たんっ、と軽快な音を響かせて着地したカケル。最初に自覚したのは、黒閃を経たことによるゾーン状態。
(何だこれ……先生の呪力が、俺のものみたいによく回る……これなら反転術式の効率とか、結構マシになるかも)
「あ、ああ……わた、私の、体が……」
そして次に認識したのは、現在のベアトリーチェの惨状。
まるで樹木のようになっていた体は、その中央付近からポッキリと折れてしまっている。上半身は床に倒れ伏し、傷口から血のような液体を流していた。そして下半身は、自身の半分が持っていかれたことに気づいていないかの如く、そこに未だ立っている。
「き、貴様……貴様ぁ! よくも、よくもこの私をぉ……!」
怒りに駆られた人間の行動というのは大体かなり単純なもので、相手に危害を与える手段があればそれを行なうし、そうでなければ喚き散らすだけだ。
今回は前者のパターンだった。ベアトリーチェはまだ右手に存在していた処刑人の剣を、大きく振りかぶってカケルに投げつけた。が、カケルはそれを触れないように大きく避けた後。
「輝綫」
「あぐっ、ぐあぁ!?」
手のひらから放った光線で、二度と処刑人の剣が持てないようにベアトリーチェの両腕を黒い炭に変えてしまった。
炭化し、黒い粒となった崩れ落ちるその両手。それを見たベアトリーチェが再び叫ぶ。
「ゔゔゔゔっ! よくも私の腕を……!!」
「ベアトリーチェ」
怒りも憎しみも感じない、ひどく落ち着いた声だった。カケルがベアトリーチェを見下ろす。
どうにか殺そうとしても、処刑人の剣はすでに床の上。腕で掴むことは不可能で、光線を放つには多少の溜めがいる。
「どうする」
「私、をぉ……っ! 見下ろすなぁっ!! 子供風情がぁっ!!」
下半身もない。腕もない。できることは喚くだけ。もはや脅威になりはしないし、放っておくだけでもそのうち死にゆくであろう彼女を……カケルはしっかりと見つめる。
「勝ったのは俺だ」
「それで、私に迎合しろと!? 私が、私の在り方を変えるわけがないだろう!!」
「……本当に、変わるつもりはないのか」
「何度も言わせるなよ、クソガキがぁっ!!」
「……なあベアトリーチェ」
先ほどよりも優しさを感じさせる声で、カケルが呼びかけた。その態度にベアトリーチェがその顔をより憤怒の色に染めるが……しかし何もできない。
「どんなやつでも、変われると思うんだよ。俺がそうだったみたいに。お前だって、きっと知ってみれば変わるはずだって、そう思いたいんだ」
「それは、貴様のエゴだろう!? 貴様の満足の道具に、私を使おうとするな! 何様のつもりだ!?」
「そう、かもな……これは俺の自己満足かもしれない。それでも、一緒に行こうベアトリーチェ。俺と世界を見て回って、少しでも何か考えを変えるなら……」
カケルが、右手を伸ばす。ベアトリーチェの、何か、深いところに触れるかの如く……
「やめろ……やめろやめろやめろぉ! 私に触れるな! ただの、子供が、私をどうこうしようなどと……ふざけるな、ふざけるなぁ!!」
「……」
じたばたと暴れ狂う態度に、一瞬カケルが怯んだ。その顔を、葛藤で歪めて……ベアトリーチェに触れようとしていたその手が止まった。
その一瞬が、命運を分つ。
『力が欲しいか? ……なんてね』
(……!?)
何者かが、ベアトリーチェの内側とでも言うべき場所に話しかけて来た。
(なん……貴様は、誰だ!?)
『それは今重要かな? 今の君に重要なのは、きっと力を貸してくれるかということだと思うけれど。私の手を取れば、大きな力を与えよう』
何者かが提示してきた案は、ベアトリーチェにとってひどく甘美なものだった。自身に憐憫を垂れくさった、あの子供を殺せるのならば。
(……私は、目の前の……あの九条カケルを! 殺せる力が欲しい! 力をくれるというのなら、寄越せ!)
