赤毛の女は、肩の力を抜いたまま、軽く腕を振った。
それだけで、空気が歪む。
次の瞬間、彼女の周囲から、弾幕が生まれた。
――螺旋。
緩やかに、しかし確実に広がっていく弾の渦。
規則正しく、一定の間隔を保ちながら、円を描くように空間を侵食していく。
花弁が開くようでもあり、水面に投げられた石が生む波紋のようでもあった。
(……なるほど)
私は、その動きを一目見ただけで理解した。
これは、当てるための攻撃ではない。
あくまで牽制。小手調べ。
避けられることを前提にした弾幕だ。
霊夢も同じ判断をしているのだろう。
彼女は攻撃に転じることもなく、最低限の動きで弾幕をやり過ごしている。
身体を捻り、足先で軌道をなぞるように、ふわり、ふわりと。
余計な動作は一切ない。
(……慣れてますね)
弾幕が存在しているにもかかわらず、まるで何もない空を飛んでいるかのような身のこなしだ。
赤毛の女は、その様子を見て、ふっと口角を上げた。
そして、ふわりと高度を上げる。
――やはり。
(この人、スペルカードを使う時は必ず上を取るタイプですね)
高所からの展開。
視界の支配。
弾幕を広げやすく、相手の回避を制限できる。
合理的だ。
「――虹符『彩虹の風鈴』!」
宣言と同時に、空が弾けた。
色。
とにかく色。
赤、橙、黄、緑、青、藍、紫――
虹を構成する全ての色が、濃密な弾となって空間を満たす。
それらは螺旋状に展開され、重なり合いながら広がっていく。
まるで巨大な虹色の傘を、空中で開いたかのような光景だった。
(……派手ですね)
氷の妖精の弾幕とは、まるで方向性が違う。
あちらが冷たく、鋭く、理詰めだったとすれば、
こちらはひたすらに視覚へ訴えかけるタイプ。
暴力的なまでの色彩。
美しいというより、煌びやか。
目が焼かれるような感覚すら覚える。
だが。
(派手=強い、とは限らない)
霊夢は、その虹の中を、まるで散歩でもしているかのように進んでいた。
弾と弾の隙間を、自然に見切り、必要最低限の動きで抜けていく。
札を放ち、弾を放ち、また避ける。
その一連の動作に、焦りは一切ない。
私も、もう慣れてしまった。
三人目だ。
幻想郷に来てから、これで三度目の弾幕戦。
もはや、霊夢の近くにいれば安全だという認識が、私の中で確立されている。
(便利なものですね)
信頼、というより、計算。
彼女が負ける可能性が低いと、理屈で理解しているだけだ。
「くっ……思ったよりも効いてないな……」
赤毛の女が、歯噛みする。
霊夢の札が、確実に彼女の身体を捉えている。
一発一発は致命的ではない。
だが、確実に体力を削っている。
目に見えて、動きが重くなってきていた。
「まだまだだ!」
彼女は、声を張り上げる。
「幻符『華想夢葛』!」
今度の弾幕は、先ほどのような派手さはない。
だが、密度が違う。
女の周囲で、無数の衝撃波が発生する。
空間が揺れ、その揺れを起点にして、弾幕が一斉に降り注いだ。
直線的。
無駄のない配置。
ひねりはないが、堅実だ。
(……これは、確かに強い部類ですね)
真正面から受ければ、ただでは済まない。
だが。
霊夢は、やはり余裕だった。
弾幕の流れを一瞬で読み取り、
降り注ぐ弾の間を、紙一重で抜けていく。
札を投げる。
当たる。
女が、わずかによろめく。
(もう、限界が近い)
私にも、それは分かった。
呼吸が荒くなり、動きが鈍くなっている。
それでも、赤毛の女は歯を食いしばった。
「……こうなったら!」
声に、焦りが混じる。
「彩符『極彩颱風』!」
奥の手。
誰が見ても、そうと分かる宣言だった。
女を起点に、再び色とりどりの弾幕が生まれる。
今度は、渦。
風を伴い、弾幕が意思を持ったかのように散っていく。
魚のように泳ぎ、
蝶のように舞い、
不規則な軌道で空間を覆っていく。
確かに、綺麗だ。
だが。
(……散りすぎですね)
弾と弾の間隔が、広い。
密度が足りない。
先ほどまでの堅実さが、消えている。
焦りが、弾幕にそのまま反映されていた。
霊夢は、被弾することなく、その全てを避けきった。
そして、淡々と、札を放つ。
最後の一撃。
赤毛の女の身体が、弾かれたように仰け反り、力を失って落ちていく。
――それで、終わりだった。
空には、色の残滓だけが漂っている。
戦闘は、完全に決着していた。
「すいません、お嬢様――」
かすれた声が、空気に溶けるように消えた。
赤毛の女は、そのまま力尽きたように落下していき、やがて視界の下方へと消えていく。
弾幕戦の余韻がまだ空に残る中、私はゆっくりと前方へ視線を移した。
そこにあったのは――赤。
ただの赤ではない。
血のように濃く、夕焼けよりも重く、長い年月を吸い込んできたかのような赤。
巨大な赤い壁が、視界を塞いでいた。
その向こうに、堂々と聳え立つ建造物。
真っ赤な洋館。
中世ヨーロッパを思わせる尖塔、装飾過多な外壁、規則正しく並んだ窓。
