アラスター、幻想入りする   作:まったり愛好家

8 / 15
第八話 同族

 私は、館の入り口に手をかけた。

 

 重厚な扉は、見た目に反して静かに開いた。

 軋む音一つ立てず、まるでこちらが来ることを最初から知っていたかのように、素直に。

 

 中へ一歩足を踏み入れた瞬間、空気が変わる。

 

 赤。

 

 床も、壁も、天井も。

 深紅、緋色、暗赤色――微妙に色味の違う赤が幾重にも重なり、館全体を染め上げている。

 

 ロビーは広かった。

 

 外から見た規模を、明らかに上回っている。

 天井は異様なほど高く、視線を上げれば、そこには巨大なシャンデリアがぶら下がっていた。

 

 虹色。

 

 七色の光を閉じ込めた宝石のようなそれが、ゆっくりと回転しながら、館内を照らしている。

 光は柔らかいのに、どこか鋭く、影の輪郭をくっきりと浮かび上がらせていた。

 

(……やはり)

 

 私は、内心で小さく頷く。

 

(外観以上の内部空間。単純な建築では説明がつきませんね)

 

 空間拡張。

 結界。

 あるいはその複合。

 

(吸血鬼の能力か、それとも部下の仕業か……)

 

 ロビーを見渡しながら、私はゆっくりと歩を進めた。

 足音は、妙に響く。

 反響するというより、吸い込まれているような感覚だ。

 

 その時。

 

 ――ドンッ!!

 

 二階の方角から、明らかに弾幕戦闘とわかる衝撃音が響いた。

 

 壁が、微かに震える。

 

 続けざまに、光の奔流。

 霊力の爆発。

 聞き慣れた――いや、正確には、さっきまでずっと隣で体感していたもの。

 

(……霊夢ですね)

 

 間違いない。

 

 あの規模の戦闘を、館の奥で一人で繰り広げられる存在など、限られている。

 

(館の外で待っていろ、と言われた手前……)

 

 私は、少しだけ眉を寄せた。

 

(中にいるところを見られるのは、避けたいところです)

 

 霊夢は勘が鋭い。

 それに、私の能力を、まだ全面的に晒すつもりはない。

 

(……それに)

 

 心の奥で、別の思考が芽生える。

 

(彼女の戦いを邪魔する趣味もありませんしね)

 

 私は結論を出した。

 

 二階には行かない。

 一階を、静かに探る。

 

 そう決めて歩き出した直後だった。

 

 ――ひゅん。

 

 耳元を、何かが掠める。

 

 反射的に身を引くと、先ほどまで頭のあった位置を、光の弾が通過していった。

 

「……」

 

 視線を向ける。

 

 そこにいたのは、数体の妖精だった。

 

 全員が、同じようなメイド服を着ている。

 白と黒を基調とした、簡素だがよく整えられた衣装。

 

 羽の色や髪型はバラバラだが、動きは揃っている。

 

「侵入者よ!」

 

「人間だわ!」

 

「排除して!」

 

 甲高い声。

 

 次の瞬間、弾幕が一斉に展開された。

 

 数は多い。

 

 だが――。

 

(……お粗末ですね)

 

 私は、内心で評価を下した。

 

 弾道は単純。

 密度も低い。

 狙いも甘い。

 

 弾幕戦に不慣れな私でさえ、対応に苦労するレベルではない。

 

 私は、影を踏み出した。

 

 足元に落ちる影が、ゆらりと歪む。

 そこから、黒い触手が伸び上がった。

 

 弾幕に向かって、叩きつける。

 

 ――バシッ、バシッ。

 

 弾は弾かれ、霧散する。

 

 妖精たちが、目を見開いた。

 

「な、なにあれ……!」

 

「影が動いて……!」

 

 私は、淡々と弾幕を処理しながら前進した。

 

「弱いですね」

 

 自然と、言葉が口をついて出る。

 

「せっかくこの館に来たというのに……これでは拍子抜けです」

 

 触手がうねり、妖精の一体を空中から叩き落とす。

 

 床に激突し、鈍い音が響く。

 

「っ!」

 

 悲鳴。

 

 さらに、二体、三体。

 

 私は力を入れすぎない。

 殺さない程度に、確実に。

 

 やがて、戦える妖精は数体だけになった。

 

 その瞬間。

 

