つまりどういうこと? 幕間がまだ一話あるってこと♡ 許してください。
着替えなどを詰めたリュックを背負って、道を歩いていく。整備したと聞いていたんだけど、どうやら本当に最低限しか整備してなかったらしく、砂利道が多い。気分はさながら登山だ。
「……今更なんだけどさ。俺が二人を抱えて空飛んだ方が良かったんじゃないか?」
「何を言うんだ、先生。温泉というものは普通に入るのも良いが、疲れ果てた後に入るからこそ極上のものになるんだ」
「一応私たちは休息に来たはずなんだけれど」
「ひえっ……い、いやでも、空からだと迷子になる可能性があるから……」
カスミの言う温泉に向かう三人。カスミは普段と変わりない服装で、俺は久しぶりに私服を着てる。白いワイシャツに黒いアウター。そんでグレーの長ズボンだ。特徴がないのが特徴の服装。
ヒナは俺が初めて見る私服を着ていた。俺と同じような白いワイシャツに、風紀委員会のものによく似たコートを羽織っている。下は黒いスカートで、ニーハイと合わせて足のほとんどを隠しているが、ちょっとだけ素肌が出ている。
総じて清楚、という言葉が似合う印象だ。可愛い。ちょっと目線を向けると、すぐに気づかれて「どうしたの?」と聞いてくる。
「いや、何でもない」
「? それならいいけど」
カスミはよっぽどヒナが怖いのか、常に俺を挟んでヒナが反対に来るように位置どりをしている。
それに対して何を思ったのか、ヒナが俺の後ろを回り込んでカスミの方へ向かおうとする。当然それに反応してカスミも俺の前を通ってヒナの反対に行こうとする。歩いてるから危ないよ。
歩きながら俺の周りをぐるぐる回るとかいう器用なことを数分やったのち、恐怖からかカスミがとうとう問いかけた。
「……な、何のつもりだ……?」
「……いや、何でも……ふふっ」
「さては私で楽しんでいるのだろう!? 私はおもちゃじゃない!」
「二人とも何してんの……ほら、危ないからそろそろ俺を使って隠れん坊するのはやめてくれ」
「分かった。ごめんね、先生」「私は被害者なのだが……」
それからもひたすら道を歩いていく。最初こそそれなりに言葉を交わしてはいたが、時間が経つと話すこともなくなるし、ちょっとずつ疲れも出てくる。一体いつになればつくのやら……と考えて進み続けて……そして、噂の温泉旅館に着いた。
「着いたあ……」
「結構大きいのね……高級旅館と言われても疑わない程度には風格がある」
「まあ、私たちも結構気合を入れて作ったからな。それゆえに客が来ないのが寂しかったが……この温泉も、私たち以外の客を迎えられて喜んでいることだろう」
そこにあったのは、あたりの風景と比べて場違いすぎるほどちゃんとした旅館だった。
ちゃんと木材を使って建てられてるのだろうそれは、高さ、広さともにそれなりの大きさがある。多分十階建てぐらいはあるし、広さも一階部分だけで百人は入れられそうだな。
「こんな場所を実質貸切……めっちゃいいな」
「喜んでもらえたなら幸いだ。それじゃあ、部屋を案内しようか」
「……部屋?」
突然カスミの口から出てきた部屋という単語に、ヒナが疑問を呈した。そしてそれに対してカスミも疑問調で返してくる。
「……? 二人とも、泊まっていかないのかい?」
「「えっ」」
どうやら何か勘違いが起きていたらしく、カスミは俺たちが今日一日をここで過ごすと思っていたらしい。当然、俺たちは温泉に入ったらすぐ帰るつもりだったので全くの見当違いだ。
俺は明日も仕事があるし、それはヒナもそうだろう。というか着替えもパジャマは持ってきてないし、そもそも今の時刻はそろそろ夕方に差し掛かるかどうかという時間。夜まで過ごせるわけがない。
「いや、なら明日の朝早くに起きて帰ればいい。パジャマは浴衣が旅館にある。時間の過ごし方に関して言えば、この旅館はある程度の娯楽を揃えているから暇つぶしには困らないはずだ」
「何でそこまでして俺たちを引き留めようと……?」
