◆ ◆
「またカレーかよ」
断りもなしに、対面の席にどかりと座り込んだのは、左手に鞘入りの刀を持つ男だった。漆黒のスーツに、革靴。ネクタイの結びは甘く、首元のボタンは外されている。ともすれば飲んだくれのサラリーマンのようでいて、けれどだらしなさよりも先に洒脱さを感じさせられるのは、その男の面の良さゆえのことだろう。
「おーい、瞑識さん! 俺、ミックスフライね!」
なんて厨房へ向けて粗野に叫びながらも、しかしその美貌は揺らがない。
古臭い言葉を使えば、絶世の、と呼ぶべきだろうか。眉目秀麗。明眸皓歯。氷肌玉骨。どれほどの言葉を並べ立てたって、その美しさにはまるで足りない。神が大理石から掘り出したように作りのいいその顔は、銀幕のスターとしてだってまるで違和感がない……いや、そんな役回りがさえも誤用でなく役不足になるほどの超越的な美しさ。オールバックにしようとして失敗した、乱雑に垂れる髪がさえ、まるで計算されたかのごとくに色気を醸すのだから、もはや呪いのようでさえある。
「飽きねぇな、てめぇも」
顔に比していえば、随分と普通な……ともすれば三枚目らしいとさえも言える、無理やりドスを効かせたような甲高い声で、彼は悪態をつく。なんの意味があってかは知らないが。
スプーンを置いて、口の中のものを飲み込み、少年は言葉を返す。
「別に、俺が何を食べてようと勝手だろ——
絶識、と。少年は彼をそう呼び捨てにした。
絶識——零崎絶識。
この御神籤楼においては比較的若年の殺人鬼であり、それでいながら実力派の太刀使いとして知られる一流のプレイヤー。そして、一賊においては少年とはもっとも歳が近い殺人鬼でもある。
彼は少年の言葉に眉間の皺を深くして応えた。
「絶識
「先輩風吹かせてんじゃねぇよ、所詮二、三も違わねぇだろ」
「ばーか。三年も違ったら中学生が高校生だぞ。それともなんだ、世間の中学生が必死こいて勉学に励む三年間は無駄だとでも言いてぇのか?」
「勉学に励む、ね。くだらねぇ。勉強なんかしたってなんになる」
「人生が豊かになる」
少年の悪態に、絶識は真剣な眼差しで返した。
「勉強は大事だぞ。俺ぁ十四になるまで「あいうえお」も読めねぇ馬鹿だったがよ。勉強したら、人生変わったぜ」
「殺人鬼の人生が、か?」
「
大真面目に、絶識は言う。
「知は力なり、とフランシス・ベーコンは言ったそうだがよ。俺はちょっとばかり違う感想を抱く。力ってのもそりゃ間違っちゃいねぇし、むしろ正しすぎるほどに正しいが……しかしそれじゃあ大雑把すぎる」
「ご大層な批判だな。じゃあ、お前にとって知ってのはなんなんだよ」
「俺はな、知は靴だと思う」
「靴?」
あまりにも意外なたとえに、少年は思わず首を傾げる。
「そうだよ、靴だ」
彼は言って、腕を組む。
「無知なやつってのは裸足で地面を歩かされる。足の裏が痛くってとても遠くにゃいけやしねぇ。ところが靴がありゃ、どこへだって歩いていける。トゲトゲした石のかけらも平然と踏み越えてな。運動靴がありゃ険しい山だって登れるぜ。革靴がありゃレストランでも恥はかかねぇ。高下駄履いてりゃ、背が低いやつでも高いところに手が届く。ブーツを履いてりゃ雪降りの日だってへっちゃらさ」
知識ってのはつまり『そういうものだ』。彼は語る。
「なんでもかんでも知ってりゃいいってもんじゃあねぇ。いや、知っとくに越したことはねぇがよ。つまり一番必要な知識は『歩き方』なんだ。知の世界の『歩き方』……知らないことがあった時、それにどうやって向き合うべきか……裸足のやつはよ、もう『知らねぇ』って痛みに耐えられねぇんだな。小石に蹴躓いて転んで泣いて逃げちまう。これがよ、つまり『知らないことへの対処法』を知ってりゃまるで違う。本を読んでみる。人に聞いてみる。実験したっていいわなぁ。本を読むにしたってどの本を読むか。図書館いきゃあ五万とある中、どの本を読めば役にたつ。人に聞くにも誰に聞く? 専門家はどこにいる。実験するならどんな道具が必要だ。何をしたら『わかった』ことになる? そういうことを、つまり知っておくってのは大事なんだな」
靴箱に何足靴があるかが大事なのさ——したり顔で、彼は言う。
