ジャン・キルシュタインが兵士をやめた日   作:an-ryuka

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2.

 

俺の周りは、やけに静かだった。

――これは、夢だ。

唐突にそう理解した。

 

兵舎でも訓練場でもない。壁の外でもない。

どこかの町の、日だまりの中。石畳がほんのり熱を持っていて、風がパンと砂糖の匂いを運んでくる。人の声は遠くで溶けて、耳に刺さらない。怖さも、焦りも、ここの空気には混じっていない。

 

俺は歩いている。

誰かと並んで。

 

横を見ると、ピアットがいた。

 

制服じゃない。薄い色の服。髪が肩に落ちて、頬が柔らかい光を拾っている。

あいつのいつものにやにやじゃない。勝ち誇った顔でも、からかいの顔でもない。

ただ、自然に笑ってる。そこにいるだけで空気が明るくなるみたいな。

……なんだよその笑い方。

 

「ねぇジャン、あれ食べたい」

 

指さしたのは、屋台の焼き菓子だ。砂糖の粉が舞って、香りがふわっと立つ。

甘い匂いが鼻の奥をくすぐって、腹が勝手に鳴りそうになる。

 

「……またかよ。さっきも食っただろ」

「別腹だもん」

「都合のいい腹だな」

 

文句を言うと、ピアットは肩をすくめて、からかうみたいに俺の肘をつつく。

 

「買ってくれないの?」

「なんで俺が」

「え、だって、ジャンだし」

 

意味が分からない。

分からないのに、腹が立たない。

むしろ、その意味不明がいつものことみたいに馴染んでいて、俺は溜息を落としながら財布を出している。

 

「ほらよ。落とすなよ」

「わーい」

 

受け取ったピアットは、すぐにかぶりつかない。

ちぎって、俺の口元へ寄せる。

 

「はい、あーん」

「はぁ? やめろ、ガキじゃねぇ」

「ガキじゃないなら食べられるよね?」

「理屈が逆だろ」

 

言い合いながら、俺は口を開けてしまう。

甘い。温かい。柔らかい。

 

それを見たピアットが満足そうに笑って、俺の肩へ頬を寄せる。

 

距離が、近い。

 

近いのに、兵舎みたいな鬱陶しさがない。押し付けられる感じもない。

ただ隣にいるのが当然で、これ以上離れる理由がないみたいな……。

 

「ね、ジャン。歩こ」

「歩いてんだろ」

「もっと。ずっと」

 

ずっと。

いつもの俺なら「バカ言うな」って返す。吐き捨てる。笑って冗談にする。

なのに、返せない。言葉が喉に引っかかる。

 

ピアットが俺を見上げる。

その目には挑発がない。駆け引きがない。冗談の逃げ道がない。

 

ただ、俺の顔を見て、俺がいることを嬉しそうにしている。

それが、怖いくらい心地いい。

 

俺の手が勝手に動く。

彼女の頭に触れて、

やめろ、と思う前に、もう撫でていた。

 

ピアットは目を細める。

喉を鳴らしそうな、甘い顔。

 

「……なにそれ。優しいじゃん」

「うるせぇ」

「へへ」

 

笑い声。

俺も笑っている。

自分の喉から、こんなに柔らかい音が出るのかって、夢の中の俺が一瞬だけ驚いて、それでも笑い続ける。

 

恋人みたいだ、と思った。

いや、恋人そのものだろ、これは。

 

その認識が浮かんだ瞬間――胸の奥が、熱くなって、怖くなって、

 

 

「……っ!」

 

目が開いた。

 

天井。兵舎の、汚れた木の板。暗い。

呼吸の音がいくつも重なっている。汗と布団の匂い。どこかで誰かが寝返りを打って、ギシ、と床が鳴る。

 

心臓が、うるさい。

喉が乾いて、舌が張り付く。

息を吸ったのに足りない。

 

(……は?)

 

起き上がろうとして、途中で止まる。

動いたら何かが崩れそうで、布団の中で固まる。

 

夢。夢だ。寝ぼけてるだけだ。

そう言い聞かせても、胸の奥がまだ温かい。

甘い匂いが、鼻の奥に残ってる気がする。

あいつの笑い声が、耳の奥でまだ鳴ってる。

 

(……なんだ今の)

 

俺が好きなのはミカサだろ。

強い。綺麗だ。目を奪われる。見惚れる。憧れる。

そのはずだ。

 

じゃあ、今の夢の幸福感は何だ。

 

(……俺、あいつとあんな風に……?)