「……何度も言ってはいるが、この旅館は廃墟同然になっていたんだ。それをこの一瞬しか使わないというのは、あまりに寂しいじゃないか」
しゅんとした顔でそう言うカスミ。そう言われると無理に拒否するわけにもいかなくて、思わず黙り込んでしまう。
どうしようかと悩んでいると、ヒナが先に言葉を発した。
「……私は、ここで一日を過ごしても構わない」
「ヒナ……」「おお、分かってくれるか!」
「……ただし」
その瞬間、あたりの空気が一気に冷えた。火山の近くでだいぶ暑かったはずが、今では鳥肌が立つほどに感じられる。その寒気の主人であるヒナは、いつもよりも冷たい表情でカスミを見た。
「もしも、の話だけど。私が帰った後、アコたちから今日の温泉開発部の様子を聞いて……それで、何故か活発に活動を行っていた時は……あなたに、責任をとってもらおうかしら」
「……は、はは……まさか、そんなわけが無いじゃないか……」
……つまりヒナは、カスミが自分をできる限りここに止めて、ヒナという最高戦力がいないゲヘナで温泉開発部を大きく動かしているのではないかと疑っているわけだ。
それに対するカスミの反応は、何とも言えない。怪しいと言えば怪しいが、恐れている相手にここまでガン詰めされればここまで声が震えるのも分かる気はする。
「まあ、カスミが嘘をついてない可能性もあるわけだから。ヒナもまだそこまで怒らないであげて?」
「……分かってる。カスミ、さっきの言葉が本当であることを祈ってる」
「あ、ああ……もちろんだよ……」
「はあ……それで、私はいいけれど。先生は?」
ため息を吐いた後、俺を見上げてくるヒナ。暑さで肌に張り付いてくる髪をかきあげる彼女の姿に色気を感じるが、今はそれより考えることがあるので煩悩を外に追いやる。
さてどうしよ。仕事を終わらせたのは今日の分までだから、明日以降の分はフルで残ってるんだよな。でも早朝に帰って、当番の生徒に協力してもらえばなんとか……? 明日の当番って誰だっけ。
スマホを取り出し、明日の予定を確認する。おっ明日ホシノじゃん。いけるな。
「俺も大丈夫だよ」
「じゃあ決まりね。一泊させてもらうわ」
「よし……それじゃあ、二名さまご案内といこうか」
なんか「よし」と聞こえた気がするが聞かなかったことにしておく。死にそうになった時には止めに行くから頑張ってくれ。
カスミに先導され、旅館の中に入っていく。中は外見から予想できる通り結構広かった。今まで閉じられていたせいか、木の匂いが充満する空間はホテルのように受付と待つ場所があり、相当気合を入れて作られていたことが伺える。
「さて誰もいないし、一番豪華な部屋に泊まってみるかい?」
「一番豪華って……」
「最上階にある部屋だな。本来四人で使う部屋だから広さがあるし、景色もそれなりにいい」
「……私はどこでもいいけれど」
「俺もそんなこだわりは……あーでも、和室とかある?」
「ふむ。和室なら四人用の部屋じゃないとないから……だからやはり最上階でいいか」
結局俺の部屋は最上階で決定した。カスミが奥の部屋から鍵を持ってきて、それを受け取る。
「じゃあ次はエレベーターに案内……「えっ? ヒナの部屋は?」……ん?」
そのまま自然にエレベーターまで連れて行こうとするものだから、待ったをかける。
「……同じ部屋に泊まらないのか?」
「いやダメだろ。一応立場的に言えば先生と生徒だし、そうでなくても男女だぞ」
「……何が悪いんだ?」
「嘘でしょ。ヒナも何か言ってやってよ」
「私は同室でいいけれど……」
「嘘だろ」
その言葉にバッとヒナの方に顔を向ければ、恥ずかしそうに目を逸らされた。
「いや、えぇ……本当にいいの?」
「うん……先生は、嫌?」
手をもじもじさせながら、上目遣いで俺と目を合わせてくるヒナ。緊張からか、その目は多少強張っているようにも見える。
こんな顔されては、断れないというか……えーい仕方ない! 俺が何もしなきゃいいだけの話だ!
