ニューアルバムのレコーディングまでの休暇早々、凡河内は高梨を伴い、ロンドンを訪れていた。
「俺はレコードショップを回ろうかと。」
「付き合うわよ。」
「どこか行きたいところは?」
「……それは次回でいいわ。観光名所を観てまわるよりもね。」
凡河内が高梨を気遣うが、高梨はあっさりとそれを断り、凡河内主導で行動することとなった。
「こっちではレコードの新譜が少なくないのね。」
「さすがにコレクターズアイテムだとは思うよ。あとはDJ向けか。」
「7インチ盤なんて久々に見たわ。」
「ドーナツ盤じゃないんだよね。アダプターがいらなくていいと思うんだけど、なんで日本だとドーナツ盤だったんだろ。」
「そう言えばそうね。……どういうジャンルを探してるの?」
「ジャケ買いかな。何枚か試聴させてもらえれば。」
レコードラックを次々と手際よく漁っていく凡河内に、高梨が楽しそうに聞く。
「『ここからここまで』とかはやらないの?」
「……やらないと言うか、できないよ。予算的にも時間的にもね。そもそも持ち帰るだけで一苦労するしさ。」
「やったことあるの?」
「去年、レコーディングでロンドンに来たときに、ちょっとね。あのときはレコード会社の荷物に紛れ込ませたけど、今回はプライベートだから。……枚数が多かっただけで、『ここからここまで』はやってないよ。」
手を止めることなく凡河内がレコードを探しつつ、高梨に答える。
「雪さんは……雪は、気になるものはないの?」
「なかなか慣れないわね……。あなたが探すのを見てるから。」
そう答える高梨の手には、女性ボーカルのレコードが数枚、収められている。
「レコードも聴くんだ。」
「せっかくだから。インテリアとしてもね。……ちゃんと聴くわよ。」
「別に疑ってないよ。」
慌てた様子の高梨を微笑ましく感じながら、十枚ほどのレコードを手に、凡河内が高梨に振り返る。
「これくらいかな。試聴できるか聞いてくるから、待ってて。」
「喋れるの?」
「カタコトならどうにか。」
「じゃあ、通訳するわよ。」
凡河内の手を引くように、高梨が店員に声を掛ける。
「Can I listen to them?」
戦利品をホテルに預け、軽く昼食を摂りながら、二人は今日の予定を確認する。
「パブをまわる前に、楽器を見たいんだけど。」
「構わないわよ。……なにか弾くの?」
楽器店にはさほど興味はないのか、小さなステージが併設されたパブについて高梨が尋ねる。
「まずは純粋に愉しみたいかな。どういう人が出るのかもわからないしね。店によってジャンルが違うのかどうか、上手い人しか出られないところもあるかもしれないし。」
「あなたならどこでも……店によっては合わないかもしれないわね。」
「そうだね。滞在中に一回は弾ければいいかな。……歌う?」
「カバーのほうがいいかもしれないわね。MMEに練習スタジオ用意してもらう?」
「君がよければ。練習はしておきたいな。」
「じゃあ、それも予定に入れておかないと。」
出演できるパブがあるのかどうかもわからないまま、二人は準備だけは整えることとする。たとえ出演が叶わなかったとしても、ストリートミュージシャンのようにどこかで演奏するだけでも楽しいだろうと、高梨は感じていた。
「……英語、できるんだね。」
「母方の祖母がこっちの人なのよ。母と祖母が英語で何を話してるのか知りたくて、覚えたの。だから、喋れるって言っても日常会話程度よ。」
隠していたわけではないが、プライベートなことについては、それほど話して来なかったことに、今さらながらに二人は気付いた。
「そうなんだ。……これからも海外レコーディングなんかがあるかもしれないから、教えてもらってもいいかな?」
「それは構わないけど……時間は取れるの? 日本に戻ったら、レコーディングとプロモーションとツアーでしょう?」
「君が……雪がよければ……プライベートな時間を共有できないかな。」
意を決したように、凡河内が告げた。