『……なるほど、分かった。それじゃあ力を与えよう』
瞬間、ベアトリーチェの体に満ちていく、圧倒的な力……何か、どす黒いとでも言い表せるような、とてつもなく大きな力がベアトリーチェの体を満たしていく。
(お……おお! これは、素晴らしい! これ、な、ら)
充足感がある。満足感がある。圧倒的な力がベアトリーチェの体を満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たして満たし……
甘美な誘いには、必ず毒があって。そして大きな力には、必ず代償があるものだ。
『お願い通り、力は与えたよ』
(aG7#kL!92@fX0qZ/3mD$P&v1|sR=5^hN_8B+j%T?)
『それじゃあ、後は頑張ってね』
異変は生じた。
「あ、ああ……あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「!? なっ」
ベアトリーチェの体が、黒くなっていく。黒くなっていく。黒くなって、黒くなって、黒く、黒く、黒く、黒く、黒く、黒く、黒く、黒く、黒く……
カケルが咄嗟に後ろを振り向けば、下半身も同様に黒く染まっていく。ベアトリーチェという器であれば見境なく、その大きすぎる力が注がれていく。
(これは……この力は、知ってる……この呪力に似た、大きなマイナスの力は……!)
ぐちゃ。
ベアトリーチェの頭部が、溶けた。溶けて、床に黒くこびりついた。
目玉も溶けた。どろどろとした黒い液状になって、流れ出る。
ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ。
気持ちの悪い水音が出ている。ベアトリーチェの体が溶けて、固体とも液体とも区別がつかないものになっていく。まるでそれはスライムのように、ぐちゃぐちゃと、音を立てて。
ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ。
ベアトリーチェの頭だったものが、カケルを見ている。溶けた目玉で、彼を見つめている。白い花弁は黒くなって、やっぱり溶けた。その溶けた頭が微かに上がれば、ぬちゃあと音を立てて半分だけ持ち上がってる。もう半分は床にくっついたまま。
気がつけば原型など無かった。そこにいたはずのベアトリーチェは、なにか大きな力に溶かされてしまって、黒色のグロテスクなナニカになってしまっていた。
目の前で起きた惨状に、言葉を失って。何もできずにカケルは立ち尽くしてしまう。
黒色のナニカが、その全身から触手を伸ばし始めた。その矛先は、九条カケル。無数の触手が彼を突き刺さんと襲いくる。
「! くっ、」
それを見てようやく再起動し咄嗟に垂直に飛ぶ……が、それを触手が追尾して来た。うねり、ねじれ、波打ちながらやって来た触手を迎え撃つため反射で術式を使おうとして……そしてそれが発動した。
(術式が解かれてる!? 没収されてた俺の呪力も戻ってきてる!)
反射で用いた術式により、大きな光線が放たれるが……触手と光線が拮抗し、反作用でカケルの体が大きく浮き上がる。
(マジか、相殺どころかむしろこっちが押されてる!? どんだけでかいエネルギーだよ!?)
既に九条カケルの呪力は戻っており、手加減せずに放った輝綫は先ほどまでの出力を大きく超えている。にも関わらず、押される……
(ダメだ、今の下がってる防御だと下手すると致命傷になる! 避けるしかない!)
このままでは触手が自身の体を貫くと理解したカケルは、横方向に呪力放出をして触手の突撃を避けた。だが触手もまた意思があるかの如く追いかけてくる。
なんとか地面に降り立ったのち、触手の群れから逃げるべく走り始めた。しかしどれだけ逃げようとも、触手は自身を追ってくる。さらにはカケルの逃げ方を学習したのか、回り込むようにもなって来た。
(っ、落ち着け……触手から逃げ回ってるだけじゃ、勝ち目はない……どうしたらいい!?)
