職業選びから時間は流れ, 夜も更けた。
血気盛んな男子高校生が異世界に召喚された。
しかも、初めての夜だ。
眠れるわけないだろ? 当然だ。
普通こういう時は、枕投げをするか, 未来への不安に震えるか。
……だが、我らが主人公・南雲ハジメというキチガイ野郎は, こっそり部屋を抜け出していた。
宿舎の廊下。
「……」
抜き足、差し足。
足音を殺す手際が尋常じゃない。
ありゃあ学校で「夜間自習」をサボり倒してた手つきだぜ。
あいつ、どこへ行くのかと思えば, 王宮の外壁テラスの方じゃないか。
何だ? 謀反でも企んでるのか?
「ふぅ……」
ハジメは周囲を見回すと, 懐から何かを取り出した。
銀色に輝くそれは……ナイフか? 暗살(あんさつ)か?
……違った。左官用の「コテ」だ。
あんなのいつ作ったんだよ。器用なもんだ。
「よし、誰もいないな」
南雲ハジメ。この狂った石バカは、月光を浴びながら壁へと近づいた。
そして……壁を撫で始めた。
「はぁ……はぁ……」
「荒い……すごく荒いぞ……」
「300年ものの石柱の感触……風化作用で剥がれたこの表面……エロすぎるだろ」
冗談抜きで、ガチの「石フェチ」だったらしい。
「管理がなってないな。これじゃあ風化を防げない。俺が……俺が滑らかにしてやるからな」
スッ……スッ……。
彼はコテに魔力を纏わせ、壁の左官作業を始めた。
その手つきは、もはや芸術。
正直、俺の近所にこんなおっさんがいたら, トイレの改修工事は絶対こいつに任せるわ。
「そうだ……そこだ。その隙間……残さず埋めてやる」
「ふんぬっ! 錬成!」
パァァァァ!
光とともに、ザラついていた石壁が大理石のように滑らかに変わっていく。
「完璧だ。この光沢……この反射率……ようやく壁らしくなったな」
その時だった。
「……おい」
背後から聞こえる、冷ややかな声。
月明かりの下に現れたシルエット。ショートカットに、鋭い眼差し。ぶかぶかのTシャツ姿の彼女。
幼馴染の白崎香織様のお出ましだぜ、野郎共。
「……」
「……」
静寂。とんでもなく息の詰まる静寂。
香織の視線がハジメの手にあるコテに向かい、また顔へと戻った。
「あんた……何してんの?」
「……見れば分かるだろ?」
「はぁ? 寝言言ってんじゃないわよ。質問に質問で返してんじゃないわよ」
「その……散歩?」
「散歩に来るのにそんなもん持ってくんのか。何しに行くのかと思ってついてきてみれば……あんた、本物のトチ狂い(アホ)ね」
「知らなかったのかよ」
「バカ」
香織は呆れたように額を押さえた。
「はぁ……全く。あんたって奴は異世界に来てまでこれ? みんな不安で眠れないっていうのに、一人で壁の補修工事?」
「不安だからやってんだよ」
「はぁ?」
「これを見ろ。継ぎ目の部分だ。昼間に見たら微細な亀裂が入ってた。このままじゃ耐震基準未達だ。震度4の地震が来ただけでガラガラ崩れるぞ。俺が補強工事してやったおかげで、耐久度は30%は上がったはずだ」
「……」
「お前もよく聞いとけ。家が頑丈であってこそ、心は安らぐ。住居の安定こそが生存の基本だ。衣食住の中で『住』が一番高い理由が分かるか? 不動産不敗神話は異世界でも……」
「おい、口閉じろ。石ころで塞ぐ前に」
香織が拳を握ってみせると、ハジメは素早く口を閉じた。
流石は「石バカ担当・番長」だ。
香織はハジメの隣に歩み寄り、手すりに寄りかかった。
「ふぅ……」
「はは、地面が凹むぞ(ため息つくと幸せが逃げるぞ)」
「ねえ、ハジメ」
「なんだよ」
「あんた……本当に大丈夫なの?」
「何が」
「……何がって」
「ああ、錬成師のことか?」
「そうよ。みんな陰でヒソヒソ言ってる。光輝は勇者なのに、あんたは生産職だって。檜山の野郎も手ぐすね引いてる感じだし……正直、ちょっと心配なのよ」
おお、ツンデレ。心配してないフリして、全部聞いてたわけね。
だが、空気の読めなさを米と一緒に炊いて食ったような石バカ・南雲クンはどうだろうか?
