広場にはぎゅうぎゅう詰めになるほどに生徒が集まっていた。
実は二割程はこちらで用意したサクラなのだが、それでも予想よりも多くの生徒が来ている。ゲヘナ生以外にも他校の生徒も来ていて、この演説の注目度……つまり、最近不穏な噂がつきまとう私が何をするのかという事に興味を持った生徒が大勢いるという事が分かる。
どうやら私が認識していた以上に私の話はキヴォトスの各所で話題になっていたらしい。
上等だ。これを利用し、このキヴォトス支配に繋がる一手としてくれよう。
「……諸君。よく集まってくれた。私こそがゲヘナ学園を統べる万魔殿議長、羽沼マコトである」
マイクを通し会場に、そして画面の向こうへと声が響き渡る。
始まりに少し間を溜めた事により観衆達の注意をより引く事ができた。話により集中させるためにあえて不穏を招く演説の手段の一つだ。
ここより一気に畳み掛け、観衆の心を支配する。
マイクをハウリングさせない程度に、しかし鋭く響く声を出すために私はお腹に力を入れた。
「諸君らに問いたい。自由とはいかにして――」
――言葉が、出てこなくなった。
いや、それだけでなく息を吸う事も吐く事もできなくなった。
代わりに胸の内から饒舌しがたい程の不快感が迫り上がってくる。
だめだ。
まずい。
堪えろ。
とにかく、喋らなければ。
「――ゲホゲホゲホゲホッ! ゲホッ……ォ……カッ、ガァッ……グガハッァ!?」
喉のつまりが激しい咳込みの末に解消されると共に、今日のために新しくあつらえた演台が赤黒く染まった。
いや、染まったのは演台だけではない。
私の両手の白手袋も、議長の証たる制服も、すべてが、赤く――
「――……あ、え?」
途端に、体から力が抜けてしまった。
視界が直角にガクリと崩れて、ステージ下にいた観衆達と目が合った。
観衆は皆、混乱している。悲鳴が聞こえる。騒動が起きている。
警備をしていた議員も風紀委員会の連中も対応しきれていない。
誰かが……誰かがこの場を、治めなければいけない……。
――ああ、そうだ。これを、この混乱を……私が、治めれば……そうすれば、私は……ゲヘナは……。
「う……あ……」
力が入らぬ腕とて伸ばす事はできる。
手が伸ばせれば、演台を掴める。
掴めさえすれば、きっと立ち上がれる。
だから私は手を伸ばす。伸ばしてる。なのに、なぜだ? どうして、目の前にある演台に、私は手がかけられない?
――私が、私がこれを治めねばいかんのだ。私が万魔殿の議長だから。議長として、これを治めて、このゲヘナに、キヴォトスに相応しい支配者であると、証明、しないと……!
「わた……し……が……」
「――マコトちゃん!!!!」「マコト先輩ッ!!!!」
サツキとイロハの今まで聞いた事のないような声が聞こえる。
ああでもしかし、その声も姿も、まるで水の中にいるかのようにあやふやになってしまっている。
「先輩ッ! 大丈夫ですか先輩ッ!? ああもうっ!! 救急医学部はまだですか!? 観衆が邪魔!? そんなの轢き飛ばしてしまえばいいんですよ! いいから急いで!」
どうした……? なぜだ……?
イロハは……何を言っているんだ……?
彼女らは大事な有権者だ、そんな雑に扱って言い訳がないだろう……。
ああ、そう言いたいのに声が出ない。体が動かせない。
とにかく、立ち上がらないと始まらないか……だから、早く、手足に、力を……。
「ウグッ……カハッ……!」
「マコト先輩ッ……!? 早く、早くカメラを止めなさい! 中継を切って! 切れっ!!!!」
駄目だ……やめろ、イロハ……カメラを止めるなんて……そんな、とんでもない……事を……。
「やめ……ろ……カメラを……放送を……続け、ないと……」
私がここで立ち上がって復活して、強い議長であることを証明すれば、きっとすべては解決するんだ……ゲヘナに羽沼マコト議長ありと、そう、知らしめられるんだ……。だから止めてくれ……カメラを、止めないでくれ……!