夜になればステージのあるパブを巡り、ときにはライヴハウスで新進気鋭のミュージシャンの演奏を楽しむ。それを数日繰り返すと、凡河内は自らの音楽性に見合ったパブへの出演を交渉する。
「MMEに任せても良かったんじゃない?」
「飛び込みで出られるなら、それに越したことはないしね。『レコード会社が後ろにいる東洋人』って先入観があるよりはさ。」
「それもそうね。」
「今日は俺ひとりで出るけど、ボーカルが居ないとダメなところは、雪にも出てもらうから。」
「それは構わないわよ。……まさか、その為に誘ったの?」
凡河内の誘い言葉に、楽しそうに高梨が返す。
「だとしたら?」
「どうもしないわよ。……自分では歌わないの? デモテープでは歌ってるじゃない。」
「ステージで歌おうとは思わないな。」
「沢口さんが居るから?」
「いや、俺はギタリストだから。」
「ギター・ボーカルって人も居るわよ。」
「できるできないじゃなくて、やりたいかどうかかなあ。ギター・コーラスで十分だよ。俺はギターを聴いて欲しいんだしね。」
凡河内ひとりでも、高梨とのデュオでも、それぞれ数回の出演をこなし、凡河内はそれなりの手応えを感じていた。
短いイギリス滞在を終え、凡河内と高梨はヒースロー空港で日本へのフライトを待っていた。
「なんだかあっという間だったわね。なにか参考になった?」
「いい刺激をもらったのは確かだけど……考えさせられることも多かったかな。」
「ギター一本だけじゃ限界がある?」
「そこはどうだろう。バックバンドを入れてギターを聴かせるミュージシャンは珍しくないからね。」
「私が歌ったときのほうが盛り上がってたと思うわよ。」
「ボーカルとギターのユニットのほうがわかりやすいんだろうね。ただ……。」
「どうかして?」
「若くて綺麗な女性が歌ってるほうが、ひょろっとした東洋人がギター弾いてるだけよりは、やっぱり受け入れられるよね。」
「そんなことないわよ。オリジナルの楽曲よりもカバー曲のほうが……。」
「そこだよなあ。有名な曲のカバーなら知らなくはないし、歌詞も伝わるし。それを考えると……。」
「海外進出?」
「うーん。言葉の壁もそうだけど、楽曲自体が受け入れられるのかどうか。何を歌ってるのかわからなくても、聴いてて楽しい、気持ちいいになればいいのかもしれないし。」
「歌詞を理解して、洋楽を聴いてる人たちばかりじゃないものね。」
「そうだね。ただ、海外でそれが通用するのかどうか。」
「海外進出したミュージシャンって、英語で歌ってるイメージがあるものね。」
「海外盤だけ英語詞にするのもね。ただ……」
ラウンジで語り合う二人の前に、ラフな身なりの外国人男性が現れ、声を掛ける。
「Excuse me. Mr. Bonchan, I suppose?」
「イ、イエス……。アイムオオシコウチ。ボンチャン。アーユー……」
(オスターバーグ!?)
「Shh.」
男性が、イギリスのアーティスト、オスターバーグだと気付いた凡河内が立ち上がり、動揺しながらもそれを問おうとすると、男性は唇に人差し指を当てて、名前を呼ばないようにとジェスチャーする。
『よろしければ通訳しましょうか?』
二人のやり取りを見ていた高梨が、通訳を買って出る。
『ありがとう。妻が君のファンだと言うんでね。よかったら写真を一枚、どうかな。』
「もちろんです。あなたと写真を撮らせてもらっても?」
『構わない。妻を呼んで来るよ。』
思いがけない出会いに、凡河内は喜びを隠しきれず、大急ぎでバッグからカメラを取り出す。
「何も言えなかった。ファンだって言わないと。」
「落ち着いて。その機会は作るから。」
オスターバーグが戻るまでに、凡河内を落ち着かせようと、高梨が手を握る。
「そうだ。四人で写真を撮るなら……」
「プライベートなのにごめんなさいね。私のわがままで。妻のミエコです。」
撮影を誰かに頼めないかと周囲を見回す凡河内に、オスターバーグ夫人が挨拶する。
「あら、日本の方?」
日本語の挨拶に高梨が驚いて聞き返すと、凡河内が挨拶する。
