同室で同期のキンイロリョテイとオースミサンデー。
インフルエンザに罹ったキンイロリョテイが見た夢は、
『来年の皐月賞、オースミサンデーが予後不良になる』という予言めいたものだった。
同室の死を避けるため、キンイロリョテイは皐月賞への出走を目標に掲げた。
キンイロリョテイと仲良く幽閉された沼川トレーナーは、
その目標に向けて頭を悩ませるのであった。
既存登場人物の簡易解説
◆96年クラシック世代
ローゼンカバリー:9戦4勝(G2勝ち)。大きな丸眼鏡を付けた、寂しがりのウマ娘。
キンイロリョテイとは地元が一緒で幼少期から交流があったそう。
◆97年クラシック世代
キンイロリョテイ:2戦0勝。レースにイマイチ本気になれない新人ウマ娘。
オースミサンデー:2戦1勝。リョテイの同室。オーちゃんと読んでください。
2戦ともリョテイと同じレースを走り、2戦目で一勝を挙げている。
◆トレーナー陣
沼川トレーナー:キンイロリョテイの担当トレーナーであり、
ローゼンカバリーの担当トレーナー。
癖のあるウマ娘の育成を信条としてる変わり者。
山中トレーナー:オースミサンデーの担当トレーナー。
真面目だかイマイチインパクトがない。
◆トレセン関係者
志麻先生:トレセンの保健室の先生兼、医者。
一見近寄りがたいが、気さくなお姉さん。
◆志麻 いずみ 1996年12月24日
ウマ娘と人間の身体構造は似て非なるもの。
人間と全く同じとされた分野が実は別ものだったり、
全く別と思われた分野が同じものだったり。
そんなちゃぶ台返しの連続で、
ウマ娘への医療レベルは人間に比べ3分の1程度しか進んでいないと言われる。
診察室でリョテイちゃんから体温計を受け取った。
「熱もないし、結構元気そうね。
右足のシンスプリントは変わらずだろうけど、
他に気になる症状はあるかしら」
「んーん。別にない。
ホントにあと5日もここ(保健棟)にいなきゃいけないの」
少し不満げに彼女は言う。
「年明けのレースに命かけてる娘だっているかも知れないでしょ。
他の娘に移さないよう我慢して」
「結局、ピークは2日くらいだったじゃん」
「症状には個人差があるの。
あと、人間で流行っている感染病がウマ娘に移って、
更に悪い方向に進化する可能性もあるから、
慎重になるのよ」
「ふーん」
「ちょっと意外ね。
沼川トレーナーからはサボり魔って聞いてたけど、
そんなに病室が嫌?」
この前は、病室の枕が気に入らないと文句を言われたけど、
まだなにかあるのかしら。
「いや、そうゆうわけじゃないんだけど……。
そうだ、逆に俺とオーちゃんを1カ月くらい、ここに幽閉できない?」
「え、貴方とオースミサンデーを?
無理よ。うちはホテルじゃないんだから」
「そっか。じゃぁ、オースミサンデーにも精密検査をしてくれない。
特に俺と同じ足まわり」
そう言うと彼女は自身の足を指差す。
どういう風の吹き回しからしら。
「話の意図が見えないけど。彼女も足が痛いとか言ってた?」
「いや、そういうんじゃないんだ」
「なに?あの娘が気なるお年頃?」
「違うんだけど。
なんか、来年の皐月賞でアイツになにかありそうな、気がする」
皐月賞……か。
ふと、今年の皐月賞のことを思い出す。
ーー9カ月前ーー
「次走の皐月賞は大変なことが起こりそうな気がするの」
人差し指を立てて自説を発表する学者のように、
マキノプリテンダーは診察室で高らかに言い放った。
彼女は同期たちと比べると目を見張るものは無いが、
大きなミスをしない走りで掲示板に入っていく、
堅実なタイプのウマ娘だ。
「またそれー。毎回、レース後に診察受けに来るのは偉いけど、
今回も大きな異常は見られないわ。
また、あんたの健康な足のレントゲン画像の鑑賞会でもする?」
「でもでも、次走はぜっっったい、何か大変なことが起こりそうなの」
「それ、この前も言って無かった?
『次走の若葉ステークスはなにか起きそう』って、
蓋を開ければ人気上位がTOP3。特に波乱も無かったと聞くけど」
「もー、センセー。信じてよ。
前走はそうだけど、次走は特別なの」
「それに次走の皐月賞だったかしら?