「……分かった」
「! ほ、本当に?」
ヒナの羽がパタパタと揺れ動いている。なんか嬉しそうだなと現実逃避の思考をした後、ヒナが小さく「やった」と笑顔で言ったので無理やり現実に引き戻された。そのまま脳内に煩悩が浮かびかけたので、自分の肌の内側を呪力で焼くことでキャンセルする。めちゃくちゃ痛い。
「えーっと、それじゃあエレベーターに案内してもいいかな?」
「大丈夫よ」「……大丈夫」
「何で身悶えて……まあいい。こっちだよ」
再びカスミについていく。歩いている間、改めて辺りを見回すが廃墟同然になっていたとは思えないほど綺麗だ。木製の床には埃がほとんどないし、どこか壊れている様子も見受けられない。電気もついていて、人がいないのが不思議な感じだ。
というか、電気はどこから供給しているんだろうか。まさか都市部から引っ張ってきているわけでもあるまいし……と思って聞いてみると、近くで地熱発電しているらしい。なんかもうすごい以外の言葉が出てこない。
そうこうしているうちにエレベーターに着き、上に上がっていく。エレベーターのボタンはB2から12まであり、謎の寒気が背筋を伝った。本当にどうなってるんだ。
だいぶ揺れが少ないエレベーターでしばらく待っていると、目的の十二階に着いた。廊下は絨毯が敷かれてたり、高級そうなランプが壁についてたり、よく分からない装飾品があったりとやっぱり高級感を感じる。どこからこんなものを……聞いたらダメな気がしたので聞かなかった。
ちょっと歩いていくと、それらしい部屋にたどり着く。鍵を差し込み、ぐるっと捻る。今どき珍しいなと思いながら扉を開くと、まさに旅館といった感じの部屋だった。
「……すごい」
「ふふっ、そうだろう! 私の温泉生活の中でも一二を争うできだ。下の部屋はそれほどでもないのだが、ここはつい気合を入れてしまってな……」
褒められて嬉しいのか、部屋について色々と熱弁するカスミに相槌を打ちながら部屋を見回す。玄関で靴を脱ぐ構造で、少し中に踏み入ると広大な畳が広がっている。その奥側には旅館とかによくある窓際の机と椅子。
掛け軸とかかけられてたり、中心に置かれている机の上には名前も知らないような和菓子がある。本当にすごいな……と思っていると、ちょいちょいとカスミに腕を引っ張られた。見ると、どこかを指さしている。その先には襖……えっ?
襖を開くと、何と和室がもう一つ。これにはもうわーおという言葉しか出てこない。どうやらこっちが寝室のようで、布団とかを入れている押入れもこっちにあった。
「……本当にすごいな」
「だろう? 感動してくれたかな?」
「だいぶね。温泉のためとは言えここまでできるなんて………………あの、ちなみにこの予算とか。どうやって調達したの?」
「? それはもちろんごう「おっけー聞いた俺が悪かった。ちょっと今度俺と倫理の授業をしようか」
好きなもののためにここまでできる行動力は評価できる。本当にすごい。でもちょっとその過程に問題しかなさそうなのが……
俺が頭を抱えていると、ヒナの呼ぶ声が聞こえた。
「こっちよ」
「はーい今行く……窓?」
「景色を見てみて」
寝室側の和室にも窓があった。こっちは向こうの机とか置いてあるリビングの和室とは違い何も置いてなくて、代わりにベランダになってるから外に出られそうだ。
窓に近づいていくと、そのたびにヒナが呼んだ理由がわかってくる。最終的にベランダまで出て、ヒナの隣に並んで景色を眺める。
ゲヘナの街並みがよく見えた。少し霞んではいるけど、確かにゲヘナだ。爆発が十秒に一回ぐらい起きてるから間違いない。その奥に見えるのは……多分トリニティ。流石に遠すぎて見えないけど。
夕暮れがそれらの景色を鮮やかに演出していた。寂しさを際立たせる橙色の光は、ここから見える景色をさらに美しくしてくれている。荒れているゲヘナの街並みも、こうまでなれば壮観と言える。
「綺麗だな」
「うん、本当に……これだけでも、来た価値があったかも」
多分、二人して目を輝かせているのだろう。鏡がないから自分たちの顔は見えないけど、きっとそうだな。
景色に目を奪われていたが、意識を現実に引き戻したのは吹き始めた冷たい風。高い場所だと火山地帯でも関わらず空気は冷たいらしい。
「そろそろ中に入ろっか」と声をかけて部屋に戻る。
「ここまで楽しんでくれると、冥利に尽きる思いというものだが……本番はここじゃないぞ?」
「……そういえば温泉入りに来たんだった」
部屋に感動して完全に忘れていたが、そういえばそうだった。「忘れないでくれたまえ」と笑うカスミに呼ばれるままついていく。後ろをちらと見やればヒナもちゃんと着いてきていた。
再びエレベーターに乗り、階を降りて行き……温泉があるフロアについた。とことこ歩いていくと、温泉らしく「湯」と書かれた暖簾がある場所に……ん?
