夜の闇の中で、アサは自分の掌を見つめていた。
「まだ掌に感覚が残ってる……」
思い返すのは、樹海の悪魔を銃殺したあの瞬間。
命を奪った感覚と、銃の反動。
そして、完全に意表を突かれたという、樹海の悪魔の表情。
「……」
「おぉ、アサもようやく私と同じ趣味に目覚めてくれたか」
こてんと首を傾けて、ヨルを視界に入れる。
逃亡中に用立てた仮宿に客用布団なんて気の利いたものがある訳も無いので、2つの布団を男女別で使用することになった。
そのため、ヨルを視界に入れようとするとレゼとナユタの寝顔が眼に入るのだった。
なぜジョージだけは『デンジ、レゼ、ナユタ』と『アサ、ジョージ』の組み分けを熱心に押していたが、やっぱりアレは下心だったのだろうかとアサは少しドキドキしている。
まあ却下されたわけだが、その後残念そうに仕舞い込んでいた一眼レフは何に使うつもりだったのだろうか。というかどこから取り出したのだろうか。
さておき。
「趣味って、なに?」
「戦争だよ。相手を出し抜く快感、と言い換えてもいい」
「なにそれ、別に、そんなこと」
「自分を偽るのはよせ。アサは私でもあるんだ、手に取るようにわかるぞ」
どこか色っぽくすらある笑みを浮かべてアサに近寄ってくる。
勿論それはアサの脳が分かりやすい形に解釈しているだけの幻覚なので、他の2人の顔を蹴っ飛ばしたりする心配はない。
「敵の視界から完全に逃れ、全く意識していない所からの一撃……敵の愕然とした表情、崩れ落ちる姿、そして敵を思考を完全に超越したという愉悦! まさに、戦略かくあれかし、だ。きっと天国のハンニバル・バルカも諸手を上げて賛同する事だろう」
「ジョージもそうだけど、好きな事の話になると意味不明な言動が増えるのはマイナー趣味人の共通仕様かなにかなの?」
そんなことを言わないで上げて欲しい。
彼らは同志に飢えているのである。
「だが、事実だろう? 敵を出し抜き、鮮やかに勝利を決める。あの一瞬に抱いた感情は絶対になくなったりしない」
「……ま、認めるけど」
「よぉし認めたな!? じゃあこの件が終わったら武器を作りに行くぞ! とびっきりの奴を探さないとな!」
「でも私じゃないでしょ、アレ」
その一言に思い当たる節でもあったのか、ヨルがピタリと止まった。
「……なぜそう思う?」
「だって、あそこに撃ち落したのはレゼ先輩だし、その為の技を吹き込んだのはジョージだし、それができる状況を作ったのはデンジだし、そもそも『一撃で心臓をぶち抜け』って最初に言い含められたじゃん」
「……」
「だから自分で勝ったっていうよりも、ジョージが華を持たせてくれた、みたいな感じしかしないって言うか……」
実際、あの決着の形はジョージなりの気遣いであった。
ああした荒事となるとどうしてもアサは一歩劣ってしまう。それこそ、晩御飯の最中のような話題になれば、アサは一歩引いて話を聞くことしかできなかっただろう。
しかしあの戦いの中で、アサは『敵に止めを刺した』という功績を持っていた。
これは『ただ見ていただけ』の場合とは居心地が全く違う。
知見の都合で会話に混ざれずとも、空気には混ざれる。
これだけで物凄く気楽……というより、疎外感が随分なくなる。
友人知人が、自分では盛り上がれない話題で盛り上がっている時の疎外感が。
苦虫を噛み潰したような顔で、ヨルが話し出す。
「まあ……確かに、あの時は
「そんなに?」
「実際あの男は、多分私よりも戦争が上手い」
「はぁ?」
「アサ、『戦闘』と『戦争』の違いは何だと思う?」
アサは少し考えてから答えた。
「……規模?」
「正解だ。戦闘なんてものは、究極的には路上の喧嘩からそれこそ戦争までを含む概念だ。戦争というのは、国家がその威信をかけて行う外交だ」
「外交? 戦争が?」
「言いたい気持ちはよくわかるぞ。だが冷戦だの経済戦争だの、そんな風な言い回しもあるだろう?」
「鈴仙? って言うのは聞いたことないけど、経済戦争なら聞いたような……?」
この世界には第二次世界大戦が無いので、ソ連とアメリカが冷戦にもつれ込んだ歴史も無い。
だが日本の高度経済成長期はあったので、その時の
まあその泡が弾けた現在では、ただの杞憂でしか無かった言説な訳だが。
「あの男は、そういう意味での戦争が上手い。多対多での盤面を見る視野の広さと言うか……戦闘やその結果を手段と割り切る潔さと言うか……」