ひたすらに触手に触れないように、体を捻る。そんな中で打開策を見つけるため、頭の中で何度も落ち着けと叫ぶ。
動きながら深呼吸をする、という器用なことをしつつ冷静に考えた。
(この触手を出してるのは、ベアトリーチェが変身したあの黒いやつ。つまりはあれをどうにかしないといけない。ただどうしたら……くそっ、考えるより先に動くしかない!)
第一目標、本体を叩く。
(それからこの触手……よく見れば、固体じゃない。常に表面が流動している……それにこの感じ、もしかして……)
体をのけぞらせ何十本目かの触手を避けた後、その表面に軽く触れ……術式反転を発動する。
すると触手だった黒いエネルギーは、手のひらの中に吸い込まれ、同時に術式に貯蓄している自身の呪力が増えたのが感じ取れた。
(やっぱ、この黒いのはエネルギー……! 術式反転で触れる分には問題ない!)
触手の対処法が新たに増え、多少の余裕が生まれた。そしてその余裕を使って。
(触手を消しつつ本体に向かう!)
一瞬の思考を挟んで再び再始動するカケル。ただ先ほどとは違い、無闇に逃げるのではなく、今回は目的地が既に決まっている。狙いはただ一つ。
襲いくる触手を紙一重で避け、時に術式反転で消す。後ろから、横から、上から、ついには前から。あまりに無法な追い方をする触手をひたすらその身一つで捌き続けた。
だが、あまりにも質量が違いすぎる。いくら消しても教会の景色などかけらも見えず、あたりはずっと黒で覆われていた。
(ヤバい、とかいう月並みな感想しか出てこないな……だけど何よりヤバいのは)
とうとう触手が全方位より襲いかかってきた。避けるスペースもなく、このままだと串刺しになって死ぬのは確定だろう。そこで術式を使って、対抗をする……放出する方向は一方向ではなく、全方位……!
術式順転 「
カケルを中心に、青色の星のようなドームが出現した。半径約30m。通常の放出とは異なる、バリアのような放出の仕方だった。
(これだ。この異常な出力……触手は今、明星と
触手はそんなことなど知らないと言うように、無謀にも青いドームに突っ込み、そしてそれに張り付くようにして拮抗中。べたべたと黒い波が襲いくる様子はあまりにもホラー。
現在の明星の出力を説明するとすれば──そう、別世界の話にはなるが……
「呪術廻戦」の世界だとしても。魔虎羅は触れた箇所が消滅、両面宿儺の斬撃も、世界を断つ斬撃以外は通らない。五条悟の攻撃も、虚式「茈」以外は全く通らないだろう。無限に守られた攻撃ならば、恐らくは通るだろうが。
石流や乙骨の呪力砲も、触れた時点で消滅する……そのレベルの出力。呪力出力無制限による、無法も良いところな無敵バリア。それと触手が拮抗しているという事実。
(なら、範囲を絞って呪力密度を濃くすれば……)
半径を10m程度まで絞る。ここまでやって、ようやくドームに触れた触手が消し飛ぶようになってきた。
(……出力は、まだ分かる。多分ベアトリーチェの諸々を代償にした縛り……問題は、そのエネルギーが
考えている間にも、触手が突っ込んできては溶けていく。そんな様子を見て、動けずにいるカケル。その理由は、明星の発動条件にある。
「両足を発動時の
この縛りがあって、九条カケルは呪力放出を全方位まで拡張できている。
(動いたら多分死ぬ……動かなかったら、いずれ貯蓄の呪力が尽きて死ぬ……動くしかないじゃねーか、くそ)
タイミングを見極めようと目を凝らすも、触手はひっきりなしに来ていてとても隙がない。そもそも明星を展開したのが間違いだったかと後悔し始めたそのとき。
何か黒いもの……触手ではない何かに巻き込まれて、気がつけば教会内の別空間に放り出されていた。
「はあ!?」