東大ちゃんは2勝クラス、皐月賞に出走できるかすら決まってないんじゃないの?」
東大ちゃんはマキノプリテンダーの愛称で、
両親が共に東京大学の教授という、特異な生い立ちからのセルフブランディング(?)らしい。
「多分、皐月賞にはぜっっったい出れる」
「多分なのか絶対なのか、はっきりしてよ。
こう言う時だけ変な自信ね」
「だって言ってるもの、東大ちゃんの中に眠るウマ娘の勘が。
次走で大変なことをしでかすって。
どうしよう、変な失態とかだったら。初めてのG1なのに」
まだ出走も決まってないレースの心配だなんて、皮算用もいいところだけど。
「そうせなら、プラスに考えればいいのに。それこそ皐月賞で勝つとか」
「そう簡単に切り替えられないよー。だって初めてのG1だよ。
きっと勝負服とかに関係する失敗だよ。
G2みたいにジャージで来ちゃうとか、競走中に勝負服が脱げちゃったりとか。
流石に下着とか見えたら走るのやめてもいいよね」
年相応なのか、出れるかも分からない晴れ舞台を前に心配事ばかり。
それも若いって事かしら。
その後、マキノプリテンダーは2勝クラスながら皐月賞に出走を果たした。
レース結果は、走行中の転倒による競争中止。
皐月賞出走後、彼女がトレセンに戻ることは無かった。
マキノプリテンダーは予後不良となった。
『センセーは前に進んでね。私の事を忘れちゃってもいいから』
あの娘がその言葉をかけてくれたのは、いつのことだったかしら。
その言葉に当時はなんて返したっけ。
覚えてない。
色んな娘を診てきた。
あまりにも多くの娘を見過ぎた。
ただ、彼女の事は覚えている。
私が前に進めているかは分からないけど。
現実に目を戻す。リョテイちゃんが不安そうに見つめていた。
「えっと、オーちゃんの精密検査だっけ?
分かったわ。体に異常が無いか、くまなく診ておくわ」
「ありがとう」
リョテイちゃんが少し笑った。
笑顔だけは年相応にカワイイ。
普段から仏頂面じゃなくて少しは笑えばいいのに。
「他にお願いことはある?あまり、ワガママは聞いてあげれないけど」
「オーちゃんの件さえやってくれれば大丈夫」
リョテイちゃんを病室に返そうとした時、
診察室のドアが開けられた。
「おい、やぶ医者。ちょっと話せるか」
長い金髪に三白眼、主張の激しいギザギザした耳飾りが、
どうしてもヤンキー感を醸し出すウマ娘。
オフサイドトラップがズカズカと入って来ようとする。
「オフトラちゃん、止まって。この娘、インフルだから」
オフトラちゃんは素直に止まってくれた。
「なんだ、診察中か。前言ってた、レーザー装置借りに来ただけなんだが」
「あー、冬休み中貸し出すって話ね。
処置室から1台持っていって良いわよ」
オフトラちゃんとは機材を貸し出す約束をしていた。
彼女の持病である、屈腱炎の治療に使うレーザー治療器を。
「分かった。邪魔したな」
「そうだ、オフトラちゃん」
去り際の彼女を引き留めた。
「この娘に超音波治療器の使い方教えてあげてよ。
この娘、シンスプリントも起こしててさ」
リョテイちゃんの肩を叩き、オフトラちゃんに紹介する。
「はぁ、やだよ面倒くさい」
「えー、どうせ時間もあるでしょ。いーじゃない」
「別に、時間は気にしてねぇけど。
超音波ってアレだろ、ゲル塗ってあてるだけだろ。やぶ医者がやれよ」
「教える内容は簡単だけど、私忙しいし。
オフトラちゃんが教えたほうがいいと思うの。
ほら、二人とも友達とか少なそうだし」
さっきまで静観してたリョテイちゃんも驚いて、
オフトラちゃんと一緒のタイミングで声を上げる。
『そんなことねーよ』
「ほら、息ピッタリ」
「やだよ、そんな見ず知らずのガキ」
「俺もこんなヤンキーみたいなヤツと一緒に居たくない」
「これくらいのお願いは聞いてもじゃない。
二人とも私に少なからず借りがあると思わない」
そう言うと二人の文句は止まった。
「しゃーねーな。どうせ数分で終わるし。
ガキ、名前は?」
「キンイロリョテイ。ガキって呼ぶな」
