いつか、その仮面が綻ぶ頃には── 作:Ave Mujica実装はよ
十二月になった。
お嬢様を苦しめていたCRYCHICの問題は解決……と言えるかは分からないが、一応の決着を見せた。少なくともお嬢様たちは互いに気持ちを通じ合わせることができたようだった。それぞれが語れなかった気持ちをぶつけて、過去へと忘れていた感情の整理をつけられたらしい。部外者だったため演奏を聞いた後は他の人と一緒に席を外したが、後からお嬢様に伺ったところ、またCRYCHICのメンバーで集まっては演奏をするという話も出ているらしかった。
今のバンドがある都合上、頻繁にというわけにもいかないだろうが、居場所などいくらあっても良い。Ave Mujica共々、MyGO!!!!!の皆様には頭が下がるばかりである。
残りが一朝一夕で片付かぬ豊川家との確執であることを鑑みれば、お嬢様を苦しめていた種々の問題は概ね解決したと言っても過言ではないだろう。
豊川の家を巡る問題は子供だけで抱えるものではないし、まずは既に立ち直られた旦那様が向き合うべき問題である。
思えばお嬢様は失ってばかりの日々だった。
奥様を亡くし、CRYCHICという居場所を失い、豊川という実家を追われた。自ら捨てたものも多いが、あれだけの苦難に遭った彼女へその責を問うのは過酷な話ではないかと、俺は思う。
お嬢様は、もっと幸せになるべきだ。
彼女は確かに多くのことを誤った。もっと自分以外を信じるべきだった。助けを求める声を上げても良かった。だが、だからといって、彼女が俺をはじめ多くの人に手を差し伸べて救ってきたこともまた事実だ。
──祥ちゃんと、一緒に暮らしたいと思ってる。
三角の小娘の言葉を思い出す。
あの忌々しい小娘の事情は把握している。俺と一緒だ。初めて自分を認めて、居場所をくれた人。三角の小娘はたいそうお嬢様のことを好いている。
大変悔しいことに、普通のバイトに邁進するばかりの俺と違い、sumimiとAve Mujicaの活動によって彼女の資産はそれなりに潤沢らしい。今も一人でオートロックのそれなりに広いマンションで暮らしており、他の人と共に暮らすのに何ら支障はないのだろう。
──今のあんな古いアパートに祥ちゃんを住まわせておくの? 絶対私のところの方がいいよ。
──朝倉さんもそう思うでしょう?
アイツ、俺がお嬢様のことを考えたら断れないのを承知で、お嬢様よりも先にあんな話を俺に通してきやがったのだ。最初にお嬢様へ話を出せば、お嬢様が俺を理由に断ることを見越して。
俺が折れていないから、まだお嬢様に同居の話は届いていない。だけど、いつまでも引き延ばせば向こうも流石にお嬢様へと話を持ち出してくるだろう。
そうだ、俺は今選択を強いられている。
お嬢様の幸せのために、俺がどうすればいいのかを。
「おのれ、三角の小娘ェ……」
「初音がどうかしましたの?」
「え!?」
お嬢様に声をかけられて体が跳ねる。
いかん、お嬢様の前だった!
