ジャン・キルシュタインが兵士をやめた日   作:an-ryuka

3 / 7
3.

 

その夜。

男子寮の暗闇は、昼よりうるさい。囁き声が増える。勝手に増える。

 

「なぁ、ジャン、お前……」

「うるせぇ」

「いや、でもさ……」

「寝ろ」

 

布団を被っても、思考は被れない。

 

(俺、告白したことになってる?)

 

いや、違う。

あいつが先に「好き」って言ってきたんだ。

俺は、それに……反応しただけだ。

……反応しただけって何だ。

 

(は?両思い?)

 

いや、あいつの「好き」は冗談だろ。

冗談だ。あいつはそういうやつだ。

……でも、今日は赤くなってた。

冗談の時の赤じゃない、あれは。

 

(じゃあ俺のも本気なのか?)

 

いや、別に本気で言ったわけじゃ……

……じゃないなら、なんで「どうすんだよ」なんて言った。

なんで心臓がまだうるさい。

なんで逃げた背中が、気になって仕方ない。

 

(……くそ)

 

 

翌朝。

 

ピアットは、一瞬ビクッとした。

食堂で目が合った瞬間、ほんの少しだけ肩が跳ねた。

でも次の瞬間には、いつもの顔、いつもの声を作る。

 

「ジャン、おはよ♡」

 

いつも通り、ふいっと寄って、腕に触れる。

くっついて、すぐ離れる。

いつものパターン。

 

違うのは、ジャンだった。

 

「……おう。おはよ」

 

それだけ。

たったそれだけなのに、ピアットの目が見開かれて、またビクッとする。

それから、照れたみたいに視線が泳いで、

でも嬉しそうに口角が上がった。

 

「……へへ」

 

小さく笑って、ピアットは逃げるみたいに去っていった。

いつもより少し早足で。

 

それを見ていたマルコが、そっとジャンの隣に来る。

優しい顔。気遣いの顔。

 

「……何かあったの?」

 

ジャンは答えない。答えられない。

代わりに、ぽつっと変なことを言った。

 

「……あいつ、あんなに可愛かったか?」

 

マルコが一瞬だけ笑った。

 

「彼女は、いつもと変わってないと思うよ」

 

そして、まっすぐに言う。

 

「変わったのは……ジャンじゃない?」

 

ジャンは目を逸らす。

図星だ。図星だから腹が立つ。

 

声のトーンを落として、別の話題に逃げるみたいに言った。

 

「……あいつ、調査兵団志望だって言うんだよ」

「……うん」

「何でなんだ?あんな所……死にに行くようなもんじゃねぇか」

 

マルコはすぐに返事をしなかった。

一拍、ちゃんと考える。そういう奴だ。

 

「理由は聞いた?」

「……聞いてない」

 

ジャンの声が、少しだけ小さくなる。

聞けなかった。聞こうとすると、昨日の赤い顔が思い出されるから。

 

マルコは静かに頷いた。

 

「なにか理由があるのかもしれないよ」

「……」

「彼女、冗談ばっかり言うけど……。

 嘘はついてないような気がするんだ」

 

ジャンの喉が鳴った。

嘘をつくタイプじゃない。

それはつまり、調査兵団が本気だってことだ。

 

(……くそ)

 

 

その日の午後。

ジャンは、少し離れた場所から、声を拾ってしまう。

 

エレンとミカサとピアットが、並んで話している。

ピアットは、いつもの軽いノリで、でも昨日より少しだけ丁寧な距離感で笑っている。

 

エレンが言う。

 

「お前も調査兵団志望なんだってな」

 

「そだよ〜。2人もだよね。これからもよろしく♡」

 

ピアットが手を振る。

エレンは「お、おう」と、嬉しそうに少し笑う。

ミカサは無表情のまま、ピアットを一度だけ睨むように見る。

 

エレンが首を傾げる。

「そういや、お前はなんで調査兵団なんだ?」

 

ピアットが「うーん」って唇に指を当てる。

考えるふり。

だけど、その目はどこか遠い。

 

「……2人は?」

 

エレンが即答する。

 

「巨人を一匹残らず駆逐するためだ!」

 

ミカサは迷いなく言う。

 

「私がいないとエレンは死ぬから」

 

ピアットが笑った。

くすっと。いつもの軽い笑い。

 

でもそのあと、視線が少しだけ遠くを見た。

壁の向こうじゃなく、もっと遠く。

 

「私はね……歴史が変わる瞬間を、この目で見たいの」

 

「歴史……?」エレンが眉を寄せる。

 

ピアットはそれ以上説明する気がないらしく、すぐに笑って流した。

 

「まぁ、いいじゃん。面白そうでしょ?」

 

その瞬間、ピアットの目がふっと動いて、少し離れた場所のジャンを捉えた。

聞いてたんだ?みたいな、ほんの小さな笑い。

 

ジャンは反射で、バッと目を逸らした。

見てない。聞いてない。

そういう顔を作る。作ってしまった。

 

