【完結】羽沼マコトが席から降りた日   作:詠符音黎

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15.羽沼マコトが気付いた喪失

「……慣れないな」

 

 鏡に映る自分の姿を見て、私は思わずそう呟いてしまった。

 万魔殿の制服と制帽を脱ぎ、白ワイシャツとネクタイ、学校の制服としての黒ブレザーとスカート、それが今の私の格好だ。

 かつて『雷帝』が治めていた時代を乗り越えてからずっと身にまとっていた万魔殿の制服を私は脱ぎ、ただの一般生徒と変わらぬ格好になってしまっている。

 そしてこれはこれからの私の姿。何の変哲もない、一人の生徒である証。

 

「はぁ……」

 

 重い溜息が口から漏れてしまった。

 我ながら未練がましさを感じる。自ら選択した結果だというのに、席を降りた事にこれほどまでに後悔を感じてしまうとは。

 

「だが……私の決断は、間違っていなかったはずだ」

 

 私はネクタイの結び目を軽く握り鏡の中の自分に言い聞かせるように言った。

 あの状況下なら、私がした選択がこのゲヘナを守るためには最も正しい選択だった。だから私が議長を辞めた。そして、その効果は現れている。

 私がサツキに議長を託してから一週間と少し、このゲヘナはいつもと変わらぬ賑やかさと平和さの中にあった。

 誰もが責任を伴った自由を謳歌し、何者にも邪魔される事はない。

 私が守りたかったゲヘナの姿がそこにはあった。

 

「振り返るな……すべてうまくった。それでいいじゃないか」

 

 なのに、鏡の中の私の表情は晴れない。

 陰気な表情を浮かべる目の前の女に、私はたまらず不愉快な気分になった。

 

 

   *****

 

 

 登校してきた学園の廊下は普段通りの賑やかな空気に包まれている。

 ただ、あの一連の騒動は大々的に放映していたのもありこのゲヘナで知らぬ者はいない。

 それゆえ、普通の制服を着て教室に向かう私は未だ遠巻きな目で見られ続けていた。

 

「……フッ」

 

 しかし、不思議と不快な気持ちにはならなかった。

 憐れみや好奇の視線はむしろ強まっているというのに、あの時よりもよっぽど気持ちが楽なぐらいだ。

 我ながらよく分からない状態だ。

 教室について自分の席に座っても遠巻きに見られている状況は変わらない。

 ただこれに関しては私が体を壊す前から大差がある話でもなかった。

 私は万魔殿議長としてだいたい万魔殿の執務室にいたし、そもそも留年している関係上見知った同級生もほとんどいない。そのため、教室では殆ど学友と話す機会もなかった。

 思い返してみるとなかななかに寂しい奴だったなと少し笑ってしまう。

 

「あの……マコトさん」

 

 と、そんな事を思いながらすぐ横の窓から外を眺めていると恐る恐るといった様子で声がかけられてきた。

 何事かと思い前を見ると、そこにはクラスメイトが二人程立っていた。

 

「ん? えっと……私に何か用か?」

「いやその……用って言うか……」

「うん、えっと……」

 

 彼女らはお互いチラチラと目を合わせながら何か言いづらそうにしている。

 私に対する文句があるのだろうか……それも仕方ないだろう、あんな醜態を晒した私が今こうして学校に来ている事に不満を持つのは当然と言える事だ。

 

「……あ、あの! 何か困った事があったら、私達に言ってくれていいから!」

「えっ……?」

 

 だが、出てきた言葉はまったく予想だにしていないモノだった。

 

「う、うん! マコトさんずっと忙しかった訳だし、急な環境の変化で大変かもだから、その……私達力になれたらなって!」

「えっとその、もしかして迷惑だったなら、あの、ごめんなさいだけれど……」

「……あ、いいや。別にそんな事はない。ありがとう、助かるよ」

 

 突然の言葉に理解が追いつかず反応が遅れ、とりあえず了承し礼を言うような答えになってしまう。

 

「よ、よかったぁー……! 断られたらどうしようかと……!」

「ちょっと押し付けがましい感じあったもんね……でも私達がマコトさんの事心配してるのは本当だから! 今まで大変だっただろうけど、これからは気楽にやっていこうよ!」

「……ああ。ありがとう。これから頼む」

 

 微笑み答える私に彼女らは心底ホッとした様子を見せている。

 だけれども、私の心中はそれに反して穏やかではなかった。

 

 なぜだ?

