善と悪は相対的な概念であり、決して絶対的なものではない。悪が存在するからこそ善が存在する。それと同様に光が差すからこそ影が差す。両者は表裏一体であり、共に在るからこそ成り立つ。それは即ち、一方の消滅は両者の消滅を意味することとなる。
だが、正義はそれらとは隔絶された異質な概念である。正義とは絶対的なものであり、それ単体で成り立つことが許されている。たとえ己の持つ正義が善、または悪に映ろうと、その主体にとって絶対的な正義であるという事実が揺らぐことは決してない。
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真っ白な雪が吹き荒れるフィオーレ王国の最北端に聳え立つ巨大な建造物、そこはこの世界では当たり前に使用される魔法について研究を進めている王国立の研究機関である。
そこで行われている研究内容は公にもよく知られており、大衆もそれを自分達の将来の生活に還元されるものと信じて税という形でその建設に協力していた。
しかし、施設内部で行われている研究の内容、主に実験に関して言えば民衆が想像しているそれとはかなり乖離していた。だが、そういった認識の齟齬は技術の進歩の過程としてはよくあることだ。ましてや、その対象が魔法という曖昧なものであれば尚更である。
そもそも、人がすすんで寄り付こうとするはずもない辺境の地に研究施設を建てること自体、自分達がやましい事をしていて必死にそれを隠しています、と公言しているようなものだ。
だが、誰もそれを指摘する者はいない。理由は至極単純で、その研究機関は設立以来、現在に至るまで目に見える形で結果を残し続けており、実際に魔法を扱えない大半の民衆の生活にその技術が多数使用され、役立てられているからである。
ただ怪しいという理由だけで、自分達に利益を齎し続ける金の成る木を切り倒してしまう愚か者など、この世界には殆ど存在しないだろう。
そして、そういった都合の良いものに目をつけるのは、なにも善良な民だけではない。勿論、法外な行為を平然とやってのける裏の組織もまた、次から次へと沸いて出てくる。実際、この研究機関は王国の高官とパイプを持つ裏の組織、一般に闇ギルドと呼ばれ蔑まれる組織が袖の下を贈って造らせた施設である。
故に魔法の発展に於いて最も効率の良い使い捨て式の人体実験が行われるのは当然のことであり、むしろこの施設ではまともな研究の方が少ないと言っても過言ではない。
所詮、国民達に開示されている魔法技術など、彼らが進めているある計画の過程で得られた副次的なものでしかない。
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常に子供達の泣き叫ぶ不協和音が響き渡る研究施設の地下には被験体である子供達が収容される独房が多数存在する。
そのいくつもある房の一つ、暗く冷たい鉄格子の中で一人の子供がまるで命の火を灯さぬ無機質な人形のように硬い床の上に転がっていた。
その子供は体格から判断するだけでもかなり幼いことが見てとれた。恐らくは未だこの世に生を受けてから5年も経っていないだろうことは誰の目にもはっきりとしていた。
だが、それはこの"少年"に限った話ではない。更に酷い場合は生まれて間も無い赤子までもが実験に使用され、死ねば誰に弔われることもなく処分される。
それが当たり前の事となっているこの地獄では、未だに生きているその少年は大変運が強い方だと言えるだろう。
ふと少年が牢の入り口側に顔を向けると、丁度少年と同じ年頃の薄汚れた服を着せられた少女が、錆びた手錠を掛けられ、まるで聖職者の様な服装をした研究者に連れて行かれる様子が窺えた。
少女も少年同様に、眼に光を宿しておらず特に抵抗することもせず、そして歩くこともせずに、ただ研究者に引き摺られて行くだけだった。
少年はそんな光景を目の当たりにしても何か行動を起こすわけでもなく、ただ眺めているだけだった。少年にとっては、いや、この施設内にいる全ての者達にとっては見慣れた日常である。
故に誰も何も感じない。
実験に使われるはずの被験者達でさえ実験時は痛みによる苦痛で絶叫はするものの、それが毎日続けば、いずれそれを日常として受け入れる。
少年もまたその1人であった。
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少女が連れて行かれてからかなりの時間が経った。
牢には外と繋がる窓が無いため現在が昼なのか夜なのかは分からない。その為、実験動物である少年らには時間の感覚がほとんどない。だが、長い時間が経ったということだけは少年にも理解できた。
そんな中、少年は長い時間が経ったにも関わらず、少女が戻ってこないことにふと気が付いた。
そして直ぐに少年は単純なことを悟った。少女がこの世から去ってしまったという、とても単純なことを。
だが、そのことに対しても少年は大して気にした様子でも無かった。やはり、そういったこともここでは日常的に起こるただの現象でしか無かった。
それから暫くして少年の"番"が再び回ってきた。
少年もまた、あの少女と同様に汚い手錠を掛けられて司祭のような服装の研究者に引き摺られて移動する。
少年が連れてこられた場所は床、壁、そして天井にいたるまですべてが異常なほど白い、広々とした無機質な部屋だった。その部屋の中心には簡素な造りのベッドが置いてあり、その周りに様々な魔法器具が設置されていた。その中でも特に目を惹くのは黒く、禍々しいオーラを放つ巨大なラクリマだった。
少年はそこで待機していた数名の研究者達にベッドの上に乗せられて体のあらゆる部分にチューブの様なものを繋がれた。チューブは、その大きなラクリマから伸びており、その状況からチューブを通して少年に何かを流し込む準備をしているであろうことは明白だった。