「あぁ……」
「その上でロマンだの外連味だのといった『遊び』を入れてくるのだからいよいよ厄介。理屈で動く手合いなら次の行動が読めるが、不確定要素を入れてくるせいで先読みも難しいと来ている」
それこそ、先の戦闘は典型的。
本当に合理だけで動くなら、ジョージは両方を即殺できた。
にもかかわらず、本人は徹底してサポート。
矢面に立ち、主体となって戦うのはデンジとレゼで、美味しい所はアサに譲った。
ナユタという司令塔を護衛しつつ戦闘に貢献できる『射程持ち』であるが故の適材適所と言えば聞こえはいいが、そもそも出合い頭に即殺してしまえばそんなややこしい絵図を描く必要など無い。
のらりくらりと全力を出さずに手の内を隠し、しかし目的だけはきっちり達成する。
しかもその目的さえも隠したままなので、お互いの勝利条件が判然としない。
その『不明瞭』が気持ち悪い。
言ってしまえばジョージはエンジョイ勢。
合理もへったくれも無い目標の元に動いている上に、過程にも『面白さ』という独自基準でそこそこ拘る。
その癖、力量だけはガチ勢同然に持っているものだから質が悪い。
「だから武器だ! あの男を倒すためには、あの男の想定内にあるジョージ・ピストルズでは絶対に足りない!」
「はぁ!? なんでそういう話になる訳!?」
「んわぁ~……アサちゃん、どうしたの?」
思わず上げてしまった声に、レゼが反応して起きてしまった。
「あぁ……す、スイマセン。その、ヨルが変な事言ってて……」
「ヨル……って確か、戦争の悪魔だっけ?」
アサとヨルの複雑な事情は、既にレゼと共有されていた。
その時のレゼは少しショックを受けていたが、直後の『これでレゼ先輩と一緒ですね』というアサの言葉で毒気が抜かれていた。
とはいえ『半分悪魔』という状態においても先輩であるレゼは、この手の話題については積極的に聞くことにしていた。
なにせレゼの知り合いにいる同類ときたら、大体全部知ってるっぽいジョージと、大体全部気にしないデンジである。単純にこういう話題に飢えているというのもあった。
知識量については恐らくジョージの方が勝っているが、異性が相手ではしづらい相談もあるだろうし、そうでなくてもジョージは
ハッキリ言って、何を吹き込まれるか分かったものではない。そして嘘は言わないのがより一層質が悪い。
「で、その子がどうしたの?」
「ジョージと戦って倒すって息巻いてるんです」
「えぇ……? なんで?」
「さぁ……?」
「良いか! 私はずっと打倒チェンソーマンを目標に掲げてきた! そのためにはいけ好かない姉妹たちとも手を組んだ! しかし結局チェンソーマンは倒せなかった!」
この独白が聞こえているのはアサだけである。
そのため、一通り聞き終わったらレゼに通訳する必要があるのだ。
仕方の無い事だが、やや手間が掛かる奴である。
「チェンソーマンは全ての悪魔に恐れられている。だからこそ、私の方が凄い悪魔なんだと、恐ろしい存在なのだと証明したい!」
「だから、それがどうジョージと繋がるの」
明確に声に出さずとも、念じるだけでヨルと会話する技能をアサは習得していた。
なんだかんだで結構良好な関係を築いていることもあり、よっぽど動揺しない限りは実際の発声なんてしない。
おかげで『虚空に向かってぶつぶつ呟くヤバい人』にはならなくて済んで安心していた。
「デンジがチェンソーマンなのはわかったが、それでも同じ武器人間のジョージの豹変っぷりを考えるとまだまだ何か隠している可能性が高い。それへの備えとして、もっともっと力を付ける必要がある」
「ジョージを倒したらそれができるって? どうして?」
「私の狙いは、ジョージを倒して『親子関係』を再構築させ、銃の悪魔に向けられる恐怖の一部が
「親子関係……? あっ」
当時表に出ていたのはヨルだったが、その時の記憶はアサにもある。
『いい、もうお前は私の子じゃなくて良いから、ちょっと大人しくしてくれ』
『オッケー分かった契約な?』
『ああもう、それでいいから』
「……身から出た錆じゃん」
「あの時はこうなるなんて思わなかったんだ……」
より正確には『悪魔の血縁関係』と『恐怖の上納』がここまで密接に関わっているとは思わなかった、というべきか。
概念には明確に上下関係がある。
