「あっ、お帰りなさいマコトちゃん。どうだった演説は……って、何その子!? 可愛いーっ!」
「バウバウ!」
万魔殿の執務室に帰るやいなや、私の足元を見てサツキが大きく口を開いて笑って見せた。
なぜかと言うと、今私の足元には先程見つけた子犬がずっとつきまとっていてここまで来てしまったからだ。
子犬はニッコリしているサツキに元気よく吠えて、サツキは更にニッコリとなる。
うむ、サツキなら当然そんな反応になるだろうな……。
「何!? どうしたのこの子!? もしかしてマコトちゃん、新しくペットを飼う事にしたの!? きゃーっ!」
「そうだよね先輩! この子犬、可愛いよねー!」
「え、ええいっ! 違う! そうではないっ! あとイブキ! イブキの方が可愛いぞ!」
「あーそのサツキ先輩、実はですね……」
ずっとこのテンションで勘違いされてはさすがに困る……と思ったところでイロハが事情を説明してくれた。
「つまり、偶然助けた子犬にずっと懐かれて捨て置く事もできないからここまで連れてきちゃった、って事?」
「ええまあ、そうなりますね」
うまくまとめて説明してくれたイロハのおかげでサツキもある程度落ち着き状況を理解する。
とはいえ、未だ私の脛に鬱陶しく頭をこすりつけてくるこの子犬を見てはデレデレとした顔になるのは変わっていないのだが。
「ふん、何が可愛いというのか。飼い犬など自ら首輪をつけられる事を喜び自由を放棄する奴隷と同じ。まるで風紀委員会のようではないか」
「また変な事言って……なら普通にそのへんに捨ててくればよかったんじゃないですか?」
「なっ!? イ、イロハ……お前、そんな恐ろしい事を……!?」
「いや、私だってさすがにそんな事はしたくないですけれど。でもマコト先輩がそんなに犬が嫌いだとは知りませんでしたし、普段なら嫌なモノにはもっとはっきりとした態度を取るものですから」
イロハの疑問ももっともだろう。遠ざけるわけでもなければ近づけるわけでもない今の私の態度は外から見たら半端もいいところだ。
しかし、それを自覚してもなおやはり私は煮えきらないところが出てしまう。それは、私の中にある理屈と感情が並立しぶつかり合っているからだ。
「確かに私は犬という動物が好きではない。だが、それとは別にこの子犬もまた命ある生き物である事は事実だ。それを個人の好き嫌いだけで弄ぶような者は暗君でしかないし、こうして好意を寄せてくれる生き物を力ずくで追い払うというのも愚かな振る舞いだろう」
「……おー」
「……ふふっ」
「な……なんだその顔は」
イロハは珍しく感心したような顔だし、サツキは先程までとは違った毛色のニヤつき顔を見せてくる。
別に当たり前の事を言ったはずなのだが……。
「まあ、マコト先輩の言いたい事は分かりました。それはそれとして結局どうするんですか? ここまで連れてきて飼わない、なんて事にはならないでしょう。ライオンマルのように他の議員に預けますか?」
「むぅ……そうしたいところではあるが……」
私は再び自分の足元を見る。
黒い子犬はずっと私の足元に頭をこすったり、かと思えば前足を伸ばし立ち上がるような形で寄りかかってきたりと、私から離れる様子がない。
実際ここまで来るまで引き剥がせなかったのだからイロハもそれは理解しているだろう。
さて、本当にどうしたものか……。
「どうもーマコト先輩帰ってますかー!」
と、そんなとき元気有り余る声が執務室に響いた。
我らが万魔殿書記、元宮チアキだ。
「って、なんですかその子!? うわー可愛いじゃないですかー!?」
「その下りは既にやったので省略してくださいチアキ」
「どゆことイロハちゃん!?」
なかなか理不尽な事をイロハから言われたチアキだったがわりと慣れているのか「んじゃまそれはともかく」と言い直しつつ私の方を見てきた。
「マコト先輩、先生来てますよー」
「ふむ先生が……なっ!? 先生が来た……だと!?」
突然の重要な来訪者に私は大きく口を開けて驚いてしまった。
先生……このキヴォトスにおいて統括的な政務を行っている連邦生徒会が設立した超法規的権限を有した組織、連邦捜査部
彼女との協力体制を作れれば私のキヴォトス征服の野望は大きく前進することは間違いなく幾度か交渉を持ちかけているのだが、なかなか首を縦に振って貰えていない。
それもまた彼女の偉大なる指導者としての才覚なのは理解しているため、私も同じ選ばれし者として根気強く交渉を続けているところだ。
しかし、そんな先生が突然この万魔殿にやって来るとは驚きだ。一体何が……はっ、そうか!?
