零崎零識の人間探究   作:忘旗かんばせ

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第二話『たのしいおみくろう』1

 

 ◆   ◆

 

 御神籤楼での生活も、もう半月が経過した。痩せ細っていた体にも少しは肉がつき、痩け切っていた頬にも子供らしい柔らかさが戻り始めている。体力も随分ついて、初めは階段を登り降りするだけでも息を切らしていたのが、今では米袋を担ぎながらでも平然と御神籤楼の迷宮内を駆け回れるようになった。

 

「——ふぅ」

 

 肩に担いだ積荷を五月十日の厨房前に降ろして、少年は一息ついた。

 

 穀潰しを置いておく気はない。勝手に連れ去っておいてよくもそんなことが言えたものだと思ったが、しかし一方的に施しを受けるのも気に入らないのは事実。殺人鬼に『借り』を作りながら生きながらえるなんてぞっとしない話で、だから少年は積極的に『バイト』に勤しんでいた。

 

 御神籤楼には様々な『仕事』がある。どれほど混沌としていようとも、そこに住んでいるのが人である以上、人が暮らしていくために、労働は必須だ。

 

 たとえば食事。五月十日で提供されるそれであるが、しかしそこで振る舞われる食事は無から湧いて出てくるわけではない。『親愛感情(エコルシェフレンド)』零崎瞑識がその『調理』を担当しているように、その食材の『仕入れ』を担当するものがいて、またその食材の『運搬』を担当するものもいる。そうやって少しずつ、生活のための作業を分担しながら、この御神籤楼での共同生活は成り立っている。たとえば服ならそれを繕うものがいるし、たとえば上下水道を整備するものがいれば、たとえば電気配線を整備するものがいる。そしてそれらは必ずしも人員が固定されているわけではない。

 

 無論、たとえば食堂『五月十日』の厨房が零崎瞑識の支配領域であるように、他の誰にも換えが効かない固定の仕事もあるわけだが、逆に言えば、換えが効く仕事ならば誰がやっても良いわけだ。素人が電気配線の仕事を代わることはできないが、しかしそのために必要な銅線を運んでやることはできる。つまりはそういう話で、少年の『バイト』もそういうことだった。

 

「米十キロ。野菜一箱。肉類一箱。魚介類一箱。調味料各種に牛乳、バター、オリーブオイル……確かに。注文通りです」

 

 箱の中身をチェックした上で、瞑識は満足そうに頷く。山羊の被り物ゆえに表情は見えず、満足そうにというのはあくまでも想像でしかないが。

 

「配達はこれで終わりですか」

 

 午前の仕事はこれで終わりだ。少年がこくりと頷けば、瞑識は「それでは、何か食べていかれてはいかがでしょう?」と誘いをかける。確かに、腹は減っていたが——

 

「先にシャワーを浴びてくる」

 

 汗だくのまま、店で食事というのも憚られた。少年は言って、通路を奥に進む。まだ、道は変わっていなかったはずだ。

 

 荷物がなくなった分、体は軽い。ダクトを通じての循環空調はあるものの、温度調節機能はないため、必然、外からの風が吹き込まない内部通路は暑い。

 

 シャツを濡らした汗も引かぬまま、少年は通路を進み、シャワールームと書かれた引き戸を開ける。

 

 なんとも差別的で嫌になる話だが、この御神籤楼では男女の浴場は異なる。……いや、別に混浴にしろなんて主張がしたいわけではない。そこに敷居が敷かれていることに関して、特段違を唱えようというほど解明的な思想を持っているわけではない。そういう話ではなくて、つまり単純に、男性用と女性用で、浴場の構造が違うのである。

 

 あくまでも伝え聞く限りの話ではあるが、しっかりとした浴槽があり、ゆったりと湯に浸かって体を癒すことができる女性用の浴室に対し、男性用のそれはあくまでもシャワールーム。お湯を頭からぶっかける機能しかない、風呂椅子すらもない無味乾燥な洗い場だけが、男性用の『浴場』なのだった。

 

 幸いにして洗剤が石鹸しかないということはなくて、きちんとシャンプーとリンスが配備されているから、キューティクルが痛む心配はしなくて良いものの(そんな心配は元からしていないが)それにしたって、酷い格差だと思わざるを得ない。

 

 脱衣所で服を脱ぐ。小さめの鏡が備え付けられていて、そこに映った体はそれなりに逞しくなっていた。もちろん、元が欠食児童の痩せぎすだ。逞しくなったとは言っても、針金細工に薄く粘土がへばりついた程度のことでしかないが……しかしそれでも、マシになった。それを自慢に思うほどではないが、しかし変わったな、とは思う。あるいは、変えられたのか。……今ならば、あるいはあの変態サングラス男とも良い勝負ができるだろうか。なんて、冗談。少年はもう一つ引き戸を超えて、シャワールームへと入る。鉄パイプによる、雑な配管。立ち並ぶそれらに無理やり接続されたバルブをひねれば、天井から熱されたお湯が降り注ぐ。それを全身に浴びながら、石鹸で汗を流して——再び外へ。タオルで全身を拭き、ドライヤーで髪を乾かして、服を着直す。

