故途死もよろしくお願いします。
弾幕が乱れる中でも、霊夢の動きに迷いはなかった。
いや、乱れているのは弾幕の方であって、彼女自身は終始一定のリズムを保っている。
上下、左右、わずかな旋回。
必要最低限の動きだけで、降り注ぐ氷弾の網をすり抜けていく。
その姿は、まるで戦っているというより――舞っているようだった。
霊夢は、弾幕の隙間を読む。
いや、読むというより「感じ取っている」。
次にどこが開くのか。
どこが詰まるのか。
それを、思考する前に体が動いている。
同時に、彼女は反撃を怠らない。
札を切り、弾を放つ。
一発一発は派手ではないが、確実に妖精を追い詰めていく。
一方、妖精の方は――明らかに様子が違っていた。
まさか、ここまで凌がれるとは思っていなかったのだろう。
顔に浮かぶのは、驚愕と焦燥。
氷の羽が不規則に震え、弾幕の展開も一瞬だけ乱れる。
(……効いてますね)
私は、少し冷めた視点でそれを見ていた。
先ほどまでの自信。
「とっておき」を切ったという確信。
それが崩れた瞬間、人は――いや、妖精は、こうも脆くなる。
だが。
妖精は、そこで終わらなかった。
何かを噛み締めるように、歯を食いしばり、目を見開く。
その表情は、先ほどまでの子供じみた怒りではない。
決意だ。
「あたいの……」
妖精は、低く呟く。
「あたいのパーフェクトフリーズを、耐え抜くとは……」
その声には、悔しさと、わずかな敬意が混じっていた。
「……大したものね」
(なんで上から目線なんでしょうね……)
私は、内心でそう突っ込みながらも、目を離さなかった。
妖精は、胸の奥に何かを溜め込むように、大きく息を吸った。
次の瞬間。
「でもね!」
その声は、湖全体に響き渡るほどに張り上げられた。
「それで、あたいを本気にさせちゃったみたいね!」
叫びと同時に、周囲の空気が一段と冷え込む。
妖精の足元から、白い霜が爆発するように広がった。
「これを出すのは――」
一拍。
「あんたが、初めてよ!」
その宣言と共に、妖精は両手を大きく広げた。
「雪符――」
空気が鳴る。
「『ダイアモンドブリザード』!!」
瞬間。
妖精の周囲に、これまでとは比べものにならないほど濃い冷気が立ち込めた。
視界が、白く霞む。
霧の湖の霧とは違う、冷気そのものが可視化されたような白。
そして。
弾ける。
妖精を中心に、弾幕が一気に展開された。
それは、単なる「ばら撒き」ではない。
水面に石を投げ込んだ瞬間の、水飛沫。
それを、そのまま凍らせて固定したかのような光景。
上へ、横へ、そして下へ。
あらゆる方向に、無数の氷弾が放射状に広がる。
物量が、違う。
さきほどまでの弾幕が前座だったと錯覚するほどの密度。
そして、それは降ってきた。
上から、注ぐように。
氷のカーテン。
柔らかく、しかし確実に逃げ場を奪う配置。
美しく、そして冷酷。
「……綺麗だ」
私は、思わず呟いていた。
意識する前に、言葉が零れ落ちた。
降り注ぐ弾幕は、まるで雪の結晶の集合体のようだった。
一つ一つが光を反射し、白く輝いている。
だが、その本質は――鋭い。
冷え切った針。
触れれば、肉を裂き、骨まで凍らせる。
(私には、遠く及ばない実力でありながら……)
そう思わずにはいられなかった。
(ここまで、やってのけるとは)
地獄で、数え切れないほどの力を見てきた。
悪魔の力。
天使の奇跡。
儀式による歪んだ魔法。
それらと比べれば、この妖精の力は決して突出してはいない。
それでも。
「世界に根差した力」として、ここまで完成された表現を見せられるとは思っていなかった。
(やはり……幻想郷は、素晴らしい)
私は、この世界の可能性を、改めて噛み締めていた。
――一方で。
霊夢は、相変わらずだった。
降り頻る弾幕の雨の中を、彼女は優雅に飛んでいる。
避ける。
撃つ。
避ける。
撃つ。
その繰り返し。
顔に浮かぶのは、焦りでも、驚きでもない。
せいぜい、少しの退屈。
「……」
霊夢は、弾幕をかわしながら、淡々と口を開いた。
「綺麗っちゃ綺麗だけど……それだけね」
言葉には、棘すらない。
「物量に物を言わせてるだけ。一発一発が、ただの氷」
彼女は、妖精を見据える。
「やっぱり……妖精の域を出ないわね」
それは、残酷なほど正確な評価だった。
霊夢にとって、この光景は――見慣れたものなのだろう。