「……いや?」

 

 私は、ふと足を止める。

 

「せっかく襲ってもらっているのです」

 

 ゆっくりと、微笑む。

 

「これはこれで、好都合ですね」

 

 触手を伸ばし、地面に倒れた妖精の一人を、軽く持ち上げる。

 

「……っ、ひっ……!」

 

「痛そうですね〜」

 

 声色は、あくまで軽い。

 

「意識は残っていますか?」

 

 妖精の瞳が、涙で滲む。

 

「ああ、それなら結構」

 

 私は、妖精を床に下ろし、視線を合わせる。

 

「お前たち」

 

 声を低くする。

 

「この館にいる“強者”の場所を答えなさい」

 

 影が、再びうごめく。

 

「何人でも構いませんよ?」

 

 沈黙。

 

 妖精たちは、互いに視線を交わし、震えている。

 

 やがて、一人が、絞り出すように口を開いた。

 

「……パ……パチュリー様なら……」

 

 声が、震える。

 

「いつも……図書館に、います……」

 

「他の方は……定位置があるわけでは……なくて……」

 

 必死に言葉を繋ぐ。

 

「私たちにも……詳しくは……」

 

「なるほど」

 

 私は、満足そうに頷いた。

 

「図書館、ですか。では」

 

 私は、触手を解いた。

 

「その図書館まで案内しなさい」

 

 妖精は、びくりと身を震わせる。

 

「そうすれば、解放してあげますよ」

 

 少しだけ、優しい声で。

 

 妖精は、怯えた顔のまま、ふよふよと空中に浮かび上がった。

 

「……こ、こちらです……」

 

 私は、その後ろを静かについていく。

 

 赤い館の奥へ。

 

 図書館へ向かって。

 

______

 

 

 図書館の扉は、妖精メイドの細い手によって、ゆっくりと開かれた。

 

 重厚な木製の扉は、長い年月を経たにもかかわらず、軋む音一つ立てない。

 それだけで、この館がどれほど丁寧に、そして執拗なまでに管理されているかが伝わってくる。

 

「……こちらです……」

 

 妖精の声は、まだ震えていた。

 

 私は軽く手を振る。

 

「ご苦労様です。もう行っても構いませんよ。用済みです」

 

 その言葉に、妖精は一瞬だけきょとんとした顔をしたが、次の瞬間には、安堵と恐怖の入り混じった表情で深く頭を下げた。

 

「ほ、本当に……?」

 

「ええ。約束は守ります」

 

 私は、あくまで穏やかな笑みを浮かべたままそう告げる。

 

 妖精は、逃げるように扉の向こうへ飛び去っていった。

 その背中が完全に見えなくなったのを確認してから、私は図書館の中へと足を踏み入れた。

 

 ――その瞬間。

 

 思わず、息を呑む。

 

 広い。

 

 いや、広いという言葉では足りない。

 

 天井は遥か高く、見上げれば暗がりの中に、幾重にも重なった回廊と書架が浮かび上がっている。

 床から天井までびっしりと並ぶ本棚が、まるで街区のように整然と配置され、その一つ一つが、細い通路によって繋がれていた。

 

 本棚でできた街。

 

 その表現が、これ以上なく的確だった。

 

 奥行きがあるだけではない。

 上下にも、左右にも、無限に広がっているかのような錯覚を覚える。

 

 照明は控えめで、ところどころに浮かぶ魔法灯が、淡い光を落としているだけだ。

 それが逆に、空間の果てを曖昧にし、どこまでがこの部屋なのか分からなくさせていた。

 

(……これは)

 

 私は、無意識のうちに喉を鳴らした。

 

 生前、私は何度か「大図書館」と呼ばれる類の建築を訪れたことがある。

 国家規模の蔵書を誇る施設。

 学術の粋を集めた、知識の殿堂。

 

 だが。

 

 目の前に広がるこの光景は、それらをすべて霞ませる。

 

(規模が違う……)

 

 蔵書量だけではない。

 収められている“質”が、まるで違う。

 

 空気そのものが、情報で満ちている。

 紙の匂い、インクの残り香、魔力の滞留。

 

 ここはただの図書館ではない。

 魔導書、禁書、異界の知識――そういった類が、平然と積み上げられている場所だ。

 

「この中から、探すんですか……」

 

 思わず、独り言が漏れる。

 