「あの、カスミ?」
「ん? どうした?」
「……いや、入り口が一つしか見当たらないんだけど……温泉ってもう少し先にあったりする?」
「いや? この暖簾を超えた先が温泉だが?」
……ふむ? えーっとつまり……
「混浴、ってこと?」
「うむ、その通り」
俺が回答に辿り着くより先に、ヒナが言及した。へぇーなるほど。混浴ですかあ。おっけーおっけー。
「じゃあ、どっちから先に温泉入る?」
「…………そう、ね……」
当然ながら同時に風呂に入る選択はない。というわけで問いかけたが、なぜか熟考を始めてしまうヒナ。腕を組み、目を閉じて熟考している。
「……それでは、私は一度お暇させてもらおうかな?」
「ん? どうかしたの、カスミ」
「いやなに、夕食の準備ができていないからね。ちょっと行ってくるよ」
「えっいいよ。流石に悪い」
「いいんだ。この旅館を使ってくれるのは本当に嬉しくてね……大したものも出せないだろうが、精一杯やらせてもらう」
そう言って俺の言葉も聞かず、「では」と去ってしまうカスミ。追いかけようか一瞬悩んだが、今日ぐらいはお言葉に甘えようかな。
「……先生が先に入ってくれる?」
「え? ……ああ順番ね。分かった、俺が先な」
「うん……あれ、カスミは?」
「ご飯作りに行くってさ」
「……ふーん?」
あっ信じてねえなこれ。と俺でも察せるような顔をするヒナ。隠れて部員と連絡をとってるのかもと疑ってるんだろう。日頃の行いが行いではあるから仕方なくはあるけど……
「まあ、今日ぐらいは信じてあげな?」
「……分かってる。今戻っても、きっとみんなに怒られてしまうもの。だから今日は見逃すけれど、明日になれば手加減はしない」
カスミの言葉が本心であることを祈るばかりだな。じゃないと本当に死んでしまうかもしれない。
まあその心配は明日に回すとして、今日はいっぱい楽しむ……ということで早速温泉に入る。マジで久しぶりだ。テンションが今までに類を見ないほど上がってるのが自覚できるぜ。
更衣室で服を脱ぎ、タオルを持って温泉に繋がる扉をゆっくり開ける。開いた隙間から温かい空気が流れ込んできて、わくわくしてきた。もう我慢できないので思いっきり扉をスライドさせた。
「おお……!」
思わず感嘆の声が漏れ出た。手前側は石造りの屋内で、体を洗う場所になっている。奥側は露天風呂で、外の景色を楽しみながら温泉に入れる構造になっている。壁や扉で仕切られてはおらず、ここからでも温泉の奥まで見えた。
まさに桃源郷って感じですごい良い……ヤバいな、めっちゃテンション上がってる。何でかすごい楽しいし嬉しい。
人もいないし温泉に飛び込んでも……いやダメだな。まずはシャワーで体を洗おう。
体をお湯で軽く洗い、シャンプーやボディソープで全身をちゃんと洗う。最後にお湯で流せば、準備万端! 飛び込むのははしたないので流石にやめたが、早足で向かっていって温泉に入る。
それなりに熱い湯だったが、まずは足先、次に膝まで……と順々に身体を浸からせ、温度に慣らしていく。最後には肩までお湯に入れた。
「……はあー……極楽だあ……」
体が暖まるぅー……すごい気持ちいい……一生ここにいたい……
なんかもう、最高という言葉しか出てこない。目を閉じたら寝てしまいそうだ。カスミに感謝だなあ。客が全然こないって話だったし、また来よっかなー……
それにしても景色も綺麗だ。木の仕切りがあって低いところは見えないが、火山が見える。紫色の空の中、マグマの赤を光らせる火山は神秘的で良い。
色んなものに浸っていると、何か物音が聞こえた。扉が開くような、ガラッという………………えっ。
後ろを振り向くと、ここからでも入り口の扉が見えた。そこに人影が……えっいやえっ? ちょま、待って?
「せ、先生……」
「えっちょっ待って? えっいや、えっヒナ? 何、え? 俺まだ出てないよ?」
「その、ご一緒、しても……いい、かしら」
「は???」
……???
なん、えっ? いや何マジで? どういうこと? 何で? というか俺タオル巻いてないんだけどヤッベとりあえず巻かないと。
……落ち着け。一度落ち着いて考えよう。大きく深呼吸をして、ヒナの方を改めて見る。タオルで体の前面を隠してはいるが、それ以外は当然素肌が、あっヤバい目を逸らさないと。
シャワーが流れる音を聞きながら、思考を整理する。まず知らないといけないのは何でこんなことをしたのか。次に優しく追い出すこと。あとできる限り目を向けないようにすること。うん、よし。これで良い。
思考をまとめたところで、ヒナにも聞こえるように大きな声で喋る。
「きゅ、急にどうしたんだ?」
「えっと……その、話したいことがあるから」
「温泉じゃなくても良くないか? そういうのはご飯食べてる時とか、そういう時に話そ?」
「それは、そうなんだけど……」
言葉に詰まるヒナ。よし、このままいけばちゃんと出ていってもらえる。というかその理由も納得いかないけど何で話をしたいで人のお風呂に入ってくるんだよ。
「……本当は」
「ん?」
「本当は、一緒にお風呂に入りたかっただけ、なの」
?