「い、いえ! なんでもありません! 今度どうやってぎゃふんと言わせてやろうかと考えていただけです!」
「なんでもあるじゃありませんか……」
お嬢様の呆れた視線が痛い。俺と三角の小娘の戦いを呆れたように見ていらっしゃるときの目だ。いつもの戦いと今回の件は天地ほどの差があるのだと抗議したところで、この件に関してはお嬢様に話すことはできない。
「それより、朝食の準備は大丈夫ですの?」
「はっ! 失礼しました! もう終わりますので!」
湯気を見せているヤカンの火を止め、粉末タイプのお吸い物にお湯を注ぐ。ご飯は炊けているし、卵焼きやお浸しも既に並べ終わっていた。
俺という執事がいながらお嬢様にこんな粗末な食事しかお出しできないのが心苦しいが、今の家計を考えればそれなりにマシな方ではあった。
Ave Mujicaの活動が再開してお嬢様の収入は戻ってきた。しかし貯蓄がほとんどないため、一定の金額が貯まるまでは今の生活を続けようというのがお嬢様のご判断である。俺としてはもう少し環境面を改善いただきたいが、お嬢様が決めた覚悟ならついていくだけである。
「お嬢様、朝食の準備が整いました」
「ありがとう。では食べましょう」
「はい!」
二人分の食事をちゃぶ台に並べて「いただきます」と手を合わせる。
以前はお嬢様と旦那様の分を出して俺自身はキッチンか自分の部屋で済ませていたが、今は旦那様が仕事でしばらくいらっしゃらないので、二人で食事をするようになった。
「甘い卵焼きなんですのね」
「本日は課題と曲作りをなさる予定でしたので。糖分多めでしたが、いかがですか?」
「美味しいですわ。これくらい甘いのもいいですわね」
「本当ですか? なら、また作りましょうか」
「ありがとう」
「いえいえ、お嬢様が満足する食事を作るのが仕事ですので」
お嬢様に料理褒められるの最高過ぎるな。
目の前で美味しそうに食べてくれるだけでかなりの幸福なのに、こうして感想までくれるなんて本当にお嬢様は地上に舞い降りた天女に違いない。
「…………」
もぐもぐと美味しそうに食べるお嬢様を見ていると、これがずっと続けばいいのにと思う。
当たり前に考えれば、ボロアパートで今まで通りの生活ができない現状なんて認められないはずなのに。ただ、執事である俺が勝手に幸せになっているせいで現状維持を望んでしまっている。
お嬢様は美味しそうにご飯を食べる。楽しそうに友人たちと音楽をしている。
今の日常に豊川家レベルの財力は必要ないのかもしれない。金が全てではないけれど、金がなければ維持できないものも確かに存在する。それこそ、CRYCHICだってお嬢様が苦しい生活を強いられなければ壊れることもなかった。あんなに冷たい表情をなさることもなかった。
きっとお嬢様は生まれに対して慎ましいお方だから、この環境でもそれなりに暮らしていけるのだろう。でも、それはお嬢様の本当の幸せなんだろうか。お嬢様って何があれば幸せになるんだろうか。ずっとお傍でお嬢様を見てきたというのに、俺は未だにお嬢様のことが何一つ分かっていないバカ野郎だ。
それが。お嬢様に必要なことが分かれば、あの小娘の力なぞ借りずとも済むというのに。
「…………真?」
「おかわりですか? 珍しいですね」
「いえ、そうではなくて」
お嬢様はじっとこちらを見ている。
心配しているような、どこか怒っているような表情で「すみません」と頭を下げるしかない。
「別に頭を下げる必要はありませんが…………貴方、最近ずっと考え込んでいるでしょう」
「え?」
「何かあったの?」
「それは……」
正直に話せるものでもない。
三角の小娘からの誘いは当然口にできるものではないし、かといってお嬢様の幸せって何でしょうかと本人に聞くのもバカのやることである。
「いえ、この生活を、どうしたものかと思いまして……」
当たり障りのないことを口にしてお茶を濁そうとすると、お嬢様は一つだけため息をついた。
「真、貴方は豊川の家に戻ってもいいんですのよ」
「……え?」
「そもそも貴方はわたくしを心配して飛び出してきただけ。だからこそ、お爺様も貴方のことを黙認していたはずです。今も豊川の家からは戻ってくるように連絡が来ているんじゃありませんか?」
「それは、そうですが……」
執事長からは飛び出すときに、いつでも戻ってきてよいとお言葉をいただいている。両親の顔も見たことない俺からすれば本当の親父みたいな人で、今素直に頼ったところで袖にする人ではないことも理解はしている。
