零崎零識の人間探究   作:忘旗かんばせ

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第一話『あたらしいいえ』1

 

 ◆   ◆

 

「——わっははははははは! 零識さん、ダぁーっサ!」

「うるせーやい」

 

 背もたれのない回転椅子の上。頭頂部を氷嚢で冷やしながら、男は拗ねたようにそっぽを向く。口元には煙草のような何かが咥えられているが、火はついていない。当たり前だ、だってそれは煙草ではなく、ココアシガレットなのだから。

 

 零崎零識——この男はなんというか、子供っぽい。

 直情的で、感情を素直に表に出す。その上、煙草も吸えない甘党だ。ともすれば、実年齢では半分以下だろう自分よりもずっとガキなんじゃないか? なんて。

 

 全身を鎖でぐるぐる巻きにされた少年は、男を観察しながらそんなことを思った。

 

 奇襲は完璧に上手く行った。急所を蹴られ、痛みと怒りによって理性を無くした零識が無警戒に部屋の外に出たところを、殴打一発。脳天に一撃をくれてやり、男が気絶した隙に逃走——を、するつもりだったのだが。

 

 上手く行ったのは、奇襲までだった。

 

 零識は確かに、脳天に角材を食らって意識を失った。失ったが——それは一瞬だけだった。

 

 つまりは、単純な威力不足。長年檻の中に監禁され、ほとんど飢餓状態だった少年の腕力では、角材という凶器を利用したところで、成人男性の意識を眩ます一撃程度はお見舞いできても、成人男性の意識を奪う一撃までもは放てなかった。

 

 結果として、倒れ込む体が地面に横たわるよりも早く、零崎零識は失いかけた意識を取り戻し、即座に攻勢に反転。少年のことを捕らえると、そのまま近場にあった鎖で雁字搦めに縛り上げ、動けなくなった少年を俵担ぎに拉致してみせた。

 

 拉致。

 そう、拉致だ。

 少年は身体の自由を奪われた上で、拉致されたのだ。

 

 あの深い闇の中。檻の底から——この場所。零崎一賊の拠点の一つだという楼閣——『御神籤楼(おみくろう)』に。

 

 下手くそな駄洒落だ。少年は思う。楼閣、なんて言葉自体、そもそも名前負けだ。字面から想像されるような洒落たそれではない。合っているのはその建物が重層構造であるということだけで、そもそも、東洋建築のそれですらもない。

 

 無法、無秩序、無鉄砲。増築に増築を、拡張に拡張を重ね、渾然一体となったいくつもの建物。融合するそれらが作る肥大した鉄骨とコンクリートの迷宮。それこそが、この『御神籤楼(おみくろう)』の正体だった。

 

 近いのは、だからきっと香港にあるという九龍城砦だ。無数の建物、無数の増築、無数の混合。その繰り返しによって楼閣の如くに肥え太った、違法建築の極点。その縮小邦訳版が、つまりはこの『御神籤楼(おみくろう)』なのだ。

 

 御神籤……なんて悪い冗談。相応しい名前は、きっとむしろ阿弥陀籤だろう。どの入り口から入れば、どの曲がり角で曲がれば、どの階段を上がれば……たった一つの選択ミスで、迷宮の奥底に囚われる。内部構造を知らぬものが一度入り込めば、きっと白骨になっても出られまい。

 

 少年とて、仮に身を縛る鎖を外されても、この建物からは出られまいだろう。零識に連れられて入り込んだ時点で、逃走を考えて必死に道中の道を覚えようとしたが、あまりにも複雑すぎて無理だった。いや、ただ複雑なだけならなんとかなった。この建物の内部を走る道は、それだけには留まらない。ドアの開け閉め、荷物の置き運び。そんなものですら、建物内部の構造が変わってしまう。そこらにおいた荷物を階段に、半開きのドアを足場に、壊れて垂れるケーブルを頼りに、冗談かと思うような道なき道を、零識は少年を抱えたまま通ってみせた。同じ道を戻ろうとしても、おそらくもう道自体がないだろう。そう思わせるようなルートを、あえて通って。

 

 今現在、少年は自分が建物のどの辺りにいるのかもわからない。少なくとも、容易に出られる場所ではないのは確かだ、ということくらいしか。

 

 部屋の中は綺麗だった。少なくとも道中よりは遥かに。

 

 タイル張りの床に、壁紙の貼られた壁。そこには大きな鏡が掛けられていて、そしてその根本にはなぜか洗面台がある。さらにその前には、背もたれが異様に深く倒れるような構造の、奇妙な椅子が備え付けられていた。

 

 それに、何か。

 部屋の中では、花のような、いい匂いがするような気がして——

 

「床屋さん、来るの初めて?」

 