銃の上位概念は武器だし、武器の上位概念は装備だし、装備の上位概念は道具だ。
道具は不便から生まれ、武器は戦争から生まれ、銃は武器から生まれた。
このような概念を冠する悪魔同士の関係性は、しばしば血縁関係になぞらえて表現される。
単純な1対1で対応しているわけではない。重複するような、或いは解釈次第でどうとでもなる様なものも多い。
だがこうした上下関係にある概念がそれぞれ恐怖されて悪魔が誕生する場合は、下位の概念に向けられる恐怖の一部が、上位の概念を有する悪魔に流れる。
抽象的な概念を冠する悪魔が強力なのは、こうした『恐怖の上納』が頻繁に起こる為だ。
だが、契約によって血縁関係を否定したことで、それを前提とする恐怖の上納までもが同時に否定された。
そのため、銃の悪魔に向けられた恐怖の内、戦争の悪魔の
あらゆる武器の中でも最大手の概念。
そして直近でも世界中で暴れた、核兵器に等しい究極の暴虐。
それに向けられる恐怖の多寡……例え一部であろうと、衰弱した戦争の悪魔にはまさしく垂涎の代物だ。
否、たとえ衰弱していなくとも、これほどの『利権』を見逃すことは出来なかっただろう。
悪魔の生態にこのような仕様があるとは、長く生きてきてもまだまだ知らないことだらけだ。
「……だ、そうです」
ここまでの主張を出来る限り正確に、しかし適当にかいつまんでレゼに話した。
それを聞いたレゼは、なんとなく意味深に呟く。
「ふーん、そういう事ね……」
ヨルは知らない事だったが、その目的はジョージがレゼに語った『悪魔がチェンソーマンの心臓を狙う理由』そのものだった。
正直な所、レゼの関心としては予言的中の事実の方に偏っていた。
次の言葉が言えたのは、だからこそ、なのかもしれない。
「別に殺すわけではないんだね」
「……え?」
アサはただ呆けたような声を出しただけだったが、ヨルは無言のまま硬直した。
「いやぁ、ちょっとその、悪魔の生態みたいなのはよく分からないけどさ。それだったら銃の悪魔の心臓を食べちゃった方が強くなれるんじゃないかなーって」
「……どうなの?」
「……」
「うわぁなんか眼が見たことも無いような泳法を披露している」
その時のヨルは卒業発表を終えて質疑応答の時間になった瞬間に教授から『素人質問で恐縮ですが』と前置きされた時の数学科の生徒を思わせるほどのスピードで眼が泳いでいた。
「いやっ、それはだな……あの男は、ほら、何と言うか……強い、そう! ちょうどいい戦力になるだろ? 殺してしまってはそれまでだし、私しかいないのであれば同時に使える武器の数には限度があるし、徒党を組んで戦うこと自体は以前にチェンソーマンと戦った時もあったし……」
「……もしかして、ヨルさぁ」
しどろもどろに話すヨルを遮ったアサからの一言に、ヨルは大きく怯むような動きをした。
それを見て更に確信を深めるアサ。
「いや、それは違うぞアサ。私とお前は現在1つの脳を共有しているわけだ。だからお互いの感情がお互いの精神に対してダイレクトに干渉しあってしまう。そして精神とは常に水物であり、明確な1つの輪郭を保ち続ける事は例え悪魔であっても決して簡単な事じゃあない。ここまではいいか?」
「……なんか早口だけど一応聞いてあげる」
「ありがとう。つまり私かアサのどちらかが強く抱き続けた感情は、もう一方の精神を大なり小なり歪めてしまう構造になっているわけだ。である以上は、珍しく仲良くなれたかと思えば早々に喪い、しかしちゃっかり生き残っていた男が、色んな意味でドキドキさせて来たこれまでの経験もアサと同じスケールで体験していることになる」
「……だから?」
「よって私があの男に若干の温情を与えた所で、それはアサに対する忖度であって、私そのものにはなんら起因しないノーカウントな事象ということだ。『私は悪くない』」
「
なんだこのクソ面倒臭い地雷女は、とアサは思った。
「じゃあもうジョージに……なんていうか、特別扱いをするのは確定なのね?」
「言っておくが! 別に私が、じゃないからな! あくまでもアサの為にであって、私個人は『義理の息子に抱きしめて囁かれてドキドキしてる自分のインモラルさにドキドキしてる』とかそういうアレは無いからな!」
「もう息子じゃないんだからよくない?」
「人間そこまで割り切りが良いもんじゃないぞ」
「悪魔が言う事?」
流石悪魔だ、性癖の業も悪魔的に深いぜ!
