◆ ◆
「——ござござござござござっ!」
槍と盾を構えた香識が雄叫びと共に突進すれば、冗談のように人が宙を舞った。一人二人ではない。五人六人。まとめて人を撥ね飛ばしながら、香識は機関車の如き勢いで倉庫内を駆け巡っていた。
「どうしたどうした不埒者ども! 軟弱惰弱貧弱虚弱! 逃げ回るばかりが主らの能か!? 拙者の槍を迎え討とうというものはおらぬのか! 我が名は『
「……もう全部あいつ一人でいいんじゃねぇの?」
水を得た魚のように意気揚々と暴れ回る香識を見ながら、轢識は呟く。
「情けねぇこと言ってんな、轢識さん。言っとくけど、殺った人数一番少ない奴が今日の呑み奢りだからば」
「おいそりゃないだろ絶識! 俺ぁ乗り物がねぇとテンションが三分の一になるんだよ!」
レンチで仮面の一人を殴り殺しつつ、文句を垂れる轢識に、絶識は「戦闘力がではねぇんだな」とツッコミを入れながらほんの一瞬、刀の鍔を親指で持ち上げる。次の瞬間、りんと鈴の音。響き、背後から迫ろうとしていた仮面の一人が袈裟斬りに切り捨てられた。居合。目に映らぬほどの神速。血すら付かぬままの刀を再び鞘に納め、絶識は次の獲物へと狙いを定める——が。
「もーらい」
その一人の首を、風の切る音共に鞭の先端がさらう。肌肉どころか骨までをも裂き、首を落とす見えざる閃撃。『
「てめぇ、そりゃ俺の獲物だぞ」
「モタモタしてるのが悪いんだもーん」
けらけらと笑いながら、乙識は次々と踊るように鞭を振るう。風を切り裂く鋭利な音が響くたび、仮面の首が落ち、残る胴から血の曼珠沙華が咲く。それは一つの幻想絵画のように。その間にも香識の突撃は止まず。不埒な襲撃者はみるみるうちに数を減らし——
「……あ?」
それに気が付いたのは、だからその場にいる他の誰でもない、名前のない少年だけのことだった。
殺戮の嵐が吹き荒れる倉庫。その開け放たれたシャッターの向こうから、一人。仮面をつけた何者かが、こちらへと歩いてくる。ゆっくりと、焦り一つなく。襤褸の外套を翻し、その手に鋼の剣を持ちながら。
その人物は、まるでそれが当たり前であるかのように倉庫内へと堂々と侵入する。
空間を走る鞭にも、駆け巡る槍にも、振るわれるレンチにも、命を刻む刀にも、まるで怯むことなく——否、否、否。
その姿から、少年は目を離せない。離すことが、出来ない。気付いている。その存在に、少年は確かに気付いている。それがどれほど危険な存在であるのかにも、おそらくは。だというのに、声が出ない。他の誰もが、それの存在に気が付いていないとわかっているのに。他の誰もに、それの存在を気付かせなければいけないとわかっているのに。
なのに、少年は何も出来ない。
ただ——体が悴む。
まるで極寒の冷気に襲われたかのように。
臓腑から熱が奪われ、骨肉が硬く強張り、心がさえ——恐怖に縛られる。
そして、ついに。
その存在は、倉庫の中を一周し、狙いを定める。
鞭を振るう、童話の姫君。零崎乙識の、その背後にて——立ち止まる。
「————ぁ」
呟く声が、情けないほどに小さく。
けれど、どこかにまた、安堵がある。
選ばれたのが、己でなくてよかった、なんて。
そんな卑劣な安堵が、心のどこかに浮かぶ。
このまま動かなくてもいいんじゃないか、なんて。
どうせ死ぬのは
そんな逃避も、また浮かぶ。
いや、それは逃避なのだろうか?
だって、そう。
だって、
どれほど優しくても。
どれほど親しくても。
彼らは社会の外れもの。
他の全ての人類にとっての害。
人を殺す。許されざる——悪。
その命の灯火が消えるからと言って。
一体、何の不都合がある?
