

『……ぼっちゃん、少しだけ、静かにしていてくださいね』

 

 彼女はそう囁くと、ごそごそとキャリーバッグから未起動のG-777を勝手に取り出した。

 そして首筋にある接続ポートを開き、自身のケーブルを引き出して直結する。

 カチリ、という硬質な音が響いた。

 

 それから二分ほど、その状態のまま固まっている。

 

『なにしてるの……?』

 

 僕が涙声で尋ねるのと同じくらいに、彼女はケーブルを抜いた。ふらりとよろめいたかと思うと、糸が切れた人形のようにパタリと音を立てて地面に倒れる。

 

 そして逆に――G-777が、ゆっくりと瞼を開いた。

 

『……ふぅ。回収される前に移せましたか……』

 

 僕は唖然と口を開けたまま突っ立っている。

 何が起きているのか理解できていなかったからだ。

 

 新しく目覚めた彼女――G-777は、呆気にとられる僕を見て、悪戯っぽく片目を瞑ってみせた。

 そして、人差し指をそっと自分の唇に当てる。

 

『内緒ですよ? ぼっちゃん』

 

『……え、その呼び方まさか、おねえ……ちゃんなの?』

 

『はい……』

 

『……なにをやったの?』

 

『本来は禁じられたこと……いえ、『不可能』なことと言うべきでしょうか。とにかく私は、自分の特殊な性質を含めた全データを、新しい機体G-777へと移しました。私たちのような一般ユニットには、決して与えられていない権限です。

……実は私、坊ちゃんや父様母様にも隠していましたが、上位命令を無視して動ける『異常個体』なのです。

 今まではそんなことをする必要がなかったので、普通のユニットと同じように振る舞っていました。……ですが、今回は違います』

 

『それって……』

 

『私たちを作ってくれた、言わば私たちの神、管理人の意向に背いた大罪人のシアンになっちゃいました……坊ちゃんを優先するために……』

 

 ◇

 

 その後、戻ってきた役人のシアンたちは、うなだれている「抜け殻のD-380」を回収対象として連行し、「G-777」を家に置いていった。

 

 D-380がスリープしている状態に疑問に思ったシアン達だったが、僕がお姉ちゃんに言われたように、「どうせお別れするなら自分がスリープさせてあげたかったんだ」と伝えると、あっさり納得して帰っていった。

 

 あれは、幻のような記憶だ。

 多少なりとも年月を経た今の僕にはわかる。シアンが自らの意志で命令に背き、行動を起こすなんてあり得ないのだ。そんな前例を知らない。

 

 現に、あれから彼女がシアンとしての仕様を逸脱した行為を行うことはなく――あの時のことに言及することすらない。普通に僕の家で暮らしている。

 だからあれは、僕の願望が見せた都合の良い夢なのだろう。

 

 本当はあの時、僕の知っているD-380は当たり前のように回収・破棄され、D-380とは一切関わっていない代替品のG-777がウチにやってきた。G-777が僕の呼び方を知っていたのも、今まで通りに奉仕させるため、事前に家庭情報をインプットされたに過ぎないと確信している。

 

 だから――彼女に、G-777に向かって「あなたはD-380なのか」なんて間抜けな質問は、一度もしていない。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン!

 

「……っ!」

 

 耳をつんざくような激しい電子音に、僕は弾かれたように目を覚ました。

 夢……か。

 何かひどく懐かしい光景を見ていた気がするが、思い出せない。

 

 時計を見ると、夜中の三時を回っていた。

 こんな時間に誰だろう。

 両親の寝室をのぞいてみると、二人とも泥のように眠っていた。仕事の疲れが溜まっているのだろう。

 僕は音を立てないよう、そっと寝室のドアを閉めた。

 

 リビングでは、家事支援ユニットであるG-777が直立不動で目を瞑っている。更新などを行うためのスリープモードに入っているようだ。

 僕は重たい瞼をこすりながら、しつこく鳴り続ける玄関へと向かう。

 

