ジャン・キルシュタインが兵士をやめた日 作:an-ryuka
それから数日後。
壁には地図。机の上には資料。
部屋を掃除する空気は妙に落ち着かない。
落ち着かないのは当然だ。
正気で考えれば、落ち込むしかない。だから、変なところで余計な話をしたくなる。
コニーが、その余計な話を最悪のタイミングで投げた。
腕を組んで椅子にもたれたまま、やけに真顔で言う。
「……なぁ、ずっと気になってたんだけどさ」
全員の視線がコニーに向く。
エレンが「何だよ」とぶっきらぼうに返し、アルミンが少し身構える。
コニーは一拍置いて、空気を読まずに言い切った。
「お前ら、付き合ってんの?」
空気が止まった。
コニーの視線は、ジャンとその隣に当然のようにいるピアットへと向く。
今それ言う?っていう疑問が、全員の顔に浮かぶ。
でも同時に、全員の目の奥に興味が灯る。
まともに考えたら、沈むだけだ。
だから、こういうくだらない話題に飛びつく。
薄々は察してた。けど、実際どうなのか分からない。本人たちもはっきり言わない。
だから、気になる。
全員の目が、ジャンとピアットに集まった。
サシャが次の瞬間には口を手で押さえてワクワクした顔になる。
エレンは「は?」って顔で嫌そうに眉をひそめ、ミカサは表情を変えないままジャンを一度だけ見た。
アルミンは「今じゃなくても…」と言いたそうな顔をして、でも興味を抑えきれない。
そして――ピアットも、ジャンを見る。
それがジャンの神経を逆撫でした。
「……は? なんでお前もこっち向くんだよ!」
ジャンが思わず突っ込むと、ピアットは肩をすくめて、いつもの軽い調子で言った。
「だってさ〜。私は好き好き〜ってずっと言ってるじゃん?」
さらっと言う。
さらっと言うくせに、目が逃げない。
「付き合ってるかどうかは……ジャンの判断かなって」
その言葉が、ジャンの喉を塞いだ。
判断って何だよ。
俺が決めるのかよ。
ジャンが言葉に詰まった瞬間、部屋が一気にうるさくなる。
サシャが身を乗り出す。
「えっ、それって……告白の返事、ずっと保留してるってことですか?」
コニーが即座に乗る。
「うわ、サイテーだな!ジャン!」
エレンは「お前ら本当に今それどころじゃねぇだろ」と言いながら、目はしっかりジャンを見て、
ミカサは無表情のまま、一言だけ落とした。
「ジャンが悪い」
「おいミカサまで!?」とジャンが反射で噛みつくと、アルミンが慌てて間に入る。
「ま、待って!ジャンにも考えがあるんだよ。そうだよね?……たぶん」
そのたぶんが刺さる。
フォローのはずなのに、余計に追い詰められる。
ジャンはそれに乗ろうとした。
言い訳でも、説明でも、とにかく何かを言ってこの空気を終わらせたかった。
「ちげぇ、そうじゃ――」
でも、その前にピアットが先に口を開いた。
「……でも、別に返事いらないかな」
ふわっとした声だった。
明るい冗談みたいな声じゃない。
投げやりとも違う。
ただ、静かに、諦めたみたいな声。
目線は窓の外。
外の光を見てるふりをして、誰の目も見ない。
ジャンの目が開く。
「……は? なんだよそれ」
声が荒くなる。
荒くなるほど、焦ってるのがバレる。
ピアットは肩をすくめる。
拗ねたみたいに、でも笑わずに。
「別にぃ……」
それだけ言って、ジャンから離れていく。
誰も止めない。
止められない。
止めたら、この部屋の全員が現実の話に戻らなきゃいけないから。
ピアットはそのまま、部屋を出ていった。
ジャンは置いていかれた。
残った全員の視線が、いっせいにジャンへ刺さる。
さっきまで騒いでたのに、今は誰も声を出さない。
コニーが気まずそうに頭を掻いて、
サシャが「えへへ…」と笑って誤魔化し、
アルミンが「ジャン…」と困った声を出す。
エレンは「知らねぇ」と言いながら目を逸らし、
ミカサはもう興味を失ったみたいに窓の方を向いた。
それぞれが、それぞれのタイミングで部屋を出ていく。
一人になる。
「はぁぁぁぁぁぁ????」
ジャンの喉から、信じられない声が漏れた。
(何だ今の)
(俺、悪者になってるじゃねぇか)
(返事いらないって何だよ)
(要るだろ)
(……要る、って俺が思ってんのがまずおかしいのか?)
