アラスター、幻想入りする   作:まったり愛好家

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第七話 開いた虹

 赤毛の女は、肩の力を抜いたまま、軽く腕を振った。

 

 それだけで、空気が歪む。

 

 次の瞬間、彼女の周囲から、弾幕が生まれた。

 

 ――螺旋。

 

 緩やかに、しかし確実に広がっていく弾の渦。

 規則正しく、一定の間隔を保ちながら、円を描くように空間を侵食していく。

 

 花弁が開くようでもあり、水面に投げられた石が生む波紋のようでもあった。

 

(……なるほど)

 

 私は、その動きを一目見ただけで理解した。

 

 これは、当てるための攻撃ではない。

 あくまで牽制。小手調べ。

 

 避けられることを前提にした弾幕だ。

 

 霊夢も同じ判断をしているのだろう。

 彼女は攻撃に転じることもなく、最低限の動きで弾幕をやり過ごしている。

 

 身体を捻り、足先で軌道をなぞるように、ふわり、ふわりと。

 

 余計な動作は一切ない。

 

(……慣れてますね)

 

 弾幕が存在しているにもかかわらず、まるで何もない空を飛んでいるかのような身のこなしだ。

 

 赤毛の女は、その様子を見て、ふっと口角を上げた。

 

 そして、ふわりと高度を上げる。

 

 ――やはり。

 

(この人、スペルカードを使う時は必ず上を取るタイプですね)

 

 高所からの展開。

 視界の支配。

 弾幕を広げやすく、相手の回避を制限できる。

 

 合理的だ。

 

「――虹符『彩虹の風鈴』!」

 

 宣言と同時に、空が弾けた。

 

 色。

 

 とにかく色。

 

 赤、橙、黄、緑、青、藍、紫――

 虹を構成する全ての色が、濃密な弾となって空間を満たす。

 

 それらは螺旋状に展開され、重なり合いながら広がっていく。

 

 まるで巨大な虹色の傘を、空中で開いたかのような光景だった。

 

(……派手ですね)

 

 氷の妖精の弾幕とは、まるで方向性が違う。

 

 あちらが冷たく、鋭く、理詰めだったとすれば、

 こちらはひたすらに視覚へ訴えかけるタイプ。

 

 暴力的なまでの色彩。

 

 美しいというより、煌びやか。

 目が焼かれるような感覚すら覚える。

 

 だが。

 

(派手=強い、とは限らない)

 

 霊夢は、その虹の中を、まるで散歩でもしているかのように進んでいた。

 

 弾と弾の隙間を、自然に見切り、必要最低限の動きで抜けていく。

 

 札を放ち、弾を放ち、また避ける。

 

 その一連の動作に、焦りは一切ない。

 

 私も、もう慣れてしまった。

 

 三人目だ。

 

 幻想郷に来てから、これで三度目の弾幕戦。

 

 もはや、霊夢の近くにいれば安全だという認識が、私の中で確立されている。

 

(便利なものですね)

 

 信頼、というより、計算。

 

 彼女が負ける可能性が低いと、理屈で理解しているだけだ。

 

「くっ……思ったよりも効いてないな……」

 

 赤毛の女が、歯噛みする。

 

 霊夢の札が、確実に彼女の身体を捉えている。

 

 一発一発は致命的ではない。

 だが、確実に体力を削っている。

 

 目に見えて、動きが重くなってきていた。

 

「まだまだだ!」

 

 彼女は、声を張り上げる。

 

「幻符『華想夢葛』!」

 

 今度の弾幕は、先ほどのような派手さはない。

 

 だが、密度が違う。

 

 女の周囲で、無数の衝撃波が発生する。

 

 空間が揺れ、その揺れを起点にして、弾幕が一斉に降り注いだ。

 

 直線的。

 無駄のない配置。

 ひねりはないが、堅実だ。

 

(……これは、確かに強い部類ですね)

 

 真正面から受ければ、ただでは済まない。

 

 だが。

 

 霊夢は、やはり余裕だった。

 

 弾幕の流れを一瞬で読み取り、

 降り注ぐ弾の間を、紙一重で抜けていく。

 

