【完結】羽沼マコトが席から降りた日   作:詠符音黎

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21.棗イロハが安寧を捨てた理由

「さいみんじゅつ?」

「うん! そうなの!」

 

 いつもの公園でいつものように顔を合わせたマコトちゃんに、私は言った。

 

「テレビでやっててね! すごいの! ごえんだまをふったらね! ひとがねむって! それでいわれたことになんでもしたがってて! わたし! あれやろうとおもうの!」

 

 手をワタワタと振りながら昨日見たテレビ番組の内容を熱論する私の言葉に、マコトちゃんは興味津々と言った様子で耳を傾けてくれていた。

 子供の私にはそれはもうとてもびっくりした内容で、強い衝撃を受けて感化された私はそのまま続ける。

 

「でね! わたしもそのさいみんじゅつをつかえるようになれば……きっとマコトちゃんのおてつだい、できるとおもうの!」

 

 マコトちゃんの夢、キヴォトスの頂点に君臨して支配者になるという野望。

 私はあの日マコトちゃんに手を差し伸べてもらってからその隣にどうやって立てるかを考えていた。

 そんな中で見たその番組の内容で、コレだ! と思ったのだ。

 

「わたしがさいみんじゅつをおぼえれば、それでもうみんながきずつけあわないようにおねがいして、それでマコトちゃんのいうこときいてってすれば……あ、でもわたし、ごえんだまもってない……」

 

 小さな私にとってお小遣いというのは十円玉一つでも貴重なもので大事に使っており、手持ちに五円玉を持っていなかった。

 後々考えれば適当に駄菓子でも買ってそのうち出てくるお釣りでも取っておけばよかったのだけれど、そのときの私は手元に五円玉がないという事実しか見えず露骨に落ち込んでしまったのだ。

 

「ふーむ……ちょっとまて」

 

 と、そんな私を見て目の前のマコトちゃんはおもむろにポケットを弄り始める。

 すると少ししたら手を止めて目を見開き、そこから笑顔で私に手のひらを向けてきた。

 五円玉が乗せられた、その手を。

 

「サツキ! これをつかえ!」

「えっ!? で、でもそれマコトちゃんのおこづかいじゃ……」

「ききき! それがどうした! わたしはしょうらいいだいなるリーダーとなるマコトさまだぞ! このていど、みらいへのとうしというやつだ!」

「そうなんだ! すごーい! かっこいいー!」

 

 正直当時の私には言葉の意味を理解できていなかったけれど、マコトちゃんが私のためにしてくれたという事はちゃんと分かっていて、それに感銘を受けた。

 そんな私を見て、マコトちゃんはまた満面の笑みを浮かべてくれた。

 

「ふふっ、そうだろうそうだろう! これでおもうぞんぶん、さいみんじゅつとやらをけんきゅうするといいぞ!」

「わかった! わたし、がんばるね!」

 

 この日から私は催眠術の研究を始めたのだ。

 キヴォトスから痛いのも怖いのも取り除くために。

 そしてマコトちゃんの隣で同じ夢を見るために。

 

 

   *****

 

 

「…………」

 

 私の手のひらの上にある紐をくくりつけた五円玉を見ながらふと昔の事を思い出していた。

 この五円玉は、あのときマコトちゃんから貰った五円玉だ。

 もう随分と年季の入った代物になってしまったけれど、汚れたらクエン酸と洗剤で磨いていつも綺麗にするようにしている。

 ただ磨きすぎたせいでもうだいぶ表面の凹凸もなくなってきてもうただの穴の空いた丸い金属ぐらいになってしまっている。

 でも別にそれで催眠術をかけるのに不便はしてないし、何よりマコトちゃんからの大事な贈り物だ。これを捨てるなんて私にはできない。

 

「……サツキ先輩?」

「えっ?」

 

 と、そこで私はやっとイロハが目の前にいたことに気づく。

 駄目ね……さすがにちょっと自分の世界に入り込み過ぎてたみたいだわ。

 私はとりあえず五円玉を役員用コートにある胸ポケットに押し込んで、彼女に笑って応える。

 

「ごめんなさいね。かなりボーッとしてたわ」

「……いえ、いいんです、サツキ先輩はずっと頑張ってますから」

 

 そう返してくるイロハだって相当疲れた顔をしていると、私は思った。

 元からダウナー気味な子であったけれど、最近は輪をかけて元気がない。

 声量はとても小さく、目の下には大きな隈。瞳もどこを見ているかはっきりとせず足取りも心配になる頼りなさだ。

 しかしそんな状態でも仕事はきっちりとこなしていた。

 彼女に割り振った仕事はすべて完璧にこなされ、だいたいいつもその日の分のノルマより多くこなしてくれる。少なくとも設定したノルマに届かない日は一緒にやっていこうと決めた日からは見たことがなかった。

 ……確かに、マコトちゃんと比べれば頼りない私からしたらとても助かる。だけど、そのためにイロハが無理をしているようにしか見えなくてどうしようかと最近常に思い悩んでいた。