「骨が折れますね、これは」

 

 軽口のように言いながらも、内心では確かな重みを感じていた。

 

 “パチュリー”。

 

 先ほど妖精が口にした名前。

 

 おそらく、この図書館の主。

 あるいは、少なくとも管理者。

 

(魔術師でしょうね)

 

 この規模の図書館を維持し、なおかつ使いこなしている存在など、限られている。

 

 私は、歩き出した。

 

 足音が、静かに反響する。

 書架の隙間を抜けるたびに、視界が切り替わり、同じようでいて微妙に異なる空間が現れる。

 

 ここにも、妖精がいる気配は感じる。

 

 だが、先ほどのように無闇に飛び出してくる様子はない。

 おそらく、ここでは“静かにする”という規律が、徹底されているのだろう。

 

「……はあ」

 

 私は、小さく息を吐いた。

 

「まあ、いいでしょう」

 

 独り言の調子は、いつも通りだ。

 

「妖精はいますし、何人か捕まえて情報を吐かせれば済む話です」

 

 合理的な判断。

 手間はかかるが、不可能ではない。

 

 そう考えながら、さらに奥へと進もうとした、その時だった。

 

 ――ひゅっ。

 

 空気を裂く音。

 

 反射的に視線を上げる。

 

 本棚の向こう、遥か上方から、何かがこちらへ向かって飛来してくるのが見えた。

 

 黒い影。

 いや、影というには輪郭がはっきりしている。

 

(……?)

 

 一瞬、思考が止まる。

 

 次の瞬間、全身の感覚が、警鐘を鳴らした。

 

「あれは……」

 

 私は、足を止め、姿勢を低くした。

 

「……悪魔、ですか?」

 

 心臓が、わずかに強く脈打つ。

 

「まさか……ここは現世のはずですが……」

 

 視界の中で、その存在は徐々に形をはっきりさせていく。

 

 人型。

 

 全体のシルエットは、人間に近い。

 

 薄赤色の髪が、ふわりと揺れている。

 服装は、黒と白を基調とした上下揃いの衣装。

 どこか、使用人――メイドや執事を思わせるデザインだ。

 

 だが。

 

 決定的に、人ではない。

 

 頭の側面から、小さな角。

 背中には、コウモリのような翼。

 そして、腰の後ろから伸びる、細長い尻尾。

 

「……」

 

 私は、無言のまま観察を続ける。

 

(高位、ではなさそうですね)

 

 覇気は薄い。

 圧倒的な魔力の奔流も感じない。

 

 だが、それは油断していい理由にはならない。

 

(……淫魔、でしょうか)

 

 外見的特徴からの推測。

 それに、図書館という場所。

 

 知識の守護者。

 あるいは、主に仕える存在。

 

(この館……本当に人材が豊富ですね)

 

 私は、無意識のうちに口角を上げそうになるのを抑えた。

 

 同時に、足に力を込める。

 

 影が、足元で静かに揺らいだ。

 

 戦闘態勢。

 

 今は、まだ仕掛けない。

 だが、いつでも動けるように。

 

 目の前に迫る悪魔を、私はしっかりと見据え続けた。

 

 その一挙一動を、逃さぬように。

 

 静かな図書館の空気が、わずかに張り詰める。

 

 悪魔は、私の数歩前にふわりと着地した。

 

 まるで羽毛が床に落ちるかのような、軽やかで無音に近い着地。

 図書館の静謐を乱さぬよう、計算された動きだ。

 

 近くで見ると、その姿はさらに人間に近い。

 整った顔立ちに、穏やかな微笑。

 どこか気品すら感じさせる所作は、地獄で見慣れた下級悪魔のそれとは一線を画していた。

 

(……なるほど)

 

 私は内心で頷く。

 

(この館に配置されるだけはありますね)

 

 淫魔は、こちらを一瞥すると、余裕を含んだ笑みを浮かべた。

 敵意を隠すでもなく、かといって露骨に向けるでもない。

 

 声は落ち着いていて、低すぎず高すぎず、よく通る。

 

「人間よ」

 

 その一言で、私を完全に“人間”と断定したらしい。

 

「どうやってここに侵入したかは知らないが……ここは、お前が甘えていていい場所ではない」

 

 言葉遣いは丁寧だが、内容は断定的だ。

 

「即刻、立ち去れ」

 