「凡河内です。初めまして。元々、レコード会社の洋楽部門にお勤めでいらしたんですよね?」
「あら、よくご存知ね。」
オスターバーグ夫人がにこやかにそれを認めると、高梨も気を取り直して挨拶する。
「高梨雪です。シンガーとして活動しています。」
「知ってるわよ。雪ちゃん、大変だったわね。」
「いえ、自業自得ですから。おかげさまで、多くの方にサポートしていただけまして。」
「その一人が凡ちゃんさんってことなのね。」
「いや、まあ、はい。」
オスターバーグ夫人が二人の関係を深く問わなかったことで、凡河内は曖昧に口を濁す。
『待たせたね。こちらのスタッフにカメラをお願いすることになった。』
オスターバーグがラウンジの男性スタッフを伴って戻ってくると、それぞれのカメラで何枚か撮影する。
「お会いできて嬉しかったわ。ますますのご活躍を期待してるわね。」
「いえ、こちらこそ。お声掛けいただき、ありがとうございました。」
オスターバーグ夫人と凡河内が挨拶を交わし、四人がそれぞれ握手をする。
『では、またどこかで。』
「……あの……ミスター。」
踵を返そうとしたオスターバーグを凡河内が呼び止める。
「もしよろしければ、あなたのレコーディングでギターを弾かせていただけないでしょうか。」
凡河内の願いを高梨が通訳する。
『残念ながら、ノーだ。』
オスターバーグは、にべもなくその願いを拒絶する。
『私のメールボックスには、毎日のようにそうしたオファーが舞い込んでるんだ。いちいちそれを受け入れていたら、いったい何曲作ればいいんだろうな。』
偶然の出会いになにかを期待していた凡河内は、オスターバーグの答えに落胆の色を隠せなかった。
「それはそうですよね……。」
『ただ、いつか君のギターが必要だと思ったときには、改めて私からオファーをさせてもらおう。』
「はい! その日まで研鑽を積んでおきます。今日はありがとうございました。」
「Good Luck.」
社交辞令に過ぎないと思いながらも、オスターバーグの前向きな言葉に心を奮い立たせ、凡河内は感謝を述べた。
オスターバーグ夫妻と別れた凡河内は、ソファにもたれるように座り込む。
「はあ、びっくりした。」
「それはこっちの台詞よ。初対面で、あなたのことを知ってるのかどうかわからないのに、あんなオファーするなんて。」
突然の凡河内の行動を思い返すと、高梨が気色ばむ。
「ここを逃したら次の機会がいつになるかわからないから。少なくとも、奥さんは俺のことを知ってたんだし。」
「それにしたってよ。怒らせることはないとは思ったけど、ヒヤヒヤしちゃった。」
「……そうだよな。もし気分を害されてたとしたら、それも通訳しなくちゃいけないんだしね。勝手なことして悪かったよ。」
「何事もなくて良かったわよ。奥さんがずっとにこやかで助かったわね。」
落ち着きを取り戻した高梨が、ほっとしたようにこぼす。
「そうだね。俺のファンだって言ってたんだしな。……若い女性に話し掛けさせたくなかっただけかな?」
「変なとこで自己評価が低いのね。『凡ちゃん』って言われてたじゃない。」
「そうだった。なんかまだ混乱してるみたいだ。」
凡河内はまだ夢見心地なのか、どう声を掛けられたのか、指摘されるまで思い出せなかった。
「もう……それだけ、憧れの人なのね?」
「うん。ギターを始めた頃の夢が、オスターバーグなんかと共演することだったから。」
「すぐそばまで、それこそ奥様までは届いてるじゃない。」
「その、あと一歩が遠いのかもしれないな。日本で活動してればなおさら……。」
オファーをあっさりと断られたことに、凡河内は現状認識を改めようと思い直す。
「さっきの話に戻ったわね。」
「そうだっけか。」
「海外盤とか、英語で歌うほうがいいのかとか。そんな話。」
「ああ、そうだ。……そうだよな、日本だけでやってたら、届かなくても当然なんだよな……。」
「どういう形であれ、あなたのギターが求められるようになるといいわね。」
そんな高梨の言葉すら耳に入ることもなく、凡河内の思考は沈んでいった。