ジャン・キルシュタインが兵士をやめた日 作:an-ryuka
この世界のご飯は美味しくない。
でも、ジャンがいると、ちょっとだけマシになった。
スープの匂いと汗と、誰かの靴音。
食堂の空気は、いつもうるさい。
食べながら、扉の方へと目を向ける。
(あ、ジャンだ)
心の中で手を振って、私は現実でも手を振る。
動作は大きく、わかりやすく。
「ジャーン! ここ〜! 隣空いてるよ〜!」
ジャンの肩がビクッと跳ねた。
わかりやすい。最高。反応がでかい男は、いじりがいがある。
テーブルを軽くトントン叩く。
「ねーほら〜! 早くー!」
「……ったく、うるせぇな……」
文句を言いながらも、素通りできない。
そういうとこが、とてもジャン。好き。
座った瞬間、私はジャンの腕にスルッと巻きつく。
ぴと。布越しの肌の温度。
(あ、体あったかい)
「ちょっ……くっつくなって言ってんだろ、何回!」
「え〜減るもんじゃないしぃ?」
「減る。俺のストレスが」
「じゃあ揉む? ほぐしちゃうぞ〜?」
「しなくていいっ!」
怒鳴り声が、食堂の音に埋もれそうで埋もれない。
周りの男連中がニヤニヤする気配が増える。それでも離れないのが、もう答えみたいで嬉しい。
ぷくっと頬を膨らませて、いったん腕を解く。
「ジャンってさ、ツンデレ?」
「……ツン? ……は?」
「怒ったり文句言ったりするくせに、結局一緒にいてくれるとこ。ポイント高いよね〜」
「お前なぁ……真面目に言ってねぇだろ」
「えー、真面目真面目、超真剣。私、ジャンのこと……」
わざと間を置く。空気をひとつ、ゆっくり噛むみたいに。
ジャンが警戒の目を細める。周りが期待の顔になる。うん、舞台整った。
「ちょー好き〜♡」
くいっとウインク。
ジャンのスプーンが止まる。脳内で「やめろ」って叫んでるのが見える。
「お前さぁ……冗談で言うなよ、そういうの」
「えー? 冗談だと思ってるんだ?」
「ああ、思ってるっつーの。俺が本気で受け取ると思うか?」
「うん、思ってない〜。でも、ジャンの反応見てると楽しいんだもん♡」
「……くそ……」
視線を逸らすジャン。耳だけ赤い。
その赤が、私の胸の奥を妙にくすぐる。チクチクするのに、甘い。
⸻
午後の訓練。汗。砂埃。怒号。
ジャンは汗を撒き散らしながら、いつも通りを走ってる。
真面目で、少し調子に乗ってるとこも、好き。
訓練が終わって宿舎へ戻る道。
ジャンは私の前を歩いてた。
疲れてる時ほど余計なことを考える。私のことは気づいてない?
私は足音を潜めて近づく。
背後の気配に気づいた瞬間には遅い。
全力で抱きつく。
「だーれだっ♡」
「ッうおっ!? てめっ、やめろって言ってんだろ!!」
ジャンの肩が跳ねる。
私はケラケラ笑って離れない。
「ジャン、マジでいい反応するよね〜。びっくりしすぎでしょ?」
「……お前なぁ、そのうち蹴っ飛ばすぞ」
「え〜、その時はお姫様抱っこして医務室まで連れてってね♡」
「……そんくらいで怪我しねぇだろうが」
言い返しながらも、突き放さない。
そういうところ。ほんとに、そういうところ。
ジャンが呟く。声が、ほんのちょっとだけ弱い。
「ああもう……ほんっとに、なんで俺なんだよ……」
(そういう所だよ)
でも、言っても分からないだろうし……言うとつまらないから言わない。
なんで俺なんだよって顔をするジャンが、1番可愛い。
⸻
夕食時。今度はアニの隣に滑り込む。
わざと肩が触れる距離。わざと。
「……近い」
アニの声は氷みたい。
私はニコニコで返す。
「減るもんじゃないし〜」
「減る」
「そんなこと言って〜。私が来て嬉しいでしょ?」
「やめて」
アニはスープを飲む手を止めない。止めないけど、私を追い出しもしない。
この子の許容は、めちゃくちゃ分かりづらい。でも。