 ――予想外だった。

 

(即座に戦闘、とはいきませんか)

 

 てっきり、侵入者と見なされて即座に弾幕が飛んでくるものだと思っていた。

 だが、この悪魔は、まず“退去勧告”を選んだ。

 

(ここが図書館だからでしょうね)

 

 戦闘による破損を、極力避けたい。

 主の蔵書に傷がつくことを、何よりも恐れているのだろう。

 

 その忠誠心は、評価に値する。

 

 私は、わざと肩の力を抜き、軽く首を傾げた。

 

「ご忠告、痛み入ります」

 

 にこやかに、だが、どこか挑発的に。

 

「ですが私は、指図を受けるのが嫌いな性分でしてね?」

 

 口角を上げる。

 

「残念ながら、あなたの言葉に従う気はないんですよ〜」

 

 わざと軽い口調で言った。

 

 淫魔の眉が、わずかに動く。

 感情を抑えているが、内心では警戒心が跳ね上がったのだろう。

 

「……」

 

 私は、さらに一歩踏み出した。

 

「それに――あなた、悪魔ですよね?」

 

 相手の反応を観察しながら、続ける。

 

「でしたら、話は早い。あなたの主人の元へ案内なさい」

 

 そして、言葉を選ばず、はっきりと告げた。

 

「そうすれば、命までは取りませんよ?」

 

 空気が、一段階重くなる。

 

 淫魔の笑みが、完全に消えた。

 

「お前……」

 

 低く、押し殺した声。

 

「どうやら、自分が置かれている状況が分かって――」

 

 その言葉が終わる前だった。

 

 私は、躊躇なく動いた。

 

 足元の影が、意思を持ったかのように蠢く。

 次の瞬間、黒い触手が床から跳ね上がり、一直線に淫魔へと伸びた。

 

「――っ!」

 

 淫魔は反応が早かった。

 

 翼を一度だけ強く打ち、後方へと跳ぶ。

 触手は、紙一重で空を切り、背後の本棚に叩きつけられた。

 

 木材が軋む音。

 本が数冊、ばさりと床に落ちる。

 

(回避能力は高い……ですが)

 

 私は追撃を止めない。

 

 影が広がり、第二、第三の触手が生まれる。

 淫魔は空中で体勢を整えながら、手をかざした。

 

「――侵入者、排除する」

 

 次の瞬間、弾幕が展開された。

 

 赤紫色の光弾が、扇状に広がりながら迫ってくる。

 数は多くないが、速度と精度は申し分ない。

 

(なるほど、魔力制御も洗練されていますね)

 

 私は、避けるでも、防ぐでもなく、ただ一歩踏み出した。

 

 影が、足元から盛り上がる。

 

 弾幕は、触れた瞬間に影へと吸い込まれ、音もなく消失した。

 

「なっ――」

 

 淫魔の目が見開かれる。

 

 理解が追いつく前に、私は間合いを詰めていた。

 

 触手が、地面を這い、彼女――いや、彼の足首に絡みつく。

 

「しまっ――」

 

 次の瞬間、私は力を込めた。

 

 淫魔の身体が、床から引き剥がされる。

 抵抗しようと翼を広げるが、影はそれを許さない。

 

 ――叩きつける。

 

 床。

 

 壁。

 

 本棚の側面。

 

 空中で引き戻し、再び叩きつける。

 

 重い衝撃音が、図書館に鈍く響く。

 本棚が揺れ、埃が舞う。

 

 私は、あえて加減した。

 致命傷は与えないが、痛みと恐怖は十分に刻み込む。

 

「……っ、ぐ……!」

 

 淫魔の声が、掠れる。

 

 数度叩きつけたところで、私は動きを止めた。

 

 触手が絡みついたまま、淫魔の身体を宙吊りにする。

 床から数十センチ浮いた状態で、もがくこともできない。

 

 私は、ゆっくりと歩み寄り、見下ろした。

 

「一度だけ、許してあげます」

 

 声は穏やかだが、そこに温度はない。

 

「次は、ありませんよ?」

 

 淫魔の瞳が、恐怖に揺れる。

 

「さあ」

 

 私は、微笑んだ。

 

「あなたの主人の元へ、案内なさい?」

 

 影が、わずかに締め付ける。

 

 選択肢は、最初から一つしかなかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。