 マコトちゃんの事がトラウマになって私やイブキが無理をするのが怖いというのは凄く分かるのだけれど、それでイロハが無理をしてはミイラ取りがミイラだ。

 なんならあの日、お互い仕事を分担して誰も無理をしないようにしようと言ってくれたのは彼女なのにその彼女がそれを真っ先に破るというのも気持ちよくない行いでもある。

 きっと、今すぐにでも彼女にこう考えているって言うべきなんだろう。

 でも私はそれを言葉に出せずにいた。

 理由は、先日似たような事をチアキにして、結局彼女の傷を抉って終わってしまった事だ。

 またあんな失敗はしたくない。

 でもイロハがこのままでも嫌だ。

 どっちも選べず、ずっと悩んだままで動けない。

 私は結局、痛みに怯える弱い子なのだ。

 

「…………はぁ」

 

 そんなことを考えていると、大きなため息が出てしまった。

 しまった、これじゃイロハに悩んでいるのがバレるかもしれないしそうでなくても私が疲れていると思われてまた彼女が余計に無理をしちゃうかも。

 

「あっ、あの……違うの今のは。ただ今晩のおかずは何にしようかなーって……」

「…………」

 

 その場しのぎの言い訳をしたのだけれど、イロハは答えてくれなかった。

 というか、さっきの私よりもずっとひどくボーッとしてないかしらコレ……?

 

「……イロハ?」

 

 私は恐る恐る彼女に近づき声をかける。

 

「…………」

 

 でも、彼女は答えない。

 心配になって、私は彼女の肩に手を伸ばす。

 

「えっと、大丈夫かしら……?」

 

 そして軽く揺らそうと手を乗っけたそのときだった。

 イロハが、ガクンと椅子の上で倒れ、机に顔を突っ伏したのだ。

 

「イっ、イロハっ!?!? そ、そんな……!? 嫌……わ、私、私が、私のせいで……!」

「……くぅー……」

「…………え?」

 

 また私は失敗したのかと気が動転していたところで、彼女からそんな音が聞こえてきた。

 それはいわゆる寝息というやつだ。

 イロハは、どうやら随分と寝不足だったみたいだった。

 

 

 

 

 

「……お恥ずかしい所をお見せしました」

 

 他の議員に頼んで保健室に運んでもらい、しばらく寝てもらっていたイロハが帰ってきたかと思うと顔を赤くして深々と頭を下げてきた。

 時刻はもう夕方で、一般生徒はだいたい帰路についた頃合いだ。

 

「いいのよ別に。そういう日だってあるわ。まあイロハにしてはびっくりするぐらい珍しいと思ったけれど」

 

 私は苦笑しながらもそんなちょっとした皮肉を交えて返した。

 かなり心配したのだからこれぐらいはいいと思うのよ。

 

「……う、本当にすいません……あの、その……」

 

 と、そこで頭を下げていたイロハが伺うようにこちらを見てきて言葉に困っている。

 何かしら? と思いながらも私は彼女から言い出すのを待った。すると、また少ししてから彼女は口を開いた。

 

「あの……私が寝不足で倒れたのは、その……自分でも分かってるんです。根を詰めすぎなんだって……それで、サツキ先輩が私の事を心配してくださっているのも知っていました……」

 

 意外だった。彼女は思ったよりも自己分析ができていたようだ。

 いやまあそりゃそうよね、だってイロハだし。

 私なんかよりもよっぽど仕事ができてマコトちゃんの事もバリバリ支えて風紀委員会に嫌がらせをしにいくときは嫌々ではあったけど毎回予算をゼロにまで持っていくぐらいの手腕は発揮していたような子だもの。できないはずがないし、気づいていない訳が無いのよ。

 

「でも、どうしても最近はちょっと、サボる気にすらまったくなれなくて……なんなら、夜もちょっと、眠れない日が続くようになって……」

「……何か、あったの?」

 

 語る彼女の口ぶりと顔色が悪化した事で、私も気を引き締める。

 私達はお互い助け合っていこうと決めた。そんな中でも自分の苦しみを打ち明けられなかったイロハが今からそうなった原因を言おうとしているのだから、こちらもそれなりの気持ちで臨まないと失礼である。

 

「……まあ、ここまで来たら言わないのはどうなんだって感じで無理ですし言いますけれど……この前、マコト先輩とお話する機会があったんです」

「そう……なのね」

 

 別に咎めるような事じゃないし隠すような事でもないのは分かっている。

 けれどもいつの間にか私達の間ではマコトちゃんの話はタブーという暗黙の了解みたいができていて少なくとも積極的に話す事はしなかった。

 今日だってイロハの体調に加えて二人っきりというのも大きいだろう。

 ……しかし、本当にこの執務室に人がいることが少なくなったわね。まあ、昔と違ってただの仕事場になっちゃったんだから仕方ないけれど。

 これも全部、私がマコトちゃんと比べてダメダメだからだわ。

 