 

――――

 

 

訓練兵団の最後の日は、拍子抜けするくらい普通に始まった。

 

空は青くて、風は乾いていた。

 

コニーは落ち着きなく肩を揺らしてる。

「明日から俺ら、憲兵団だぜ」

「美味しいもの、沢山ありますかね……へへ」

サシャは相変わらず食い物のことしか頭にない。

 

俺だって、明日から憲兵団なんだ。

 

ただ、

……ピアットの「調査兵団♡」の声が、まだ取れない。

あの時の赤い顔も、消えない。

 

なのに本人は、いつも通り笑って、いつも通り触って、いつも通り離れて、いつも通り冗談で全部を流して行った。

 

(……俺だけ引っかかってるみてぇじゃねぇか)

 

ジャンがぼんやりしてると、背中に軽い衝撃が来る。

 

「ジャン〜」

 

声。近い。

振り向く前に、腕に指が絡む。いつもの絡み方。

 

「何ぼーっとしてるの?緊張してる?」

「してねぇよ」

「ふーん?じゃあ、考えごと?」

「してねぇっつってんだろ」

 

ピアットはにやにや――じゃない。

今日は少しだけ、控えめに笑った。

 

それが余計に、ジャンの神経を逆撫でした。

 

「――お前、本当に、」

 

――その瞬間。

 

遠くで、地鳴りがした。

 

最初は誰も反応できなかった。

訓練で鳴らす合図でもない。雷でもない。

何かが崩れる音が、時間差で響いてくる。

 

近くに居た全員が一斉に、音の方を見る。

 

――壁から、黒い煙が上がっていた。

 

 

――――――――

 

 

「訓練兵も持ち場へ!装備!走れ!」

そう叫んでその人は、すぐに立体機動装置で飛び立って行った。

 

 

足が動かないやつがいる。

恐怖で固まるやつがいる。

訓練の中でしか命令を聞いたことがない連中が、初めて命令が命を左右する空気に飲まれている。

 

ジャンは、自分でも驚くくらい大きな声を出した。

 

「おい!!聞こえねぇのか!!動け!!」

 

声が割れる。

怒鳴り声で、自分の心臓のうるささを黙らせるみたいに。

 

「ここで突っ立ってたら人が食われる!!やるしかねぇんだよ!!」

 

誰かがはっとする。

誰かが息を吸う。

マルコが一歩出て、頷く。

コニーが「クソ!」って叫んで走り出す。

サシャが顔を強張らせたまま動きだしま。

 

「ジャン……」とマルコが言いかけた、その時。

 

「そうだね?」

 

声が近い。

ジャンが振り向くと、ピアットがいた。

 

笑ってる。

笑ってるのに、目は妙に澄んでいた。

現実味がないはずの女が、現実の真ん中に立ってる。

 

ピアットは、なんてことないように、ジャンへ寄ってくる。

距離が詰まる。

ジャンが「お前、なに――」と言う前に、

 

ちゅ。

 

軽い音。

唇に触れたのは、一瞬で、熱だけが残った。

 

ジャンの脳が止まる。

世界が遅くなる。

鼓舞の声も、悲鳴も、地鳴りも、一瞬遠のく。

 

ピアットは平然と、笑った。

 

「また会おうね?」

 

そう言って、振り分けられた持ち場へ走っていく。

その背中が、あまりにも軽くて――ジャンは息ができなくなった。

 

(……今、何した?)

 

言葉が出ない。

出ないまま、周りの訓練兵たちがその一部始終を見ていたことに気づく。

 

コニーが口を開けたまま固まってる。

サシャが目を丸くして、次の瞬間「今の何!?」って顔。

マルコが一瞬だけ驚いた顔をして、それからすぐ真面目な顔に戻った。

 

――やらなきゃやられる。

今ここで、誰かが崩れたら、全員崩れる。

 

ジャンは歯を食いしばって、声を絞り出した。

 

「……行くぞ!!」

 

考えるのは後だ。

今は生き残る。生き残ってから、殴るなり抱きしめるなり、好きにすればいい。

 

ジャンは立体機動装置を締め直し、刃を確かめ、走った。

 

 

 

 

戦闘は、訓練の延長じゃなかった。

 

匂いが違う。音が違う。

人の足音が、命の音になる。

叫び声が、すぐ消える声になる。

 

巨人は、想像より遅くて、想像より速い。

のろいくせに、届く。

一瞬目を逸らしただけで、もうそこにいる。

 

「固まるな!屋根使え!」

 

そんな叫びの合間に、ジャンの目は勝手に走る。

 

(……ピアットは)

 

視界の端。屋根の上。煙の向こう。

ダメだと思っても、探してしまう。

 

でも――いない。見えない。

 

(くそ……!)