「そんなツンツンなアニも好きだぜ♡」
「……ウザ」
「ひど〜い。ショックで寝込んじゃう〜」
アニの眉が、ほんの僅かに上がる。
(出た。今の反応)
「その顔も好き〜♡」
「うるさい。喋らないで。目もうるさい」
「目も!? そんなに私のこと意識してるんだ?」
「違う。騒がしいって言ってるの」
「騒がしくないよー。アニが静かすぎるだけ〜」
「黙って食べて」
「はぁい」
少し離れた席から、ジャンがこっちを見てるのが分かる。
落ち着かない顔。イラつく顔。
残念。今日はアニの気分なんだ♡
外から来て、こんなとこに放り込まれた、可哀想な子。
まぁ、そんなこと無くても、元々アニは好きだった。
⸻
座学。ペアワーク。教室がざわつく。
ジャンができるだけ目立たないように相手を探してるのが見えた。
「ジャン〜、次のやつ一緒にやろう〜?」
「……お前、前も俺とだっただろ。他のやつと組めよ」
「いーや。私には聞こえた。ジャンの心の声が」
「……なにが聞こえたってんだよ」
「『ピアットの可愛さに免じて、これからもずっと組んでやるよ』って〜♡」
「あのなぁ……」
ジャンが顔を覆ってうつむく。
周りの視線がチラチラ集まって、ジャンの耳がまた赤い。
「で、やる? やらない? ジャンが選んでいいよ♡」
「もう……好きにしろ……」
「やった〜! ジャン、だーいすきっ♡」
「言うなっての……」
この流れがいつものやつになっていくのが、私は少し怖くて、少し嬉しかった。
私は異分子で、この先の事も知ってる。
何もしないのは、私の甘えでしかない。
⸻
日が傾いた訓練の後。
疲れた空気。汗の匂い。
ジャンの視線が、ミカサの背中に吸い寄せられてるのが見えた。
……まぁ、原作通りだしね。ちぇっ。
私は忍び寄って、耳元に息を落とす。
「……ミカサより私で良くない?」
ジャンの身体がぞわっと跳ねる。首筋が固まる。
振り向いた顔は、バレたって顔。
「……な、なんでお前……!」
「ばーればれ〜。ずっとガン見してたよ? ミカサの背中」
「違ぇし!! 別に見てたわけじゃ……!」
「うんうん、はいはい、見てたけど見てないってやつ〜」
指で頬をツン。
ジャンはその指を払えない。払えないくせに、怒ってるふりをする。
「ジャンってさ〜、ほんと分かりやすい」
笑いながら言う。
でも、目だけは笑わない。だって気に食わない。
ミカサにはエレンがいるじゃん。……ずるい。
⸻
その日の夕食。
たまたま私の隣に座ってたのはエレン。ジャンとはさっき小競り合いして、互いに機嫌が悪いまま。
「よくやるよねぇ。何がそんなに気に食わないの?」
私はエレンへと顔を向け、そう聞いた。
「はぁ?あっちが勝手に突っかかってくるんだよ」
「……そうだけどさぁ」
分かってる。ジャンはミカサに気にいられてるエレンが気に食わないだけ。
少しため息をついて食事にもどる。
エレンは飯をかき込みながら、ふと聞いた。
「……お前、ジャンのどこがそんなにいいんだ?」
「ん〜?」
スプーンをくるくる回す。考えるふり。
いつもの答えはすぐ出る。
でも、今それを渡す気分には、なんとなくならなかった。
スプーンを置く。
首を傾げて、エレンへと目を向ける。
「……虚勢張ってるとことか?」
「虚勢……?」
「弱いのに、強がってるとこ」
エレンが眉をひそめる。
「……どこがいいんだよ、そんなの」
「ふふっ、お子ちゃまエレンには分かんないか〜」
小さく笑って、男子テーブルに目を向ける。
ジャンがマルコ達と談笑してる。笑って、突っ込んで、からかわれて、怒って。
そういう、飾ってないところも。
「……好きー。こっち向かないかなぁ」
エレンは少し驚いたかのように、言葉を詰まらせた後に呟く。
「……お前、本当に好きなんだな」