「……なるほど、とうとう先生もこのマコト様と手を組む意志を固めたということか? キキキッ! ついに我が絶え間ない交渉と磨き抜かれた威光が先生に――」
「――あっ、ごめん。別件で寄ったついでに様子見に来ただけだよマコト」
少し困ったような色を帯びた断りが聞こえてくる。
チアキが来た入口のすぐ後ろに、既にいつもと変わらぬ先生がやって来ていたのだ。
身長は私とほぼイコールな一七〇センチ程度であり、つややかに輝く濃い紫のロングヘアーの前髪は垂らし後ろ髪だけをまとめたポニーテール……と言えば聞こえはいいが実際は粗雑に後ろ髪をまとめた結果そうなっている髪型で、その下に大人らしい整いと可愛らしさが同居した顔はいつもそのライトグリーンの瞳と共に快活な笑顔が浮かんでいる。
服装は鎖骨が見える程度に前を開いて腕まくりもしている水色のワイシャツに長い脚のラインをピッチリと出す黒のパンツスタイルだ。
胸は大分あってその上に首から下げたIDカードが乗っている。
一見するとなかなかにラフな格好の人であるが、一方で指導者としては非常に優秀でありその辣腕によりこのキヴォトスにあまねく数々の問題を解決してきたのも知っている。
人は見た目によらない、というやつだ。
「そ、そうか……なるほど、不意の出来事にも臨機応変に対応を変え行動に移す……さすがは先生だ。まさかこのマコト様が学ばされるとはな……キキッ!」
「……うん、マコトは今日も元気だね」
「いつもながらご苦労様おかけします先生……」
なぜかイロハが先生に謝っていた。
理由はよく分からないが、まあイロハによる先生への籠絡が進んでいると見ていいのかもしれない。
それをもってしてもこちらに与せぬとは、やはり容易くはいかないようだな……。
「……ん? あれ!? マコト足元に――」
「――あー先生それさっき私もスキップされたんで先生もイベントスキップお願いします」
「イベントスキップ!? どゆこと!?」
まあうん、さすがの先生もそういう反応になるだろうな。とはいえ実際に私も同じ流れを何度も繰り返すのは疲れるので、そのまま流れで説明をしてしまう。
すると先生は「なるほど……」と言いながら軽く腕を組み、そして改めて足元の子犬を一瞥してから私の方を見た。
「それでマコトは悩んでるんだ、その子をどうするべきかって」
「……うむ、まあな」
「ふーむ……そうだね、マコトの考えは当然のようでとても大事な考え方だと思う。命を預かるっていう行いに対して考えが軽い人は思いの外多いからね。でも、だからこそ私はその子犬はマコトみたいな子に飼ってほしいと思うよ」
「だからこそ私に、だと……?」
先生の発言に私は少し驚いてしまう。
しかし先生は優しい瞳をこちらに向け、あくまで落ち着いた態度だ。
「うん。そこをちゃんと自覚した上で悩んでて、だからこそ手放して終わりにしようとしないでこれからの事も考えてる訳だし。それとなんなら今回はライオンマルがあるのも気にしてるんでしょ?」
「……くっ、そういえば先生は一部始終を知っていたか」
私は見事に私の心中を見抜いた先生につい腕を組みバツの悪い顔を見せてしまった。
ライオンマル――正確にはエンペラー・ライオンマル・ジュニア3世――は我が万魔殿で飼っている猫の事だ。
今は猫であるが将来はライオンとなりこのマコト様と共に万魔殿の象徴たる存在になってもらうべくそう名付けた。
だがどうやら私は猫アレルギーだったらしく、泣く泣く……いや、別にそこまでショックを受けたなんて訳では無いと先生には弁明したが、ともかく他の万魔殿メンバーに飼育係を頼む事になってしまったのだ。
私はもっとライオンマルと一緒に……じゃなくて、共に万魔殿の威光を示す存在として私自ら調教してやりたがったがそうはいかず、たまに飼育係の生徒が上げてくれる動画を介してかまたは僅かな時間距離を置いてその姿を見る程度だ。
