あの日以来、チアキは写真を撮る事をしなくなった。
いや、正確にはまったく撮っていない訳じゃない。
けれども、以前のように楽しい日常風景をファインダーに収める事なく、ただ広報に必要な写真にしかシャッターを切らなくなった。
ここに関しては私が議長になってからの万魔殿の執務室が退屈な場所になったのはあると思う。
私もイロハもイブキでさえも真面目に仕事に取り組んであまり暇をしなくなってしまったし、そもそも部屋にみんなでいることも少なくなった。
それはチアキももちろんそうで書記としての議事録の作成、広報誌の制作に打ち込んでいる。
でもまったく暇がないというわけではなく、空いた時間にそこにいるメンバーで軽くおしゃべりをしたりおやつを食べもする。
遊びの時間がだいぶ減ってしまったけれどなくなったわけじゃないのだ。でも、執務室が和やかな空気になってもチアキはただ一緒に笑うだけに留まり、懐から取り出したカメラを取り出したりはしない。
それに付随して、彼女が発行していた週刊万魔殿もだいぶ硬く退屈な内容になってしまっていた。
まあ学校を運営する生徒会の広報なんて普通はそんなものなのかもしれないけれど、正直私はこうなる前の方が好きだったし、きっと購読していた読者もそうだろう。
これでいいのかしら……と、どうしても思ってしまう。
ハツラツとしたチアキの事を私は好きだった。それは同学年でよく仲良くしていたイロハもそうだったろうし、かつての純粋無垢なイブキも、そして誰よりマコトちゃんがそうだった。
マコトちゃんは、チアキが撮る写真に写るのが大好きだったんだもの。
「ねぇチアキ、最近は写真、撮ってないの?」
だから私は意を決して聞いてみる事にした。
今、執務室には私とチアキしかいない。他二人は仕事で外に出ている。この状況なら話してくれるかなと、そう思った。
「……そうですね。もうめっきり」
そして返ってきたのは、彼女の疲れた笑みだった。
彼女の視線はチラリとこちらに向いたものの、また座っている机の上にある広報制作用のノートパソコンへと向かう。
私が議長になってからのチアキは、ずっとこんな顔色ばかりだ。
「でもまあ、別にいいじゃないですか。仕事に悪影響とか出てないですし」
「確かに仕事はね……でも、やっぱり淋しく感じじゃうのよ。昔はあんなに笑って写真を撮ってたあなたが、今はそんな顔ばっかりしてるのは」
「そんな顔、か……それ、サツキ先輩がいいます?」
チアキは私の言葉を受けて自分の顔に触れ、ゆっくりとマッサージをするように動かす。
そしてある程度そうしていると、また私に影のある笑みを向けて冗談めいた口調で言ってきた。
「う……えっと、私は……」
「まあお互い仕方ないですよ……だって、しょうがないじゃないですか。先輩が好きだった光景も、私が撮ってて楽しかった光景も、どっちももう、どこにもないんですから」
そう言って彼女はまた顔を画面に向け、ノートパソコンに繋がれたマウスをおもむろに指でトントンと叩き始める。
視線が向けられている画面にはどんなモノが表示されているのかは、私からは伺えない。
ただその目がその画面に映るモノを視ていないのは分かった。
「私は、マコト先輩達とみんなで楽しくやってる姿を撮るのが好きだったんですよ。でも、マコト先輩がいなくなって、イブキちゃんも変わっちゃって、イロハちゃんもすっかりサボらなくなっちゃって……そしてサツキ先輩も、すっかり大人しくなっちゃいましたしね」
「……それは」
確かに私も人の事は言えない。
議長になってからというもの、毎日仕事に明け暮れる日々になってしまった。
昔は痛くて怖い世界は嫌だからと取り組んでいた催眠術の研究であるNKウルトラ計画もすっかりおろそかだ。先生もあのヒナも、私は大人びたと言う。
でもそんなことはない。私はただ、目の前の事に手一杯なだけだ。
「ああ、別に責めてる訳じゃないんですよ。でも、やっぱりそんな中で私だけが昔のまま、っていう訳にもいかないでしょ? それに…………正直、辛いんですよ。ファインダーを覗くのが」
「辛い?」
「はい。だってこの執務室でカメラを構えるだけで思い出しちゃうんですから。マコト先輩がいて、みんなでバカみたいに笑い合えた日々を……そしてそこからカメラを下げたら、また戻らなくなった今に戻っちゃって……思い出すだけ苦しいなら、それなら、もう、ね……」
「……ごめんなさい。無神経だったわね」
私はやっぱり馬鹿だ。
こんなこと、少し考えれば分かった事じゃない。
前に進むためには、どうしても目を前に向けないといけない。後ろに目を向けたら立ち止まってしまうから。そして振り返った先のもう戻れない場所に大事なモノが置いてあるのを見てしまうと、さらに足は動かなくなって、届かない手を伸ばして苦しむだけ。
そんなことはよく理解しているというのに、私は彼女に聞いてしまった。
結局、私はこうして人を傷つけちゃってる。
「そういうところですよ。昔のサツキ先輩ならそんな思い詰めた顔で謝ってくる事なんてなかったですもん。私はそんな写真を、撮りたくないんです」
チアキはそういいながら恐らくそこにカメラが入っているであろう内ポケットの場所を握りしめていた。
かろうじて微笑みだけは崩していない彼女だったが、正直まだ辛い顔をしていたほうが見る方も楽になれるくらいに、無理をしているのが分かる微笑みだった。
「……実は、この前もなんとか写真を撮ろうとしてみたんですよ。そろそろ終わる秋に包まれた学園の景色をね。でも、撮れませんでした。というのも、ここなら大丈夫かもと取り出したカメラから覗いたレンズ越しに見えちゃいまして」
「見えちゃったって……もしかして」
「はい、今のマコト先輩です。私達なんかよりもずっと陰鬱な表情で俯いて歩く、あの人の姿が」
話に聞いただけでも息が詰まりそうになった。
色々な人が今のマコトちゃんを支えようと頑張って、声をかけてくれる人だっている。
イブキもヒナもナギサも、他のいろんな子も。
でもそれでもやっぱりマコトちゃんの辛さは終わっていない。今もなおかつての議長だったという過去がマコトちゃんを苦しめているに違いない。
その現実がチアキにどれほどショックだったのかは、聞くまでもないだろう。
「あれを見ちゃった時、私はきっともうマトモにカメラを趣味で使えないんだなって、分かっちゃったんです。……はあ、まったく情けないなぁ私。マコト先輩から万魔殿の事を託されたのに、結局、半端者になっちゃった……」
チアキは背もたれに体重を預けながら彼女が被っている書記としての制帽で顔の上半分を隠した。
口元は笑っていた。でも、制帽の中から零れ落ちてくる雫は隠す事ができていなかった。
「……ごめんなさい」
あまりにも安直な質問で、私はチアキを傷つけてしまった。
あれほど痛み苦しみを嫌っていた私がこうして後輩を傷つけているのだから、つくづく自分の愚かさが嫌になって、腹が立った。
「いいんですよ……それがむしろサツキ先輩の優しさなんだって、私、よく知ってますから……」
顔を向けてくることはなく、変わらない姿のままに言ってくれたチアキの言葉に、私は納得する事ができなかった。
私なんてただの臆病な凡人で、自分のやっていることがその場しのぎでしかないってことは、自分がよく分かっているもの。