個性『ウマ娘』でヒロアカ世界の最速を目指す 〜転生したらステータスが見えたので、限界突破してヒーローになります〜 作:雪乃 宿海
嬉しいね。
雨音がかき消すには、この部屋の空気はあまりに重苦しかった。
公安委員会会長室。
革張りのソファ、高級な絨毯。そしてデスクの向こうで書類に目を落とす、この国のヒーロー公安委員会のトップ。
「――それで? 駿河天馬の調査報告は以上か」
会長は、私が提出した報告書をパラリと放り投げた。
そこには、私がここ一年で書き溜めた天馬の観察記録――あくまで「無害な少女」であることを強調したデータ――が記されている。
「あぁ、あの子はただの『馬』の異形型だ。多少脚力は高いが、精神面は年相応の子供。脅威度はない。それが私の見解だ」
「嘘をつくなよ、ナガン」
会長の低い声が、私の心臓を冷たく握りつぶす。
彼は引き出しから、別の資料を取り出し、デスクに叩きつけた。
「これは別の監査部が撮った映像だ。……トラック事故の際の急加速。お前との訓練での石礫回避。そしてこちらは報告書にもあるな。異常な代謝速度と知覚範囲」
並べられた写真には、私と天馬が過ごした時間が「監視対象」として冷徹に切り取られていた。
「『馬』という一つの個性で説明するには、能力が多岐に渡りすぎている。まるで複数の個性を所持しているかのようだ。……AFOの影を感じざるを得ないな」
「……あの子は、あんな巨悪とは無関係だ!」
「ならば好都合だ」
会長は薄く笑った。
それは、人間を見る目ではなく、優秀な「道具」を見つけた時の目だった。
「シロならば、彼女は使える。ホークスの育成は順調だが、やはり速すぎる男だ。いつか組織のコントロールを振り切るかもしれん。……駿河天馬は、ホークスの
バックアップ。
その言葉の意味を、私が知らないとでも思っているのか。
自我を削り、泥に塗れ、社会の影で汚れ仕事を繰り返す「公安ヒーロー」。
ホークスが壊れたら、次はあの子を壊して使うと言っているのだ。
「……嫌だ、と言ったら?」
「なんだと?」
私は右腕に力を込めた。ライフルの銃口となる肘が、軋むように熱を持つ。
「私はもう疲れた。……これ以上、血染めの手であの子の頭を撫でたくないし
それは、私の心からの叫びだった。
あの子は、私にアイスを半分こしてくれた。
あの子は、私を「ヒーローだ」と信じてくれた。
その純粋な信頼に触れるたび、自分の手の汚れが許せなくなっていった。
あの子を、私と同じ地獄には落とさない。
会長は眉をひそめ、呆れたように吐き捨てた。
「随分と子供が好きになったみたいじゃないか、ナガン。…公安ヒーローの辞職がどういう意味を持っているか、わからない君じゃないだろう?」
そう言って懐に手を滑り込ませる。
わかっている。
この世界を知りすぎた人間が、ただで表の世界に戻れるわけがない。
辞職とは、すなわち「消去」。
だから。
私の選ぶ道は、そのどちらでもない「第三の道」しかなかった。
「ああ、わかってるよ。……だから、私が引導を渡してやる」
私は右腕を振り上げた。
そこから伸びた銃口が、会長の眉間に照準を合わせる。
「なっ、貴様――!?」
会長が慌てて銃を引き抜くこうとする。
だが、私の弾丸の方が速い。
ドンッ――!