動画自体は思っていたのとはまた別の形で宣伝活動に役立ってくれたからいいのだが、ついライオンマルの事を思うと淋しさ……ではなく、手持ち無沙汰な気持ちは感じてしまっていた。
しかしだからと言ってもう一匹ペットを増やすのは違うと思うのだ。
「ライオンマルは猫で今私の足元にまとわりついているこいつは犬だ。ただでさえペットを一匹増やすのはもっと思慮すべきと思うし、猫と犬は仲が悪いとよく聞く。なので下手な懸念は増やしたくないのだ」
「…………」
「……な、なんだイロハ。そんなじっと見てきて」
「……いえ。マコト先輩の癖に随分とまともな事言うなってびっくりしてただけです」
「癖に!? 癖にと言ったか今!?」
「ちょっとイロハちゃんそれは言い過ぎだよー。いくら普段は勢いだけなマコト先輩だってやるときはわりかしやるでしょー?」
「チアキ! フォローしてくれるのは嬉しいがあんまりフォローしてない感じがあるのは私の勘違いか!?」
「みんな言い過ぎよ! マコトちゃんはロクに考えずに突っ走るのがいいところなのよ!」
「それはバカにしてるだろうさすがに!? あとお前も人の事言えないからなサツキ!」
「えーっと……マコト先輩はいつも賑やかで元気だよ!」
「イブキ! まさに天使! 愛しているぞっ!」
「……今日もみんな変わらないね」
ドタバタしだした私達を見て先生は苦笑した。
ただ彼女はそんな中チラリと私と足元の犬を見比べ、腰に手を当てながら朗らかな笑みを浮かべて言った。
「まぁマコトなら大丈夫だよ! 犬猫の関係もライオンマルの方は基本他の子に任せてるんだから鉢合わせないよう気をつければいいだけだし。マコト……っていうか万魔殿のみんなら下手なことしないでしょ?」
鶴の一声だった。
他のみんな、そして何より私が「まあ先生がそう言うのなら……」という事でこのずっと私に付きまとっている子犬を飼う事になってしまったのだった。
「バウッ!」
人の気を知ってか知らずか、子犬はまた元気よく吠えて私の足元で尻尾を振っていた。
*****
それから、私と子犬との共同生活が始まった。
何よりもまず名前を決める事となったのだが「マコト先輩が飼うんだからマコト先輩が決めてください」とイロハを始めみんな私に全任せしてきた。
まあそれは何も間違っていないのだが流れ的にみんなで面倒を見る、といった雰囲気だったと思っていたのだが……とは思った。口にはしなかったが。
とにかく命名を任されたのでしばらく考えた結果私はひたすらにじゃれついてくる子犬に「カイゼリン・バーゲスト・グロリアーナ1世」と名付けた。
理由はメスだったのといずれライオンマルに並ぶ万魔殿の顔となってもらうぞという期待を込めた名前だった。
私が高らかに発表したその名を聞くと「うんうん……」とみんな妙に納得した感じで頷いて来た。何か含みがあるのかもしれんが命名権を放棄したお前達が悪いんだからな。
名付けた後はついに世話が始まった。
黒い子犬もといバーゲストは本当に私に懐いていてずっと一緒にいてくるので細かな世話も私が頑張らねばならない。
そこに関してはライオンマルのときも似たような感じ――いやライオンマルは事あるごとに逃げていたが一人で面倒を見るのは一緒――だったのであまり苦にはならなかった。
しかし犬であるために散歩の面倒を見てやらないと駄目なのは大変だ。
まず私は飼い犬の首輪をつけられて喜ぶような姿が好きではない。そんな私に犬の散歩をしろなど半分くらいは拷問なのではないのか? という気持ちすら湧いた。
だがいざ散歩を始めてみるとバーゲストは思いの外やんちゃな子犬だった。
外に繰り出すとすぐにあっちこっちへと駆け出そうとする。室内では私にうざったいほどにベタベタとくっついてくる癖にこの差はなんだ? となるぐらいには。
先程も言ったように犬の媚びへつらう生態は好きではないが、それと同じくらいこのマコト様がリードを握っているというのに従おうとしない奔放さを許す気もなかった。
自由を渇望する意志と躾をごっちゃにしてはいけないからな。