ヒナが身体を洗い終わったのか、こちらに歩いてくる。ぺたぺたという足音を聞いて、止まっていた思考が動き出した。
「いやちょ、待って!? えっ、いや、待って! 一応俺も男なんだけど!?」
「……あなたにも、そういう感情はあるの?」
「何が!? いや本当に待って! 止まって! まずいって!」
「……ごめんなさい」
「ちょっ」
一切止まる様子を見せないヒナ。こうなったら俺が出るしかないと急いで出ようとして……足が滑った。温泉から上がることもままならず、お湯に顔面から飛び込む。ばしゃーんと水飛沫が上がった。
「ぼっびぶばぶべべ!?」
「先生!?」
思いっきり水を吸い込んでしまい死ぬかと思ったが、ヒナが引っ張り上げてくれて何とか浮上した。何回か咳き込んだ後、ヒナが目の前にいることに気づいて卒倒しそうになる。
「っあー……なん、もう……分かったよ! 好きにしろ!」
「それは……一緒に入ってもいい、ということ?」
「そういうことだよ! もー……」
もう逃げられないと諦め、開き直ってお湯に浸かる。隣にいるヒナに目は向けないよう、遠くの火山だけを見つめる。
「……ふふっ」
「……何で笑ってんの?」
「初めて見た。あなたの子供っぽい、本当の顔」
「あー……いや、その。ごめん」
「謝る必要はない。私が無理やりやったことだしね」
……今どんな顔をしているのか気になるが、ここで目線を向けたら犯罪者……もう十分犯罪では? うるせえ。
「……強引な形になってごめんなさい。後で何かしらの補填はする」
「いや、もういいよ……何でこんなことしたの?」
「……エデン条約でのこと、覚えているかしら」
どこか憂うような声だった。
忘れるはずもない、もはや懐かしいあの時のこと。俺が少し変わるきっかけになったあの事件。
「あの時、少し心が弱っているあなたがいて……でも、私は何もできなかった。小鳥遊ホシノに全てを任せることになってしまった。それから、そのことをずっと悔やんでいたの」
「……それは、ヒナは悪くないでしょ。あれは俺自身の問題だったよ」
「違うの。悪いとか悪くないとかじゃなくて、あなたに何もしてあげられなかったのが悔しかった」
あの時の俺を止められたのはホシノと……それから多分、ユメ先輩と先生。役割に固執しすぎた俺を説得できたとすればこの三人だけだったと思う。
他の誰でもなく、俺の人生を変えたあの三人じゃなきゃダメだった。だから、できなかったことを気にしなくてもいい。俺はそう思うけれど。
「もっとあなたを知っていれば、力になれたかもしれない。ずっとそう思っていた」
「……こんなことしたのも、俺を知りたかったからってこと?」
「あなたは普通に接していると、先生の顔しか見せてくれない人だから……本当にごめんなさい」
申し訳なさそうにそう言われると、流石に怒れなくなる。
「私は、あなたの支えになりたい。生徒として関わるだけじゃなくて、隣で支えていきたいの」
「……何でそこまで、思ってくれるんだ?」
「あなたが、私に寄り添ってくれたから。だから私もあなたに寄り添いたい」
……何だか、懐かしい気分が身体を満たしていった。
「……そっかあ……その熱意に免じて、少しだけ俺のこと話そっかな」
「!」
とは言っても、別に面白い話ではない。それらしいオチも無いし、ずっと陰鬱な雰囲気のお話。
それは昔のお話……といっても、ほんの二年前。俺の人生を変えたもう一人の人、先生。その人とのお話だ。
詳しくは話せないけど、最初に会った時。あの人は絶望していたんだ。自分の生きてきた意味を見失って、何もできずにただそこにいた。
その時は俺も同じように絶望していて、だからなのかな。俺もあの人の隣に行って、ただ座っていたんだ。何も話さず、何も聞かず。
しばらく一緒にいると、先生が少しだけ過去を話してくれるようになったんだ。あの人も同じように先生をやっていて、生徒たちを導いていたこと。だけどある時不運が起こってしまって、何もかもが最悪になってしまったこと。そして、心が折れてしまったこと。
『私は、先生失格だ。どれだけ生徒が苦しんでいても、今の私にはどうすることもできない……私は、何のために生きてきたんだろう……』
そう言う先生の顔は本当によく覚えている。世界が憎いけれど、それ以上に何もできなかった自分が憎い。そんな顔。その時の俺と同じような顔。
その時、何でだろうな。俺の口から出たんだよ。「俺が、代わりにやります」ってさ。今考えても、何でなのかははっきりしない。
自分の生まれた意味を呪ってしまう先生に、昔の自分を重ねたのか。今の自分と重なるあの人を救って、自分も救いたかったのか。ユメ先輩を死なせた自分に贖罪させるためか。はたまた別の理由か……