なんて茶化すには、アサはあまりにも当事者だった。
ひとまず、ヨルの尊厳を損なわない様に編集してからレゼに伝えた。
「へー……」
「そのニヤニヤ笑いは……」
「いや、べっつにぃ?」
夜闇の中でも分かるほどに、レゼは笑顔だった。
流石は軍事大国ソ連から派遣されてきたハニトラ要員である。
「そっかそっかぁ、真なる敵は自分自身とは……アサちゃんってば王道だね!」
「大体全部察してるじゃないですかぁ!」
楽し気にはしゃいでいる風レゼだが、ちゃんとナユタの耳を塞いで起こさないように配慮しているのだから意外と冷静でもあった。
やっぱりこの人には敵わない。
デンジと駆け落ちしてもレゼがそう大きく変わっていないのは、アサにとって救いでもあった。
碌に話もできないで物別れに終わってしまったものだから、まるでこれまでの日常が全て虚構に崩れ落ちてしまったのかとも思った。
なにが本物なのかは、アサが決めろ。
ジョージがそう言ったことを思い出す。
だからアサは決めた。
あの日常は、間違いなく本物だった。
レゼは頼りになる先輩で、尊敬できる年上で、憧れの女性で。
そして本当に『レゼ』だった。
あちこちと名所観光地を見て回ったが、結局一番楽しい思い出は、恋バナできゃあきゃあと弄り合った修学旅行の夜。
まるでそんな風に、この日の夜は更けていった。
◆◇◆◇
女性陣がリビングで黄色い声を上げているころ。
男性陣は廊下で猥談をしていた。
「マジかよお前……薄々察してたけど、まだレゼとエッチしてなかったのかよ……」
「俺だってなァ、別にしたくねえ訳じゃねえよ……むしろ
猥談というよりは、どちらかというと愚痴に近かったが。
「まあそれはなんて言うか、いつ如何なる時でも付け狙われているのは当たり前だから、割り切ろうや」
「分かってたけどさぁ~~……そのつもりだったけどさぁ~……こうして普通に寝転んでる分にはなんもねえんだよ。8時間バッチリグッスリおやすみなさいってなもんだ。けどレゼが寝ぼけてこっちの布団に入ってくるとかするとなんか起きるんだよ!」
「え、それマジであったの?」
「あー、そんときゃ俺死んだっぽいから知らねえんだけど、レゼが言うには『爆弾で家屋を丸ごと吹っ飛ばされた』らしいぜ?」
「いやそこじゃなくて、もうちょっと手前の所」
「レゼが寝ぼけた所か?」
「……それ本当に寝ぼけてたのか?」
「……え? そりゃあ、そうだろ?」
デンジは考えたことも無かった、と意外そうな顔をしている。
「まず、そもそもなんでお前はレゼが寝ぼけていたと知っているんだ?」
「あっと、俺目線だと隣にレゼが寝てるって思った次の瞬間には全部終わった後だったから……」
「だったら寝ぼけてたのはお前じゃないか?」
「確かにそうだけど、でもレゼに聞いたら、レゼが寝ぼけて布団間違えたみたいな事言ってたぜ?」
「……仮にレゼが本当に寝ぼけていたんだとしたら、そこまで冷静に俯瞰できると思うか?」
ジョージの印象としては、レゼはそもそも『寝ぼける』なんて平和的な事ができる様な精神状態ではないと踏んでいた。
仮にできるとしても、それを自分から言うのも違和感が強い。
故にレゼの言ったそれはただの言い訳。
別の、もっとバレて欲しくない真実の隠れ蓑ではないのか?
「じゃあ、ジョージは何だって言うんだよ」
「……これはあくまでも俺の推測である事を事前に断っておく。事実ではない可能性もあるただの推測だ。良いな?」
「おぉ、なんか勿体ぶるじゃねえか」
「まず、レゼが寝ぼけた。これは恐らく嘘だ。本当に寝ぼけてる奴には分からんことまで話しているからな」
「……じゃあ、寝ぼけていたのは俺?」
「いやそれも違う。つまり、その瞬間において、お前たちはどっちも意識明瞭な状態で一緒の布団に入っていたんだよ」
「レゼは自分から俺の布団に入って来たって事かぁ~? 何のためにぃ~?」
「決まってんだろ……お前と『そういうこと』するためだよ」
「ハッ!!」
これだと『自分から言うという違和感』は別に解決していないが、ジョージは自分の望む結論に持って行くために、意図的にこの問題を無視した。
カスの手法である。
「俺だけじゃなくて、レゼも……?」
「そういう事だ。繰り返すが、これはあくまでも俺の推測……事実とは全く違う可能性もある。もしかしたら全部が全部お前の見た泡沫の夢、そういう可能性だってある」
「お、おぉ、そりゃそうか」
「だがな、神ならぬ俺たちに『何が真実か』なんてものは分かる訳がないんだ。だったら自分に都合の良い様に考えた方が良いだろ」
「な、なるほど……いや待て! 俺ばっかりずりーぞ! ジョージもなんか喋れ!」
「ゑーそれでは毎度馬鹿馬鹿しい話を1つ……」
「そういうのじゃなくて! お前はアサとどーなんだよ!」
「お、それ聞いちゃう?」
そうして、男性陣の夜も、同じ様な楽しさを伴って更けていった。
追記:ちなみにレゼちゃんはデンジ君にモーション掛けようとして耐えきれなくなって自爆(物理)しました。