 札を投げる。

 

 当たる。

 

 女が、わずかによろめく。

 

(もう、限界が近い)

 

 私にも、それは分かった。

 

 呼吸が荒くなり、動きが鈍くなっている。

 

 それでも、赤毛の女は歯を食いしばった。

 

「……こうなったら!」

 

 声に、焦りが混じる。

 

「彩符『極彩颱風』!」

 

 奥の手。

 

 誰が見ても、そうと分かる宣言だった。

 

 女を起点に、再び色とりどりの弾幕が生まれる。

 

 今度は、渦。

 

 風を伴い、弾幕が意思を持ったかのように散っていく。

 

 魚のように泳ぎ、

 蝶のように舞い、

 不規則な軌道で空間を覆っていく。

 

 確かに、綺麗だ。

 

 だが。

 

(……散りすぎですね)

 

 弾と弾の間隔が、広い。

 

 密度が足りない。

 

 先ほどまでの堅実さが、消えている。

 

 焦りが、弾幕にそのまま反映されていた。

 

 霊夢は、被弾することなく、その全てを避けきった。

 

 そして、淡々と、札を放つ。

 

 最後の一撃。

 

 赤毛の女の身体が、弾かれたように仰け反り、力を失って落ちていく。

 

 ――それで、終わりだった。

 

 空には、色の残滓だけが漂っている。

 

 戦闘は、完全に決着していた。

 

「すいません、お嬢様――」

 

 かすれた声が、空気に溶けるように消えた。

 

 赤毛の女は、そのまま力尽きたように落下していき、やがて視界の下方へと消えていく。

 弾幕戦の余韻がまだ空に残る中、私はゆっくりと前方へ視線を移した。

 

 そこにあったのは――赤。

 

 ただの赤ではない。

 血のように濃く、夕焼けよりも重く、長い年月を吸い込んできたかのような赤。

 

 巨大な赤い壁が、視界を塞いでいた。

 

 その向こうに、堂々と聳え立つ建造物。

 

 真っ赤な洋館。

 

 中世ヨーロッパを思わせる尖塔、装飾過多な外壁、規則正しく並んだ窓。

 多少古臭さはあるが、それを補って余りある威圧感と格式。

 

 ――豪邸。

 

 それも、ただ金を積めば建てられる類のものではない。

 権威と歴史、そして「力」を誇示するための建物だ。

 

(……なるほど)

 

 私は、無意識のうちに口角を上げていた。

 

 ここに、異変の首謀者がいる。

 

 先ほどの赤毛の女を従え、

 あれほどの弾幕使いを「門番」として配置できる存在。

 

(今のやつを従えている存在……)

 

 想像するだけで、胸の奥がわずかにざわつく。

 

 恐怖ではない。

 純粋な興味。

 

(これは……期待できますね)

 

 だが、その期待が膨らみきる前に、異変が起きた。

 

 隣を飛んでいた霊夢が、すっと高度を下げ始めたのだ。

 

「……?」

 

 私は思わず、彼女の横顔を見る。

 

 進路は変わらず洋館の方角。

 だが、確実に地面へ向かっている。

 

「どうしたんです?」

 

 首を傾げながら声をかける。

 

「まさか、わざわざ地に降りて、門から入るつもりですか?」

 

 私の問いに、霊夢は少しだけ面倒そうな顔をした。

 

「違う違う」

 

 軽く手を振りながら、霊夢は言う。

 

「今のやつね。私一人なら余裕なんだけど」

 

 そこで一度、言葉を切り、ちらりと私を見る。

 

「あんたがいると、ちょっとやりづらいのよ」

 

「……と、言いますと?」

 

「従えてる相手が出てきたら、あんたを守りながら戦うことになるでしょ」

 

 霊夢は、ため息混じりに続けた。

 

「それ、結構邪魔なの。弾幕戦って、集中力が命だから」

 

 なるほど。

 

 合理的だ。

 

「だから、ここで下ろしていくわ」

 

 そう言うと、霊夢は私の身体を支え、ゆっくりと地面へ降ろした。

 

 足が、土を踏む。

 

