ジャン・キルシュタインが兵士をやめた日   作:an-ryuka

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4.

 

調査兵団に配属された。

だからといってすぐ、いきなり壁外に出るわけじゃない。

 

まずは座学。

壁外調査時の陣形、伝令、補給、撤退の基準、巨人の行動パターン。

 

先輩達の声はそれを当然として教える。

当然として、死ぬ前提で組む。

 

ジャンは黙ってメモを取る。

手が震えても、書く。震えてるってバレるのが嫌で、余計に強くペンを握る。

 

席は、自然と――自然と、というのが腹立つくらい自然に、ピアットの近くになった。

 

隣。近い。

腕一本ぶんくらいの距離。

彼女がくっつこうと思えばくっつける距離。

でも、離れようとは思えなかった、

 

「ジャン、字きれいだよね〜」

 

軽い声。

いつもの声でピアットは覗き込む。

 

「……うるせぇ。今それどころじゃねぇ」

 

ピアットが「確かに?」って小さく笑って、教本に視線を落とす。

その横顔がやけに真面目で、ジャンは目を逸らした。

 

座学だけじゃない。

調査兵団の手伝いも始まった。

 

物資運び。鞍の整備。刃の点検。倉庫の整理。

どれも地味で、どれも大事で、そして全部が「次の外」に繋がっている。

 

 

――――

 

 

倉庫から資材を運ぶ途中、ジャンはピアットを見つけた。

 

彼女は両腕に、木箱を二つ抱えていた。

箱は彼女の胸元まで隠すくらい大きくて、足元が見えてない。

本人はけろっとしてるが、……それ危ねぇだろ。

 

ジャンの口が勝手に動いた。

 

「おい。貸せ」

 

ピアットがきょとんとする。

 

「え? いいよ、持てるし」

「……落としたらどうすんだ」

 

ジャンは有無を言わさず二箱をそのまま奪う。

箱の重みが腕にずしっと来る。

その瞬間、ピアットの顔が心配そうに歪む。

 

「……ジャン、どうしたの」

 

は歩き出しながら、ぶっきらぼうに返す。

 

「何でもねぇ」

「何でもなく無さそうだから、聞いてるんだけど……」

 

ピアットが、半歩遅れてついてくる。

覗き込むみたいに顔を寄せようとして、でも以前ほど距離を詰めてこない。

迷ってる。様子見してる。困ってる?

 

ジャンはそれが妙に居心地悪くて、でも嫌じゃなかった。

嫌じゃないのが、もっと居心地悪い。

 

倉庫の扉の前で、ジャンが箱を下ろす。

ピアットが「ありがとう」と言いかけて、言い終わる前にまた止まる。

 

「……ねぇ、ジャン」

「なんだよ」

 

ピアットは言葉を探してる顔をした。

からかいの言葉じゃなく、軽い冗談じゃなく、本当に言いたいことを選んでる顔。

 

「……何考えてるの?」

 

ジャンは答えない。

 

答えたら、抱きしめた感触が。

答えたら、あの日のキスの熱が。

答えたら、自分が自分じゃなくなる気がする。

 

「何でもねぇって」

 

ジャンはそれだけ言って、また歩き出す。

 

……でも。

 

ピアットがすぐ歩き出さなかった。

足音がついてこない。

不安になって、ジャンは振り返る。

 

ピアットはその場に立ったまま、ちょっと困った顔でジャンを見ていた。

取り残されたみたいな顔。

でも、責める顔じゃない。

 

ジャンは舌打ちしそうになって、それを飲み込んだ。

 

「……置いてかねぇよ」

 

そう言って、黙って待つ。

ピアットが「……うん」と小さく言って、ようやく追いついてくる。

 

その瞬間、ジャンの胸の奥が少しだけ軽くなる。

軽くなるのが、怖い。

 

 

 

 

ピアットは、変わった。

 

というより、変わらされた。

 

からかいが減った。

突然抱きつく回数も減った。

減ったのに、目だけはよくジャンを見る。

視線だけは、逃げない。

 

ジャンはそれが落ち着かなくて、逆に自分から言ってしまう日が増えた。

 

廊下。壁の地図が貼られた掲示板の前。

二人で次の座学の資料を運びながら歩いていたとき、ピアットが珍しく、ちゃんと距離を取って歩いていた。

 

ジャンは数歩黙って――急にムカついた。

 

(なんでだよ。避けられてるみたいじゃねぇか)

 

自分が避けてたくせに。

自分が振り払ってたくせに。

今さら何言ってんだ、って分かってるのに、口が勝手に出る。

 

