ジャン・キルシュタインが兵士をやめた日 作:an-ryuka
やっと来た休日。
色々あった。
ライナーとベルトルトはユミルとエレンを連れて壁の外へと逃げ出すし、
リヴァイ班として配属されたと思ったら、壁内の憲兵団と殺し合う羽目になった。
超大型巨人以上の大きな超超大型巨人を、実は女王だったとかいうクリスタ、もといヒストリアが討伐した事にして、ヒストリアは女王に即位した。
休日、と呼ぶには薄っぺらい。
エレンが硬化能力を手に入れたことにより、それをつかいこなせられるようになり次第、すぐにウォールマリア奪還作戦が始まる。
ただ今日は、1日だけ、自由時間だった。
ジャンは、目的の場所まで歩く。
ピアットは、門の近くで壁にもたれていた。
いつものニヤニヤは薄い。目の下にうっすら影。
それでも、ジャンを見つけると、反射みたいに口角が上がる。
「ジャン。奇遇〜」
奇遇なわけがない。
「……奇遇じゃねぇだろ」
ジャンがそう言うと、ピアットはくすっと笑った。
笑いながら、わざとらしく両手を広げる。
「じゃあ、運命♡」
ジャンは鼻で笑おうとして、できなかった。
今日の自分は、うまくいつもの自分に戻れない。
ピアットが一歩寄る。
ジャンが一歩、寄る。
その距離で、呼吸の温度が分かる。
それが怖い。
それが欲しい。
ピアットが首を傾げた。
「……どうしたの? 急に静か」
その一言で、ジャンの腹の底が決まった。
逃げ道を作り続けてきた。
冗談の皮で、何度も誤魔化した。
命が軽い場所では、気持ちも軽いふりをするしかなかった。
でも今日は、ふりをするのが、嫌になった。
ジャンは、いきなり手を伸ばした。
ぐっと。
片手でピアットの背中を引き寄せる。胸が胸に当たる距離まで。
ピアットが目を丸くする。
腕が宙で止まって、次の瞬間、されるがままに抱き寄せられる。
「……え」
驚きの息。
その音が、やけに可愛い。
ジャンの胸の奥が、きゅっと痛む。
「どうしたの?急に」
聞かれて、ジャンは固まった。
自分で引き寄せたくせに、言葉が追いつかない。
「……いや、だから、その……」
どもる。
自分でも分かるくらい、情けなくどもる。
ピアットの目が優しくなる。察した目だ。逃がさない目だ。
このまま言っていいのか。
言ったら戻れない。
戻れないのに、戻りたくない。
ジャンは喉を鳴らして、今さらすぎる言葉を吐いた。
「……お前、俺のこと、好きなんだよな?」
ピアットは瞬き一つ。
それから、笑った。小さく、あたたかく。
「うん。好きだよ」
ジャンの腕に、自然に力が入る。
抱きしめる強さが少し増す。
ピアットが、ジャンの背中を指先でなぞった。
指がゆっくり動くだけなのに、ジャンの背筋がざわつく。
「ジャン?」
「俺は震えてねぇ」
聞かれてもいない事を声に出す。
ピアットが笑って、空いてる手に指を絡めてくる。
手を繋ぐ形に。
その手つきで、またジャンの心臓がうるさくなる。
指先が、擦り合わされる。
一度。二度。
軽いのに、妙に意味があるみたいな動き。
ピアットが、耳元に口を近づける。
息が落ちる。
「ねぇ」
声が、甘い。
でも、冗談の甘さじゃない。
ジャンは、腹を括った。
自分で驚くくらい低い声で、言葉に出す。
「……なぁ、宿、行かね?」
ピアットがぴたりと止まる。
止まって、ジャンの顔を見る。からかう笑いが消える。
一拍。二拍。
それから、ピアットの口角が上がる。
いつものふざけた上げ方じゃない。
嬉しいのを隠せなくて、漏れる上げ方。
「……うん」
手を繋いだまま、ピアットが指をもう一度擦り合わせる。
今度は、確信犯みたいに。
ジャンの耳が熱くなるのが分かる。
ピアットはもう一度。
「うん。行く♡」
言葉は軽い。
それなのに、軽くない。
軽くできない。
ジャンは、繋いだ手を離さない。
離したら、怖くなるから。
怖いのに、もう手放したくない。
――――――――
宿の夜のことは、二人とも口にしなかった。
口にしたら、それが当然になってしまうから。
調査兵団の平和なんて、薄い紙みたいなものだと知っている。
2人だけが知ってればいい。
だから翌朝、ピアットはいつも通りだった。
食堂でジャンを見つけると、軽い足取りで寄って、肩を寄せて、腕に絡んで、笑う。
「ジャーン、おはよ♡」