まあ、大事なのは俺が自分から役割を背負いにいったことだよ。だから俺は先生を続けてる……っていっても無理してるってわけじゃないよ? 色々考えて、自分の意思でも続けてるんだ。
先生は、当然反対してきたよ。生徒に自分の責務を背負わせるわけにはいかないって。でも俺も食い下がり続けて……最後には、一応認めてもらった。まあ、一応妥協付きではあったけどね。『私も一緒にいる』っていう。
……今思えば、あれはある意味先生の心の傷につけ込んだみたいなものだったな。いつかまた話せたなら、そのことを謝りたい……
ちょっと話が逸れたな。それから先生と二人で頑張る日々が続いたんだ。その時、俺も先生のことが知りたくて色々聞いたりしたよ。今のヒナみたいにね。
強くなるため術式を磨いたり、先生としての心構えを教わったり……その時はただただ役割とかしか見えてなくて苦しかったけど。今思い返せば楽しい日々だった。
で、それを二年続けて……今に至るってわけ。
「……そう、なんだ……やっぱり、あなたはすごい人ね。私なんかより、よっぽど波瀾万丈な人生を送っている……」
「やめてくれ。確かに色々あったけど、でもそれがイコールすごいにはならないよ。人には人の価値観があるものさ」
俺の人生がなんかすごいことは否定しないけれど、だから他の人はすごくないというのは違う。
人には人の苦難があるものだ。それは例えばテストとか、何かの発表とか、そんなありふれたものでも。大事なのは苦難を乗り越えたということなんだよ。
「……なーんて語ってはいるけど、所詮は俺も17年しか生きてない小僧だよ。あんま真に受けないで良いからね」
「……そうね。あなたも、私たちと同じ年齢で……だからこそ、もう少し頼って欲しいのだけれど」
「最近は努力してるよ」
……気づけば、空の色は暗い青へ変化していた。少し長風呂しすぎたな、そろそろ出るとしよう。
立ち上がって、出口に向かう。少し歩くと、くらっとする感覚。あっやべ立ちくらみ……目の前が真っ暗になって世界が見えなくなり、気持ち悪くなって、少ししゃがみ込む。
「……そういえば、あなたの過去の話で一つ疑問に思ったことがあるのだけれど」
「ん……何?」
危うく意識が飛ぶところだったが、何とか落ち着いた。少し深呼吸しつつ、ヒナの質問を聞く。
「あなたの師匠……で、いいのかしら。その先生はあなたとの二年の後、どこに行ってしまったの?」
振り向くと、その瞳が俺を真っ直ぐに見つめていた。
「……どこに行ったと思う?」
「……」
「いや、質問に質問で返すのは礼儀がなってないか。まあ、秘密とだけ答えとくよ」
ああ、振り向いたのは失敗だったな。だって自分の顔が少し歪んでいるのが分かったから。
その顔に浮かんでいたのは、きっと罪悪感だろう。
「遅かったじゃないか。食事の準備は済んでいるよ」
温泉から上がり、浴衣に着替えて部屋に戻ると、カスミがいた。机の上には晩御飯が用意されている。白米に刺身や味噌汁がついてる和食だ。
ちなみに俺の浴衣は模様がついてない紺色のもの。帯は灰色だ。ヒナの浴衣は花の模様が細かくついた桃色で、帯は黄色。華やかで可愛らしい姿だった。
「温泉、最高だったよ」
「それは何よりだ。ずいぶん長く入っていたし、もはや溺れ死んでいるのかと」
「先生は一回溺れかけたけどね」
「えっ……?」
「足を滑らしてね……たはは、面目ない……」
マジで言ってる? みたいな目線を向けられながら着席する。用意された晩御飯はどれも美味しそうで、全部カスミが準備したとは到底思えない。
「ふふん、温泉開発部の部長として、スキルは色々と身につけているのでね」
「その技能をもう少し人のために使って欲しいのだけれど」
「何を言っている。温泉開発は人のための事業だろう?」
「まあまあ。せっかくの休養なんだし、落ち着いて。ほら、食べよ?」
手を合わせて、いただきます。ごはんからとって食べる。適度に粒立っていて、しかし硬いわけでもない。普通に美味しすぎるが、本当にどうなってるんだか。
食事をしつつ、会話も楽しむ。
「いやー、それにしても二人一緒に帰ってくるとは……よっぽどお二人は仲がいいのだな」
「……まあ、うん。仲良くなったよ」
「……」
「?」
「別の話しよっか?」
「そういえばカスミ。この前の事件のことなんだけれど」
「ハーハッハッハッハ、先生言ってやってくれ。この場でそういう話題を出すのは無粋だとね」
「……今はね。帰ったらたっぷり絞られなさい」
「えっ」
「帰る時は逃さないから覚悟しておきなさい。旅館に入る前に言ったこと、忘れてないわよね?」
「……ひ、ひえぇ……」