 

あいつがピアットのことだと認めた瞬間、また心臓が跳ねる。

 

違う。違うだろ。夢だ。

俺が好きなのはミカサで、ピアットは――

 

(……うるせぇ)

 

うるさい。距離が近い。からかってくる。勝手に触る。

俺の反応を楽しんでる。俺をおもちゃみたいに扱う。

そのはずなのに。

 

――好きだよ、ジャン。

 

(……今の俺、あいつのこと好きだったのか?)

 

夢の中の俺は自然だった。

無理してない。強がってない。

あいつが隣にいるのを当たり前にして、笑って、手で撫でて――

 

(……は? 俺が?)

 

混乱が頭の中で回転する。

俺がピアットを撫でるって構図がまずおかしい。

撫でられる側だろ、俺は。いや、何言ってんだ俺。

 

目を閉じる。

閉じても、夢の光景が浮かぶ。

浮かんで、勝手に胸が熱くなる。

 

(……やめろ)

 

布団を頭まで引っ張り上げて、暗闇に逃げ込む。

寝直そうとする。

でも目は冴えて、脳だけがやたら働く。

 

幸せだったって感想が、最悪だ。

それを認めた瞬間、何かが決まってしまいそうで怖い。

 

(……夢だろ。今は別に。別に、だ)

 

別に。別に。別に。

 

言い聞かせても、心臓は落ち着かなかった。

 

 

 

 

朝の訓練場は寒い。

 

整列。点呼。走り込み。

身体は勝手に動く。いつも通りだ。

なのに、視界の端が落ち着かない。

 

(いるか?)

 

いるに決まってる。訓練兵団だ。逃げ場なんてない。

なのに俺は、わざわざ探してしまう。

探すな。探すな、クソ。

 

――いた。

 

女列の方で、アニの隣に立っている。

髪をまとめて、制服の襟を直している。いつもみたいにへらへらしてない。朝だからか、眠いのか。表情が少しだけ素のままで、妙に落ち着いて見えた。

 

(……こんな顔、してたか)

 

可愛いが浮かびかけて、俺は自分の思考を殴る。

 

(は?)

 

何が可愛いだ。

あいつは面倒くさい。生意気で、距離感がバグってて、俺の神経を逆撫でして――

 

ピアットがこっちを見た。

 

目が合う。

たぶん、合っただけだ。

いつもなら俺はすぐ逸らす。逸らして「見てねぇ」って顔をする。

 

なのに今日は、逸らせない。

 

夢の中のあいつの目と、今のあいつの目が、繋がってしまった。

 

息が止まる。

身体が固まる。

頭が真っ白になって、次に来るのが焦りだ。

 

(やべ)

 

俺が固まったのを、ピアットは不思議そうに首を傾げた。

それから、いつもの調子で小走りに近づいてくる。

 

「おーい、ジャン」

 

近い。

声が近い。

距離が近い。

 

「ねぇ、どうしたの? 顔、変だよ」

 

指先で俺の肘あたりをつんつん突く。

いつもなら「触るな」って振り払う。

今日は――振り払うのが遅れる。

 

指先の感触が、夢の中の肘をつつかれた感触と繋がった気がして、背筋がぞわっとする。

 

(やめろ、やめろ、やめろ)

 

俺はようやく動いて、一歩後ろへ下がる。

逃げたみたいだ。最悪だ。

 

「……別に」

「別にって何。寝不足?」

「……寝不足だ」

 

ピアットが眉を上げる。

 

「え、珍し」

「うるせぇな……」

 

声が引きつる。

自分で分かる。今日は声が違う。

いつもの俺の声じゃない。余計に焦る。

 

ピアットの表情が、少しだけ真面目になる。

からかいが引っ込む。

 

「大丈夫? 熱ある?」

「ねぇよ」

「ほんと?」

「ほんとだ」

 

彼女が俺の額に手を伸ばしかけて、途中で止まる。

――俺が、ビクッと反応したから。

 

最悪だ。なんでこんな女に、ビクつかなきゃならねぇんだよ。

 

ピアットは口を尖らせて、俺の顔を覗き込んでくる。

覗き込む距離が、夢の距離と重なって――

 

(やめろ!!)

