私は、相手が魔法使いである以上、距離を取らせるのは致命的だと即座に判断した。
弾幕戦は確かに派手で、理不尽な物量を押し付けてくる。
だが、それでも――魔法使いは準備と距離が命だ。
(ならば、近づくしかない)
結界内の床を強く蹴り、私は一直線に距離を詰めにかかる。
影が足元から伸び、推進力を補助する。
視界の端で、宙に浮かぶ少女――パチュリー・ノーレッジの指先が動いた。
次の瞬間。
空間が、焼き切られた。
幾本ものレーザーが、まるで格子のように空間を封鎖する。
上下、左右、斜め。
逃げ道を計算し尽くした配置。
(――速い)
思考よりも先に、体が反応した。
私は、自身の輪郭を崩す。
肉体が影へと溶け、レーザーが私をすり抜けていく。
光が通過した直後、影が再構成される。
それでも、距離は詰めきれない。
レーザーはただの攻撃ではない。
私の進行方向そのものを否定する、空間制圧だ。
「開幕から出し惜しみなく撃ってきますね」
影の中から身体を戻しつつ、私は皮肉を口にする。
「舐められていないと喜ぶべきなのか、楽に勝てないと嘆くべきなのか……悩ましいところです」
深く息を吐く。
その間にも、空気が震える。
パチュリーは、さらに高度を取った。
本棚の上空、星の模型と同じ高さまで浮上する。
「影になったり、影の触手を出したり……」
彼女は私を観察するように、冷静に言葉を選ぶ。
「悪魔っていうよりは、影師ね」
次の瞬間、彼女の周囲に水色の魔方陣が展開された。
「水特『ベリーインレイク』」
魔方陣が砕け、光へと変わる。
それは、雨ではなかった。
無数の細いレーザーが、私を中心に収束してくる。
一本一本は細く、しかし数が異常だ。
私は跳ぶ。
床、棚、空中――影を踏み台に、縦横無尽に移動する。
だが、避けた先に待っていたのは――
球体の弾幕。
中型の水弾。
さらに、その奥に、巨大な半透明の球体。
圧が違う。
ただの弾ではない。
(なるほど……)
理解する。
「レーザーは、私の逃げ場を制限するため……!」
言葉にした瞬間、私は空間を折り畳む。
影が一瞬、点に収束し――
短距離転移。
次の瞬間、私は別の位置に立っていた。
直後、先ほどまで私が存在していた空間が、弾幕によって完全に塗り潰される。
水と光が衝突し、結界内に反響音が走った。
「へえ……」
パチュリーが、わずかに口角を上げる。
「テレポート……芸達者ね」
賞賛とも、皮肉とも取れる声音。
私は答えず、影を這わせる。
そのとき。
再び、レーザー。
今度は、避けない。
私は腕を伸ばし、影を開いた。
レーザーが、闇へと吸い込まれる。
光が、音もなく消失した。
一瞬、パチュリーの眉が動く。
「……小悪魔たちとの戦闘でも、そうやってたわね」
彼女は、弾幕の手を緩めずに問いかけてくる。
「それ、どうやってるの?」
「あなたの体全体で一つの能力なの?」
「それとも……それぞれ独立したもの?」
探るような視線。
私は弾幕をかわしながら、答える。
「素直に答える義理はありませんが……」
影が床を這い、弾幕の隙間を縫う。
「まあ、いいでしょう。私もこの戦闘に興が乗っていますので」
私は、マイクを軽く回しながら続ける。
「私の影は、単一のものです」
「影を操る、というよりは……」
影が、私の背後で大きくうねる。
「影の操作そのものが、私の能力の一部なんですよ」
弾幕が、再び密度を増す。
「あなたの想像よりも……」
私は、目を細めた。
「私の能力の幅は、広い」
普段であれば、ここまで喋ることはない。
戦闘は、いつも一瞬で終わる。
語る前に、決着がつく。
だが――
(久しぶりですね……この感覚)
相手が、即座に崩れない。
手札を切っても、なお応じてくる。
魔法使い――
しかも、相当な練度。
結界の中、影と魔法がせめぎ合う。