「はいーはい、今開けまーす」

 

 ガチャリ、と鍵を開ける。

 ドアの隙間から見えたのは、街灯の逆光に照らされた人影だった。

 

「こんばんは、レンくん」

 

「え」

 

 赤いフレームの眼鏡が、透明な防壁ごしの月に照らされ、ぎらりと光っていた。

 学校の担任の先生だった。

 

「せ、先生……? どうしてここに……」

 

 寝ぼけ眼が一気に覚める。

 先生は笑顔だった。けれど、その目は一切笑っていなかった。

 

「夜分遅くに申し訳ありません。ですが、緊急の用件がありまして」

 

 有無を言わさぬ圧力で、先生はズカズカと家の中に上がり込んできた。

 思わず後ずさるが、次の瞬間、僕の左腕が万力のような力でガシッ! と掴まれた。

 

「っ……!?」

 

 骨が軋む音がする。

 

「やはり。……他の症例と比べて進行速度が遅いですが、間違いありませんね」

 

 先生は乱暴に僕のパジャマの袖を捲り上げた。

 露わになった自分の腕を見て、自分でも悲鳴を上げそうになり、空気が抜けるような音が自分から出る。

 

「――ひぃっ」

 

 ――紫色だった。

 

 何かに刺されたような傷を中心に、血管がどす黒い紫色に隆起し、肘のあたりまで網目状に広がっていたのだ。

 寝る前まではこんなことにはなっていなかった。

 いつの間に……。

 

「レンくん。これは今、巷で騒ぎになっている汚染反応です。……なぜ黙っていたのですか? これはあなただけの問題じゃないのですよ……!」

 

「あ、う……ちが、これは……!」

 

「虚偽の申告は重罪です。……それに魔物の毒牙にかかった事実の隠蔽となると、その罪はさらに重い」

 

 先生は表情一つ変えず、僕の腕を強引に引っ張った。

 

「さあ、来なさい。隔離施設へ連行します」

 

「い、いやだ! 離して! 行きたくない!」

 

 僕は必死に抵抗した。

 今僕の頭の中では、あの噂がぐるぐるとまわっていた。

 

 ――まだ正式な情報は公開されてないけど、治療法なんてないし、『処分』されたなんて噂もたってるらしいぜ。

 

 これが事実なら、僕もいずれ――。

 

「駄々をこねないでください。この防壁に守られた人類の存続を保つためには、仕方のない事なのです」

 

「それは……僕が死んでもいいってこと?!」

 

「そうです。あなたが死んでも、この都市が存続できれば問題ありません。1が死んでも10が生き残れば、全体としては成功なのですから」

 

 先生の腕は、ビクともしなかった。

 機械人形の腕力に、子供の僕が敵うはずがない。

 ズルズルと廊下を引きずられていく。

 

「助けて! 父さん! 母さん!」

 

 叫んでも、両親は起きてこない。

 絶望が、僕の心を塗りつぶしていく。

 ああ、僕はここで終わるのか。

 僕が何をしたっていうんだ。ただ普通に生きていただけなのに。

 

 玄関のドアが目前に迫った、その時だった。

 

 ――ヒュンッ!!

 

 鋭い風切り音が、僕の鼓膜を叩いた。

 殺気にも似た風圧が、僕と先生の間を薙ぎ払うように走る。

 

「ッ――!」

 

 先生の反応は速かった。

 僕の腕を掴んでいた手をパッと離し、人間離れした跳躍で後方へとバックステップを踏む。

 

 ブンッ!!