散歩となるとあまりに元気になるバーゲストの躾はともかく苦労したが、やっと散歩中でもちょっとやんちゃ程度で済むようになった。
するとその中で予想外の出来事も起きた。
私がバーゲストを毎朝散歩させていた結果、その姿を見たゲヘナ生達がみんな我々もとい議長である私に興味を持ってきたのだ。
犬が好きなんですかとか、万魔殿で何やってる人なんですか? などなど。
そうした質問に受け答えていたら、いつの間にか私が万魔殿の議長であるという知名度、そして支持率が幾分か上がったのだ。
犬の散歩をしたら上がる支持率とは一体……と思った以上に単純すぎるゲヘナ生が心配にもなったがまあ結果オーライという事にした。元よりバーゲストには広報活動に役に立って貰おうと考えていたしな。
まあそんな感じでなし崩し的に始まったバーゲストとの生活であるが思いの外トラブルもなく進んでいって、いつしかバーゲストは我ら万魔殿の中で当たり前の存在となっていった。
*****
あれから一ヶ月。
夏は全盛期を迎え外に出るのが億劫になってしまう暑さが外を焼く中、私達は万魔殿の執務室でクーラーの恩恵を受けながら仕事をしていた。
私のデスクの上にある書類もその山の標高を大きく下げ、そろそろ姿を消す頃合いだろう。
「バウバウッ」
「あー駄目ですよバーゲスト、私の髪はおもちゃじゃないって言ってるじゃないですか。ほらいつもみたいにサツキ先輩に遊んでもらいなさい」
「バウッ!」
「んもーバーちゃんったら可愛いんだから! よーしよしよしよしー!」
「おーっ、子犬を可愛がるサツキ先輩、絵になりますねー! ほら先輩もバーゲストもこっち見て! 次の週刊
「それ終わったらイブキと一緒におやつ食べよー! ちゃんと犬用おやつ用意したし!」
「……キキキ」
うむ……別に他のみんなもサボっているわけではないのだ。普通に仕事はちゃんとしていると言えよう。
ただ思った以上にバーゲストが万魔殿の風景に馴染んでしまっただけで。
「……あー、サツキ。頼んでた調査の件はどうなっている?」
「え? ああ、今のところはキヴォトス全土で散発的にペット泥棒があってそのうちの一件って感じみたいねバーちゃんのは。ただその背景がうちの情報部使ってもイマイチはっきりしないのが怪しいわねーって感じでまだまだ時間かかると思うわ」
「なるほど引き続き頼む。あとそのバーちゃんって言い方はご老人みたいだからやめろと言っているだろ。まだ子犬だぞ」
「わりとそういうところ気にしますよねーマコト先輩。大丈夫ですよーバーゲストは基本先輩にべったりですんで取られたりしませんってー!」
「そういう話ではないからな!? ……はぁ、まったく」
まあチアキの言う通り私以外にも懐くようになったのは明確な変化だと思う。
あれほど私に付きまとっていたのにいつの間にか他のメンバーにも文字通り尻尾を振るようになったのはやはり犬などこの程度かとも思いもしたが……これは犬という生き物の生態に呆れているだけで嫉妬とかそうのではない、間違いなくない。
「まあそんなマコト先輩の素直になれない態度は置いておくとして……」
そんな中、イロハが一旦空気をリセットするようにダウナーな様子で言ってきた。
なんだか最近イロハからの毒も激しくなった気がするが、ここでいちいち突っ込んでは話は一生止まっていそうなのでぐっと堪えた。優れた指導者というのは場の状況も読めるものだからな。
「
イロハのその一言で、それまで緩かった空気が一気に引き締まったのを感じた。
当然私としても改めて椅子に座り直し、ぐっと組み合わせる手に力が入る。
「キキキッ……そうか、いやぁ楽しみじゃないか。翼付き共に格の違いを教え込んでやるのは……キキキッ、キャハハハハッ!」
私は既にこの胸を高鳴らせる興奮を笑いとして表に出した。
翼付き共――トリニティ総合学園の生徒達、そのトップたるティーパーティーとの会談で我らゲヘナ学園の優位性を証明するその時を思って。