「心配? なんで?」
「なんでって……あんた、戦闘能力もないんでしょ? ダンジョンに入ったら危険じゃない」
「まあ見とけよ、香織」
ハジメはコテで、先ほど自分が磨き上げた壁をトントンと叩いた。
ティン。ティン。
澄み切った音色。
最高級の真鍮(しんちゅう)の器を叩いたような音だ。
「これが何に見える?」
「……壁?」
「違う。これは鉱物の集合体だ」
「……それが何よ」
「この世界の90%は石と土でできている。ダンジョン? あんなのただの巨大な石の塊だ。つまり、四方八方が俺の武器で、俺の盾で、俺の寝室ってことだよ」
「……」
「戦闘職? 火炎術師? 笑わせるな。火は消えれば終わりだが、石は永遠だ。ダイアモンドは永遠にって広告もあるだろ。俺はこの世界の『本質』を扱う職業なんだよ」
ハジメの目がギラリと光った。
それが虚勢ではないことを、幼い頃から見てきた白崎香織は知っていた。
(全く、もう……)
「それに檜山の野郎? もし向かってきたら、あいつの靴底の土を錬成して『レゴ』に変えてやる。歩くたびに足つぼマッサージを受けてるような苦しみを与えてやるよ」
「……ふふっ」
ついに香織が吹き出した。
「くくくっ……バカね。足つぼマッサージって何よ、地味すぎるでしょ」
「足底筋膜炎(そくていきんまくえん)の恐ろしさを知らないようだな……」
「もういいわ、やめて。おかしくてお腹痛い」
香織は目尻の涙を拭いながら、くすくすと笑った。
さっきよりも表情がずっと柔らかくなっている。
「はぁ……そうね。あんたみたいな変人がいる方がマシかも。みんなシリアスに悲劇の主人公やってるのに、あんた一人だけコメディやってんだから」
「コメディじゃなくてドキュメンタリーだ。『密着! 限界職業:錬成師編』」
「はいはい、分かりましたよ、現場監督さん」
「へへっ」
その時だった。
コツ、コツ。
廊下の向こうから、巡回中の近衛兵たちの足音が聞こえてきた。
「おっと! 衛兵だ!」
「ちょっと、隠れて!」
ハジメが反射的に香織の手首を掴んだ。二人はテラスの隅、突き出した柱の裏の狭いスペースに身を隠した。
密着! ヒャッハー、ご馳走様です!
狭い。狭すぎる。互いの吐息が聞こえるほどの距離。
これですよ、これ。少女漫画のテンプレ。
心臓がバクバクして、顔が真っ赤になって、妙な空気が流れる……。
「……」
ドキドキ。
香織の心臓が速くなり始めた。
いくら幼馴染でも、この距離なら意識せざるを得ない。月明かりは淡く、男の体温が伝わってきて……。
(ち、近い……嘘でしょ……)
香織は息を殺し、ハジメを見上げた。ハジメも息を殺したまま、真剣な表情で様子を窺っている。
真剣な横顔。普段はアホだが、黙っていれば結構整った顔。
それが今日に限って、なぜか頼もしく見えてしまう。
おい香織、お前それ「あばたもえくぼ」ってやつだぜ。
「……」
香織が妙なときめきを感じようとした、その瞬間。
スルスル……、スリスリ……。
背中の方で、何やらおかしな感触がする。
ハジメの手が……香織の腰の後ろあたりをモゾモゾと動いていた。
(?!)
香織の目が点になった。こ、こいつ、まさか!? この隙に乗じてセクハラ?! いくらなんでもそれはないでしょ!