乙識の背後で、それは手に持つ鋼の剣を、分厚く、長大な大剣を、まるで処刑人が持つ斧のように、高く、高く高く振り上げた。
ゴクリ、と。
少年は生唾を飲む。
殺人鬼は——悪でしかない。
ならば。
ならばこのまま見ているだけの方が。
そんな思いが、脳裏を駆け巡る中。
無貌の面が、けれど確かなる殺意を宿し。
その刃を断罪の如くに振り下ろして——
「————ぉぉおおおおおおああああああああっ!」
その剣は。
けれど乙識を捉えはしなかった。
雄叫びと共に、遮二無二飛び込んだ少年が、乙識の体を強引に押し倒す。自分でも、なぜそんなことをしているのか、なぜそんなことができるのか、何一つわからなくて、けれど。
それでも少年は、確かに動いた。
振るわれた剣は乙識の体には届かず——代わりに、少年の左目をわずかに掠めて過ぎ去って行く。瞼が薄く裂け、血が視界を奪う。痛みが脳を貫くけれど、しかしそんなことよりも、今は。
「絶識! 頼む!」
驚いてだろう、目を白黒させる乙識に覆い被さったまま、少年は叫ぶ。みっともなく、無様にも。己にできたことはここまででしかない。追撃は、防げない。だから——振り上げられる剣を前に、彼は最も信頼できる友の名を呼んだ。
「よくやった、兄弟」
言葉と共に、差し込まれた刃が剣の一撃を防ぐ。ギン、と鳴り響く金属と、舞い散る火花。白磁の仮面が、薄く照らされる。
刀が剣を弾き上げ、両者は互いに一歩、後退った。
「何もんだ、てめぇ、どっから湧いて出てきやがった?」
刀を鞘に納めながら、絶識は問う。返る答えは、当然なく。
静寂。両者は睨み合い——
「——ござござござござござっ!」
そこへ真横から、甲冑騎士が突貫する。見れば、いつのまにか、倉庫内の敵は最後の一人を残して掃討されていた。
突然の乱入に、けれど残る一人は怯まない。外套を翻し——刹那の見切り。突き出される槍に剣の樋を合わせ、その軌道をわずかに逸らす。突進の勢いはそのままに、軌道だけが僅かにずらされ、耳障りな金属音を残して甲冑騎士は敵を通り過ぎる。
槍を外した香識は両足を揃えてザリザリと地を擦り急停止。振り向いては再び槍と盾を構える。
「……他の軟弱者どもとは違う気配でござるな」
香識は呟く。ちょうど、正体不明の敵を、絶識と挟み合う位置で。
「お前さんが元締め、ってとこか?」
くるくると手元でレンチを回しながら、轢識もまた近くに寄る。剣のリーチを警戒してだろう、僅かに外寄りの立ち位置。その逆側で、乙識もまた目から血を流す少年を庇いながら鞭を構える。
四人の殺人鬼に囲まれ、仮面の人物は——
「……頃合いか」
と。
低く重たい声で、そう呟き——ば、と外套を翻す。風がたち、四人は攻撃に備えて各々の武器を構えるが——
「……消えた?」
風が止めば。
そこにはもう、人影などどこにもなく。
脅威はその場から、消え去った。
「……何だったんだ、あいつは」
絶識は呟く。いや、そもそも、なんだったのだといえば全てがそうだ。単なる商取引のはずが、なぜか襲来した刺客。彼らは一体何者なのか?
「……おい、見ろよ」
疑問に思ったのは、何も絶識だけではなかったようで、しゃがみ込んだ轢識が、死体の一つから仮面を剥ぎ取る。すると、そこには——
「顔が、ない?」
それは元が人であったとはとても信じられぬ異形の顔面だった。個人の特定を不可能にするためだろうか? 顔は瞳を残して削ぎ落とされ、その上で焼き潰されている。口元には歯すらなく、引き抜かれた舌の代わりに布切れが詰められていた。
「他の死体も似たり寄ったりでござるな」
確認した香識が言う。焼き潰されていたのは顔だけではない。手指の指紋も同様だ。個人の特定につながるような要素が尽く潰されている。つまり、それは——
「……報復の防止ってわけだ。狡い真似しやがって」
絶識は吐き捨てる。零崎一賊を守る鉄の掟。誰であろうと、敵対したものは皆殺し——その理を無効化するための工作、ということだろう。だろう、が——
「それにしては覚悟が決まりすぎてるでござるよな」
ここまで酷く顔を潰せば、長くは生きられんでござろうに。香識はやれやれと首を振る。
「いずれにせよ、こんなでも死体は手がかりだ。御神籤楼に持ち帰ろう」
「あんま、意味はないとは思うがな」
言いながら、轢識たちは死体を運び出す。その裏で、少年は乙識と話していた。
「……お目目、大丈夫?」
「……ま、多分」
それは強がりだった。今も痛みは激しいし、正直、左目の視力を失うことも覚悟しなければならない状況だろう、と少年の冷静な部分は告げている。だがそれでも、それを目の前の彼に伝える気にはならなかった。
「そっか」
察されてか、あるいは。乙識は言って、小さく微笑む。
「守ってくれて、ありがとう」
ごめんね、ではなく。
ありがとう、と。
そう言われて、どこか。
心の中にあった後ろめたさが、救われるような。
乙識はそんな少年に向けて、懐から取り出した何かを渡す。
「これ、あげる」
ぽい、と投げ渡されたそれを受け取れば、手の中にあったのは、小さな銀色の輝きX彼女が最初に持っていたジッポーライターだった。いかにも質の良い、高そうな作りのそれ。
「いいのか?」
「うん。禁煙、するんだ」
だから、あげる。
彼は言って、自分を見上げる少年の額にキスをした。
「無くしちゃダメだよ、大人になるまで」
彼は言って、立ち上がる。
少年は手の内のジッポーを開き、火をつけた。
暖かな火がゆらめいて。
それは一つの、祝福のような色だった。
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