 

俺は視線を逸らしてしまう。

逸らして、やっと息ができる。

 

ピアットは「えー?」って顔で少しだけ俺を観察したあと、埒が明かないと判断したらしい。

ふっと視線を外して、周りを見回す。

 

その目が、マルコを見つける。

ピアットがマルコの方へ歩き出す。

 

「マルコー!」

 

(……あ?)

 

胸が、理由もなくざわつく。

 

少し先でマルコとピアットが話している。

ピアットが何か言って、マルコが困ったような顔をした。

 

(やめろ)

 

何を言う気だ。

なんでマルコに相談するんだよ。俺に聞けよ。

いや、聞かれても困るが。

 

(クソ)

 

足が勝手に動く。

気づいたら二人の輪に割り込む距離まで詰めていた。

 

「……何話してんだよ」

 

「あ、ジャン」

 マルコが柔らかく笑う。

 

「だって……ジャン、今日様子変だもん」

「変じゃねぇ」

 

ピアットがじとっと見つめてくる。

 

「変だし〜。

 いつもなら『触るな』って言うのに、さっき言わなかったし」

「……言うタイミング逃しただけだ」

 

マルコが気まずそうに視線を泳がせる。

ピアットは俺を見る。

真面目で、無防備で、夢の中の目と同じで――

 

(やめろ)

 

咄嗟に、別の方向へ逃げる。

 

「お前こそ……らしくねぇな」

「え?」

「心配とか。いつもは俺に絡んで遊んでるくせに、急に真面目になって……」

 

言ってから、何を言ってんだ俺、と思う。

でも止まらない。舌が勝手に進む。みっともない。

 

「……マルコに鞍替えか?」

 

言った瞬間、空気が一瞬止まる。

マルコが「え、ええ?」って小さく声を漏らして固まる。

ピアットは一拍おいて、マルコと目を合わせた。

 

その目が、会話してる。

声じゃない会話。

「ジャンどうしたの?」

「さぁ……?」

 

それに、カッとする。

 

(なんだよそれ!)

 

二人が俺を外側にして同じものを見てる感じが、意味もなく腹立つ。

俺が勝手に割り込んだくせに、その輪に馴染めないのが癪だ。

 

「……うるせぇ」

 

低く吐いて、俺はマルコの腕を掴んだ。

強く掴むつもりはなかった。

なのに指先が妙に力んでしまう。

 

「行くぞ、マルコ」

「え、ちょっと、ジャン?」

 

マルコが慌てる。ピアットも「え?」って声を出す。

 

「待って、どこ行くの」

「訓練だよ!ぼーっとしてる暇ねぇだろ」

「ジャンがぼーっとしてるんだけど!」

 

ピアットが言いかけたのを、俺は睨む。

睨んだつもりなのに、たぶん顔は赤い。

自覚がある。最悪だ。

 

ピアットは口を閉じる。

その閉じ方が、優しく見えた。

追わない。追い詰めない。こいつはそういう時がある。

 

それが余計に、胸の中の何かを揺らす。

揺らすな。落ち着け。俺。

 

俺はマルコを引っ張って歩き出す。

背中にピアットの視線が刺さる。

刺さるのに、振り返れない。

 

マルコが小声で言う。

 

「ジャン、えっと……ほんとに大丈夫?」

「大丈夫だ」

「……心配してただけだと思うよ」

「分かってる」

「分かってるなら、なんであんな言い方……」

 

答えない。

答えたら、夢の話をする羽目になる。

言えるわけがない。

 

歩幅を早める。

床板が軋む。冷たい空気が頬に当たる。

 

(……俺が悪いのか?)

 

違う。夢が悪い。

夢を見た俺が悪い。

いや、俺が悪いってことじゃねぇか。

 

(クソ)

 

「ジャン、ちょっと待って、手、痛い……」

「あ、悪い」

 

ようやく掴む力を緩める。

マルコが苦笑して腕をさすりながら、俺の横を歩く。

 

「ねぇ、ほんとに何でもないの?」

「何でもねぇ」

 

マルコは慎重に言葉を選ぶみたいに、少し間を置いてから続ける。

 

「彼女が僕に聞きに来たの、たぶん、ジャンがいつもと違うからだよ。からかうためじゃなくて」

「……」

「それって、結構……ジャンが望んでた関わり方なんじゃないの?」

 

