(……はあ。この世界の宗教観は、やはり独特なんでしたっけ)
私は、畳の目をぼんやりと眺めながら、内心でそう息を吐いた。
神、妖怪、付喪神。
どれも私の知る概念とは微妙に、あるいは致命的にズレている。
(ならば、私が持っている宗教や神話の知識から想像しても、意味はありませんね)
無理に理解しようとすればするほど、齟齬が広がるだけだ。
ここは一度、この世界の理屈をそのまま飲み込むしかない。
そう結論づけた私は、付喪神という存在について深く追及するのをやめ、話の続きを促すことにした。
「……さきほど言っていましたね」
私は顔を上げ、霊夢を見る。
「忘れ去られたものや、行き場をなくしたものが流れ着く、と。それは一体、どういう意味なんですか?」
霊夢は少しだけ目を伏せ、指先で机の縁をなぞった。
考えを整理する時の癖なのだろう。
「それはね」
やがて、ゆっくりと口を開く。
「分かりやすく言うと……誰からも“覚えてもらえてない”状態のことよ」
「覚えてもらえていない、ですか」
「ええ」
霊夢は頷く。
「単純に忘れ去られていたり、正しい情報よりも間違った情報の方が主流になっちゃったり。あるいは、最初から“なかったもの”として扱われたり……そういう存在ね」
その語り口は淡々としているが、どこか諦観が混じっているようにも聞こえた。
「そうやって、外の世界で居場所を失った存在が流れ着く先。それが幻想郷なの。で、そういう経緯で入ってきた人間のことを、外来人って呼んでるわ」
私は、ゆっくりと息を吸った。
「なるほど……」
頭の中で、いくつかの可能性が繋がっていく。
「つまり、私も……そうであると?」
問いかけると、霊夢は肩をすくめた。
「まあ、そうなんじゃない?」
軽い調子で言う。
「だって、それ以外でここに来ようと思ったら、結界を抜けなきゃいけないもの」
「結界?」
また、知らない単語だ。
私が眉をひそめるのを見て、霊夢は「ああ」と小さく声を上げた。
「幻想郷はね、“博麗大結界”っていう結界で、外の世界と隔てられてるの」
そう言って、指で円を描く。
「だから普通の人間は簡単には入ってこられないし、逆にこっちの存在も外には出にくい。お互いを隔てる、大きな境界線みたいなものね」
私は黙って聞いていた。
「その結界の管理をしてるのが――私」
霊夢は、親指で自分を指した。
「博麗神社の役目ってわけ。つまり」
一拍置いてから、得意げに胸を張る。
「私、博麗霊夢が、この幻想郷のバランスを保つ担当ってこと。……まあ、面倒だけど」
最後の一言で、どこか投げやりな雰囲気が混じる。
「なるほど」
私は静かに頷いた。
「つまり、あなたがこの世界の管理人……あるいは、調停者のような存在というわけですか」
そう言うと、霊夢は少しだけ鼻を鳴らした。
「まあ、そんな感じね」
私は、この少女が自分を助けた理由を、ようやく理解した気がした。
この幻想郷において、外来人は放置できない存在なのだろう。
「博麗霊夢……」
私は、その名を口に出して確かめる。
「というんですね?」
「あ、そういえば」
霊夢は、ぽんと手を打った。
「自己紹介、まだだったわね」
そう言って、立ち上がる。
「私の名前は博麗霊夢。幻想郷の管理をしている、楽園の素敵な巫女よ」
ご丁寧にも、くるりと一回転し、両手を広げるようなポーズまで取ってみせた。
……正直なところ、場違い感がすごい。
私は内心でわずかに引きながらも、礼儀として自分も名乗ることにした。
もちろん、悪魔としての正体は伏せる。
「では、私からも自己紹介を」
私は背筋を伸ばす。
「私はアラスター。アメリカ合衆国、ルイジアナ州出身のラジオパーソナリティです」
生前の肩書き。
この姿である以上、嘘ではない。
「アメリカ合衆国……?」
霊夢は首を傾げた。
「ちょっと聞いたことないわね。どこ?」
(……アメリカを知らない、ですか)
私は内心で少し驚いた。
(ここは……相当な田舎、ということなのでしょうね)
そう結論づけ、簡潔に答える。
「ここから、ずっと東の国ですよ」
「ふーん」
霊夢は深く考えない様子で頷いた。
「まあいいわ。じゃあ、自己紹介も済んだし、続きを話すわね」
そう言って、再び座布団に腰を下ろす。
