とても励みになります。
赤い霧に覆われた空の下、私たちは高速で空を切り裂いていた。
霊夢の腕に抱えられたまま、私は下方に流れていく幻想郷の景色を眺めている。
森、草原、川。
どれもが赤い光を反射し、現実感を失ったような色合いに染まっていた。
風圧は強いが、不快ではない。
悪魔の力を取り戻したこの身体は、すでにこの程度の負荷を「刺激」として処理できる。
そんな中、ふと疑問が浮かんだ。
「……そういえば」
私は、霊夢の肩越しに声をかけた。
「どうして、こっちに異変の元凶がいるって分かるんです?」
視線は前方に向けたまま。
あくまで雑談の延長のような口調だ。
霊夢は一瞬だけこちらを横目で見て、あっさりと言った。
「なんでって、勘よ。勘」
「……勘、ですか?」
「そうそう。私の勘はね、ほぼ確実に当たるの」
あまりにも当然のように言うので、私は一瞬言葉を失った。
「はあ……」
思わず、気の抜けた返事が漏れる。
(それはもう、勘というより――)
一種の予知能力ではないだろうか。
少なくとも、私の知る“勘”という概念とは大きくかけ離れている。
しかし、霊夢はそれ以上の説明をする気はないらしく、再び前を向いた。
その瞬間だった。
「……っと」
霊夢の動きが、ぴたりと止まる。
空中で、完全に静止。
私の身体も、慣性を感じることなくその場に留まった。
「横から、なんか来たわね」
そう言って、彼女は視線を側方へ向ける。
私もつられてそちらを見る。
赤い霧の中から、黒い影が滲み出るように現れた。
――見覚えがある。
「あんた……誰かと思えば」
霊夢の声に、わずかな呆れが混じる。
「さっきの妖怪じゃない」
そこに浮かんでいたのは、つい先ほど私を襲い、霊夢によって一蹴されたあの少女だった。
髪も服も乱れ、先ほどよりも目つきが鋭くなっている。
その全身からは、黒く濁ったオーラのようなものが立ち昇っていた。
(……なるほど)
私は内心で頷く。
(リベンジ、ですか)
敗北から、そう時間は経っていない。
それにも関わらず、再び立ち向かってくるその精神力には、正直少し感心した。
「その人間を、置いていくのだ」
妖怪は、低く、しかしはっきりとした声でそう言った。
その瞬間、黒いオーラが一段と濃くなる。
周囲の霧が歪み、空気がざらつくのが肌で分かった。
完全に、戦闘態勢。
「……やる気満々ね」
霊夢は、溜息混じりに呟いた。
しかし、その表情に焦りは一切ない。
「スペルカード、三枚使用」
妖怪が宣言する。
「いざ、勝負なのだ」
その言葉と同時に、空間が弾けた。
無数の光弾が、花が開くように展開される。
黒を基調とした弾幕は、左右に薙ぎ払うような軌道を描き、規則正しく広がっていく。
(……なるほど)
私は、思わず見入ってしまった。
ただの乱射ではない。
そこには明確な構造とリズムがある。
弾と弾の間隔。
速度の緩急。
空間を「見せる」ための配置。
戦闘というより、まるで夜空に打ち上げられる花火だ。
「確かに……これは“綺麗”ですね」
思わず、そんな感想が漏れる。
対する霊夢は、私を抱えたまま、まったく動じない。
片手で、懐に手を入れる。
そして、一枚のカードを取り出した。
その動作は、あまりにも自然で、あまりにも軽い。
「――霊符」
一瞬、空気が張り詰める。
「『夢想封印』」
宣言と同時に、世界が震えた。
霊夢の身体から、今までに感じたことのない規模のエネルギーが噴き出す。
それは、暴力的な力ではない。
しかし、圧倒的だ。
空間そのものが、彼女を中心に引き寄せられていく感覚。
収束。
凝縮。
やがて、そのエネルギーは四つの光となり、霊夢の周囲に展開された。
赤、青、黄、白。
どれも鮮烈で、眩しく、しかし不思議と目に優しい。
(……これは)
私は、無意識に息を呑んだ。
魂の奥を、直接揺さぶられるような威圧感。
理屈ではなく、本能が理解してしまう。
(これが……幻想郷の管理者の力)
現時点で、正面からやり合って勝てる相手ではない。
そう、はっきりと確信してしまった。
霊夢は、まだ本気ですらない。
それなのに、これだ。
(……力量差が、分かってしまうのは厄介ですね)
四つの光弾は、合図もなく放たれた。
直線的でありながら、まるで意思を持っているかのように進路を微調整する。
必死に回避行動を取る妖怪。
弾幕の中を縫うように動き、距離を取ろうとする。
だが、無駄だった。
光弾は、執拗に追尾し、逃げ場を潰していく。
そして――
着弾。
轟音。
一瞬、視界が白に染まる。
音も、風も、感覚も、すべてがその爆発に飲み込まれた。
やがて、光が引く。
赤い霧の中に見えたのは――
力を失い、意識を失った妖怪が、ゆっくりと落下していく姿だった。
空中から、ただ静かに、下へ。
それを、私は黙って見送っていた。
「……凄まじいですね」