「機会というかまあその、さらに正確に言えば私が話したくなって近づいた、ってのが正しんですけれど」

「イロハから?」

「はい。先輩がやめてからまあなし崩しで新体制になって、結局あの病室での会話以降、ロクに話せてなかったですからいつかちゃんとお話したいと思ってたんです。ただ勇気がなかなか出なくて……それでようやくこの前、足を動かせたと言いますか」

「なるほど……やっぱりイロハは凄いわね。私は未だにマコトちゃんを避けてすらいるっていうのに」

 

 同じ三年生同士だから私は誰よりもマコトちゃんに会いに行きやすいしなんなら同じ階にクラスがあるわけだからばったり出会っても何も変じゃない。

 でも私があれっきりちゃんとマコトちゃんと顔を会わせていないのは、まあそういう事だからで、そんな自分の事を考えると気が滅入るばかりだ。それに比べると、イロハはやはり私なんかよりずっと議長に向いているんだって、そう思ってしまう。

 

「こればっかりはしょうがないですよ、むしろ幼馴染として私達なんかよりもずっと一緒にいたサツキ先輩だからこそだとそこは思いますし。まあとにかく話を戻しますと、あの人に会って話したんです。最近大丈夫ですかとか、お体変わりないですか、とか」

「うん……でも、本当に話したい話は別にあったのよね?」

「ええ。つまり、そこからが私が眠りにつけなくなった理由なんですけれど……私、やっぱりあの人にはもうゆっくり休んで、今まで以上に自由にやって欲しいって言ったんです。……以前も言ったように、あんな無茶をしたからこそあの人はあんな事になってしまったから。…………でも」

 

 そこでイロハの目線が少し床に逸れて、とても渋い表情になった。

 特に他意はなく向けたであろう床には窓から差し込む夕焼け色の光が伸びていた。影を区切るように綺麗に整ったそれは、明るいはずなのに何故か閉塞感を覚えた。

 

「でもそしたら、あの人、聞いてきたんですよ。『今の私に何かできないだろうか?』って」

「えっ……?」

 

 伝え聞いただけのその言葉で、胸にキュッとなるような痛さが走った。

 つまり、まだマコトちゃんは議長としての責任を、責務を感じているのだ。

 誰よりも自由を愛していた彼女が、今誰よりも不自由に縛られているのである。

 

「もちろん私は断りました。もう先輩は立場として関われなくなってるんですよって。でもそしたら、それまで静かに私の話を聞いてくれたあの人の顔が苦しげになって、最後はまたあのときみたいに『すまなかった。もう、ワガママは言わない。私が悪かった』って、凄い卑屈に謝ってきて……――」

「――……ッ!!」

 

 気づいたら、私は席を乱暴に立ち上がって執務室を飛び出していた。

 

「サツキ先輩!? サツキ先輩ッ……! ……ッ!」

 

 後ろからイロハが驚き叫ぶ声が聞こえてきたけれど、止まる事なんてできなかった。

 

「マコトちゃん……マコトちゃん……!」

 

 私の親友で、幼馴染で……誰よりも大好きなマコトちゃんは未だ苦しみ心から血を流している。

 痛みに苦しみ、恐怖に怯えている。

 そんなの許せない。

 私は痛いのが嫌だ。怖いのが嫌だ。悲しいのが嫌だ。

 だからこのキヴォトスをマコトちゃんと一緒に支配して、誰も傷つかない世界にしたかった。でもマコトちゃんがいなくなって、私一人になってしまって、私は自分の痛みから逃げて、そうしたら、誰よりも守りたい、誰よりも愛している人が痛みに泣いてしまった。

 そんなのは、絶対駄目だ。

 

「そう……私のマコトちゃんが苦しむなんて、絶対駄目よ!」

 

 ええ、私はきっと幼馴染という枠組みも、親友という枠組みを越えてマコトちゃんが好きなんだ。

 一生隣にいて欲しいって、生涯を共にする相手になって欲しいって思っている。

 だったら、今度は私が勇気を出さないと駄目なんだ。

 痛みを感じたとしても、失う痛みがもっとひどいって、私は嫌と言うほど分かったんだから。

 

「マコトちゃん……!」

 

 こうして私は走って走って走り続けて、いつしかたどり着いた。

 マコトちゃんが住む寮の前に。彼女の部屋の扉の前に。

 

「……サツキ? どうした、こんな時間に」

 

 私が扉を叩いて出てきたマコトちゃんは本当に疲れた顔をしていた。

 家にいるというのに未だ学校の制服姿のマコトちゃん。

 かつての覇気などカケラも感じられないそんな彼女に、私は言った。

 

 

「マコトちゃん……お願い、二人っきりで話をさせて」

 

 秋の終わり、冬の本格的な寒さの兆しが身体を震わせる、そんな夜だった。

 

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