「……もうっ!」
しかし私の言葉は一切彼女らに届いていないようで、しびれを切らしたサツキがピストルでカメラを壊してしまった。
――詰みだ。
ここから、盤面を覆す一手は、もはやない。
「……あ、ああ……」
悲鳴を上げていた観衆もどんどんと追い払われ、人が少なくなっていく広場には救急車が到着する。
騒乱は遠くなり、静寂の中での悲鳴に変わる。
絶望的な光景と共に私にかけられる万魔殿のみんなの声は、いつしか深い水の底で見聞きする光景のように遠くなっていった。
「……いや、だ……わたしは……ま、だ……」
光に手を伸ばす事すらできず、私は体を押しつぶすような深海の暗闇に堕ちていく。
その中で、議長の証とも言える制帽だけが浮かび離れていった。
*****
「………………ここ、は」
重い重い瞼を開いてみれば、目に入るのは見慣れた天井の白さだった。
救急医学部が保有する保健室、そのベッドの上に私は寝ていた。
「…………」
瞼よりも重さを感じる頭をなんとか横に動かしてみると、私の口に当てられた人工呼吸器や腕から伸びる点滴、心電図ほか私の体からいろいろな計器に伸びていくコードが見える。
どうやら、随分と重体だったらしい。
「……あ」
反対側を向くと、そこにはサツキがいた。
パイプ椅子に座り、こくりこくりと船を漕いでいる。
その目元は真っ赤になっていて、どうやらかなり泣き腫らした後にとうとう限界が来て眠ってしまったらしい。
「サツ、キ……」
「ん……? ……あ……あっ!?!?」
私が思わず名前をこぼした時、今度はサツキが瞼を開いて私を見た。
そして驚いて声を上げ、すぐに立ち上がってナースコールを押す。
「セナっ! マコトちゃんが、マコトちゃんが起きたわっ!」
ナースコール越しに叫ぶサツキ。私はそんな彼女の腕を掴んだ。
まだ力は入らないが、少なくとも倒れたときよりはマシだ。
「……サツキ」
「っ!? マコトちゃん、まだ無理しないで――」
「――どれぐらいだ」
「……えっ?」
私の言葉の意図を測りかねている。いや、分かっていないというより、この状況下で突然聞かれて頭が追いついていないだけか。
「どれくらい……私は寝ていた?」
「それは……そんな事よりも安静にして――」
「――お願いだ、教えてくれ……私は……一体、何時間、こうしていた……?」
サツキは目を泳がせ逡巡し、そしてそこから私の目を見据えて、言った。
「……二日とちょっと。時間で言うなら、そうね……五十二時間、ってところかしら」
「…………そう、か」
私はそこでサツキの手を離して、視界を天井に移す。
急ぎ来たセナ達が入ってくる音と声が聞こえたが、もはや私の目には腹が立つ程に綺麗な天井しか見えていなかった。
*****
私が起きてから一日。その後様々な検査が行われ、その後しばらくの入院を告げられた翌日。
特別に用意された病室に私は、サツキ、イロハ、チアキ、イブキの四人を呼びつけていた。
セナには絶対安静の面会謝絶にしたいと言われたが、ここは無理を言って押し通した。私が彼女らを呼んだ理由を説明してやっとであったが。
「……それでマコトちゃん。話って何?」
ベッドの上で体を起こしている私に対して、サツキが代表して聞いてくる。
みんな神妙な面持ちで私の言葉を待っている。
私は、そんな彼女らに静かに告げた。
「みんな、聞いてくれ……。私は……羽沼マコトは、万魔殿議長の席から、降りようと思う」