その言葉が、夢の幸せを呼び起こす。

甘い匂い。日だまり。肩に寄った頬。

俺が笑ってた感覚。

 

唇を噛む。苦い。

 

(やめろ)

 

遠くで号令が響く。

訓練が始まる。始まってくれ。

身体を動かして、余計なことを考えないで済む時間が欲しい。

 

俺は前だけを見る。

 

背中の方から、ピアットの明るい声が遠くで聞こえた気がした。

アニを呼ぶ声。いつものように誤魔化す声。

目で追いかけたくなる衝動を、奥で押しつぶした。

 

 

 

 

昼の休憩。木陰に座り込んだ訓練兵たちが、水筒を回しながらだらだら喋っている。

 

ジャンは、そこに混ざりながらも、どこか落ち着かない。

視線が勝手に探してしまう。

探すな、と言い聞かせても、目は裏切る。

 

ピアットは――いた。

少し離れた場所。アニの近く。アニが「近い」と言いそうな距離で、ギリギリ言わせない距離を保っている。

ピアットは、いつも通りだ。けろっとした笑い。軽い身振り。

 

(……いつも通り、かよ)

 

そのいつも通りが、今日はやけに眩しい。

眩しいくせに、目が離せない。

 

そして当然、来る。

 

「ジャ〜ン」

 

背中側から、声。

すぐ横まで滑り込む気配。肩に、ちょん、と体重が乗る。

 

「……っ」

 

ジャンは反射で肩を強張らせた。

でも、押し返すのが遅れた。

昨日からずっと、こういう「遅れ」が増えてる。

 

ピアットはそれを気にした様子もなく、勝手にジャンの腕にひっかけるみたいに手を乗せて、顔を覗き込んだ。

 

「まだ変な顔してる〜。寝不足治った?」

「治ってねぇ」

「ふ〜ん?」

 

からかう声。すぐ離れる、いつものパターン。

そう思ったのに、今日は離れない。ほんの半拍だけ、長い。

 

ジャンは喉の奥で「触るな」の言葉を飲み込む。

出したら出したで、昨日の自分の告白まがいが浮かぶからだ。

 

「……お前、今日はやけに絡むな」

「え〜?いつもじゃん」

「いつもより……近い」

「減るもんじゃないし〜」

「減る。……俺の寿命が」

「私がいればきっと伸びるよ♡」

 

言いながら、ピアットはあっさり離れた。

離れてから、ちょっとだけニヤッとする。勝った顔。

ジャンの中で、何かがチリッと焦げる。

 

(……くそ、何だこの感じ)

 

その瞬間、コニーが大声で話題をぶん投げた。

 

「なぁなぁ!お前ら卒業したらどこ志望だ?やっぱ憲兵団?」

 

サシャが即乗る。

「憲兵団!おいしいものがたくさんありそうです!」

「お前は食い物以外にねぇのかよ」と誰か突っ込み、周りが笑う。

 

ライナーが肩をすくめる。

「俺は……まあ、色々だな」

その色々の重さに、ベルトルトが目を伏せる。

マルコは空気を読んで、話題を明るく戻すみたいに言う。

 

「でも、みんな考えるよね。命かかってるから」

 

その言葉で、笑いがちょっとだけ薄くなる。

命は冗談じゃない。壁の外に出るってのは、そういうことだ。

 

ジャンは、そこでふと気づいた。

ピアットの志望。――聞いたことがない。

あいつは誰にでも絡むけど、自分の芯の話は、いつも煙に巻く。

 

(……聞いたこと、ねぇな)

 

ジャンは、わざと普通の口調で振った。

余計な温度を入れないように、なるべく何でもない話として。

 

「お前も、やっぱ憲兵団か?」

 

ピアットが、ぴた、と止まった。

笑いが一瞬止まる。瞬きが一回だけ遅れる。

その沈黙が、逆にうるさい。

 

それからピアットは、口角だけを上げた。

意味深に。

笑って。

 

「……調査兵団♡」

 

ハートまで付けて言った。

わざとらしく、甘ったるく。

 

ジャンの顔が固まるのが、自分でも分かった。

凍る、というより、頭の中で何かが引っかかる。

 