多少古臭さはあるが、それを補って余りある威圧感と格式。
――豪邸。
それも、ただ金を積めば建てられる類のものではない。
権威と歴史、そして「力」を誇示するための建物だ。
(……なるほど)
私は、無意識のうちに口角を上げていた。
ここに、異変の首謀者がいる。
先ほどの赤毛の女を従え、
あれほどの弾幕使いを「門番」として配置できる存在。
(今のやつを従えている存在……)
想像するだけで、胸の奥がわずかにざわつく。
恐怖ではない。
純粋な興味。
(これは……期待できますね)
だが、その期待が膨らみきる前に、異変が起きた。
隣を飛んでいた霊夢が、すっと高度を下げ始めたのだ。
「……?」
私は思わず、彼女の横顔を見る。
進路は変わらず洋館の方角。
だが、確実に地面へ向かっている。
「どうしたんです?」
首を傾げながら声をかける。
「まさか、わざわざ地に降りて、門から入るつもりですか?」
私の問いに、霊夢は少しだけ面倒そうな顔をした。
「違う違う」
軽く手を振りながら、霊夢は言う。
「今のやつね。私一人なら余裕なんだけど」
そこで一度、言葉を切り、ちらりと私を見る。
「あんたがいると、ちょっとやりづらいのよ」
「……と、言いますと?」
「従えてる相手が出てきたら、あんたを守りながら戦うことになるでしょ」
霊夢は、ため息混じりに続けた。
「それ、結構邪魔なの。弾幕戦って、集中力が命だから」
なるほど。
合理的だ。
「だから、ここで下ろしていくわ」
そう言うと、霊夢は私の身体を支え、ゆっくりと地面へ降ろした。
足が、土を踏む。
赤く染まった地面。
踏み固められ、整備された道。
門前の空気は、空中よりもひんやりとしていた。
「まあ、三十分くらいしたら迎えに来るから」
霊夢は、何でもないことのように言う。
「おとなしく待ってて」
「了解です」
私は素直に頷いた。
霊夢はそれ以上何も言わず、再び空へ舞い上がる。
その背中は、迷いなく洋館へ向かっていった。
――一人残された。
静寂。
風が、赤い壁をなぞる音だけが響く。
「さてと……」
私は、独り言のように呟く。
「ついていけないのは残念ですが……それはそれで、都合がいい」
視線を落とす。
先ほど、空から落ちていった赤毛の女。
あの位置なら――。
私は、歩き出した。
ほどなくして、女は見つかった。
赤い門の前。
石畳の上に、無様に転がっている。
「あー……いてて……」
女は頭を押さえながら、呻いていた。
「なんだよ、あれ……聞いてた何倍も強いじゃないか……」
独り言のような愚痴。
体力は、ほぼ底を尽いている。
呼吸は荒く、立ち上がる気力もない。
戦闘能力は、すでに失われていると見ていい。
私は、足音を殺しながら近づいた。
「あー、少しいいですか?」
穏やかな声で話しかける。
女は、びくりと肩を震わせ、こちらを睨んだ。
「お前は……」
視線が、私の顔から、空へ向かう。
「博麗の巫女に抱えられてた……人間か……」
警戒。
当然の反応だ。
「何の用だ?追い討ちでもしようっていうのかい?」
「いえいえ」
私は、両手を軽く上げ、敵意がないことを示す。
「幸運なことに、私はあなたを害する理由を持ち合わせておりません」
一歩、距離を詰める。
「少なくとも、今は」
女は、疑わしそうに私を見る。
「ただ、少しお尋ねしたいことがございまして」
さらに一歩。
彼女のすぐ近くまで来て、見下ろす。
「――あの館の主人は、何者なんです?」
女は、露骨に顔をしかめた。
「……なんで」
「なんで、お前なんかに教えないといけないんだ……」
拒絶。
想定内だ。
「おや」
私は、わざと困ったように首を傾げる。
「答えてくださらないんですか?それは困りました」
声の調子は、変えない。
「あなたを害する理由が、できてしまいます」
その瞬間。
私の影が、ゆらりと蠢いた。
地面に落ちる影から、黒い触手が伸びる。
生き物のように、ぬらりと空気を撫でる。
女の顔色が、一瞬で青ざめた。
「……っ」
私は、マイクを手に取る。
「お前……」
女は、唾を飲み込んだ。
「はあ……わかったよ」
観念したように、肩の力が抜ける。
「言うから……その触手、しまってくれ」
望み通り、私は影を引っ込めた。
「ありがとうございます」
「……お嬢様は、吸血鬼だ」
「吸血鬼?」
思わず、聞き返してしまう。
「吸血鬼といえば……」
頭に浮かぶのは、地獄で見た存在。
「銀が弱点の、あの吸血鬼ですか?」
「そうだよ……」
女は、うんざりしたように天を仰ぐ。
「はあ……私が喋ったって、言わないでくれよ?」
「承知しました」
私は、軽く一礼する。
「私、口は硬い方ですので」
踵を返し、門へ向かう。
赤い門をくぐりながら、胸の内で呟いた。
――吸血鬼。
地獄にも、確かに何人かいた。
だが、現世で、しかも幻想郷で出会うとは。
私は、自然と笑っていた。
「……おもろくなってきましたね」