 赤く染まった地面。

 踏み固められ、整備された道。

 

 門前の空気は、空中よりもひんやりとしていた。

 

「まあ、三十分くらいしたら迎えに来るから」

 

 霊夢は、何でもないことのように言う。

 

「おとなしく待ってて」

 

「了解です」

 

 私は素直に頷いた。

 

 霊夢はそれ以上何も言わず、再び空へ舞い上がる。

 

 その背中は、迷いなく洋館へ向かっていった。

 

 ――一人残された。

 

 静寂。

 

 風が、赤い壁をなぞる音だけが響く。

 

「さてと……」

 

 私は、独り言のように呟く。

 

「ついていけないのは残念ですが……それはそれで、都合がいい」

 

 視線を落とす。

 

 先ほど、空から落ちていった赤毛の女。

 

 あの位置なら――。

 

 私は、歩き出した。

 

 ほどなくして、女は見つかった。

 

 赤い門の前。

 石畳の上に、無様に転がっている。

 

「あー……いてて……」

 

 女は頭を押さえながら、呻いていた。

 

「なんだよ、あれ……聞いてた何倍も強いじゃないか……」

 

 独り言のような愚痴。

 

 体力は、ほぼ底を尽いている。

 

 呼吸は荒く、立ち上がる気力もない。

 戦闘能力は、すでに失われていると見ていい。

 

 私は、足音を殺しながら近づいた。

 

「あー、少しいいですか?」

 

 穏やかな声で話しかける。

 

 女は、びくりと肩を震わせ、こちらを睨んだ。

 

「お前は……」

 

 視線が、私の顔から、空へ向かう。

 

「博麗の巫女に抱えられてた……人間か……」

 

 警戒。

 当然の反応だ。

 

「何の用だ?追い討ちでもしようっていうのかい?」

 

「いえいえ」

 

 私は、両手を軽く上げ、敵意がないことを示す。

 

「幸運なことに、私はあなたを害する理由を持ち合わせておりません」

 

 一歩、距離を詰める。

 

「少なくとも、今は」

 

 女は、疑わしそうに私を見る。

 

「ただ、少しお尋ねしたいことがございまして」

 

 さらに一歩。

 

 彼女のすぐ近くまで来て、見下ろす。

 

「――あの館の主人は、何者なんです?」

 

 女は、露骨に顔をしかめた。

 

「……なんで」

 

「なんで、お前なんかに教えないといけないんだ……」

 

 拒絶。

 

 想定内だ。

 

「おや」

 

 私は、わざと困ったように首を傾げる。

 

「答えてくださらないんですか?それは困りました」

 

 声の調子は、変えない。

 

「あなたを害する理由が、できてしまいます」

 

 その瞬間。

 

 私の影が、ゆらりと蠢いた。

 

 地面に落ちる影から、黒い触手が伸びる。

 生き物のように、ぬらりと空気を撫でる。

 

 女の顔色が、一瞬で青ざめた。

 

「……っ」

 

 私は、マイクを手に取る。

 

「お前……」

 

 女は、唾を飲み込んだ。

 

「はあ……わかったよ」

 

 観念したように、肩の力が抜ける。

 

「言うから……その触手、しまってくれ」

 

 望み通り、私は影を引っ込めた。

 

「ありがとうございます」

 

「……お嬢様は、吸血鬼だ」

 

「吸血鬼?」

 

 思わず、聞き返してしまう。

 

「吸血鬼といえば……」

 

 頭に浮かぶのは、地獄で見た存在。

 

「銀が弱点の、あの吸血鬼ですか?」

 

「そうだよ……」

 

 女は、うんざりしたように天を仰ぐ。

 

「はあ……私が喋ったって、言わないでくれよ?」

 

「承知しました」

 

 私は、軽く一礼する。

 

「私、口は硬い方ですので」

 

 踵を返し、門へ向かう。

 

 赤い門をくぐりながら、胸の内で呟いた。

 

 ――吸血鬼。

 

 地獄にも、確かに何人かいた。

 だが、現世で、しかも幻想郷で出会うとは。

 

 私は、自然と笑っていた。

 

「……おもろくなってきましたね」

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