【完結】羽沼マコトが席から降りた日   作:詠符音黎

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16.丹花イブキが犠牲により得た成長

〔先生、先程は失礼した〕

 

〔まだ心の整理がついていなくてな。先生の顔を見たらつい情緒不安定になってしまった〕

 

〔でももう落ち着いた〕

 

〔私は大丈夫だ。心配はない。だから気にしないでくれ〕

 

〔私はもう、普通にやれる〕

 

 

 

 

 私の前からマコトが突然逃げ出して、不覚にも姿を見失ってから少ししたタイミングで送られてきたモモトークだ。

 当然、気にしない訳が無い。

 できれば今すぐにでもまたマコトと会って話がしたい。

 けれども、あの感じを見るに私の言葉はきっとマコトには届かない。

 マコトにとって私は『理想の指導者』だ。そしてそれゆえに議長という立場を失い揺らいでいるであろう彼女の側にはどうしても寄り添ってあげられない所がある。

 恐らくマコトは私を前にすれば昔の自分と今の自分を比較し、彼女の心を波立たせてしまうからだ。

 ならば私にできる事は必然的に狭まってくる。

 一つはマコトがなんとかして再び議長の立場へと戻れる道を探る事。

 もう一つはマコトと関わりのある生徒達に寄り添ってもらうように根回しをする事。

 このキヴォトスの生徒というのはどうしても一人で抱え込んでしまう子が多くて、そうやって道を見失った子に対していつも最後に道を切り開いてくれるのは共に手を取ってくれる相手だ。

 私はあくまでその道筋を作るまでで、子供が自分の足で立つのを促す『先生』という立場ができる最大限のラインだと思っている。

 ともかく、私がマコトにしてやれることは思ったよりも少ない。

 でもだからといって何もしないという気持ちにはならない訳で、そのために私は動く事にした。

 そうして思い立ったのが、まずはマコトを取り巻く環境をしっかりと理解する事である。私はそのために再びゲヘナへと向かった。

 今の万魔殿が、どうなっているかを知るために。

 

 

   *****

 

 

「いらっしゃい先生。ようこそ万魔殿へ」

 

 見知ったはずの万魔殿の執務室で迎えてくれたのは議長となったサツキだ。

 色気のある顔で微笑み迎えてくれる姿は今までとは変わりないが、なんというか纏う雰囲気が以前とは変わったように思える。

 言ってしまえば以前までのサツキは大人びた見た目に反して結構子供っぽかったというか、可愛らしさが出ていた。

 でも今のサツキは見た目相応にとても大人びた空気を漂わせている。

 彼女の覚悟がそこから感じられた。

 

「うん、ありがとうサツキ。なかなかかっこよくなったね」

「あらそう? 見直したかしら私の事、フフッ。だったら今こそ先生も万魔殿と共に歩む協力者になってくれてもいいんじゃないかしら?」

「うーんごめん、それは変わらずナシかな」

「あらそう? 残念ね。でも私達はいつでも歓迎するわ」

 

 かつてマコトだけではなくサツキともしたやり取りをまたこうして行っても、やはり違いがあるなと感じる。

 うまくは言えないけれど言葉の一言一言に重りがくっついている、とでも言ったような感覚があるのだ。

 我ながらあまりにも抽象的な例えで小論文対策の授業ではとても使えないやつだな、なんて事も思った。

 

「そういえば姿は見えないけれど他のみんなは?」

「イロハは風紀委員会との調整のために資料を貰いに行ってるからすぐ戻って来ると思うわ。チアキは学外に出ての広報の仕事をしているから少し時間がかかるでしょうね」

 

 サツキが議長になってから風紀委員会と万魔殿の関係が急激に改善したと聞いたがどうやら本当だったようだ。

 まあ元々マコトが異様にヒナ達を敵視して嫌がらせしていただけでサツキ本人の口からも別に風紀委員会に対してどうこう思っていないなんて言葉も聞いた事があるし当たり前と言えば当たり前だろう。

 チアキの方はちょっと心配もしている。あの子はとても明るく前向きな子だったから、今回の一件が強く尾を引いていてもおかしくない。

 

「なるほど、結構もう新体制に慣れているみたいだね。……それでイブキは? 正直、私としては一番心配をしているんだけれども」

 

 イブキは飛び級をして万魔殿入りした子で、まだ十一歳だ。

 ショックを受け止めるという話においては他の子よりもずっと脆い。

 いくら頭は良くても、心は年相応に弱いイブキがちゃんと学園に来ているのかという事すら私は心配している。

 すると、サツキは私の質問に苦い顔を見せた。

 

「……ええ、そうよね……気になるわよね、イブキの事。まあ……登校拒否になっていたりはしていないわ。むしろ万魔殿にもちゃんと顔を出しているの。でも……」

 