しかし、そんな異常な状況下にいるにも関わらず、彼は微動だにする事もなく、寧ろ落ち着き払った様子で、ただその状況を受け入れていた。
やはりこの実験もまた、彼にとっては慣れきった日常でしかなかった。
彼に施される実験の内容は、この世界に於ける有史以来、最凶最悪と謳われた絶対強者、黒魔導師ゼレフ完成までの過程を再現することである。
この実験の名を仮に「ゼレフ複製計画」とでも名付けておこう。
もし、この実験が成功を収めてゼレフのコピーが創られた暁にはこの施設の実質的な支配者が求めて止まない魔導の深淵に至ることも不可能ではないだろう。
そして、その実験の第一段階としてゼレフが扱う黒魔法を使用する為の器を持つ者の選別が行われた。
現在、通常の魔導師では黒魔法を扱うことが出来ないというのが一般的な見解である。その根本的な理由として、通常の魔法と黒魔法とでは、そもそも魔法使用者の保有する魔力生成器官の種類が全く異なっているから、ということが挙げられる。
しかし、全く異なっているといっても、お互いに他方の魔力を全く扱えないというわけではない。むしろ、黒魔法を扱える器を持つ者は、通常の魔法も含め、多種多様な魔力を自在に扱うことが出来る。
そういう視点に立てば、黒魔導士が保有する魔力生成器官は黒魔法だけが特権的に扱える器ではなく、"あらゆる魔法を扱える万能の器"という見方をするほうが妥当であろう。
当初の予測では、その万能の器を持つ者の出現率はおよそ百万分の一とされていた。しかし、実際にその器を持つ者を捜すために百万人も誘拐する事は不可能だった為、効率を考えた研究機関の実質的運営者である闇ギルドは、とにかく強大な魔力を持つ子供を中心に攫っていった。
彼らのその判断は正しく、100人程の比較的高い魔力量を誇る子供を攫った段階で6人もの器の保持者を獲得することに成功した。その後も人攫いは続き、更に5人の適正者が発見された。
そして、その時点を以って本格的に実験が開始された。
実験の第二段階目の目的は選ばれた11人の被験体の持つ魔力の上書きであった。
しかし、ここでもまた実験は難航した。
この魔力の上書きというのは、各個人が本来宿している魔力を黒く染め上げるというものだった。要は無理矢理、別属性の魔力を流し込み属性変換を行うのである。そんな事をすれば被験者に与える影響は膨大なものであろうことは明白だった。
この時、研究者達は万能の器を持つ彼らであれば、この程度の実験なら誰も脱落することなく、全員が成功するものだと思い込んでいた
だが、実際にこれを行なった結果、11人の内4人が拒絶反応を起こし死亡し、更に他2人が精神に異常をきたし、再起不能と判断されて処分された。
残った5人も同様に少なからず何らかの異常が検知された。そして、その5人の内の1人が数名の研究職員を殺害し、施設から逃亡した。
研究者達は、この理由が全くもって理解できない結果に唖然とした。しかし、それも最初だけだった。彼らは良い意味でも悪い意味でも研究者だった。彼らは研究に失敗はつき物だとして直ぐに立ち直った。
その後も生き残った4人の検体を使用して、あらゆる非人道的な実験が日夜続けられ、少しずつ子供達はその数を減らしていった。
そして実験が開始されてから数ヶ月が経った頃、生き残っていたのは少年と少女の2人だけとなってしまった。
だが、遂に少女の方は苛烈を極める実験に耐えられず死亡したため実質生き残っているのは、たった今実験台として拘束されている少年ただ1人となっている。
光を発しない漆黒のラクリマからチューブを伝ってドス黒い狂気を内包した魔力が少年に注入されていく。
これまで、同様の実験を受けてきた他の子供達はこの過程を経る度に、まるでこの世が終わってしまうかのような絶望を彷彿させる物凄い声量で泣き叫んでいた。しかし、少年はその表情をピクリと動かすこともなく、只々安らかに、濁った黒い目を天井に向けているだけだった。
少年は、初めてこの黒い魔力を流し込まれた際に副作用として完全にその感情を失ってしまい、生ける屍へと成り果ててしまった。
だが少年の感情、いや、意識と呼び直すべき人間としての核の喪失という代償は黒魔法の使用を可能としてくれた。
その証拠に、たった今少年の身体からはラクリマから漏れ出る深淵の魔力と同様の、あらゆる命を奪い取るための禍々しく強大な力が発せられていた。
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少年が様々な実験をこなしていく中、その様子を離れた場所から観察している2つの影があった。
「ほう、これ程に小さな小僧が魔導の深淵に限りなく近づいているとは。成る程、あながちうぬの魔法の研究というのも捨てたものではないな。のう、ブレインよ」
一方の人物は、かなり歳をとっており、白く長い顎鬚をたくわえた老人だった。しかし、その風格は全く衰えておらず、寧ろ肉体はかなり頑健であることが窺えた。
「だから言ったではないか、ハデス。私のアーカイブを以ってすれば黒魔導士の製造など容易いと。ところで、約束通りあのガキを貴様に譲る代わりにゼレフ書の裏魔法の情報を提供してくれるんだろうな」
もう一方の人物はかなり大柄な男で、ハデスと呼ばれた人物と比べればまだ若く、その凶悪そうな見た目とは裏腹にかなり落ち着いた雰囲気を纏っていた。
2人は、それぞれがバラム同盟の中でも最も影響力の大きい闇ギルド、
「あぁ、勿論だとも。私はこの手に"一なる魔法"を掴むためならばどんなものでも差し出す覚悟だ」
ハデスは、その目に揺るがない決意の色を滲ませて、力強く頷いてみせた。
そんな2人の取り引きによって少年の未来は運命付けられた。
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これから少年は闇へと堕ちて行くこととなる。
少年にはまだそれに抗う術はなく只々黒く、光を吸い込み続ける絶望へと染まっていくだけだった……。