 

 どうしてなのだ?

 

 ――どうして私は、彼女らの好意を受けて不愉快な気分になっているんだ?

 

 鳴り響くチャイムが私を現実に引き戻す。

 目の前の二人もはっとしたように自分達の席に戻っていく。

 

「じゃあマコトさん、これからよろしくね!」

「……ああ」

 

 元気に手を振って去っていく二人に笑顔で答えられたのは、皮肉にも病を隠していた頃の経験が生きたように思えた。

 

 

 

 

 

 それから私はただの生徒でしかない身としての一日を終え、校舎から校門までの敷地内の道のりを歩いていた。

 最初は議長を辞める前と特に変わらない、ただ遠巻きな視線に晒されるだけだと思っていた。

 だがあの二人を皮切りにクラスメイト達がなぜだか私に話しかけてきて、それぞれ純粋な心配だったり気楽な興味本位だったりと、種別は異なったが(みな)それぞれ私の事を思っての善意からのものだった。

 世の中は決して悪意だけではない。善意も同じく存在し、どちらとも割り振れぬ者だっている。

 漫画やアニメのように一言で割り切れない人々が織り成して作られているのが世界であり、だからこそそのような世界の頂点に自分が立つという野望がより美しく輝いた部分さえある。

 故に彼女らはその純然たる善意から私に接してくれて、またそこで特に不利益が生じたわけでもない。

 むしろまったくクラスに馴染んでいなかった私には渡りに船だ。

 だがしかし、私の胸中は未だ落ち着きを取り戻さない。

 痛みが、苦しみが触手を伸ばし魂を底へと引きずり込んでいくようだ。

 

 ――なぜだ、なぜ私はこの環境を、優しさを拒んでいる? 強制された訳でもなく、打算に塗れた擦り寄りというわけでもない。否定する要素など、まったくないはずなのに、なぜ。

 

「……チッ、さすがに気色悪いなこれは」

 

 自分で自分に理解が追いつかずに不機嫌になってしまう。

 そこでもはや制帽を被っておらず寂しさを今なお感じる頭をかきながらもふと背後を見た。

 

「……あ」

 

 そういえばここからは万魔殿の執務室を見る事ができるのだった。

 気づいたときには既に遅く、窓の向こうにサツキの背中が見えた。机に向かい、慣れていないであろう書類仕事をやっている姿の彼女が。

 

「サツキ……」

 

 私は彼女に重い責任を背負わせてしまったと思う。

 彼女はそういうのには向いていない事はむしろ彼女以上に理解しているのに、ただ私と同じ夢を昔からずっと見てくれた、ただそれだけで彼女に託したのだ。

 そうすることで、まだ自分の夢が終わっていないのだと、そう思える気がしたのだ。

 すると、私が足を止め見ていた光景に少し変化が生まれた。

 あくまで窓から見える範疇だからその全体像ははっきりと見えないが、机の向こうに人影が見えた。そして、はっきりとしないながらも長い付き合いだったからこそ分かる。あれはきっとイロハだ。

 イロハとサツキが、二人で万魔殿の仕事をしている。ここからでもある程度は伺えるサツキの表情が、困ったり、嘆いたり、笑ったりと、コロコロ変わっている。

 

 ――私のいなくなった、万魔殿の執務室で。

 

「……私、今、何を……!?」

 

 ありえない。

 私は自ら退陣したのだ。

 自らの意志で夢を捨てたのだ。

 なのに、だというのに。

 あってたまるか。

 

 後悔など。

 

 淋しさなど。

 

 嫉妬など苛つきなど怒りなどといった、お門違い過ぎる激情など……!