「……もう腕組まねぇのかよ」

 

声が、拗ねていた。

自分でも分かるくらい、拗ねていた。

 

ピアットが足を止める。

ぱち、と目を瞬く。

それから、顔がじわっと赤くなる。

 

「……嫌なんじゃなかったの?」

 

ジャンも止まる。

心臓が、余計なタイミングで鳴る。

 

「嫌じゃねぇよ」

 

言い切ってから、遅れて恥ずかしさが来る。

でも引けない。引いたら負けだ。何に負けるかは知らないけど。

 

ジャンは視線を逸らしたまま、ぼそっと付け足した。

 

「……最初から」

 

ピアットが、息を飲む。

声が出ない。

代わりに、彼女の腕が、するっとジャンの腕に通る。

 

ぴと。

いつもの絡みかたじゃない。

くっつく、じゃなくて、寄り添うような。

 

ジャンは、振り払わなかった。

そのまま歩き出す。

 

ピアットが、わざとらしく軽い声を作る。

 

「……私のこと好き?」

 

からかう言い方。

でも、目がからかってない。

ジャンは足を止めた。

 

ピアットも止まる。

廊下の音が一瞬だけ遠のいて、二人の呼吸だけが近くなる。

 

 

ジャンが口を開こうとした、そのとき――

 

遠くから、聞き慣れた騒がしい声が飛んできた。

 

「おーい!お前らイチャついてんなよ!」

「はやくしてください!それで最後なんですから!」

 

コニーとサシャだ。

あいつらは空気を読む時と読まない時の差が激しすぎる。

今は読まない時だ。

 

ピアットは少し躊躇ってから腕をスルッと離した。

少し名残惜しそうな離れ方なのが胸に来る。

ジャンは、苛立つように二人に向かって怒鳴り返す。

 

「うるせぇな!!少しは待てねぇのかよ!!」

 

コニーが「待ってる待ってる!」と適当に手を振り、サシャが「ジャン、顔赤いですよ!」と余計なことを叫ぶ。

ジャンの顔がさらに赤くなる。

 

「赤くねぇ!!黙れ!!」

 

ピアットが、隣で口を押さえて笑った。

控えめに。小さく。

でも、嬉しそうに。

 

その笑いが、ジャンの胸の奥をくすぐって、同時に痛くする。

 

ジャンはぶっきらぼうに言った。

 

「……行くぞ」

「うん」

 

ピアットが頷いて、ちょっとだけ近づいて歩き出す。

腕は組まない。

でも、肩が触れそうな距離。

 

ジャンは、歩きながら、さっき言いかけた言葉を飲み込んだ。

騒がしい方へ、わざと何でもないふりをして歩いていった。

 

 

――――――

 

 

壁外に出る機会はすぐに訪れた。

座学で覚えた長距離索敵陣形。信煙弾の色。合図の意味。

 

――全てを無に帰す異業種。

 

女型の巨人が現れ、元の陣形が崩れた。

 

巨大樹の森で同期が集まった後、

ジャンはそこで初めて、ピアットの巨人との戦い方をまともに見た。

 

怖がってない。

というより、怖さが動きに混ざってない。

訓練のときと同じテンポで飛んで、同じ角度で回って、同じ手順で刃を入れようとする。

 

……楽しそうにすら見える瞬間があった。

 

(何だよ、それ)

 

周りが死んでる。

叫び声が途切れてる。

血の匂いがする。

なのにピアットは、やけに澄んでいた。

 

ピアットが巨人のうなじを狙って飛んだ瞬間、別の巨人が横から腕を振った。

ピアットの軌道がずれ、空中で体勢が崩れる。

次の瞬間、巨人の口が開く。

 

(――やばい!)

 

ジャンの身体が先に動いた。

ワイヤーを撃ち込み、引き寄せ、刃を抜く。

巨人の顎が閉じる寸前、ジャンの刃がうなじに刺さって、巨人が崩れた。

 

ピアットは空中で回って着地する。

息を一つ吐いて、振り返って――

 

「ありがと〜♡」

 

……いつもの笑顔。

いつもの軽さ。

ジャンは怒鳴り返したくなるのに、喉が詰まる。

 

「ふざけんな……!今の、あと一瞬で――」

「うん。助けてくれてありがと?」

 

ピアットが、まるで当たり前みたいに言った。

 

ジャンの胸が、変な音を立てた。

 

(やめろよ、そういうの)

 

 

 

 