頭がぐちゃぐちゃになる。
追いかけたい。
でも、足が動かない。
今追いかけたら、さっきの質問に答えを出すことになる。
いや、タイミングが無いだけなんだ。
……俺は別に。
そう考えていると、扉が開いた。
リヴァイ兵長が入ってくる。
「……どうして誰もいない」
ジャンへと顔を向ける。
「お前だけか」
ジャンが顔を上げると、リヴァイは真顔でジャンを見た。
……目が全然軽くない。
「……恋人と揉めたらしいな」
恋人……!?とジャンが顔に出す前にリヴァイは続ける。
「大事なら伝えた方がいい」
ジャンが口を開きかける。
「……別に、そういうんじゃ――」
リヴァイは遮る。
「調査兵団はいつ死ぬか分からない」
淡々とした声。
「明日じゃなくて今日かもしれない。次の瞬間なこともある」
持っている掃除用具が音を立てた。
その音が、やけに重い。
「後悔するやつは、たいてい言わなくても分かるって顔して死んでいく。分かるわけないだろ。人間なんて」
ジャンは黙った。
反論できない。
マルコのことが浮かんだ。
巨人でもなく、なんで死んだかも分からない。
失ってから気づく言葉。
リヴァイは言葉を続ける。
「この世界は残酷だ。せめて悔いのないようにしろ」
そのまま窓枠に指をなぞる。
「ッチ。全然出来てないじゃねぇか」
ジャンはしばらく、その場で固まる。
リヴァイ兵長の言葉で嫌でも思い出す。
巨人の足音。
女型に、信煙弾、悲鳴。
ピアットの「また会おうね?」
(……俺は、何をやってんだ)
息を吸う。
吐く。
胸の奥が痛い。
「……リヴァイ兵長、俺!」
「ここは俺がやる。次の場所は他の奴らに聞け」
「了解です!ありがとうございました!!」
足が勝手に、動き出す。
何を言うかは、まだ決まってない。
でも――言わないままにするのだけは、もう嫌だった。
――――――
倉庫の一角で、ピアットを見つけた。
ジャンは足を止めた。
呼びかけるべきなのに、喉が動かない。
さっきの部屋の空気。みんなの視線。
――返事いらないかな。
ピアットの言葉がまだ胸の奥で、刺さったまま抜けない。
ジャンは拳を握って、息を吐いて、
歩き出した。
「……おい」
声が、思ったより低く出た。
ピアットはハッと振り向く。
いつもの笑顔を作ろうとして、作り切れてない顔だった。
口角は上げてるのに、目が笑ってない。
「なに〜?ジャン。
ジャンも一緒にここの掃除する〜?」
軽い声。
軽い言い方。
いつものピアット。
「……さっきの」
ピアットの目が一瞬だけ揺れる。
揺れて、すぐ平気なふりに戻る。
「さっきのって?」
「返事いらない、とか言ったやつだ」
ピアットが肩をすくめる。
「……ジャン、みんなの前で言うの、向いてないかなって」
「そういう問題じゃねぇ」
ジャンの声が荒くなる。
荒くなるほど、焦ってるのがバレる。
でも止められない。
「……お前、勝手に言って、勝手に引っ込めて、勝手に帰ろうとすんじゃねぇよ」
ピアットの瞳が、少しだけ細くなる。
「じゃあ、ジャンはどうしたかったの?」
「……知らねぇよ」
「知らないんだ」
ピアットは笑った。
軽い笑い。なのに、その笑いが刺さる。
「知らないなら、別にいいじゃん」
その言い方が、あまりにも置いていく言い方で、ジャンの腹の底が熱くなる。
置いていくのは、いつも自分の方だったくせに。
ジャンは一歩詰めた。
ピアットが反射で半歩下がって、でも窓枠に背中が当たって止まる。
「……なぁ」
ジャンは自分の声が震えそうになるのを、歯を食いしばって抑えた。
「お前、さ。調査兵団だろ」
「うん」
「いつ死ぬか分かんねぇんだぞ」
ピアットが視線を逸らして、窓の外を見た。
壁の内の空。平和そうな色。
それが逆に腹立たしい。
「分かってるよ」
「分かってねぇ」
ジャンが吐き捨てるみたいに言うと、ピアットの眉がわずかに動いた。
「……分かってるってば」
「分かってるなら、なんであんなこと言うんだよ」
ジャンは言葉を探して、見つけられなくて、乱暴に続けた。
「返事いらないって。……ふざけんな。いるだろ」
言った以上、もう隠せない。
ピアットが、目を見開く。
それから、ゆっくり息を吐く。
「……ジャンさ」
「なんだよ」
「怖いんでしょ?」
ピアットの声が、さっきより静かだった。
からかいじゃない。冗談じゃない。
核心を撫でるみたいな言い方。
「私の返事じゃなくて、自分の気持ちが」
ジャンの胸が、どく、と鳴る。
図星だ。
怖い。
ミカサを見てた頃の自分より、ずっと怖い。
だってこれは、逃げる場所がない。
ジャンは目を逸らす。逸らして、言ってしまう。
「……怖ぇよ」
ピアットの表情が、少しだけ柔らかくなる。
でも、喜ばない。
ただ、じっと待つ。
ジャンは続けた。
続けないと、このまま終わってしまう気がした。
「お前が……軽い顔して、死ぬかもしれねぇところに行くのが、ムカつく」