 

「……馬鹿馬鹿しい!」

 

 私はすぐさま万魔殿が見える窓に背中を見せて帰路につく。

 地面に目を向けながら小走りで。高き世界へと広がっていた、失われた園から逃げるが如く。

 

「――うぐっ!?」

 

 と、さすがに前を見ずに歩いていたせいで誰かにぶつかって尻もちをついてしまう。

 この感じだと相手は立っていたみたいなので、恐らく運悪く視線を逸らしていたタイミングで私が衝突してしまったようだ。

 

「……す、すまな――」

「――マコトっ!」

 

 と、そこで私は誰にぶつかったのかと把握した。

 そこには先生がいた。私と違い、バランスを崩しながらもなんとか転ばずに姿勢を保っていた彼女の姿があった。

 

「良かった……今日からマコトが登校するからなんとか様子を見たかったんだけれども、まだちょっといろいろと後始末の手伝いがあってこんな時間になっちゃって……」

「……あ、ああ。ありがとう、先生。心配をかけたな」

 

 先生が手を伸ばしてきてくれたので、私はその手を掴んで持ち上げてもらう形となる。

 

「それにしても大丈夫だった? 今日からマコトは普通の生徒に戻ったわけだけれど、そこで変なこと言われたりいじめられたりはなかったかな。マコトはそういうの気にしないだろうけれど、私が知ってる子でも似たような状況で苦しんでいた子がいたからやっぱり心配で……」

「あ……うん……大丈夫だ……別に、みんな、私に優しくしてくれて……そうだ……私が、普通の生徒に戻ったからって、みんな……優しく……」

 

 そうだ。私はもう、普通の生徒なんだ。

 万魔殿の議長ではなくなったただの女の子。だからつまり、誰とも変わらない、特に誰かからも一目置かれるわけでもない、その他大勢の一人で。

 他の誰でもない先生が言うのだから、それは間違いなくて。

 

「……ああ、そうか……結局、どうしようもなく後悔しているんじゃないか……私は……」

「……マコト? ごめん、今なんて……?」

 

 ゲヘナのためだと。これが議長の務めだと。

 そう割り切ったつもりだったのに、結局私は席から降りたくなんてなかったんだ。議長でいたかったんだ。サツキに託したのも、結局そのおためごかしにしか過ぎなかったんだ。

 それをみんなが私はただの生徒だって見てくる事で気付かされて、それで、私のエゴがずっとちっぽけだったことに気付かされて、そんな自分から目を背けてて、私は……私は……!

 

「…………クソッ!」

 

 自分の抱え込んだ醜さに気づいた瞬間、私はもう駄目だった。

 あまりにも自分自身が気持ち悪くて、情けなさ過ぎて、こんな姿を先生に見られたくないと思ってしまった。

 私が共に並び立ちたかった彼女に、こんな惨めな私が一緒にいる価値ない。

 少なくとも、そんなことはこの私が許さない。

 気づけば、先生の手を振り払いその場から走り出してしまっていた。

 

「マコトッ!!」

 

 先生の叫び声が聞こえてくる。少し間を置いてから追いかけてくる足音が聞こえてくる。

 でもゲヘナの地理は当然私の方が詳しい。だって議長()()()()に都市計画を進めるに際して何度も目を通した土地なのだから。

 それゆえ、裏路地に逃げ込んだ私を先生はあっという間に見失ってしまった。

 一方で私は、誰にも見られていないような裏路地の中で立ち止まり、ビルに握りこぶしを強く叩きつけた。

 

「私は、私は一体、何者なんだっ……!」

 

 議長でなくなった私は、誰なんだ? 私は、どうあればいいのだ……? 私は、私は、一体……。

 

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