 唐突に、そんなことを問われた。

 話しかけてきたのは、零識のすぐ近くに侍っていた女だった。

 

 ネイビーブルーのセミロング。よく日焼けした肌に、若い顔立ち。口元にはピアス。目元には泣きぼくろ。身長は百五十センチ程度と言ったところか。それを厚底のブーツで底上げし、両手にはそれ自体がなんらかの凶器なんじゃないかと疑うほど大きな色取り取りの付け爪を付けている。

 

「わはは、髪の毛なっがいねぃ。いつから切ってないんだねぃ、それ? ねぃ、零識さん、この子の髪、切ってあげなよ」

 

 女の言葉に、零識は「後でな」とそっけなく返す。

 

「……誰なんだ、あんた」

 

 少年が問えば、女はにやにやと憎たらしい笑みを浮かべる。

 

「人に名を尋ねる時はまず自分からって習わなかったかねぃ?」

「習ってねぇ」

「ついでに言えば、そいつはそもそも名前がない」

 

 横から口を挟んだ零識に、女は驚いたように目を見開く。

 

「だからあんまり虐めてやるな、捌織(さばおり)

 

 言われて、捌織と呼ばれた女は降参するように両手を上げた。

 

「大人気なかったよ、ごめんごめん」

 

 言って、彼女は今度こそなんの含みもなく笑った。

 

「……あんた、捌織っていうのか」

「そ、あたしは捌織。零崎——捌織。人呼ばれて『箱解き娘(ボックスプレゼン)』の捌織、ともねぃ」

「こう見えて、『暴力の世界』じゃあ、そこそこ有名なプレイヤーなんだ、こいつは」

 

 自己紹介に、零識が補足を加える。

 

「プレイヤー?」

「名うての人殺しってことだ。実力派の殺人鬼だよ」

 

 殺人鬼——こいつもなのか。少年は捌織を見つめる。その視線をどう勘違いしたのか、彼女は胸を張って言った。

 

「そーそ。実力派なのさ、あたしは。こうして覚えめでたく、零識さんの側に愛人として侍らせてもらえるくらいにはねぃ」

「流れるように嘘を吐くな」

 

 子供の前だぞ、と零識は窘めるように言う。

 

「……嘘なのか」

 

 なんとなく、『そういう』関係なのかと思った少年だったが、当てが外れたようだ。

 

「わはは、なぁに、もしかしてあたしと零識さんがお似合いに見えちゃったり?」

「まあ、お互い信頼しているようだったし、そういう関係なのかと」

「え、マジ? ねぃ零識さんどうしよう、この子可愛い」

「現金なやつだなお前は……」

 

 ため息を吐いて、零識は首を振った。

 

「こいつと信頼し合っているのは確かだが、それは家族だからってだけだ」

「そーいうこと」

 

 言われて、少年は思わず零識の左手を見る。

 家族。

 

「……つまり、結婚してるのか?」

 

 少年が言えば、捌織は「わはは!」と腹を抱えて笑う。

 

「結婚! 結婚か! いいね、零識さん、私と結婚しちゃう?」

「冗談はよせ、捌織。俺は浮気はしない主義だ」

 

 ましてや家族となんて、と零識はココアシガレットを噛み砕きながら言った。

 

「……確かに、俺は結婚している」

 

 少年へと向き直って、零識は言った。

 

「ただし、こいつとじゃない」

 

 隣の捌織を指差しながら。

 

「残念ながら、そーゆーことなんだねぃ」

 

 肩を竦めて、捌織は首を振った。

 なるほど、だから『愛人』なんて冗談を言ったわけだ。少年は一人納得する。零識の左手の薬指には、確かに指輪が嵌っていて、そして捌織の同じ指は空白だった。

 

「ま、それでもあたしの心は零識さんのものなんだけどねぃ。惚れちゃダメだぜ、末っ子くん」

「……末っ子?」

「そーそー。だって零識さんがここに連れてきたってことは、君も『家族』なんでしょ?」

 

 最新の家族なんだから、末っ子くんだよ、なんて捌織は言う。

 しかし——

 

「……さっきから、というか、初めからずっと疑問だったんだが——」

 

 少年は眉を顰めて怪訝に問う。

 

「あんたらの言ってるその『家族』ってのは、一体全体どういう意味なんだ」

 

 睨み付けるような視線に、捌織はきょとんとした表情で首を傾げる。

 

「どういう意味って……そのまんまだけど」

「だとしたらおかしいだろ。俺とあんたは血が繋がっていない。もちろんそこの男ともだ」

「うん。私もそうだねぃ。で?」

「で……って。血縁もないのに家族だなんだと、ありえないだろう」

「ふうん? 不思議なこと言うねぃ。さっき君自身、言ってたじゃん。——『結婚してるのか』ってさ」

 

 結婚は、血縁じゃないもの同士が家族になることでしょ?