思わず、そう口にしていた。
それは、社交辞令でも、場を和ませるための言葉でもない。
心の底から湧き上がった、純粋な感嘆だった。
私という存在は、基本的に他者を評価しない。
お世辞を言うことはある。持ち上げ、利用するために称賛を口にすることもある。
だが、本心から誰かを「凄い」と認めることは、ほとんどない。
しかし――
先ほどの一連の光景を見せられてしまっては、話は別だった。
霊夢は、私の言葉を聞いて、ふふん、と鼻を鳴らす。
「そうでしょ?」
そして、誇らしげに胸を張った。
「あれがね、私が幻想郷の管理を任されてる理由の一つよ」
その口調は軽いが、言葉の重みは確かだ。
実際、彼女の周囲では、数えきれないほどの小さな影が弾け飛んでいた。
先ほどから、赤い霧の中を飛び回る小さな存在――羽虫のような、光の塊のようなそれらが、次々と霊夢に突っ込んできては、容易く弾き飛ばされている。
「……ちなみに」
私は、その様子を眺めながら問いかけた。
「今、襲ってきているこの雑魚たちも、妖怪なのですか?」
霊夢は、弾を放ちながら、ちらりとこちらを見る。
「違うわね」
即答だった。
「こいつらは妖精。自然が形を持った存在よ」
「妖精……」
思わず、その単語を反芻する。
(妖怪、神、付喪神、そして妖精……)
この世界は、実に賑やかだ。
地獄も大概だったが、方向性が違うだけで、こちらも負けてはいない。
私は、霊夢の腕の中から、幻想郷の景色を見下ろしていた。
いつの間にか、かなりの距離を移動していたらしい。
眼下に広がるのは、巨大な湖だった。
水面は霧に覆われ、どこまでも白く、境界が曖昧だ。
冬の初めという季節のせいか、空気はひどく冷たい。
吐く息が、白くはならないが、肌に刺さるような寒さがある。
「……霧の湖って」
霊夢が、独り言のように呟く。
「こんなに広かったかしら……」
彼女は、霧の中を進みながら、微妙に進路を変えている。
右へ、左へ。
一定の方向に向かっているようで、どこか定まらない。
「霧で見通しが悪くて、困ったわね」
「……」
私は、その様子をじっと観察していた。
そして、嫌な予感が胸をよぎる。
「……もしかして」
言葉を選びながら、慎重に尋ねた。
「迷いました?」
一瞬の沈黙。
霊夢は、少しだけ視線を逸らした。
その瞬間――
「道に迷うのは、妖怪のせいなの」
横から、唐突に声がした。
「……」
私は、そちらを見る。
霊夢は、まるで最初からそこにいると知っていたかのように、平然と返した。
「あら、そう?じゃあ案内してよ。この辺に島があったでしょ?」
あまりにも自然なやり取りだった。
「……あんた」
今度は、声の主が苛立ったように言う。
「ちっとは驚きなさいよ。目の前に強敵がいるのよ?」
霧の中から、姿を現した存在。
小柄な体格。
先ほどの妖怪と同じくらいの背丈。
だが、決定的に違う点がいくつもあった。
髪も、服も、色はすべて青。
そして背中には、氷でできた羽が生えている。
透明で、鋭く、光を反射する氷の翼。
(……なるほど)
私は内心で頷いた。
(妖精、というやつでしょうね)
羽の形状、霊夢の説明、そしてこの場の雰囲気。
すべてが一致する。
「どうします?」
私は、少しだけ意地悪く、霊夢に問いかけた。
「強敵、らしいですが」
「標的?」
霊夢は、肩をすくめる。
「こいつはびっくりだわね」
ふざけた調子だ。
それを見て、氷の妖精は完全に頭に血が上ったようだった。
「ふざけやがってー!」
甲高い声が、霧の湖に響く。
「あんたたちなんか、イギリス牛と一緒に冷凍保存してやるわ〜!」
(……イギリス牛?)
一瞬、意味が分からなかったが、深く考える必要もないだろう。
妖精は、そのまま両手を振り上げた。
次の瞬間、空気が冷え切る。
無数の小さな弾が、空中に生まれた。
一つ一つは小さいが、明らかに冷気を放っている。
氷でできた弾幕。
先ほどの妖怪よりも、密度が高く、数が多い。
霊夢は、それを見て、軽く鼻で笑った。
そして、踊るように動き出す。
弾と弾の隙間を、余裕を持ってすり抜けていく。
その動きには、焦りも緊張もない。
避けながら、的確に弾を撃ち返す。
妖精は、すぐさま新しいスペルカードを宣言した。
「氷符『アイシクルフォール』!」
空気が、一段と冷たくなる。
氷の粒が、雨のように降り注いだ。
いや、雨ではない。
雹だ。
鋭く、重く、叩きつけるような氷の弾幕。
それでも霊夢は、舞う。
まるで、弾幕のリズムを楽しんでいるかのように。
踊るように避け、正確に反撃する。
「なんだ」
霊夢は、軽く言った。
「やっぱり弱いじゃない」
完全に煽っている。
妖精は、怒りに任せてさらに弾を増やすが、状況は変わらない。
――だが。
私は、その光景を見ながら、別のことを考えていた。
(……弱い?)