周りの空気も一瞬固まった。

コニーが言葉を出す。

「はぁ!?マジかよ!?エレン以外にもいるのかよ」

サシャがパンを持ったまま固まる。

「調査兵団……」

アニは、遠くから「……バカじゃないの」って言いたそうな顔をして、すぐに目を逸らした。

 

ジャンだけが、遅れて言葉を拾う。

 

「……冗談だよな?」

 

半笑い。自分の声が引きつってるのが分かる。

笑って否定してほしい。そうすれば全部「いつもの冗談」で終わる。

 

ピアットは肩をすくめた。

 

「さぁ?」

 

誤魔化す。逃げる。

でも目は笑ってる。楽しそうに。

 

「訳わかんねぇ……」

 

ジャンが頭を抱えると、ピアットはそれを眺めて、ほんのり微笑んだ。

嬉しそうに。まるで、その顔が見たかったとでも言うように。

 

それが、ジャンの神経を逆撫でして、同時に胸の奥を変に熱くする。

 

ジャンは顔を上げて、言葉をぶつけた。

ぶつけることで、自分を保とうとするみたいに。

 

「お前も……死に急ぎ野郎と一緒かよ」

 

エレンが「は?」って顔をする前に、ジャンは続けた。

 

「……なんで自分からそんな危ないとこ行こうとすんだよ。ありえねぇだろ!あそこは、死にに行くようなもんだぞ!」

 

声が強くなる。強くなるほど、心配が透ける。

それが恥ずかしくて、余計に語気が荒くなる。

 

ピアットは、きょとん、とした。

怒鳴られても、怯えた顔をしない。

怒りを返すでもない。

 

ただ、顔を覗き込むみたいに首を傾げて、軽く笑った。

 

「……心配してくれるんだ?」

 

その言い方が、ずるい。

柔らかいのに、針が混じってる。

 

「私のこと好きだから?」

 

ピアットが一歩近づく。

ジャンの視界が、ピアットの顔で埋まる。

からかいのはずの言葉が、今日はやけに真ん中に刺さる。

 

ジャンは頭を抱えたまま、顔を伏せた。

逃げるみたいに。隠れるみたいに。

それでも、口が勝手に動いた。

 

「……そうだって言ったら、どうすんだよ」

 

小声だった。

誰にも聞こえないと思ったのに、ピアットにはちゃんと届いた。

 

ピアットが、固まった。

 

 

言葉が聞こえてこなかった。

いつもなら、ここで「やだ〜ジャンかわい〜♡」とか言って逃げるところだろ。

 

返事がないのが怖くなって、恐る恐る顔を上げる。

 

そこにいたのは、顔を赤くして手で隠してるピアット。

目も俺から逸らしてる。

 

――マジかよ、って思った。

からかいはねぇのか。今のは。

俺の小声、効いたのか?

 

ジャンは、間抜けみたいに見つめてしまった。

見つめて、口が勝手に言う。

 

「……なんで顔赤くしてんだよ」

 

自分も赤くなってるのに、気づかないふりをした。

ピアットは、顔を背けた。目を合わせない。逃げる。

 

「いや、だって……」

「だっても、何もねぇんだよ」

 

ジャンは呆然とした。

自分が何を言ってるのかもよく分からない。

ピアットが赤い。

 

……周りが静かだ。静かすぎる。

 

コニーが「お、おい……」って言いかけて、サシャに口を塞がれる。

マルコは気まずそうに目を伏せる。

エレンは「うわ……」みたいな顔で引く。ミカサの目が一瞬だけ鋭くなる。

アニだけは、「……くだらない」みたいに目を細めてるくせに、視線はちゃんと離さない。

 

その視線の圧に耐えられなくなったみたいに、ピアットは一歩下がり――

 

「……っ」

 

そのまま、逃げ出した。

軽い足音。いつもみたいに軽いのに、今日はやけに切羽詰まって聞こえた。

 

ジャンは反射で手を伸ばした。

止めるつもりだった。

でも、伸ばしただけで止めなかった。指先が空を掴んで終わる。

 

(……俺、何やってんだ)

 

周りがざわつく。

 

「え、今の告白?」コニーが小声で言う。

「シッ!コニー!」サシャが噛み殺した声で叩く。

マルコは「……ジャン……」って困った顔。

エレンは「お前ら、何してんだよ……」って呆れ半分、興味半分。

 

ジャンは頭を抱えたまま、立ち上がることもできなかった。

 

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