「えー、今さら〜? こんなにも熱烈にアピールしてるのに?」
「冗談にしか見えねぇだろ。もっと真面目にすりゃいいのに」
「だって、真面目にしたら……振られるじゃん」
笑いながら言う。
でも言葉だけは、変に現実だ。エレンの口が止まる。
私は立ち上がって、迷いなく男子テーブルへ行く。
まだジャンは気づかない。
気づいてないジャンの腕に、自然に手を絡ませる。
いつもの動作。いつもの距離。
「ジャン〜、私のこと放っておくなんて酷くなぁい?」
「うわっ!? ……お、お前、急になんなんだよ!」
「放って置かれてジェラシー的な? 私もかまってよー」
「……ば、馬鹿か、お前……!」
「かわいい〜♡」
わざと、胸を軽く当てる。
その瞬間、ジャンの顔が一瞬だけ固まる。目が泳ぐ。喉が上下する。
(当たったな)
周りの男どもの空気が、いっせいに生臭くなる。
笑い声が変わる。咳払いが増える。視線が集まる。
私はそれを全部、わざと浴びる。
誰かが冷やかす。
「お前ら、いちゃつくなら外でやれっての」
「いちゃついてねぇ! こいつが勝手に!」
「えぇーそんな事言わないでよ〜。
あっ。君たちにもご褒美あげようか?」
私は服の裾に指をかける。
引っ張る。ゆっくり。
布に隠されていた肌が見える。
サラッとしたくびれ。
誰かの喉が鳴る音が聞こえた。
もう少し上へと。
へそが見えた。
熱い視線。
空気が音を立てて止まる。
まるで全員の息遣いが聞こえるみたい。
「何してんだよ!お前──」
ジャンが、私の腕を掴む。服を掴んで下げる。
力が強い。焦りが混じってる。
「お前ッ! バカ! ……軽々しく晒すもんじゃねぇだろ! 何やってんだよ!!」
その声が、食堂を割る。
私は一瞬だけ目を瞬いて、それから――
「ふふっ」
それだけ言って、何事もなかったみたいに踵を返す。
ちょっと意外だった。
でも、嬉しかった。
⸻
食堂に残った空気は粘ついてた。
笑ってたやつらも咳払いで誤魔化して、スプーンの音だけが戻ってくる。
「いいもの見たな」
「ジャンはあれをいつも見てんだろ?たまには分けてくれてもいいんじゃね?」
「見てねぇよ!!」
ジャンはガタンと蹴りあげるように立ち上がると
食器を持って歩いていく。
「おい、どこ行くんだよ」
「……腹いっぱいだ」
嘘だ。
腹なんか満たされてない。ただ、ここにいるのが無理だった。
そのまま外へと出る。
宿舎の裏手、物陰。
誰もいないと思って曲がったところに――ピアットがいた。
ジャンが足を止める気配に、少し笑って振り向く。
「ジャン?
どしたの〜?夜這いかな?」
ジャンが息を飲む。
怒りたいのに、怒り切れない顔。
「……なんであんなことした」
沈黙。虫の音。遠くの足音。
私は口元だけ歪めて笑う。目は笑わないまま。
「見たくなかった?」
「見たくねぇよ!」
反射みたいな即答。
その強さに、ちょっとだけ胸が痛む。
「……そんなに私の事嫌い?」
「はぁ!!? 軽々しく晒すなって言ってんだ。冗談でも、ああいうのは――」
「冗談じゃないよ」
私は言葉を切る。
唇を、まっすぐにする。
「冗談に見える?」
ジャンが言葉に詰まる。
見えるとも、見えないとも、返さない。
私は階段を一段降りる。距離を詰める。
吐く息が当たる。ジャンの背筋が硬くなるのが、気持ちいいくらい分かる。
「冗談やめようか?」
「……は?」
私は目を逸らさない。逃がさない。
言ってみたかった。
「好きだよ、ジャン」
ジャンの心臓が、変な跳ね方をする。
拒絶の言葉が遅れる。その遅れが、ジャン自身を殴る。
「……冗談で言うなって」
やっと出た声は弱い。
私は静かに首を振る。
「冗談じゃない」
――やめろ、って顔で見られる。
こんなに狼狽えてくれてる。嬉しい。
「……。ふふっ」