 

 シャワーを浴びたのに服が汗臭いままというのは少し片手落ちだが、まあ、本体が汗だくでなくなっただけマシだろう。思いながら、再び暑い廊下を進み——

 

「——おや、湯浴み帰りですかな、坊っちゃま」

 

 その道中で、一人の人物と出会った。

 

 人物と、というか——

 

 人形と。

 

「……捻識(ねじしき)、さん」

 

 捻識——()()捻識。

 それが、彼の——あるいは『それ』の名前だった。

 

 改めて、少年はその姿を観察する。

 少年と同じ程度の、高すぎはしない背丈。球体関節に、比喩表現ではない、言葉通りの白磁の肌。機械仕掛けの瞼。ガラスの瞳に、切れ込みの口。人ではない、明らかな人工物。そう、それは服を裂いて背中から飛び出る発条のねじまきがなかったとしても、すぐにわかることだっただろう。

 

「はは、捻識さん、などと、恐れ多い。どうぞ、私めのことはネジ爺とお呼びくださいませ」

 

 オールバックの髪をその手で撫でながら、彼は歳経た梟のように笑う。

 

 ネジ爺——その呼び名は、きっと彼には相応しいのだろう。そう、その服装を見れば。一目瞭然だ。

 

 格式だった正装。いわゆるモーニングコートというのだろうか? 前裾が斜めにカットされたコートに、スラックス、ウェストコート、ノリの効いたワイシャツにネクタイ。ポケットチーフに、黒の革靴。さながら英国紳士の如き服装は、けれど付け加えられた白の手袋がその印象を変化させる。

 

 紳士というよりも——執事のように。

 

 零崎捻識——『黒胡椒(アルデバトラズ)』零崎捻識。彼は人形であり、零崎であり、そして——この御神籤楼全域の管理をたった一人で仕る、優秀なるランド・ステュワードでもある。

 

「……わかったよ、ネジ爺」

 

 呼べば、「爺は嬉しゅうございます、坊っちゃま」なんて、彼はかりかりと歯車の回る音を立てながら目を細める。

 

「この後はどちらへ?」

「食堂だ」

「瞑識さまの御所でございますか。でしたら、この爺めがご案内いたしましょう」

 

 言って、彼は先導を始める。かりかり、じー、かしゃん。かりかり、じー、かしゃん。大地を踏み締めるたびに駆動音。歯車、ゼンマイ、糸とバネ。

 

「……なあ、ネジ爺」

「なんでございましょう、坊っちゃま」

「その坊っちゃまって呼び名も気になる所だが……ネジ爺はさ、人形……なんだよな?」

「はは、大旦那さま——零識さまが直々に見出された新たなご家族となれば、この爺めといたしましては、坊っちゃまとお呼びするしかありますまい。……そして、いかにも。このネジ爺、人ならぬ人形——オートマタの身にてございます」

 

 オートマタ。語句としてはいわゆる、西洋におけるからくり人形のことだが、しかし彼の存在はからくり人形なんて粋を遥かに超えている。時間に合わせて鐘を突いたり音楽に合わせて踊ったり、そんなことがせいぜいのそれらとは次元が違う。

 

 自立した思考に、自在に動く体。豊かな感情。表情こそぎこちないけれど——それはほとんど、人間のように。

 

「はは、人間のように、とは、嬉しい限りにございます。ええ、ええ。なにせこの爺めを御造りになられた機織(はたおり)さまは——この爺めが『そのように』なることをご期待なさってくださったのですから」

「……機織、さま?」

 

 目を閉じて、何かを思い出すようにしみじみと頷く彼が呟いた名に、少年は首を傾げる。聞き覚えのない名前だった。

 

「ええ。機織——零崎機織さまにてございます。大旦那さま——『究極』と呼ばれ畏れられる殺人鬼、零崎零識さまと並び立つ、零崎一賊の二枚看板。その片方。『絶対』と呼ばれ敬われる、麗しき殺人鬼の姫君」

 

 それこそが——零崎機織。彼は語る。

 

「零崎、機織……」

 

 それが、目の前の機械仕掛けの執事を創り出した人物。

 

「……その人も、この御神籤楼にいるのか?」

「この捻識めも、しばらくはお目にかかれてはおりません。奥にお籠もりになっておられるようです」

「お籠もりに、ねぇ……仕事とかは?」

「あのお方の分まで働くのがこの捻識めの役割にてございます」

 