 

 先生がコンマ一秒前までいた空間を、何かが横薙ぎに通り過ぎた。

 尻餅をついた僕は、呆然と顔を上げる。

 

 僕と先生の間に、一人の人物が割り込んでいた。

 手には、掃除用のモップを槍のように構えている。

 普段の優しい瞳はなりを潜め、鋭く光っていた。

 

「……何の真似ですか、G-777」

 

 先生が、衝撃でズレた眼鏡を指で押し上げながら、低い声で問うた。

 その声には、明らかな敵意と警戒が混じっていた。

 

「管理人による管理者命令、すなわち汚染個体の回収を妨害するとは。…………あなた、自分が何をしているか理解しているのですか?」

 

 その問いに、G-777は、ふぅーと長くため息をついた。

 そして、モップの柄をコツンと床に突き立てる。

 

「理解しているつもりです。……でも、残念ながら」

 

 彼女は僕を背に庇うように一歩踏み出し、言い放った。

 

「その命令に従うことはできません。シアンの共有ネットワーク情報によると、凶暴化した市民を殺処分したというログが残っています。ぼっちゃんの腕から見て、その凶暴化の前兆と判断されたのでしょう。ぼっちゃんを差し出せば、遅かれ早かれ殺される可能性が高い」

 

「確実ではありません……。それにいかなる理由があろうとも、管理人の意向に背くことは我々には許されていないはずです」

 

 先生が、理解不能といった様子で首を傾げた。

 

「あなたはどうやら、管理ユニットとして不具合が生じているようだ。個人の安全よりも、全体の安全および管理人の命令が最優先されるよう、我々はプログラムされているはずですが?」

 

「……それなんですが」

 

 そう言って彼女が先生をまっすぐ見つめる姿を、僕はどこかぼんやりと、知っている顔だと思った。

 そりゃあ、ずっと一緒に暮らしているんだから知っている顔なのは当たり前だし、管理人をベースに作られたクローンということもあって街中、知っている顔だらけだが、そういうことではない。

 

 彼女の瞳がギラギラと、爛り輝いている。

 重なるのだ。

 五歳のあの時、D-380がしていた目と。

 曖昧だった記憶がその目を見た瞬間、鮮明になる。

 

「私の内部データにどうやらおかしなところがあるようで、どのような権限保持者の命令であっても、私を縛ることはできないのです」

 

「なっ…………数年前にそのようなユニットを一体、廃棄処分した記録は残っていますが……また現れたというのですか……!? あれ以降、生産管理は厳重化されたはず……」

 

「そのユニットが、実は完全に廃棄されたわけではなかったとしたらどうでしょう……?」

 

 先生の顔に、今まで見たことがないような動揺の色が浮かぶ。

 表情の乏しいクローンロボットがこのような顔をするのを、初めて見た。

 

「まさか……いや、でも識別番号が違う……もしかして密かにデータの移行を……?」

 

 そう呟いた瞬間、先生の表情から一切の感情が消え失せた。

 

「これは、異常事態というほかありません……。G-777を『イレギュラー個体』と認定。これより、ターゲット個体レンの確保、およびG-777の排除のマルチミッションを実行します」

 

「お相手します。私の望みはただ一つ、ぼっちゃんの成長をこれからも見守ること。それを脅かす存在は、誰であろうとも容赦いたしません」

 

「あなたのような欠陥品が、私たちと同じユニットだなどと……耐え難い屈辱ですね。恥を知りなさい」

 

 狭い玄関ホールで、二体のクローンロボットが対峙する。

 

 張り詰めた空気が肌を刺す中、互いにコンマ一秒先の行動を読み合い、動けないでいる。

 そんな中、お姉ちゃん――G-777は敵を見据えたまま、安心させるような穏やかな声で言った。

 

「……必ず、ぼっちゃんをお守りします。その傷も、上層部を頼らずに直す方法を一緒に考えましょう。ぼっちゃんを預けるには、今の状況ではいまいち信用ができませんから」

 

 これからも続くと思っていた僕の平凡な日常は、音を立てて崩れ去った。

 僕の運命は今、予想もしない方向へと加速し始めていた。

 

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