確かに、霊夢から見ればそうなのだろう。
圧倒的な力の差がある。
だが、私の目には違って見えた。
何もない空間から、無尽蔵に氷を生み出し。
それを、意のままに操る。
自然現象を、意思一つで再現し、武器として使う存在。
(……十分すぎるほど、脅威ですよ)
少なくとも、人間にとっては。
私にとってすら、油断すれば致命傷になりかねない力だ。
だが――
この幻想郷では。
それすら「弱い」と切り捨てられる。
(とんでもない世界に、来てしまいましたね)
氷の妖精は、明らかに癇に障った様子だった。
先ほど、霊夢に「弱い」と一蹴された言葉が、よほど堪えたのだろう。
小さな体を震わせ、唇を噛み締め、氷の羽を大きく広げる。
「……ッ」
そして、甲高い声で叫んだ。
「凍符――」
一瞬、湖を覆う霧が揺れた。
空気が張り詰める。
肌に触れる冷気が、ただの寒さではないものに変わる。
「『パーフェクトフリーズ』!!」
その宣言と同時に、妖精の周囲から弾幕が溢れ出した。
赤、青、黄。
丸型の弾が、無秩序にばら撒かれていく。
色合いだけを見れば、どこか玩具めいてすらいる。
動きも直線的で、特別な変化はない。
(……あれ?)
正直なところ、私は拍子抜けしていた。
先ほどまでの氷の弾幕の方が、よほど洗練されていたように見える。
これなら、先ほどよりも避けやすい。
(ネタ切れ、でしょうか)
そんなことを考えた、その瞬間だった。
――ぞわり、と。
妖精から、何かが放たれた。
それは、衝撃でも、音でもない。
言葉にするなら、「圧」だ。
存在そのものが空間を押し潰すような、不可視のプレッシャー。
刹那。
私たちの周囲に展開されていた弾幕が、一斉に白く染まった。
凍ったのだ。
音もなく、躊躇もなく。
弾丸一つ一つが、完全な氷の結晶へと変貌する。
「……っ」
一瞬で、気温が急降下した。
空気が重くなる。
肺に吸い込むだけで、喉の奥がひりつく。
吐いた息が、はっきりと白くなった。
私は、無意識に肩をすくめていた。
体の内側から、圧迫されるような感覚。
(これが……)
スペルカードの名が、脳裏をよぎる。
(パーフェクトフリーズ……)
まさに、その名に違わぬ性能だ。
だが、それだけでは終わらなかった。
凍りついた弾幕は、空中で停止したまま、まるで背景の一部になったかのように動かない。
そこへ、妖精はさらに弾幕を重ねて放ってくる。
新たな弾が、凍った弾の隙間を縫うように配置される。
空間が、狭まっていく。
逃げ道が、削られていく。
先ほどまで、比較的余裕があった回避が、一気に難易度を増した。
霊夢は、体をひねり、わずかな隙間を縫うように動く。
だが、それでも――
正直、見ているこちらが息を詰めるほど、ギリギリだった。
さらに。
私の目の前で、信じがたい光景が展開される。
空中に固定されていたはずの凍結弾幕が――動いた。
一斉ではない。
それぞれが、バラバラの方角へ。
まるで、個別に意思を持っているかのように。
「……!」
私は、思わず息を呑んだ。
静止していた障害物が、突然動き出す。
それも、予測不能な方向へ。
これは、単なる弾幕ではない。
空間制御に近い。
弾を撃つのではなく、「場」を作り、その場そのものを凍結させ、支配する。
(……これは)
(弱い、なんてレベルじゃない)
少なくとも、私の感覚ではそうだった。
だが。
霊夢は違った。
彼女は、動き出した弾幕を、先ほどよりも――明らかに余裕を持って避けている。
無駄のない動き。
最小限の移動。
視線は常に弾幕全体を捉え、体は自然と次の隙間へと流れていく。
(……?)
私は、混乱していた。
(先ほどは、確かにギリギリだったはず……)
(なのに、どうして今は……)
私の表情に、疑問が浮かんでいたのだろう。
霊夢は、一瞬だけこちらを振り返った。
弾幕を避けながら、まるで散歩の途中で声をかけるかのように、あっさりと言った。
「慣れた」
それだけだった。
説明も、補足もない。
だが、その一言で、すべてが理解できてしまった。
私は、霊夢という存在の底を、また一つ覗いた気がした。
――力ではない。
経験だ。
積み重ねた戦闘。
無数の弾幕。
それらすべてを乗り越えてきた者だけが持つ、「当たり前」。
この幻想郷で管理者を名乗るということの、重み。
私は、赤い霧と凍てつく弾幕の中で、静かに思った。
(……敵わない)
今の私では、到底。
アラスターからしたらチルノでもめっちゃ強く見えるんだよね。
そのせいでチルノの描写めっちゃ盛ってる。