 そういうものか、と少年は納得する。御神籤楼で暮らすようになって半月経つが、零崎一賊内の組織図はよくわかっていない。……というより、組織図なんてものはないんじゃないかという事実に行き当たりつつある。名目上、あの変態サングラス……零崎零識がトップを張っているようだが、だからと言って他の『家族』が家長の言うことを聞いているのかといえば全くだ。各々、好き放題にやっている。その機織という女に関しても、同じことなのだろう。

 

「その機織って人は……つまりエンジニアなのか?」

 

 少年が問えば、捻識は「そうですな……」と顎に手をやる。

 

「エンジニアといえば、エンジニアでいらっしゃるのでしょう。しかし、それは機織さまの本質ではない……言うなれば、そう。あのお方は、創作者なのです」

「創作者……なんの?」

「人殺しの、道具の」

 

 かりかり、じー、かしゃん。歯車、ゼンマイ、糸とバネ。音色が響いて、一瞬の無言。

 

「あのお方は、『人を殺すもの』を好んでおられます」

「人を殺すものを……好む」

「ええ。あるいは『人を殺す』道具。『人を殺す』形。機構。動作。ギミック。システム。……なんと言いましょうか。あるいは、そう……()()()()()()形相(エイドス)を、あのお方は好まれるのです」

 

 殺人へと至る——形相(エイドス)

 

「たとえば、あのお方は銃を好まれます。実用品としてではなく、それが殺戮を導く形をしているからです。銃は、人を殺す装置です。それ自体が、いわば殺人の概念を内包している。そのようなものを、あのお方は好まれるのです」

 

 たとえばナイフ。たとえば刀。たとえば毒。たとえばギロチン。たとえば吊り縄。たとえば十字架。たとえば——殺人鬼。

 

「殺人鬼……も?」

「ええ。殺人鬼は、それこそ『人を殺すもの』でございますれば」

 

 あのお方の好まれる所であり——また。

 

「それを創り出したいと思われたことも、また自然なことなのでございましょう」

 

 そうだ。彼女はただの愛好家ではなく——創作者。たった今、捻識はそう語ったばかり。

 

 しかしたとえば、銃を作るのならば、わかる。

 ナイフを作るのも、刀を作るのも、毒を作るのも、ギロチンを作るのも、十字架を作るのも。

 

 けれど——殺人鬼を創り出す、なんて言ったって。

 

 そんなことは——

 

「できない、と思われますか?」

 

 問われて——気付く。

 

「——あ」

 

 そうだ。創り出せるはずがない、なんて、馬鹿げた考え。

 

 だって——そう。

 

 その完成系は、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「はは、完成系、とはいささか過分なお言葉ではありますが」

 

 しかし、そう。

 ()()()くらいならば、名乗らせて頂けますでしょうか。

 謙って、彼はそんなふうにはにかんだ。

 

「この爺め……零崎捻識は、つまり()()()()()()()創り上げられたのでございます。機織さまの手によって——人造の殺人鬼として」

 

 人のように考え、人のように動き、人のように感じ、人のように想う——否。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()——そんな自動人形を、零崎機織は創り上げたのだ。

 

「マイクロプロセッサと脳オルガノイドを組み合わせた半有機ハードウェアに、分散型の人工知能を搭載した『成長し続けるアーティフィシャル・インテリジェンス』。それがこの私め、零崎捻識のコンセプトにございます」

 

 と。ちょうどその言葉を区切りとして、捻識と少年は食堂の前へとたどり着いた。

 

「到着いたしました。それではごゆっくりと、お食事を楽しんで参られますよう」

 

 そう言って、彼は機械仕掛けの目をにっこりと閉じる。

 

「ああ、案内ありがとう。えっと、ネジ爺は、食事は……」

「爺めはこの通り、ゼンマイ仕掛けでございますゆえに」

 

 ははは、と笑う彼に、少年は後ろ頭をかく。人形だとわかっているのに、ついつい人間として見てしまう。

 

「ですが、ええ。そうですね。食事の代わり、と言ってはなんですが」

 

 彼は言って、くるりと背中を見せる。

 

「よろしければ、ネジを巻いては頂けませんか」

 

 言われて、少年は微笑む。

 

「それくらいなら、お安い御用」

 

 じー、じー、じー。

 たっぷりとねじまきを巻けば、捻識は「おお、力が漲るようでございます」と嬉しそうに言った。

 

「それでは坊っちゃま、ごきげんよう」

「ああ、ごきげんよう」

 

 廊下の向こうに去っていく捻識を見送り、少年は暖簾をかき分ける。

 

 さて、今日は何を食べようか。

 

 考える自分の頬が緩んでいることに、彼はまだ、気が付いてはいなかった。

 





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