「うん」
「ムカつくのに……」
喉が詰まる。
心配なんて言葉にすると、自分が弱く見える。
でも、もう遅い。
「……放っとけねぇんだよ」
ピアットが瞬きした。
それだけで、ジャンの胸の奥が勝手に熱くなる。
「それって」
「違ぇ。変な意味に取るな」
ジャンは反射で否定した。
否定したくせに、次の言葉が出ない。
否定するなら、何なんだ。じゃあ。
ピアットが、ほんの少しだけ口元を曲げる。
笑いそうで、笑わない。
「ねぇジャン」
「……」
「私、返事いらないって言ったの、本音半分だよ」
ジャンが眉をひそめる。
「は?」
「だってさ」
ピアットは窓の外を見たまま言った。
視線を合わせない。合わせたら崩れるみたいに。
「返事もらったら、嬉しいでしょ」
「……当たり前だろ」
「でも」
そのでもが落ちる。
重い。
「嬉しい分、怖いのも増えるじゃん」
ジャンの喉が鳴る。
ピアットは小さく笑って、肩をすくめた。
「冗談のままなら、死んでも……まあ、って」
その言い方が、ジャンの神経を逆撫でして、同時に胸をえぐった。
死んでもまあなんて言うな。
言うなよ。
ジャンは、考えるより先に手を伸ばした。
ピアットの肩を掴む。
「……そういうの、やめろ」
ピアットが息を呑む。
ジャンの手の温度に驚いたみたいに。
「やめろって何、死ぬのやめろって?」
「そうだよ」
ジャンが即答する。
即答してしまって、照れ隠しに舌打ちする。
「……少なくとも、俺の前で諦めた顔すんな」
ピアットがゆっくりジャンを見る。
「……ジャンって、ほんと、そういうとこだよね」
「うるせぇ」
ジャンは掴んだ肩を離さない。
離したら、この会話ごと逃げそうで。
「で、どうするの?」
「……何をだよ」
「付き合うの?」
ストレートに言われて、ジャンの顔が熱くなる。
逃げ場がない。
「そういう言い方すんな」
「じゃあ、どういう言い方?」
ピアットが笑うのをこらえるみたいに口を押さえて、でも目が優しい。
その目を見たら、ジャンの腹が決まってしまった。
ジャンは、ぶっきらぼうに言った。
「……付き合うって言葉が合ってんのか知らねぇけど」
「うん」
「お前のことは……その……」
喉が詰まる。
単語が口に引っかかる。
言ったら終わる。でも、言わないと始まらない。
「……好きだ」
声が小さかった。
でも、はっきり聞こえるくらいの声だった。
ピアットの目が見開かれて、頬がじわっと赤くなる。
前みたいに手で顔を隠しそうになって、でも今度は隠さないで堪える。
「……今さら?」
「黙れ」
ジャンは耳まで赤くして、投げやりに続けた。
「だから、返事いるに決まってんだろ。お前が勝手にいらないとか言うな」
「……うん」
ピアットの返事は、やけに静かだった。
ピアットが視線をあげる。
ジャンの目と絡み合う。
「私は、ジャンが好き」
「……知ってる」
「知ってるのに、ずっと逃げられてた」
「うるせぇ」
ピアットが笑う。
今度は、ちゃんと笑う。ジャンを見て、嬉しそうに。
ジャンの心臓が跳ねる。
ピアットは少しだけ迷って
――それから、ジャンの頬にちゅ、と軽く口づけた。
「……好き」
ジャンの喉が動く。
何か言おうとして、言えない。
代わりに、掴んでいた手に少し力が入る。
ピアットが小声で続けた。
「返事いらないとか言ってごめんね?」
「……ほんとにな」
「えへへ」
その「えへへ」が、久しぶりにいつものピアットで、ジャンの胸が少しだけ楽になる。
遠くで、誰かの足音が近づいてくる。
人が来る気配。
調査兵団の建物は、静かだから足音がよく響く。
ピアットが「誰か来る」と目で言って、そっと一歩離れた。
離れたのに、手は指先だけ繋いだ。
ジャンはその指先を見て、ぼそっと言った。
「……繋ぐのかよ」
「ダメ?」
「……別にいい」
「うん♡」
それだけで、ジャンは少しだけ笑いそうになって、慌てて真顔に戻した。
ちょうど角からアルミンが顔を出す。
「ジャン?ピアット?探して――」
二人の距離と、繋がった指先を見て、アルミンの言葉が一瞬止まる。
すぐに「……あ」と察した顔になる。優しい察し方。
「……時間、取れた?」
「うるせぇ」
「ご、ごめん」
アルミンが慌てて視線を逸らす。
その奥で、コニーの声がする。「おいアルミン、いたか!?」
サシャの「どこですか〜!?」が続く。
ジャンは舌打ちして、繋いだ指先を一度だけぎゅっと握ってから、手を放した。
放したくないのに放す、その動きがジャンらしくて、ピアットが小さく笑う。
「行こっか、ジャン」
「……ああ」
ジャンは一歩歩き出して、すぐ振り返った。
「……おい」
「なに?」
「……あとで、腕組め」
ピアットが目を丸くして、それから、照れたみたいに頷いた。
「はーい♡」
その返事の甘さに、ジャンは「調子乗るな」って顔をしたまま歩き出す。
でも歩幅は、さっきより少しだけ揃っていた。