 

仲間が落ちる。

悲鳴が途切れる。

一人、二人、三人。

訓練で隣にいた奴らが、たった数秒でいなくなる。

 

ジャンは考えるのをやめた。やめないと壊れる。

生きるための最短手順だけを選ぶ。

 

 

 

 

なんとか壁上へと戻ってきた。

手は震えて、脚が笑ってる。

 

ピアットは、見当たらない。

 

ジャンは、喉の奥が凍るのを感じた。

焦ってるのがバレたくない。

自分だけが必死みたいに見えるのが怖い。

でも、我慢できない。

 

ジャンは、できるだけ平然とした声を作って、近くの兵に聞いた。

 

「……ピアット、どこかで見なかったか?」

 

自分でも分かる。声が硬い。

 

そいつは呆然とした目で、少し遅れて答えた。

 

「……え、えっと……しばらく前ですけど……あっちの方で見ました……」

 

見ましたの後ろに、言葉が続かない。

生きてる、とも、死んだ、とも言えない状況。

 

ジャンの胃がきゅっと縮む。

周りの視線が一瞬ジャンに集まる。

そいつは生きているか、死んでいるか。

死んでる可能性の方が高い……。

 

(……うるせぇ)

 

ジャンは何も言わず、その方向へ歩き出した。

 

瓦礫。煙。血の匂い。

叫び声が遠のいて、代わりに、静かすぎる音が増える。

 

(やめろ、考えるな)

 

探す。探す。探す。

名前は呼ばない。呼んだら惨めになる気がした。

 

その時、背後から声がした。

 

「……ジャン?」

 

振り向く前に分かった。

その軽さ。語尾。空気の抜け方。

 

ジャンが振り向くと、ピアットがいた。

 

煤が頬に付いて、髪が少し乱れてる。

でも目は生きてる。体も動いてる。

生きてる。

 

その事実だけで、ジャンの膝が一瞬だけ抜けそうになる。

 

ピアットはケロッと笑って、近づいてくる。

 

「私のこと、探してくれたの〜?」

 

いつもなら腹立つ言い方。

でも今は――腹が立つより、胸が詰まる。

 

ジャンは何か言おうとして、言葉が出なかった。

 

ピアットは笑ったまま、ふとジャンの顔色を見て、笑いを引っ込めた。

表情が落ちる。真面目になる。

 

「……ジャン?大丈夫?」

 

その「大丈夫?」が、妙にちゃんと刺さった。

今までの冗談よりずっと。

 

ジャンは考えるより先に、手を伸ばした。

 

抱きしめた。

 

自分でも驚くくらい強く、腕が勝手に回った。

ピアットが「えっ」と声を漏らして固まる。

一瞬、息が止まる。

 

ジャンは抱きしめたまま、何も言えない。

言ったら崩れる。

よかったって言ったら、今までの自分が全部ひっくり返る。

 

ピアットは、動かない。

冗談も言わない。

ただ、腕の中にいる。

 

ジャンはようやく言葉が形になる。

 

「……調査兵団志望なのは、変わらないのか」

 

声が低い。震えてないふりをした声。

でもたぶん、震えてる。

 

ピアットは少しだけ間を置いて、静かに答えた。

 

「うん。調査兵団行くよ」

 

ジャンの喉が鳴った。

こんなに人が、こんなに簡単に死ぬ世界に、自分から行く。

その現実が、昨日までよりずっと怖い。

 

ジャンは抱きしめたまま、息を吐いた。

長く。深く。

吐き出しながら、頭の中で勝手に考える。

 

――ジャンは向いてると思うよ。

マルコの言葉が、頭の中で響く。

 

(……やれるやつがやるべきだ)

(俺は、やれる)

(……こいつも、多分やれる)

(なら、やるべきなんだ)

 

ピアットは、邪魔をしない。

動かず、話さず、抱きしめられてる。

その静けさが、ジャンの覚悟を固める。

 

ジャンは、言った。

 

「俺も……調査兵団行く」

 

ピアットの肩がぴくっと動いた。

それから、そっと腕が回って、ジャンの背中を抱き返す。

 

「うん」

 

その声が、ふわっと甘いのに、今は軽くなかった気がした。

ジャンは顔をしかめて、最後の抵抗みたいに吐き捨てる。

 

「……お前のためじゃねぇからな」

「知ってるよ」

 

ピアットが小さく笑う。ふふ、と。

さっきの瓦礫の匂いの中で、ありえないくらい穏やかな笑い。

 

ジャンは抱きしめたまま、目を閉じた。

あの時のキスより、今の抱擁の方がよっぽど怖い。

逃げ道がない。

 

遠くで誰かが泣いてる。誰かが名前を呼んでる。

 

ジャンは目を開けて、ピアットの肩越しに空を見た。

煙で曇った空。

そこに、自分の未来がある。

 

(……調査兵団なんて、死に急ぐための場所だ)

 

でももう、決めた。

 

ピアットはジャンの胸元で、いつもの調子に戻すみたいに囁く。

 

「ねぇジャン」

「……なんだ」

「また会えたね」

 

ジャンは返事をしなかった。

代わりに、抱きしめる腕に少しだけ力を込めた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。