「それにしても、ここの温泉は不思議ね。疲れが完全に取れた気がするし、この前ついた傷も治っている」
「この温泉はそういう効能があるらしいよ。カスミが言ってた」
「そうなんだ。何でなんだろう……」
「多分正のエネルギーが満ちているからなんだけど……その原因が分かんねえや。アビスってところの近くにあるからなのかな?」
「正のエネルギー……? 私の成分調査ではそれに該当するような反応はなかったが……そもそも正のエネルギーとは何だ?」
「あー、話すと長くなるというか……」
「……それにしても、この場所星も綺麗に見えるな。窓際に移動していい?」
「それは行儀がなってないのではないかな?」
「あなたがそれを言う資格はないと思うけれど」
「ひゅっ……んんっ!? げほっごほっ!?」
「えっなんか詰まらせた!? ヒナ、背中トントンしてあげて!」
「分かった」
「んぶえっ!?」
「今バキッみたいな音したんだけど大丈夫……?」
食事終わり、手を合わせてごちそうさまでした。
三人しかいないというのに、それなりに騒がしい食卓だった。今日のヒナが優しかったからか、その恐怖心を忘れつつあったカスミも見事に雑な扱いをされ、恐怖がぶり返したらしく今では俺の背中に隠れている。
「そ、それじゃあ……あとはゆっくりとしてくれたまえ。私はもう下に戻る」
「私としては別に同室でもいいけれど。寝ている間に逃げるかもしれないしね」
「……ぴえぇ……せんせぇ……」
いつもの尊大で自信満々な態度はどこへやら、俺に泣きついてきてしまうカスミ。その頭をぽんぽんしてあげながらも、実際悪いのはどっちかと言えばカスミなので仕方ないと思っている俺もいる。
「日頃の行いというか……まあ、うん。ヒナ、今日ぐらいは勘弁してあげて? 明日以降は好きにしていいから」
「……はあ、分かった。今日は一応休息日だし、見逃してあげる」
「ありが…………待て、何も状況は好転していなくないか……?」
「ちゃんと罰は受けなさい」
ぴえんと再び泣きついてくるカスミを宥めながらも、罰は罰だからと軽く突き放す。しばらく背中に頭をぐりぐりされていたが、そのうち満足したのか出口まで向かっていった。
「……それでは、また明日。会えたら会おうではないか」
「それは逃げるということでいいのね?」
「逃げ切ってしまえば、どんな罰も受けさせることはできないのだよ!」
「ちなみに逃げた場合は俺も探すからね」
「……」
ちょっと青ざめた顔になってしまったが、それを振り払うようにブンブンと顔を振ったカスミ。誰がどう見ても無理してる笑いを浮かべ「で、では……おやすみなさい……」と去っていった。
「……全く、あそこまで怖がっているのなら大人しくいうことを聞いて欲しいのだけれど」
「まあそれほど温泉開発に対する熱意があるってことなんだろうな。いいことではあるんだけど……もう少し人のことを考えられたらなあ……」
理想はそうではあるけど、現実はそうもいかない。全員が全員俺の考えを理解してくれるようなことはなくて、結構自分勝手に生きていたりする。
それでも諦めたくはない。いつか理解してくれるかもしれないと、俺はそう思う。
「……それじゃ、俺たちもそろそろ寝ようか」
「……」
「? ヒナ?」
一応明日は早めに起きるつもりだし、まだ早いながらも寝ようかと思ったんだけど……何故かヒナは黙ったままだ。ちら、と時折こちらを見てはすぐに視線を逸らしてしまう。
「どうした?」
「……明日、早いのは分かっているんだけど」
「うん」
「もう少し、あなたとお話ししたい」
「……それは、俺のことをもっと知りたいって意味で合ってる?」
「うん……」
もじもじといった様子のヒナに心打たれるが、明日早いのはそうだし、あんまり話すこともないしなあ……
「んー……じゃあ、あれだ。一旦布団を敷いて寝っ転がろ? それでどっちかが寝るまではお話ししよっか」
「! じゃあ、早く布団を敷きましょう」
押入れの中からお布団を取り出して、並べる。敷布団、枕、掛け布団どれを取ってもふかふかしてたので案外すぐに寝れそうだ。
隣同士になるようお布団を並べて、これでよし。電気を消して布団に潜り込んだ。
「あっやばめっちゃ心地いい……この分だとすぐ寝るかも……」
「その時は起こすから」
「えっ」
ヒナを寝かさないと俺が寝られないことが確定した。仕方ない、腹を括っていっぱいお話しするか。
「とは言っても俺から何話せばいいか分かんないんだけど」
「……それじゃあ、私からいろいろ質問していい?」
「それいいな。その方向で頼む」
仰向けになって転がると、月の光で微かに青く照らされた天井が見えた。雰囲気が落ち着いているなあ……もうここに住んでもいいかもなあ……