 彼女はあっけらかんと言った。

 

「それは……そうだが。俺は誰とも結婚してない」

「あたしもだよ。でも、人と人が家族になる方法は結婚だけじゃないさ」

 

 彼女は言って、少年と視線を合わせる。

 

「血縁がどうだとかさ、そんなことで『家族』って決まるもんじゃないよ。血縁があってもなくても、人間と人間はどうしたって他人だし、そしてどうしたって他人だからこそ、家族になることができるんだ」

「……なんだよ、そりゃ。禅問答か?」

「わはは、今はまだそう聞こえるかもねぃ」

 

 でもそのうち、わかるようになるよ。彼女は言って、笑って見せる。少年は納得がいかなかった。

 

「今は、ね……鎖で縛って拉致しておいて、お前は『家族』だ、って?」

 

 鼻で笑えば、けれど捌織は込められた皮肉も気にせず「確かにねぃ」と頷いた。

 

「ね、零識さん。いい加減これ、解いてあげなよ。もう十分落ち着いてるみたいだしさ」

「ん、そうだな」

 

 そんな軽い言葉と共に、溶けてゆるくなった氷嚢を脇に置いて、零識は立ち上がる。

 

「もう暴れる気はないか?」

 

 問われて、少年は不承不承にも頷いた。

 

「よし」

 

 そして零識は、懐から抜き放ったナイフを——一振り。

 たったそれだけで、幾重にも巻き付けられていた太い鎖が尽く絶たれ、少年は自由になる。鎖は綺麗に断ち切りながらも、それが縛っていた少年の体には、傷ひとつない。

 

「…………」

 

 自由になった体を、少年は確かめるように動かす。

 

「どうだ、暫くぶりの自由の身は」

 

 頭は冷えたか? そんな零識の問いに、少年は——

 

「——冷えるかボケッ、死ね、誘拐犯!」

 

 それまで己を縛っていた鎖の一本を拾い上げ、それを武器に零識へと飛びかかった。

 

「わーお、やんちゃだねぃ」

 

 呆れたように、捌織は呟く。呑気なものだ、今まさに、己の『家族』とやらが今まさに殺されようという瞬間なのに。少年は思いながら、たった今拾ったばかりの鎖を巧みに操り、零識の頭蓋へと強烈な鞭打を与えようとして——

 

「甘い」

 

 衝撃。

 世界が——逆さまになる。

 

 いや違う。逆さまになったのは世界じゃない——自分だ。

 いかなる技によってか、攻撃を仕掛けた側だったはずの少年は後の先の反撃を受け、宙を舞ったのだ。ひっくり返り、頭から地面へと落ちながら、そんなことをぼんやりと考えて——

 

 その頭が床に叩きつけられるよりも前に、その足をがしりと掴まれる。

 

 ぶらりと逆さ吊り。頭に血が溜まっていくのを感じる。

 

「才能はそれなり。殺意は鈍ら。経験は未熟も未熟ってとこか」

 

 新しいココアシガレットを口の端に咥えながら、零識は少年をそんな風に評した。

 

「プレイヤーとしても殺人鬼としても、ひよっこどころか卵の中ってとこだな」

 

 かはは——零識は笑って、拘束を逃れようとする少年を関節を極めて拘束すると、そのまま椅子に座ってその膝の上に少年を乗せた。

 

「なんだ、俺をどうするつもりだ」

 

 キャンキャンと吠える少年に、零識は見せつけるように笑みを浮かべる。

 

「古来より、子供の()()()にゃあ、これが躾と決まってるもんだ」

 

 言いながら——零識は少年のズボンに手をかける。

 

「おい——おい待て! 本当に何する気だ!」

「だから言ってるだろ? 躾だって。やんちゃなのはいいことだが、約束破りは頂けないな」

 

 暴れる気はないか、って聞いただろ? 零識は言いながら——少年のズボンをずらす。薄い下着に包まれた、薄い生尻が外気にさらされた。

 

「悪い子にゃあ——おしりぺんぺんの刑ってな」

「————やめろぉおおおおおおおおおおおおお!」

 

 少年の絶叫にも似た懇願は、けれど聞き入れられることもなく。

 

 刑は執行される。

 

 少年のせめてもの名誉のために、過程は省く。

 後には尻を赤く腫らした少年と、爆笑する捌織が残った、とだけ伝えよう。

 

 いつか、この男を必ず殺してやる。

 眦に涙を浮かべながら、少年はそれを決意する。

 

 残念ながら、その願いは叶わないのだけれど。

 

 時は未だ、新世紀の夜明けすら遠くの旧世紀。

 

 この程度の体罰は、たとえ殺人鬼でなかったとしても、未だ当たり前の時代だった。

 





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