帰還後の空気は、重かった。

帰ってこられなかった名前が多すぎる。

 

誰かが泣く。誰かが吐く。誰かが笑いそうな顔で固まる。

生き残った者同士が目を合わせられない。

 

ジャンは、背中がずっと張り付いたみたいに重かった。

心臓が落ち着かない。

耳の奥で、あの巨人達の音がまだ鳴っていた。

 

ピアットは、神妙な顔をしていた。

周りに合わせて、ちゃんと悲しそうな顔を作っている。

でも――ジャンには分かってしまった。

 

その顔は、形だけだ。

中身がついてきていない。

 

(……お前、何だよ)

 

腹が立つ。

怖い。

羨ましい。

全部が混ざって、舌が苦い。

 

ジャンは、夕方の薄暗い廊下で、ピアットを呼び止めた。

人の少ない場所。声が響く場所。逃げられない距離。

 

「……おい」

 

ピアットが振り向く。

「なに〜?」といつもの調子で返そうとして

――ジャンの顔を見て、少しだけ口を閉じた。

 

ジャンの声は震えていた。震えてるのが自分でも分かる。

でも止められない。

 

「……お前、なんとも思わねぇのかよ」

 

ピアットが瞬きする。

 

「……なんのこと?」

 

その返しが、ジャンをさらに追い込んだ。

怒鳴りたいのに、喉が詰まる。

怒鳴ったら崩れるのは自分の方だ。

 

「真面目に答えろよ」

 

ジャンは一歩詰める。

ピアットが一歩下がろうとして、でも止まる。

 

「人があんなに死んで……お前だって死にそうだったんだぞ」

 

声がひび割れる。

 

「……なんで、そんなに、いつも通りで……笑っていられるんだよ」

 

最後はほとんど吐き出しだった。

怒りというより、助けを求めるみたいな声。

 

ピアットは黙った。

一拍、二拍。

それから、困ったみたいに――悲しそうに、笑った。

 

「……バレちゃったか」

 

ジャンが混乱した顔になる。

 

「……は?バレたって、何がだよ」

 

ピアットは、少し考えるみたいに視線を落として、言葉を拾う。

 

「……普通じゃないこと?」

 

自分でも確信がないみたいな言い方だった。

私はおかしい?って、自分に問いかけてるみたいに。

 

ジャンは、思わず言ってしまう。

 

「……いや、お前は最初から普通じゃねぇだろ」

 

突っ込みのつもりだった。

でも声に棘が混ざってしまって、ピアットの眉が一瞬だけ揺れる。

 

それでもピアットは、あはは、と笑った。

乾いた笑いじゃない。

でも、どこか遠い笑い。

 

そのまま、ピアットが近づいてくる。

 

ジャンは反射で少し後ずさる。

怖いからじゃない。

近づかれると、自分の中の何かが崩れるのが怖い。

 

ピアットは気にせず、ジャンの手を取った。

指先が温かい。現実の温度。

そのまま顔を寄せてくる。

 

息が近い。

唇が近い。

 

――キスする寸前で、ピアットが止めた。

 

止めて、笑った。

 

「……ジャンのこと好きなのは、本当だよ?」

 

からかいの形を借りた、本音。

逃げ道のない言葉。

 

ジャンは視線を逸らした。

怖いのは、キスじゃない。

 

「……俺は、お前が怖ぇよ」

 

ピアットの笑いが少しだけ溶けた。

彼女はジャンの首元に顔を埋める。擦り寄るみたいに、ぬくもりに逃げるみたいに。

 

「……そんなジャンが、私は好きかな」

 

声が小さい。

いつもの軽さが薄い。

 

「……普通じゃなくて、ごめんね」

 

その謝り方が、胸に刺さった。

直せないって言ってるみたいで。

 

ジャンは、ゆっくり息を吐いた。

怒鳴る代わりに、腕を動かした。

 

ピアットの背に手を回す。

抱きしめる。強く。逃げられないくらい。

 

「普通じゃなくても、別にいい」

 

自分でも驚くくらい、静かな声だった。

優しい声を出すのが、怖い。

でも、出したかった。

 

ジャンはさらに言う。喉が詰まりながら。

 

「……頼むから、生き急がないでくれよ」

 

抱きしめる力が少し強くなる。

骨が折れない程度に、でも離す気がないって伝われとでも言うかのように。

 

ピアットの腕が、遅れてジャンの背に回った。

ぎゅっと抱き返す。

 

(大丈夫。ジャンはきっと生き残るから)

 

 

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