私は、次の動きを考えながら、再び影を踏み出した。
爆発の余韻が、まだ図書館の空気に残っていた。
焦げた紙の匂い、焼けた金属の臭気、そして魔力が過剰に消費されたあとの、ひりつくような静けさ。
天井から吊るされた惑星模型が、衝撃でわずかに揺れ、軋む音を立てながらゆっくりと回転を続けている。
「ほう……耐えましたか。私の想像よりも固い」
私は歩み寄りながら、煙の向こうに立つ少女へ声を投げた。
足音が床に響くたび、散乱した紙片や破片がかすかに擦れる。
「しかし無傷、というわけではなさそうですね。……両手が、随分と酷い」
少女――パチュリー・ノーレッジは、焼け焦げた両手を胸元に引き寄せ、わずかに顔をしかめた。魔力で辛うじて保っているのだろうが、皮膚のあちこちが爛れ、指先は痙攣するように震えている。
「この程度……なんてことない、って言いたかったんだけどね」
そう言いながら、彼女は短く息を吐いた。
「私は魔法使いだから。これは、正直……相当な痛手よ」
「ええ、そうでしょうとも」
私は影を足元に広げながら応じる。
「その状態では、私の触手を捌ききれるとは思えません」
言葉が終わるより早く、影が蠢いた。
床から立ち上がるように伸びた触手が、音もなく彼女へ迫り、残っていた魔力障壁を容赦なく叩き砕く。
砕け散った魔法の残光が、粉雪のように空中を舞った。
パチュリーは踏ん張りきれず、その場に崩れ落ちる。書物の積まれた机の脚に背を預け、荒く息を整えながら、こちらを見上げた。
「さて」
私は彼女の前に立ち、影が自然と後方へ引いていくのを感じながら、穏やかな声で告げる。
「これであなたは無防備状態。両手は使い物にならず、従えている悪魔も全員、私が拘束しています。援護も、防御も、期待できない」
一拍置いて、続けた。
「……状況は、理解できますね?」
少女は答えなかったが、その沈黙が肯定だった。
視線だけが、私の足元から顔へとゆっくり移動する。
「ですが、ご安心を」
私は口元に笑みを浮かべる。
「私はあなたに、提案があります」
「……提案?」
かすれた声で、パチュリーが問い返した。
「ええ。私と契約をしませんか」
そう言って、私は彼女の前に手を差し出した。
影の奥から浮かび上がる赤いマイクが、わずかに光を反射する。
「契約? 契約って……何の?」
「単純なものです」
私は淡々と答えた。
「私はこの場であなたを殺さない。その代わりに、あなたは私の配下につく。条件はそれだけ。簡単でしょう?」
マイクを指先で軽く回すと、金属音が静かな図書館に小さく響く。
少女は一瞬、目を細め、それから呆れたように息を吐いた。
「服従の契約ね……」
視線を逸らしながら、ぽつりと続ける。
「なんだ。やっぱり悪魔だったんじゃない」
「否定はしませんよ」
「なら、私は契約しないわ」
そう言って、彼女は力の入らない腕で、私の手を払いのけた。
「私には、先客がいるの」
「先客、ですか」
私は一歩下がり、首を傾げる。
「それは……この館の主人、吸血鬼ですね?」
「ええ、そうよ」
パチュリーは小さく笑った。
「私の友人。私と契約したかったら、その人に許可を取ってからね」
「それは残念」
私は手を引っ込め、肩をすくめる。
「では、あなたを殺すとしましょうか……と言いたいところですが」
一拍置いて、続けた。
「こちらにも事情がありましてね。殺しは控えたいんです。さっきのはハッタリですよ」
数歩、距離を取る。
影も触手も、攻撃をやめ、静かに床へ溶けていく。
「今回は、強者との戦闘、それ自体が目的でした」
淡々と言葉を重ねる。
「あなた達の魂には用はない。……運が良かったですね」
そう言って、その場を去ろうとした瞬間――
「――動くと撃つ!」
背後から、張り詰めた声が響いた。