そもそも今お嬢様の隣の部屋が借りられているのだって、執事長が保証人として名前を貸してくださっているからだ。
「わたくしが家を飛び出してきたのについてきて、お父様のことも、CRYCHICやAve Mujicaのこともたくさん助けてもらいました。それはみんなのおかげですし、もちろん真のおかげです」
「お嬢様。それは違います」
「違いませんわ」
お嬢様は静かに、しかしはっきりと俺の言葉を否定した。
「今まで助けてくれたのは、かつて貴方を見つけた恩なのでしょう。わたくし以上に何もかもを捨てて、ずっと傍で支えてくれている」
「…………」
「ですが、わたくしは執事としていてくれる貴方に、主としての責任を果たせていませんわ」
「………………」
「わたくしと真の主従関係は、ただ貴方の優しさでだけ成り立っている」
俺はお嬢様の傍にいたいからこうしているだけだ。
お嬢様に幸せになってほしいからお仕えしている。
それを口にするのは簡単だ。いつも言っていることだ。
しかし、それをお嬢様への恩ではないとお嬢様に証明できるのだろうか。お嬢様の幸せのためにと俺を突き動かす衝動が、他ならぬ俺自身の幸せのためだと、お嬢様に言えるのだろうか。
「お嬢様、私は…………」
俺はお嬢様の問題が解決してマイナスをゼロに戻ってきた。
そして、三角の小娘の話もあり、元に戻ったそれらが今度はプラスになるようにと考え始めた。今の生活を続けてお嬢様は幸せになれるのか。お嬢様の本当の幸せって何だろうか、と。
そうやって俺が悩んでいるのと一緒で、お嬢様はずっと考えていたのかもしれない。
自分の問題が解決して、周囲を気にする余裕が出てきたからこそ気が付かれてしまったのかもしれない。
「……おれ、は……」
三角の小娘なんて目じゃない。
このお嬢様のお心遣いをどうにかして無下にしないと、俺は豊川の家に帰らされる。嬉しいことのはずなのに、お傍にいられなくなってしまう。
どうにかして、俺は、俺の幸福をお嬢様に証明しなければならない。
──私が祥ちゃんを幸せにするよ。
「────ッ」
それだけは嫌だ。
お嬢様を幸せにするのは、一番お傍にいるのは、誰でもない俺が良い。俺自身がいい。
俺が、この手でお嬢様を幸せにしたい。
「お嬢様」
「ええ」
「俺はただお嬢様への恩だとか、俺の優しさだとか。そのためにお傍にいたわけではありません」
ああ。これは、言わねばならない。
絶対に伝えねばならない。
「それを、お嬢様に証明します」
「……どうやって?」
「お休みを、有休をいただきたいです」
俺は人生で初めて有休を申請した。いや、そもそも今の執事業に給与は発生していないのだから、当然有休なんて概念はないのだけど、そこは気持ちの問題である。
例えここが床の軋む音がするボロアパートの一室だとしても、俺は執事で彼女はお嬢様だった。
「……いつ?」
「三週間後の、水曜と木曜です」
お嬢様の予定は入ってないことは把握している。そもそもお嬢様のスケジュールを管理しているのは俺なのだから当然である。
「分かりましたわ」
「ありがとうございます」
小さく頭を下げる。
「では、もう一つ」
どちらかと言わなくても、こちらが本命である。
お嬢様の幸せを叶えるために、まずは俺自身の幸福を証明しなければならない。
誰でもない、お嬢様の傍にいること。それこそが俺自身の幸福で、そのためならどれだけの物を捨てても構わないと。
それはただの滅私などではない。
「────豊川祥子さん」
お嬢様の名前を呼ぶことなんてほとんどないから、声が上ずってないか不安になる。いや、大丈夫だ。
「クリスマス、俺とデートしてくれませんか?」
「…………え?」
お嬢様の顔が呆ける。
何を言われたのか全く分かってない様子だった。
「三週間後の水曜と木曜…………クリスマス、俺は予定空いてます。祥子さんは?」
「あ、空いてますが……」
立ち上がって、お嬢様の手を取る。
お嬢様の両手をぎゅっとつかんでお嬢様の瞳をじっと見つめる。
そうだ、俺はこの子に知らしめなければいけない。
俺がどれほどの想いをもって君の隣にいるのか。どれほど一緒にいたいと願っているのか。焦がれているのか。どうして今まで隣に居続けたのか。
だから、これは予告だ。
「なら、俺と一緒にデートしてください。豊川祥子さん」
俺は、お嬢様に告白する。
クリスマスなのに誘って終わりとはこれ如何に。
なんとかつづきがんばりま……。