だからこそ、心を動かされない。
だからこそ、驚かない。
彼女は、ただ黙々と弾を放ち続ける。
やがて。
妖精は、弾を受けすぎた。
体勢が崩れ、氷の羽が光を失い、力なく震える。
「……っ」
最後に、何か言おうとしたようだったが、言葉にはならなかった。
そのまま。
妖精は、ゆっくりと、湖へ向かって落ちていった。
白い霧の中へ、静か
「ああ寒い! ほんと寒い! 冷房病になっちゃうわ!」
霊夢はそう叫びながら、肩をすくめて身を縮めた。
ついさっきまで、あれほど優雅に弾幕をかいくぐっていた人物とは思えないほど、分かりやすく震えている。
吐く息は白く、長い袖の中に指を押し込む仕草は、年相応の少女そのものだった。
「……その割に、平然と飛び回っていましたよね」
私は、若干呆れ混じりにそう言った。
「戦ってる時は別よ。寒さを気にしてたら死ぬし」
即答だった。
なるほど、生存本能の切り替えが異常に早い。
管理人だのバランサーだの言っていたが、この少女は、まず何よりも「実戦慣れ」している。
だが、そんな会話をしている間にも、周囲の空気は騒がしい。
視界の端から端へ、色とりどりの小さな影が飛び交っている。
先ほどから一向に減る気配のない“雑魚”たち――妖精だ。
弾幕をばら撒き、奇声を上げ、こちらに突っ込んでは撃ち落とされる。
それを、まるで遊びの延長のように繰り返している。
「……今さらなんですが」
私は、飛びながら霊夢に問いかけた。
「この雑魚たちは、どうしてこんなに必死に向かってくるんです?」
純粋な疑問だった。
明らかに勝ち目がない。
それを理解する知能は、彼女たちにもあるはずだ。
霊夢は、横から飛んできた妖精を札で弾き飛ばしながら、軽く答えた。
「ああ、こいつら? 異変が始まると、だいたいいつもこんな感じよ」
「……というと?」
「異変を“お祭り”かなんかと勘違いしてるの。テンション上がっちゃって、暴れ回りたくなるみたい」
あまりにも、身も蓋もない理由だった。
「……随分と、子供っぽいというか……」
思わず、言葉が漏れる。
(というか……)
私は、ここに来てからの出来事を思い返していた。
最初に遭遇した妖怪。
次に現れた氷の妖精。
そして、今こうして襲ってくる無数の雑魚妖精。
(博麗霊夢以外、幼女ばかりでは……?)
いや、妖怪や妖精に年齢という概念を当てはめるのも間違いなのだろうが、それにしても――。
私の思考を見透かしたかのように、霊夢が言った。
「妖精なんて、みんな子供よ。そういうもんなの」
あっさりした口調だった。
まるで「空は青い」と言うかのように。
「成長しないし、反省もしないし、学習もしない。自然そのものだもの」
言いながら、霊夢は次々と雑魚妖精を蹴散らしていく。
その動きは流れるようで、もはや作業に近い。
――しばらく、それが続いた。
空を飛び、撃ち、避け、撃ち返す。
終わりの見えない小競り合い。
だが、やがて。
視界の先に、変化が現れた。
湖面の反射が消え、下方に「地面」が見えてくる。
それは、明確な色を持っていた。
赤い。
血のような赤ではない。
もっと、人工的で、塗り固められたような赤。
そして、異様なほど平坦だ。
(……人の手が、入っていますね)
自然にできた地形ではない。
意図的に均され、管理されている。
少し離れた場所には、等間隔に並ぶ木々。
どれも幹が真っ直ぐで、枝振りも整えられている。
どこかの金持ちの庭園。
あるいは、格式ある邸宅の前庭。
そう連想した瞬間。
地面から、何かが飛翔してきた。
勢いよく、一直線に。
黄色がかった緑色の中国服。
翻る長い袖。
赤毛が、陽光を受けて鮮やかに揺れる。
霊夢よりも、わずかに背が高い。
年の頃は、二十代前半だろうか。
女だった。
彼女は、接近するなり――
何も言わず、弾幕を放った。
「……!」
反射的に、霊夢が回避行動に移る。
放たれた弾幕は、先ほどまでの妖精たちとは明らかに違っていた。
無駄がない。
派手さもない。
しかし、動線を限定し、逃げ場を削る配置。
戦うために洗練された弾幕だ。
(……これは)
私は、内心で評価を改めた。
(戦闘経験が、段違いですね)
撃ち合いが始まる。
霊夢も即座に打ち返し、弾幕が交錯する。
女は、こちらが怯んでいないのを見ると、即座に高度を上げた。
上を取る。
戦闘の基本だ。