「どうも、カケルさん」
「あっ、てめ……黒服!?」
空中から自由落下する中、自身が落ちてきたと思しき場所にいたのは黒服。
彼は挨拶がわりに軽く微笑むと、ベアトリーチェだったものを真剣に見つめる。
「単刀直入に用件を伝えますが、アレはかなりまずいものでして……恐らくは、あなた以外には止められません」
「マジ……?」
「そういうわけでして、アレをなんとかして欲しく……今回は協力いたします」
たんっ、と軽い音を立てて着地。少し離れた場所にいるベアトリーチェだったものを見つめる。
ベアトリーチェだったもの……と言っても、既にベアトリーチェの面影など無かった。どろどろと流動する黒い、人間の形になろうとしているもの……そう形容するほかないそれが、そこにいた。
「……そうだ、サオリたちは!?」
「ご安心を。彼女たちは私たちが既に安全な場所に避難させています」
「有能かよ……」
「まあそうでなくとも、アレが意図的に彼女たちに危害を加えることはなかったと思いますが」
「は? それはどういう……」
言葉を切ったのは、その理由が分かったから。
ベアトリーチェだった黒い怪物は、頭に見えなくもない部位を
「……もしかして、俺だけを狙ってるとか?」
「恐らくは。理由は不明ですが、ベアトリーチェの意思が残っているのが一番の有力説かと」
黒い怪物は、その体から新たに触手を作り出し、カケルに突撃させてくる。彼を貫くかと思われた触手は、しかし空を切る。再び黒服がカケルを連れて瞬間移動をしたらしい。
また教会内の別空間に、黒服が黒いワープホールのようなものと共に出現した。脇にはカケルが抱えられており、何処か不満そうだ。
「アレを倒すには、アレに込められたエネルギーを全て消滅させるのが最も有力です」
「明星で全部消せってか? 無理だ、明星で消し切る前に俺の呪力切れが来る」
「いえいえそうでなく……術式反転ですよ」
「アレに近づけと? それこそ正気かよ? しかもアレめちゃくちゃエネルギーがあるから吸い切るまでアホほど時間がかかるぞ」
「それでもです。アレはキヴォトスを滅ぼしうる可能性がありますから」
予想外の回答に、カケルがその顔を大きくしかめた。
「……そんな大事なのか」
「ええ。どういうことか、アレのエネルギーはこのキヴォトスに存在するエネルギーの十分の一ほどはあります」
「……この、
「助かります……では、私がアレの近くまで近づくので、その度に術式反転を──「必要ない」……は?」
カケルが自主的に黒服のそばから離れた。そして大きく踏み込み、怪物の近くまで向かう。
当然それに反応した怪物が大量の触手を再び出し、カケルを狙って突撃させる。彼はそれを間一髪で避け、怪物との距離を半径数mほどまで縮めた。
その印は、両の掌を合わせ、指を互い違いに組む「金剛合掌」
彼を中心に結界が構成され、内側に心象風景が付与される。
──初めに違和感を感じるならば、空だろう。
一見、なんの変哲もない夜空が広がっているだけ……しかしよく見てみれば、都会の夜空のように星々は一切光っておらず、代わりと言わんばかりに光る球状のものが
一つは満月。柔らかく、ひんやりとした光で、世界照らしてくれている。
もう一つは太陽。力強く、暖かい光で、世界を照らし出している。
二つの天体が空で対照的にあった。その二つが照らし出す世界は、何もない砂漠のよう……いや、よく見ればこの砂漠は砂でできておらず、細かい鎖でできているようだ。
これが九条カケルの心象風景……彼の領域「永夜廻星」
「俺の領域にようこそ……なんて、言っても分かんないか」
この空間にいるのはカケルと、黒い怪物のみ。そしてその肝心の怪物はどんどんとその体積を減らしているのが分かるだろう。