ジャンは、いつもなら反射で出てくる「くっつくな」が喉まで来て――引っ込んだ。
引っ込んだというより、出す理由が消えた。
「……おう。おはよ」
それだけで、ピアットの目が一瞬だけ見開かれて、次の瞬間に嬉しそうに細まる。
それが、ジャンには堪らなく怖い。
怖いから、手が動く。
ピアットが離れようとしたタイミングで、ジャンが彼女の手を掴んだ。
「……どこ行くんだよ。隣座れ」
言い方が、自分でも嫌になるほど素直だった。
ピアットが一拍止まって、くすっと笑う。
「トレー取りに行くだけだよ?」
「……早く戻ってこい」
馬鹿みたいだ。自分でも分かる。
ピアットは言った通りにすぐに戻ってきて、ジャンの隣にすとんと収まった。
「戻ってきたよ♡」
「あぁ」
ジャンの手がスルッとピアットの頭を撫でる。
とても自然に。
周りの空気が一瞬だけ変わる。
コニーがパンを咥えたまま、サシャは咀嚼したまま視線を向ける。
アルミンがさりげなく視線を逸らして、ミカサは無表情のまま理解だけしてる目をした。
リヴァイはつまらなさそうに息を吐き、
ハンジは、目の奥で面白がる火が一瞬だけ灯った。
誰も言わない。
言わないけど、分かる。
――あ、こいつら、やったな。
言葉にすると下品で、でも戦場で下品さは生命線みたいに速い。
言われない分、ジャンの耳が熱くなる。ピアットは平然と笑ってる。そこが腹立つ。
ピアットは変わらない。
くっついて、離れて、軽口を叩く。
変わったのはジャンだ。
離れていく彼女の背中が、嫌になった。
嫌というより、怖い。
次に消えるのは、その背中かもしれない。
だからジャンは、引き止める回数が増えた。
肩、腕、手首。
ピアットは、そのたびに驚いて、でも抵抗しない。
素直に腕の中に戻る。
戻ったあと、わざとらしく甘い声を出す。
「……ジャン、寂しがり?」
「うるせぇ」
「かわい〜♡」
「調子乗るな」
そんなやり取りが、兵団の日常に溶ける。
溶けるのが、ジャンは怖い。
でも、溶けないともっと怖い。
⸻
息つく暇は、すぐ終わった。
ウォールマリア奪還作戦。
出発前、ピアットがいつもの調子でジャンに寄ってきた。
「ねぇジャン、顔こわーい」
「お前が言うな」
「じゃあ、ほぐしてあげよっか」
肩に触れる指先。
軽い。軽いのに、ジャンはその指を逃がしたくないと思ってしまう。
ジャンは、周りが見ていようが構わず、ピアットの腰を引き寄せた。
一瞬、ピアットが目を丸くする。
「……え、ちょ」
「黙ってろ」
声が低い。自分でも驚くくらい低い。
ピアットは、何も言わなくなって、ただジャンの胸元に額を寄せた。
「……生きて帰れ」
ジャンが言う。
ピアットが、いつもの冗談で返さない。
小さく頷くだけ。
「うん。帰る」
その返事が重くて、ジャンは逆に怖くなる。
怖くなって、抱きしめる腕が少しだけ強くなる。
「ジャン、骨折れる」
「折れねぇ」
「折れる」
「……じゃあ、折れない程度に黙ってろ」
ピアットが息を漏らして笑う。
笑いながら、ジャンの背中に手を回して、短く抱き返した。
それが合図みたいに、二人は離れた。
離れた瞬間の空気の薄さに、ジャンは舌打ちしたくなる。
でも舌打ちしてる暇はない。
戦場は、いつもそうだ。
⸻
獣の巨人。超大型。鎧。
絶望は、名札を付けてやってくる。
地面が揺れる。
叫び声が折れる。
馬がひっくり返る。
石礫が雨のように降り、人間が豆粒みたいに吹き飛んだ。
視界の端で、ピアットが飛ぶ。
「ピアット!」
呼んだのは、願いだった。
命令じゃない。
ピアットは一瞬だけ、ジャンの方を見た。
その目が、冗談じゃない。
でも、笑った。わずかに。
――大丈夫、って顔で。
その顔に救われた瞬間、次の瞬間、別の班が潰れる。
煙。血。叫び。
俺たちは生き残った。
俺たち以外は、ほとんど死んだ。
エルヴィン団長が死に、アルミンがベルトルトを飲み込んだ。
生き残ったのは作ったばかりのリヴァイ班と、ハンジさん、後はフロックだけだった。
帰還。
人類は勝利に湧く。
旗が振られ、歓声が上がり、酒が回り、英雄が作られる。
でも調査兵団は、ほぼ一から作り直しだ。
椅子が空きすぎた。
ピアットは、いつもの軽さで勝利の空気に乗らない。
かといって泣きもしない。
ただ、ジャンの隣にいた。