「世間の学生様ってのはよ、つまりそうやって一生懸命『知る力』を身につけてんのさ。いつの日か、周りに知らないことだらけの、未知だらけの世界に飛び立った時……いろんな分野の『最前線』に立った時、その誰も知らない道なき道を、それでも歩き通すためにな。勉強なんてくだらねぇ、そんなんなんの役に立つんだ。言いたい気持ちはわかるぜ。俺だって昔はそうだった。でもな、勉強ってのは役に立つんだ。
だから。
彼は区切って、少年の目を見つめる。
「勉強を馬鹿にはするもんじゃねぇ。……お前もできるうちに、勉強はしておくべきだ」
そのどこまでも真っ直ぐな眼差しに、少年は思わず気圧されて——
「……で、それは誰の受け売りなんだ?」
なんて、熱のない煽りを返す。
「お前なぁ、そこは普通、俺の語りに感じ入って居住いを正すところだろうが」
「そういう考えが透けて見えるから素直に感じ入れないんだよ」
そんな風に気の抜けたところで、見計らってか、山羊頭のシェフが絶識の注文をサーブする。付け合わせのサラダとご飯。小さなスープに、メイン。皿の上に盛られた数々のフライたち。有頭のエビフライ。ホタテのクリームコロッケ。シャケのフライ。小ぶりのチキンカツにロースカツ。食べ盛りにしてもいささか過剰に思えるそれのうち——彼はロースカツをフォークで刺して、少年のカレーに上乗せする。
「あ、おい!」
「なんだよ。エビフライはやんねーぞ」
「そうじゃなくて、これ……!」
「返品も受け付けねぇ。ガキなんだから、もっと馬鹿みてぇに飯を食え。飯食って肉付けて背ぇ伸ばせ」
「……余計なお世話だよ」
言いながらも、カレーに乗せられたロースカツを口に運ぶ。カレーのルーが衣に染みて、美味さの二乗。なんとも背徳的なハーモニーだった。
「……なぁ」
食事を続けながら、少年は絶識に問う。
「お前さ、零崎機織って人——会ったことある?」
その言葉に——ぐふ、と。
絶識は飲みかけのスープを鼻から吐いた。
「うわ、汚ねぇ!」
「げほ、がはっ!」
ナプキンで鼻と口を押さえながら、絶識は何度も咳き込む。
一頻り汚い音を出し終えて、絶識は呼吸を整えた。
「……お前、その名前をどこで?」
「どこでって、ほら、ネジ爺の製作者だ、って聞いてさ。どんな人なのか気になって」
「ああ、なるほどね」
鼻を啜りながら、絶識は言う。そんな間抜けな姿がさえ様になってしまうのだから、全く憎らしい顔面の良さだ。
「まあ、それならいいか……機織さんは、そうだな」
一言で言えば——
「女神だ」
「……は?」
何言ってんだこいつ。頬を染める絶識に、少年は思わず眉を寄せる。
「俺はあの人より美しい
ほう、と湿ったため息を吐きながら、彼はどこか遠くを憂い気に見つめる。
「新雪のごとき輝くような白の肌に、射干玉の黒髪……それが目立つ服を好みはしないが、しっかりと『ある』豊かな体付き……背こそ高くはないが、しかし思わず縋りたくなるような母性に溢れ、頼もしく、また優しく、嫋やかで、麗しく……」
寝言を語り出した絶識に、少年は白い目を向ける。なんだこいつ、イカれたか?
「兎にも角にも、最高なヒトなんだ、あの人は」
「はあ、そうか」
「『はあ、そうか』って、おい、反応が薄いぞ! そこは『そんな素敵な女性がこの世にいるなんて! 一度でいいからお目通りを願いたい!』と目を輝かせて言うべきところだろうが!」
「……まあ、諸々の意味不明は置いておいて、お会いしてみたいのは確かだよ」
「ふざけるな、お前みたいな何処の馬の骨ともしれない男を機織さんに近づかせるものか!」
じゃあどうすりゃいいんだよ。
「ふん。言っとくがな、お前、機織さんに懸想したって無駄だぞ。あの人は結婚してるんだ」
「お前の妄想の中で?」
「だったら良かったんだがな。現実でだよ」
へぇ……そりゃどうも、意外な話だ。
「相手は?」
問えば、けれど彼は。
「……俺の『
零崎機織。
『絶対』と呼ばれ敬われる、麗しき殺人鬼の姫君——
「だから、言いたくねぇ」
言って、彼は口を噤んでしまった。口から飛び出そうになる何かを無理やり腹に沈めるように、彼はガツガツと飯を食い切り、後から来たにも関わらず、少年よりも早く「ご馳走様!」と食堂を後にした。
「……なんだ、あいつ」
その後ろ姿を見送りながら、少年は残りのカレーを平らげる。
……次は、ミックスフライを頼んでみるのも悪くないかもしれない。そんなことを思いながら、少年は食堂を後にした。
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