「それじゃあ、その。あなたは小鳥遊ホシノのことを好いているの?」
「んあー……えなんて?」
「れ、恋愛的な意味で彼女が好きなの?」
「えぇーっと……いきなり回答に困るなぁ……」
……うーん、うーん? うーん…………
「恋愛的では、無いかなあ。なんて言えばいいのかな……特別っていうか。この先生きてれば、恋人は何人かできるかもしれないけど、ホシノの立ち位置は俺にとって何にも変えられない、唯一の……ごめん、なんか恥ずかしくなってきたから別の話してくれない?」
「なるほど……」
「なるほどやめてね」
電気を消していてよかった。顔がなんだか熱いよ。
「じゃあ恋愛的に好きな人はいるの?」
「いや、いないかな」
「なる……そうなのね」
「本当に使用禁止にしなくてもいいよ?」
苦笑が漏れ出た。なんかこういう学生っぽいことをするのもなんだかんだ久しぶりだな。なんだか少し、快い感覚だ。
「……あなたは、何か嫌いなものはある?」
「んー、ある。この世界に生きる人たちを害そうとする奴」
「それは……人としては、当然の感覚じゃないの?」
「そんなことないよ。人によっては、こんな世界好きじゃないっていう奴もいる……俺だって昔そうだったし」
「それは……意外、というか」
「まあ今は違うからね。くだらないと思ってたけど、いつの間にか変わってた。今となっては自分でも信じられないけどね」
「……あなたは、どんな生き方をしてきたの? 何を思って、何をして、ここまでやって来たの?」
「……それは秘密。やっぱり、あんまり生徒に弱みは見せたくないや」
「私は、まだ生徒?」
「そうだね。俺がどう思うとかじゃなくて、そういう立場にある以上、そこに責任があるんだと思う。だから俺は先生である以上、君たちを生徒として扱うよ」
「小鳥遊ホシノは?」
「……例外ってことで……」
「……きっと、あなたに先生は向いていない。だってあなたは公平であろうとするには、あまりにも人間的すぎるもの」
「そう、かもなあ。どれだけ物理的な力があっても、困っている生徒一人にうまく手を差し伸べてやれないし、態度も一貫できない。ずっと不確かで、揺れっぱなしだ」
「あなたはきっと、先生なんかよりもヒーローが向いているんだと思う。自分の心に従って人を助ける。それがきっと、あなたの本領なんだと思う」
「……それでも、俺は先生をやるよ。そうしないとたくさんの人が困ってしまうから」
「……」
「あー、でも。もしもいつか、先生を辞められる時が来たら。そしたら、その時は──」
……ん、朝、か?
気がつくと、暖かな日の光が差し込んできていた。起き上がって窓の方に向かって見れば、地平線が橙色に染まっている。朝焼けだ。
静かにそれを眺めながら、昨日のことに思いを馳せる。弱みを見せないって言ったのに、結局ちょっと見せちゃったな。相変わらず俺はしょうもない奴だ。
「……先生」
言葉が、漏れ出た。それはきっと、ずっと胸の奥で誤魔化し続けていた寂しさなんだろう。寂しいというのも変な話ではあるけれど、でもこの感情の呼び方を俺は寂しさしか知らない。
ここにいるのは先生じゃない、一人の少年なんだろう。
今日も日は昇る。時間は止まることを知らないから、ずっと進み続けてしまう。それがどれほど残酷かなんて気づけるわけもないから。
先生でいれなくなるのが先か、先生を辞めるのが先か。分からないけれど。でもせめて、それまでの一瞬一瞬は先生のようにありたい。
「……んぅ、せん、せい……?」
「……うん、先生だよ。おはよ、ヒナ」
目を擦りながら起き上がってくるヒナ。それを見て、すぐに態度を取り繕う。
「そろそろ行く準備をしよっか?」
「……うん……」
「ありゃ、眠たそうだ。一緒に朝の支度する?」
「するぅ……」
近づけば、俺の足に抱きついてくるヒナ。ちゃんと足に手を差し込んで、赤ちゃんを抱き上げるように抱えた。寝ぼけているのか、俺の首筋に頭をぐりぐりしてくる。
「……ふふっ、ほら行くよ。早く帰って仕事を……うぇ、やなこと思い出しちゃった」
「仕事……?……そういえば、カスミは……」
「あーそういえば。パパッと支度して探しに行こっか」
ヒナと一緒に顔を洗ったり、歯磨きしたした後。持参した仕事着に袖を通す。
白いワイシャツに、水色のネクタイ、そして黒いスーツの長ズボン。鏡で見てみれば、いつまで経っても拭えない着られてる感じ。童顔の俺に大人っぽい服装は似合わないな。
これがここの先生。九条カケルだった。
次回の幕間に出てくるキャラのヒント「クックック」
今週の呪術。
髙羽とかいうやべーやつ。アニメでも
えっ後二話しかないのに仙台までやるの??? マジ??? 最終話が一時間ぐらいないと無理では?