私はふっと息を吐いて、ようやく笑う。いつもの軽い笑いに戻す。
ジャンの救いになってあげる。
「……なーんてね」
空気が戻る。
戻ったはずなのに、ジャンの中の何かは戻らない。
私はくるりと踵を返す。
――ジャンが、考えるより先に私の手首を掴んだ。
「……待て」
止まる。
掴む手が震えてるのがわかる。でも離さない手。
「今のを、冗談にすんな」
声が低い。
低い声って、ずるい。心の奥を叩く。
私は振り向かないまま首を傾ける。
「……んー。困る癖に?」
ジャンは答えられない。答えたら終わる。答えなかったら、もっと終わる。
ジャンの指がほどける。
私は小さく笑う。
「ほら。やっぱり、真面目にしたら困るじゃん」
そう言って歩き出す。
振り返って、いつもの調子で軽くウインク。
「また明日ね。ツンデレなジャンくん♡」
ジャンは、彼女を見て立ち尽くした。
⸻
その夜。
男子の共同寝室。
消灯後、暗闇の中に囁き声が生き物みたいに這い回る。布団の擦れる音、誰かの笑いを噛み殺す息。
毛布にくるまったジャンの耳に、聞きたくもない声が聞こえてくる。
「今日……俺、あいつで抜こうかな」
「マジかよ……」
「いやでも、あの腰……すげぇよな」
「ジャン、当たってたよな? 乳。当たってたろ!?」
「うっせー! 当たってねぇよ!」
──確かに、胸は当たってた。
あいつは、偶然のように当ててきやがる。
──腰のラインが、目に浮かんでくる。
俺だけにじゃなくて、こいつらが見てる前で。
──「好きだよ、ジャン」
思い出すな。止まれ。止まれって。
冗談だ。冗談ってことになったんだ。
「ジャン、聞いてる?」
「……聞いてねぇ」
「じゃあ今から聞け。俺の結論だ」
ライナーがこの場を纏めるように話し出していた。
他にも数人がジャンの近くに座って、ジャンへと視線を向けた。
「聞きたくねぇ」
「いや、聞け。
アイツはお前に惚れてる」
空気が一瞬だけ止まった気がした。
ジャンの鼓動が、耳のすぐ横で暴れる。
「……はぁ?」
声が変な音になった。否定のつもりなのに、動揺が混ざって、みっともなくなる。
「まぁ、分かりきってたけどな」
「よく近くにいるしね」
「賭けてもいい」
「お、賭けようぜ。俺はからかってるだけだと思う」
「結構、本気にも見えるけど」
「なら、俺らにサービスなんかしねぇだろ」
「あれは良かった!またやってくれねぇかな」
「気にして欲しいだけとか……」
毛布を握る手が強くなる。
否定したい。全部否定したい。
でも、否定の言葉を探している間に、別の自分が勝手に答えを作り始める。
――気にしてる。
――気にしてるに決まってる。
――あんなことされたら、気にする。するに決まってる。
(……違う。これは、ただの……。
そう。俺はミカサが好きなんだ。だからあいつが俺に惚れて用がそれは、……ただの迷惑で)
自分に言い聞かせるほど、声が弱くなるのが分かる。
その弱さが、いちばんムカつく。
「ジャン。明日も来るに全員賭けたぞ?」
「来ねぇよ」
「来るだろ」
「来るって」
「来たらどうすんの?」
ジャンは答えられなかった。
答えたら何かが確定する気がした。
「……っ………」
ふざけた声が、昨日の夜の囁きに重なってくる。
――冗談やめようか?
――好きだよ、ジャン。
あの温度。あの目。
(やめろ。やめろやめろやめろ)
ジャンは勢いよく毛布を跳ね上げ、上半身を起こした。
暗がりの中で、男どもの顔がこちらを向く。ニヤついた目。期待する目。
ジャンは肺いっぱいに空気を吸って――吐き捨てた。
「うっせぇ!! 寝ろ、クソが!!」
一瞬だけ、静寂。
次の瞬間、誰かが吹き出して、また笑いが広がる。
「こわっ」
「効いてる効いてる」
「はいはい、おやすみジャン」
ジャンは枕を掴んで投げた。枕は壁に当たって落ちた。