 そこでサツキが歯切れ悪く言い淀む。私はやはり何かあったのかと息を呑む。

 すると、そんなときだった。

 

「ただいま、サツキ先輩」

 

 後ろにあった執務室の扉が開かれ、聞き馴染んだ愛らしい声が聞こえてきた。

 書類の束を抱えて入ってきたイブキの姿がそこにあった。

 

「あっ、イブキ! やあ、こんにちは!」

「あれ? 先生来てたんだ。こんにちは」

 

 ――サツキから感じたのなんて可愛く思える程の違和感が、私を襲った。

 

 私が普段のノリで元気よく手を上げてした挨拶に、イブキはとても落ち着いた様子で微笑み返してきたのだ。

 しかもびっくりとして言葉を固まってしまった私を横目に通り過ぎて、そのままサツキの前まで言ってその書類を手渡していた。

 

「はい。各部活から貰ってきた追加予算の申請書だよ。ざっと目を通して気になる所は印をつけておいたからあとでイロハ先輩と一緒にお願いね」

「……ええ、ありがとうイブキ。今日はもう大丈夫だから、好きにしていいわよ」

「そう? ……えっーとじゃあ、どうしようかな……」

 

 サツキの目の前でイブキは口元に丈が合わない制服の袖から出した指を折り口元に当てている。

 今までだったらはしゃいでその愛くるしさでみんなを和ませていた彼女が、仕事がない事で思い悩む姿を見せている。

 あまりにも、異常な姿に思えてしまった。

 

「イ、イブキ……? えっと、あの、じゃあ一緒に何かして遊ぼうか? それともプリンでも食べる? よかったらすぐにでも買ってくるよ!」

 

 混乱してつい私はそんなことを口走ってしまった。

 いつものイブキなら「先生ー!」とニコニコしながら駆け寄ってきて頷いてくれていただあろう。

 

「……ごめんね先生。“私”、そういうの卒業する事にしたんだ」

 

 でもイブキは、困ったような笑みを私に向けてきて、言った。

 

「イブキ……?」

「私ね……マコト先輩を最後まで困らせちゃってさ、それでいなくなっちゃって、思ったの……私がもっとちゃんとしてたら、何か変わったんじゃないかなって。ゲヘナを守るためとかバーゲストの事とかがあったからああなっちゃったけど……も、もしイ――私がもっといい子だったなら、まだ、マコト先輩、笑って、ここに、いてくれ、た、かなって……」

 

 いつしかイブキが語る言葉は震えてか弱くなってしまったが、決してそこで涙を流す事はなかった。あまりにも無理をして作った笑顔を引き攣らせ声がうまく出せずとも、それでもイブキは決して涙を流さなかった。

 

「だからね、先生……私、これから頑張るからさ……立派な万魔殿の役員になれるよう……私の事、応援してね!」

 

 最後は呼吸を整え、笑顔も言葉もすっかり落ち着いた様子でイブキは言った。

 私はそんなイブキの笑顔に何も返せず、目を合わせたサツキも悲しそうに首を静かに横に振るだけだった。

 

 

   *****

 

 

 ゲヘナですっかり変わってしまったイブキの姿を見た翌日、私はとある別の学校を訪れていた。

 あのイブキを見たら私はもうなりふりかまっていられないと思ったのだ。

 マコトがいなくなった影響は想像以上に大きかった。できる事ならマコトを議長の座に戻してあげたいと強く思った。それがきっと誰もが笑顔に戻れる結果だろうから。

 だが悔しい事に私は政治の事は分からない。

 知識はあるがこのキヴォトスで行われている駆け引きの舞台で日々刃を交わし合っている子達には到底及ばない。

 だからこそ、私はそういった“政治に秀でた生徒”から助言を貰おうと考えた。

 生徒に他の子を頼れと言っているし、普段のキヴォトスの仕事でも当番の子達にいろいろと頼っている私だ。今更生徒から知恵を借りるくらいで臆する理由もない。

 故に私は一人の生徒に連絡を取り、やって来た。

 私が知るなかで、“キヴォトスにおいて最も政治に優れた生徒”に助けを求めるために。

 

「先生、お待ちしておりました」

 

 とても柔らかく、品のある声が私の背後から聞こえてくる。

 いつ来ても雪景色が包まれ、厳しい寒さに襲われながらもそれを跳ね除ける程に生徒達の活気が溢れたこの学園において、不釣り合いな程に穏やかな声が。

 

「……急に訪ねて悪かったね、トモエ」

「いいえそんなことはありません。この佐城トモエ、先生がお望みならばいつだって喜んで協力いたします」

 

 レッドウィンター連邦学園における生徒会、レッドウィンター事務局においてトップのチェリノの右腕たる秘書局長であり、実質的にこのレッドウィンターという土地においての政治を動かしている知恵者、プロパガンダの天才にして秀才、佐城トモエは落ち着いた笑みで私を迎えてくれた。

 

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