「俺はオフサイドトラップ。
美浦のA館に居るから、必要になったら声かけろよ」
その後、ケンカになりそうな二人をなだめて、別々に帰らせた。
結構、二人とも本質は似た者同士だと思うんだけど、
仲は悪そうね。同族嫌悪かしら。
◆沼川 与根 1996年12月24日
「ふーう」
目の前の書類の山を前に、軽く伸びをする。
流石に疲れたな。カフェテリアで休憩するか。
病室を飛び出し、カフェテリアのある1階へ向かった。
『俺を皐月賞に出して』
そんな、無茶ぶりを担当のキンイロリョテイに言われてから、
ほぼ丸一日かけて情報を洗った。
保健棟に持ち込んだ手元にある資料だけでは正確性に不安はあるが、
それでも過去3回分皐月賞の出走バ全員、計54名分の戦歴は追えた。
カフェに着いた。ミルクティーを注文し、先に席に着く。
保健棟の受付と入り口が見渡せる席に着いた。
窓際でも良かったが、今はトレーニングコースを目に入れたくない。
クラシック三冠の初戦。皐月賞。
今年デビューしたウマ娘達が、来年の四月には世代の頂点を争う為に
出走上限の18枠を争うことになる。
皐月賞には前哨戦とも言えるトライアルレースが3つ指定されている。
・弥生賞の3着以内
・スプリングステークスの3着以内
・若葉ステークスの2着以内
トライアルレースの指定順位をとることで、皐月賞の優先出走権を得ることが出来る。
優先出走権はその名の通り、優先的に出走できる権利で、
過去の成績に関係なく、出走の意思があれば皐月賞に出走できる。
ルール上は8名はこの優先出走権から優先的に皐月賞を走れる。
まぁ、怪我とかで全員が全員、優先出走権を使うわけではないけど。
そして残った10枠+αは収得奨励金の順で上位から出走できる。
奨励金とはレース結果に応じて、出走ウマ娘に支払われる報酬だが、
めんどくさい事に、この奨励金の合計が、
レースの出走を決める[収得奨励金]になるわけではない。
詳しい説明は避けるが、基本的にレースで1位になった奨励金しか、
この[収得奨励金]には加算されない。
レベルの高い重賞レースですら、2位までしか[収得奨励金]を加算できない。
優先出走権と収得奨励金の順のルールは他のG1レースと同じだが、皐月賞特有の事情が出てくる。
それが抽選組の存在だ。
ウマ娘は一番早くデビューしたとしても6月、そして皐月賞は翌年の4月と、
長くとも10カ月しかない。
もちろん、6月からデビューできるウマ娘は全体から見ると少ない。
そんな中、基本1位の奨励金しか加算されない[収得奨励金]で
出走するウマ娘を選出しようとすると、複数名のウマ娘が[収得奨励金]が同額で並ぶことになる。
同額で並んだ場合は、抽選により出走するウマ娘が決まる。それが抽選組だ。
ここ3年の皐月賞の出走バは、毎年約5名が2勝クラスの中で抽選で選ばれている。
さて、ここでどうやってキンイロリョテイを、皐月賞に出走させるかが悩みどころだ。
さっきの抽選組の事を考えれば、最悪2勝してお祈り出走チャレンジも出来るが、
あまりにも運頼りすぎる。2勝は皐月賞の最低ラインだろう。
とは言え、収得賞金順では更に勝ち目がない。
朝日杯のマイネルマックスやラジオたんぱ杯のメジロブライトと、
今年中に重賞に出て収得奨励金を積み上げているメンバーに対して、
まだ未勝利のキンイロでは勝ち目がない。
出来れば、トライアルレースで優先出走権を勝ち取りたい。
皐月賞のトライアルレースは3月頭から中旬にかけて集中している。
トライアルレースのどれかには出て、優先出走権を獲得したいところだ。
優先出走権獲得のコースでも、2勝お祈り抽選コースでも、
2月中の勝ち上がりは必要になる。
ここでネックなのが、再審査とシンスプリントだ。
再審査はデビュー前にやるレースの適正テストのようなものだが、
これについては、もう知らん。
再審査を一発合格できないのであれば、皐月賞なんて夢のまた夢だ。
問題はシンスプリント。
最短でも1月中旬、長ければ1月下旬までレースはおろか、