乾いた銃声が一つ。
雷鳴と共に、部屋の窓ガラスが振動する。
デスクに突っ伏した会長と、広がる赤黒い水溜まり。
私はゆっくりと銃口を下ろした。
「……さよならだ、公安」
これで私は、正真正銘の
もう二度と、あの子の隣で笑うことはできない。あの子の頭を撫でる資格もない。
けれど。
あの子が「道具」にされる未来だけは、この手で消した。
私はフードを目深に被り、静まり返った部屋を後にした。 向かう先は、雨の降る外の世界。
そして、ある人物へ電話をかけるため電話ボックスへ向かう。
(走れ、天馬。……お前だけは、光の中を)
*
雨は変わらず降り続け、降り注ぐ雨は私から体温を奪う。
私の手を濡らすそれが、天からの水滴なのか、それとも返り血なのか。今の私にはもう区別がつかなかった。
路地裏の公衆電話。
震える指でコインを入れ、私はある番号をプッシュした。 深夜だ。普通なら出るはずがない。
それでも、今の私が縋れる相手は、この人しかいなかった。
――プルルル、プルルル。
数回のコールの後、相手が出た。
『――はい。雄英高校校長室、根津です』
相変わらずの、人を食ったような、けれどどこか安心する高い声。
私は喉の奥が詰まるのを感じながら、声を絞り出した。
「……夜分にごめんね、校長先生」
『おや……? その声は、筒美くんかい?』
受話器の向こうで、根津校長の声色がパッと明るくなったのがわかった。
『久しぶりだね! 元気にしていたかい? 卒業生からの連絡は大歓迎さ。いやあ、君が電話をくれるなんて珍しいじゃないか』
その声は、かつて雄英の廊下で私に声をかけてくれた時と変わらない。
私がどんなに汚れようと、彼にとって私は「可愛い教え子」のままなのだ。
その無償の優しさが、今の私には痛いほど突き刺さる。
「…………」
『……筒美くん? どうしたんだい? 何かあったのかい』
私の沈黙に、根津校長の声から明るさが消え、代わりに深く、温かい心配の色が混じる。
彼は何かしらを感じ取ったのだろう。
責めるでもなく、急かすでもなく、ただ私の言葉を待ってくれている。
その優しさに触れた瞬間、張り詰めていた糸が切れた。 もう、嘘はつけない。この人には、取り繕えない。
「……先生。私、やったよ」
雨音に紛れてしまいそうな声で、私は告げた。
「さっき、会長を殺した」
『…………』
息を呑む気配すらなかった。
ただ、深い沈黙が落ちた。それは拒絶の沈黙ではなく、私の罪も痛みも、すべてを一度受け止めようとする、教育者としての沈黙だった。
『……そうか。……辛かったね』
返ってきたのは、叱責ではなかった。
どうして、と理由を問う言葉ですらなかった。
ただ、そこに至るまでの私の苦しみを労う言葉だった。
目頭が熱くなる。涙が溢れてくるのを必死で堪えた。
私は泣く資格なんてない。
「……言い訳はしないし、逃げるつもりもない。ただ、あんたに一つだけ、頼みがあるんだ」
『なんだい? 言ってごらん』
「駿河 天馬。今年、雄英を受験する中学生だ」
私は濡れたガラスに額を押し付け、祈るように言葉を紡ぐ。
「私のことはどうなってもいい。泥を被るのは私だけでいい。……でも、あの子だけは。あの子だけは、光の中を走らせてやってほしい。だからあの子を特例で雄英に入学させてくれ。」
私は、公安が天馬をマークしていること、彼女の特異性、そして私が守りたかった未来を、すべて話した。
根津校長は、静かに、一言も聞き漏らすまいと耳を傾けてくれた。
そして、私の言葉が途切れると、彼はゆっくりと口を開いた。
『ふむ……。君の覚悟、そしてその少女の特異性。特例の件はわかったのさ』
校長の声は穏やかだったが、そこには教育者としての厳格な響きが混じり始めた。
『しかし、雄英はそれでも難関校。いくら君の頼みとはいえ、無条件で入学させてしまっては、他の受験生が納得しないのさ。教育機関としての公平性は守らなきゃいけないからね』
「……じゃあ、どうしろって言うんだい」
『だから、条件があるのさ』
根津校長は、試すように告げた。
『彼女には一般入試を受けてもらう。そこで上位36位より高い点数を取った場合のみ、定員枠外の“37人目”として、その特例を認めるのさ』
36位。
それは、推薦入試組を除いた、一般入試における実質的な合格ライン。
つまり校長は、「特例は認めるがコネで入れるつもりはない。実力で枠を勝ち取ってみせろ」と言っているのだ。
でも。
「……はは、厳しいね。でも、あんたらしいよ。まさに
私は思わず笑ってしまった。
そうだ。あの子は、そんな安っぽい情けで守られるだけのタマじゃない。
「いいだろう。その条件、乗ったよ。……あの子なら、余裕でクリアするさ」
『おや、即答だね。信頼、しているんだね』
「当たり前だろ。誰が育てたと思ってるんだ」
私の返答に、受話器の向こうで根津校長が満足げに笑う気配がした。
『交渉成立さ。……君が自らの人生を投げ打ってまで守ろうとした「原石」だ。私の教育者としての矜持にかけて、公安の手出しはさせない。合格さえすれば、彼女は
「……ありがとう。……やっぱり、あんたは最高の先生だよ」
安堵で、膝から力が抜ける。
これでいい。私の役目は終わった。
あとは、あの子が走るだけだ。
『筒美くん。……君は、本当に優しい子だ』
最後にかけられたその言葉は、殺人鬼になった私への、最初で最後の救いだった。
受話器を置くと同時に、遠くからサイレンの音が聞こえ始めた。
私は電話ボックスから出る。
(走れ、天馬)
お前の走る道は、私が綺麗にしといてやった。
だから、振り返らずに走れ。誰よりも速く、誰よりも先へ。
視界の端で、赤色灯が回る。
私は、最後にもう一度だけ、あの子と食べたソーダ味のアイスの味を思い出した。
「……あーあ。クレープ、奢り損ねちゃったな」
それが、レディ・ナガンとしての最後の言葉だった。
続く?