術式反転が付与されたこの空間では、当然術式反転の効果が必中し続け、中にいるものはそのエネルギー全てを吸い尽くされ、カラカラに干からび死ぬまで吸収される。
「お、星」
キラリと、星が一つ瞬いた。続けて二つ、三つ、四つ、五つ……
「しかし流石にエネルギー量が多いな。お前全然消えないじゃん」
空から目を離し、怪物を見てみれば……未だ消える様子はなく、ゆっくりとではあるがこちらに近づいてきていた。触手を出そうとしては即座に吸収され、失敗している。
それでも、この領域の主人である九条カケルを倒そうと、着実に近づいてくる。
そんな怪物に、光線が着弾した。上から降ってきたと思しき光線は、次から次へとさながら雨のように降り注いで、怪物の体を鎖漠の中に埋めていく。
光線の発生源は……どうやら、空にあるようだ。よく見てみると、先ほど瞬いていた星々が光となって落ちてきている。
永夜廻星で吸収されたエネルギーは、星となって領域内に顕現する。そしてその星は、必中ではないものの相当の出力を誇る光線となって、九条カケルの意思のもと降り注ぐ。
「……いい加減終わってくれないかな……ん」
何分経っただろうか。カケルも飽き飽きして、ふわぁとあくびをし始めていた頃……ようやく黒いエネルギー全てが霧散した。それと同時に、カケルが領域を解除した。
(……ん? 呪力が、回復してるな……)
永夜廻星を解除した際、星となって残っているエネルギーは九条カケルに還元される……それも、術式に貯蓄される形ではなく、通常の肉体強化や反転術式を使える呪力として。
相手がそれなりのエネルギーを保持しているならば、領域展開で失った呪力を補完し、術式が回復する限り何度も領域展開することも可能だろう。
元の教会内に戻り、カケルは黒いエネルギーを失ったそれを見つめる。
身体中がごちゃ混ぜになり、生きているだけで苦痛を感じる……そんな身体になってしまったベアトリーチェの姿が、そこにあった。
正確に言えば、体のほとんどは溶けたせいで失われている。だがそれでも奇跡的に微かに残っていた体の部品が、流動するエネルギーの中でごちゃ混ぜになり……今目の前にある、レンガが砕けた後のような、粉々の体のベアトリーチェが誕生していた。
だが一番の悲劇は……まだ
「……」
彼には分かる。魂を視認できる彼には。ベアトリーチェの魂は、そのエネルギーで汚染されながらも……ギリギリ生きていた。
それに対して、哀れみとも、同情ともつかない複雑な瞳を向けるカケル……そんな彼の後ろから、黒服が「お見事」と話しかける。
「まさか、領域展開を実行してみせるとは……ベアトリーチェの用いた領域を見たからでしょうか? いずれにしても、素晴らしい。アレを倒せたのも、あなたのおかげです」
「……なあ黒服」
「どうかしましたか?」
「ベアトリーチェは……まだ、生きてて。だから、その……どうしたらいい」
「……彼女は喋れそうですか?」
言われて、いつの間にか俯いていた顔を上げた。そしてベアトリーチェだったものを見据える。
明らかに生物としての形を保っていない。手も足もなければ、顔すらなくて、口や目などあろうはずもない。もはや彼女は、ただの残骸だった。
「……無理だと思う」
「あなたの反転術式で治すことは?」
「こんな状態だと、流石に無理だ……何処がどのパーツかも分からないし、元に戻せる設計図がない以上……魂を治すのも無理だ。だから、多分あと少しで死ぬとは思う」
「……では、ゲマトリアには不要でしょう。あなたがどうするか、決めてください」
目の前で動くことすらできない、ベアトリーチェ。彼女は今何を思っているのだろうか。それとも、何かを思うことすら出来ないのだろうか?