「ちょっと……あんた、手が……」
香織が小さく囁いた。顔は真っ赤っかだ。
すると、ハジメが極めて小さく、真剣な声で答えた。
「しっ。じっとしてろよ、香織」
「あ、あんた正気? どこ触って……」
「この柱の裏……『苔』が生えてる」
「……は?」
「湿気が溜まってるせいか。触感がすごくヌルヌルしてて……これ、掻き出して分析すれば、王宮の排水施設の点検もできそうだな」
「……」
「ちょっと待て、サンプル採取するから」
南雲のクソ野郎……w
ただ香織の背中側にある柱の壁面をガリガリやってただけだった。
ガリガリガリ!
「よっしゃ、アイテムゲット!」
ハジメは爪の間に詰まった苔混じりの泥を見て、満足げに笑った。
「……」
香織の顔から赤みが一瞬で消え去った。
代わりに、その目には冷ややかな殺意が宿った。
「ねえ。南雲」
「ん? なんだ? 衛兵行ったか?」
「あんた……本当に……」
香織がハジメの胸ぐらを掴んで揺さぶった。
「この石バカ野郎ーーーーー!!!! 空気読みなさいよーーーー!!!!」
「げふっ! げほっ! おい! 声! 声が大きい!」
「もういいわよ、見つかっちゃえ! あんたみたいな奴は牢屋に入って一生石壁と暮らしてればいいのよ!」
「最高じゃん」
「この狂った鉱物愛好家!!」
「痛い! 痛いって! つねるな!」
「死ね!!」
ああ……やっぱり。ロマンスなんてクソ食らえ。
片方の心臓は恋で跳ねているのに、もう片方の心臓は炭酸カルシウムで跳ねているんだ。周波数が合うわけないだろ。
結局その夜。衛兵に見つかりはしなかったが, 南雲ハジメは香織に脛(すね)を三発も蹴り飛ばされてから、ようやく部屋に戻ることができたという。
もちろん、彼は戻る道すがらも,
「わぁ、香織のキックの打撃感……脛の骨と大理石の床が共鳴する音が聞こえたか? さすがは俺の幼馴染だ。骨密度が格別だな」
なんてことをほざいて、もう一発食らった。
翌朝、異世界の訓練場。
「よし! 今日はダンジョン実習に行く前の基礎体力訓練だ!」
メルド団長とかいうおっさんの野太い声。
みんな眠そうな目をこすりながら出てきた。一晩中、不安で眠れなかった奴が多いんだろう。
だが、たった二人。肌のツヤがピカピカな奴らがいた。
「ふぁ~……よく寝た」
南雲ハジメ。昨日の壁の補修作業で肉体労働をしたせいか、爆睡したらしい。
おまけに手には昨日採取した「柱の裏の苔」が入ったガラス瓶を大切そうに握りしめている。
そしてその隣の香織。
「……」
彼女は目の下にクマがガッツリできていた。
怒りで眠れなかったのか、ときめきで眠れなかったのか。あるいは、あのアホをどう更生させるか悩んで夜を明かしたのか。
だが、そんな姿すらお美しい……。
「おい、香織。顔色が悪いぞ? 鉄分不足か? この石でも舐めるか?」
ハジメが(彼なりに)優しく岩塩を差し出した。
ブチッ。
血管が浮き出た香織は、無言でハジ메の足の甲を踏みつけた。
「あだっ!!」
「うるさい」
「いや、俺は心配で……」
「南雲くん! 私的な雑談は禁止だ! 訓練に集中しろ!」
「……うぃーっす」
ハジメは納得いかないという表情で訓練の列に加わった。
走りながら、彼は演習場の土埃に目を落とした。
(ほう……この演習場の土……真砂土と赤土の配合比率が7対3だな。水はけが良さそうだ。おっと……あそこの隅で光っているあれは……まさか雲母(うんも)?)
彼の口元に妙な笑みが浮かんだ。
ダンジョン実習。オルクス大迷宮。
他人にとっては恐怖の対象だが、こいつにとっては「超大型採掘場のオープン初日」でしかなかった。
「ヒャッハー!!」
……マジで狂ってるわ、こいつ。