「幻想郷に住んでるやつはね」
霊夢の声が、少しだけ低くなる。
「大体が、ろくなやつじゃないのよ」
「……と、言いますと?」
「いたずら好きとか、物を盗むとかなら、まだ可愛い方」
彼女は指を折りながら数える。
「でも、人を食べるようなやつだって、大勢いるわ」
その言葉に、私は表情を変えずに聞き入った。
「そういう連中のことを、まとめて妖怪って呼んでるの」
「妖怪……さきほども言っていましたね」
「ええ」
霊夢は頷く。
「で、その妖怪たちが、時々“異変”ってのを起こすのよ」
「異変?」
「幻想郷全体に影響を及ぼす、一種の災害みたいなものね」
霊夢は、横に置いてあったお祓い棒を手に取り、軽く掲げた。
「そして、それを解決するのも、私の役目」
なるほど。
「あなたの役目、ですか」
私は首を傾げた。
「失礼ですが……あなたは、まだ子供でしょう?」
道徳的な憐憫ではない。
純粋な疑問だ。
「それほど大規模な問題を、なぜあなた一人で?」
霊夢は、即座に答えた。
「簡単よ」
胸を張る。
「妖怪が強くて、普通の人間じゃ手が出せないから」
一拍置いて、続ける。
「私は妖怪より強い。だから私がやる。それだけ。単純でしょ?」
……確かに、単純だ。
私を襲ったあの少女――明らかに人外の存在を、汗一つかかずに退けたのだ。
この霊夢という巫女が、相当な実力者であることは疑いようがない。
(悪魔だった私と……いったい、どちらが強いのでしょうね)
そんな不毛な比較が、頭をよぎる。
「それで」
私は、話を元に戻した。
「弾幕、という言葉についてですが」
「弾幕ね」
霊夢は頷く。
「まあ、私たちの使う戦闘形式みたいなものよ」
「戦闘形式……?」
「幻想郷での争いは、基本的に“スペルカードルール”っていう決まりに従って行われるの」
霊夢は、淡々と説明する。
「力のあるやつ同士が本気でやり合ったら、里が吹き飛ぶでしょ? それを防ぐための……まあ、喧嘩の作法ね」
「スペルカードっていうのは、自分の技に名前を付けて宣言する奥の手のこと。ただ撃てばいいってものじゃない」
彼女の声には、どこか誇りが滲んでいた。
「どんな弾幕を、どんな美しさで、どんなルールの中で展開するか。それが重要なの。強さだけじゃなくて、芸術点や発想も勝負のうち」
「……戦いに、芸術ですか」
「そうよ」
霊夢は当然のように言う。
「当たれば一本、避けきればセーフ。致命傷を与える攻撃は禁止。勝負はあくまで弾幕ごっこ」
私は黙って聞いていた。
「だから、実力差があっても誰にでも勝つチャンスがある。理不尽だけど、そこが公平なの」
「それに、このルールがあるから」
霊夢は少し声を落とす。
「妖怪は無闇に人間を襲えないし、人間も妖怪を必要以上に傷つけずに済む。共存のための妥協点、ってところね」
……共存。
「正直、面倒だけど」
霊夢は肩をすくめる。
「これがなかったら、幻想郷はとっくに崩壊してるわ」
一通りの説明を、私は黙って聞いていた。
大体の仕組みは理解した。
だが、一つだけ、どうしても引っかかる点がある。
「……人間と妖怪は」
私は、慎重に言葉を選ぶ。
「共存、しているのですか?」
「してるわ」
霊夢は即答した。
「まあ、人間側はそう思ってないでしょうけど」
「どういう意味です?」
「妖怪はね」
霊夢は、静かに語る。
「伝承や噂が形を持った存在なの。だから、人間からの恐れや恐怖がないと、存在を保てない」
「だから、無闇に人間を殺せない。でも、恐怖は必要」
彼女は淡々と言った。
「だから、生かさず殺さず。人間の数を保ってるってわけ」
……なるほど。
私は、内心で納得した。
(人間を……家畜のように、里に閉じ込めている)
治安は、地獄よりはマシだ。
だが、決して良いとは言えない。
(……素晴らしい)
私の胸の奥で、何かが静かに、しかし確実に高鳴った。
(これは、いいですよ)
平和で退屈な世界かと思っていた。
だが違う。
(なんとも……ギリギリのバランスで成り立っていますね)
秩序と混沌。
共存と搾取。
表向きの平穏と、内側に潜む歪み。
(これは……)
私は、誰にも悟られぬよう、ほんのわずかに口角を上げた。
(壊してみたいかもしれませんね)
その考えに、胸が高鳴るのを、私は否定しなかった。