そのまま、カードを一枚展開する。
「華符――」
声は落ち着いていた。
「『芳華絢爛』」
次の瞬間。
花が咲くように、弾幕が全方向へと広がった。
規則正しい配置。
花弁の形を思わせる、整った弾道。
絶え間なく打ち出されるが、密度は高すぎない。
回避の余地を残しつつ、圧をかける構成。
霊夢は、それを難なく交わしていく。
左右に身を翻し、最小限の動きで弾を避けながら、確実に反撃を重ねる。
やがて。
「……くそっ!」
赤毛の女が、歯噛みした。
「背水の陣だ!」
そう叫ぶと同時に、彼女は一気に距離を取った。
そして――撤退。
逃げ足は、異様なほど速かった。
「……あんた、一人で陣なの?」
霊夢が、間の抜けた突っ込みを入れる。
だが、女は振り返らない。
その背中を見送りながら、霊夢は小さく息を吐いた。
「多分……あいつは、異変の首謀者の仲間ね」
そして、迷いなく言う。
「後をつけましょう」
そう言って、霊夢は赤い庭園の奥へと飛び出した。
私は、その背を追いながら――
この先に待つものを、静かに想像していた。
しばらくの間、私たちは赤い庭園の奥へ奥へと進んでいた。
等間隔に並ぶ木々の間を縫うように、赤毛の女は迷いなく飛んでいく。
逃げているというより――案内している、と言った方が近い。
こちらを振り返ることもなく、かといって本気で距離を取る様子もない。
追いつかれない程度、だが逃げ切らない程度。
(……随分と余裕ですね)
その態度は、先ほどの撤退とはまるで違っていた。
やがて。
女は、ふっと空中で動きを止めた。
赤い地面の上、開けた場所。
背後には、赤い壁のようにそびえる建造物の影が見える。
ここが、目的地なのだろう。
「ついてくるなよ〜」
振り返りざま、気の抜けた声でそう言った。
その声音には、緊張感の「き」の字もない。
まるで、近所の子供に注意するような軽さだった。
「道案内ありがと〜」
霊夢も、同じくらい軽い調子で返す。
敵味方というより、雑談の延長のようなやり取りだ。
赤毛の女は、肩をすくめるような仕草をして言った。
「あらあら。私についてきても、こっちには何もないわよ?」
わざとらしく、白々しい口調。
霊夢は、その様子を見てニヤニヤと笑った。
「何もないところに、わざわざ逃げないでしょ?」
確信を持った声だった。
女は、少し考えるように首を傾げる。
「うーん……逃げるときは、逃げると思うけどなぁ」
どこかとぼけた口調。
だが、その視線は、確実にこちらを測っている。
(……この人)
先ほどの戦闘を思い出す。
合理的な弾幕。
無駄のない判断。
撤退のタイミング。
決して、間の抜けた存在ではない。
それを理解した上での、この態度。
「ちなみに」
霊夢が、流れをぶった斬るように問いかけた。
「あんた、何者?」
空気が、わずかに張り詰める。
赤毛の女は、間髪入れずに答えた。
「えー? 普通の人よー」
あまりにも即答。
そして、あまりにも信用ならない。
(……こいつ、なんか喋り方が腹立ちますね)
私は、内心でそう評価した。
霊夢は、じっと相手を見据えたまま続ける。
「さっき、攻撃してきたでしょ?」
赤毛の女は、少しだけ眉をひそめた。
「あれは普通に攻撃したの!」
ちょっと拗ねたような、怒ったような声音。
……いや、普通に攻撃とは。
思わず、口を挟んでしまう。
「攻撃に、普通もクソもない気がしますが……」
赤毛の女は、こちらを指差して叫んだ。
「あんたたちが普通以外なのよ!」
(……普通“以外”って、普通も含んでません?)
思わず、心の中で突っ込む。
霊夢は、やれやれといった様子で息を吐きながら言った。
「私は巫女をしてる、普通の人よ」
そう言いながら、懐から札を取り出し、お祓い棒を構える。
その動作は自然で、淀みがない。
一瞬で、空気が変わった。
赤毛の女は、その様子を見て、ぽん、と手を叩いた。
「あ、それはよかった」
そして、思い出したように言う。
「確か……巫女って、食べてもいい人類だって言い伝えが――」
「そうなんですか?」
私は、反射的に霊夢の方を見た。
霊夢は、顔を真っ赤にして叫ぶ。
「言い伝えるな! そんなわけないでしょう⁉︎」
その瞬間。
霊夢の周囲に、霊力が満ちる。
札が風を孕み、空気が震える。
赤毛の女も、笑みを消し、腰を落とした。
――戦闘が、始まった。