動くこともできず、喋れもしないし、何も見えない。匂いも、音も、味も、触れる感覚も……何も感じ取れず、強いて言うならば苦痛だけが感じ取れるかもしれない体で時間を過ごす……それは、どれほどの──
「……せめて、一瞬でも早く楽になれるように、殺すよ」
「そうですか」
カツ、カツ……と残骸に向かって歩いていくカケル。彼女はこれを認識できていないのだろう。今、彼女は無限の苦しみの中にいるのか……それとも、もはや意識なんてないのか。
後者であることを祈りながら、カケルは静かにベアトリーチェの残骸の前に座りこむ。
そして、静かに、ゆっくりと……手刀を入れた。
たったそれだけのことで、限界に来ていたベアトリーチェの魂は崩れ去り……そして消えた。
同時に残骸もがら、と音を立てて静かに崩れ落ち……それが終わりだった。
「……人生って、思うようにいかないよな」
「心中お察しします……とでも言えばいいのでしょうか」
「それは俺からお前らに使う言葉だろ」
「……そうですね。特段、心を動かされることなどないと思っていましたが……ここまで凄惨だと、流石に思うところがあります」
「……なんで、こうなったんだろうな」
「彼女は恐らく、呪術の世界に深く入り込みすぎたのでしょう。術式を直に埋め込んでいましたし……だからこそ、この世界の修正力のようなものが働かなかった」
「意味わかんねーよ……」
はあ、と大きなため息をつくカケル。その後ろ姿は、どこか寂しそうな……痛みを感じさせる。
「……泣いているので?」
「まさか。俺が泣くことはねーよ……どんなことがあっても」
「では言い方を変えましょう。何故、苦しそうなのですか」
その言葉に彼は再びため息をつくと……ぽつぽつと、話し始めた。
「……どんな奴でも、死ななきゃいけないなんてことはないと思ってて……できるなら、みんな生きてて欲しいんだよ……でも、目の前で死んだ……いや違うか。俺が、殺したんだもんな」
「……お言葉ですが、あなたのせいではないでしょう。もっと大きな力が働いていたのは間違いが無い。それに、放っておいても死んだのでしょう」
「だとしても、選んだのは俺だよ。罪は罪だ」
顔を向けることすらせず、淡々と語る。黒服からは彼が静かに座っているようにしか見えない。
「それは違いますよ」
「……」
「今回は、あなたが悪いはずがありません。彼女は……ベアトリーチェは自分の意思で選び、そしてその結果死に至ったのです。そこにあなたの責任があるなどと、勘違い甚だしい」
「……」
「それは彼女を侮辱するも同然です。彼女は子供ではなく、大人なのですよ。そこに子供のあなたが責任を感じる余地などない」
「……慰めてくれてんの?」
「そうではなく、真実です。抗いようもない大きな力に流され、選ばされることは選択ではありません。その先にある無数の未来を選び取ること。それこそが選択という言葉の意味です」
「カケルさん。あなたは、この先どうするのですか」
急にらしいことを始めた黒服に、音もなく少し笑って……それから、はっきりと口にする。
「……変わらないよ。人の可能性を信じて、それから俺のエゴを貫く」
「なら、どうか変わらないでくださいね」
「さあどうだろうな。俺の考えも、もしかしたらいつか否定されるかもしれないし……まあだから結局、精一杯生きるしかないさ」
「案ずるより産むが易し、ですからね」
「そういうことだな……だからほら、そろそろサオリたちを返してくれ。俺にはまだ先生としてやらなきゃいけないことがあるんだよ」
ゆっくりと立ち上がり、黒服を真っ直ぐに見つめた。
黒服がその視線を受けて、柔らかく笑う。
「了解しました……それでは、そろそろ世界のジャンルも元に戻ることでしょうし。またお会いしましょう」
「ああ、またな」
マジでブルアカの要素がほぼ無かった回でしたね。まあその原因は黒服が軽く言及していますけど。
小話:世界の侵食。
先生は「呪術廻戦」の人間です。それが入ってきたことで、このブルーアーカイブの世界に本来なかったはずの呪術の要素が出現しています。
生徒たちの能力も「術式」として定義づけされ、神秘や恐怖もエネルギーとして定められています。
交わり合ったこの世界は、二度と純粋な「ブルーアーカイブ」に戻ることはありません。