トレーニングができない。
過去の皐月賞出走バで、キンイロのように年明けまで未勝利のウマ娘は少なくない。
だが、シンスプリントのような病気をこの時期に抱えて、
皐月賞に出走出来たウマ娘が居るかまでは調べがついてない。
持ち込んだ手元の資料ではデータ不足なのもあるが、
どのウマ娘がどの時期にどういった怪我をしたのかは、
レース結果に比べあまり情報として出てこない。
例えば、三冠をとった有名なウマ娘、
ナリタブライアンが屈腱炎で引退となれば一大ニュースだ。
だが、皐月賞に出走しただけで勝ったわけでもないウマ娘が、
デビュー直後に現役を続行できる程度の怪我をした、
なんて情報はニュースにならない。
そんなことを気にするのは俺のようなごく少数の変人だけだ。
「失礼します。ご注文のロイヤルミルクティーになります」
気が付けばカフェの定員さんがミルクティーを運んでくれた。
ダメだ。休憩しに来たのに仕事の事ばかり考えてしまっている。
職業病と言えど、切り替えが重要だ。休む時は休まないと。
定員にお礼を言って、ティーカップに口をつける。
いい香りだ。
味は少し甘すぎるが、考え過ぎた頭には染みるものがある。
冬休み直前の時期のせいか、保健棟と言う場所のせいか、
保健棟の受付は閑散としていた。
まぁ、保健棟なんて静かに越したことは無い。
キンイロみたいなケースが頻発していても困る。
なんて小さな平穏を享受していると一人、
エレベーターから出てきて出口へ歩いていくウマ娘が見えた。
金髪で両手には医療器具のようなものを抱えている。
あれ?あの七支刀みたいな、やたら突起のある特徴的な耳飾りは……。
あぁ、思い出した。苦難のウマ娘、オフサイドトラップだ。
あの屈腱炎をデビュー前から抱えながらも、
現役を続行し4勝を挙げているウマ娘だ。
確か去年から長期休養していたが、先月復帰したんだっけ。
だけど、何故だろう。彼女の名前をどこかで聞いた気がする。
「あっ」
危うく紅茶をこぼしかけた。
落ち着いてカップを置く。
オフサイドトラップ。
94年世代のウマ娘で、丁度調べていた3年前の皐月賞の出走バの1人。
それも、リョテイと同じ12月末まで未勝利ながら、
年明け3連勝し、3連勝目の若葉ステークスで皐月賞への優先出走権をもぎ取ったウマ娘だ。
そして、何よりデビュー前から屈腱炎を患っていた。
キンイロのシンスプリントとは系統が異なるが、
下手に足に負荷をかけれないのは一緒のはずだ。
カフェで静かに一人、ガッツポーズをする。
彼女のトレーナーに掛け合えば、ある程度ノウハウが聞けるはずだ。
そのノウハウはキンイロリョテイとのトレーニングに活かせるかもしれない!
……と思っていたのだが、もう一つ重要なことを思い出してしまった。
オフサイドトラップの次走は、来月のAJCCだ。
普段、担当していない娘の次走までは把握していない。
だが今回は別だ。
来月のAJCCは俺のもう一人の担当バ、ローゼンカバリーの次走でもある。
ローゼンカバリーのトレーナーの私と、オフサイドトラップのトレーナーは、
言わば敵同士と言っても過言ではない。
山中トレーナーのようなケースもあるが、一般的ではない。
ここは勝負の世界、トレーナーに『手の内を教えてやる義理は無い』と言われれば、
こちらは黙って引くしかない。
こればっかりは、オフサイドトラップのトレーナーの人柄次第か。
頭を抱える。
トレーナーの人柄なんて、どこの資料にも載ってないだろう。
幽閉の件もあって、直接会いに行くこともできない。
今のうちに出来ないことは無いだろうか。
そんなことを考えていると、店員さんが不安げな目線を向けているのに気が付く。
客観的に見れば、一人ガッツポーズしたり、頭を抱えたりと、
変な客に見えたかもしれない。
ぐるぐると回る悩み事をほっぽって、ティーカップに口をつける。
少し休憩しよう。切り替え。切り替え。
◆マキノプリテンダーのヒミツ
両親が開発したアミノ酸入りプロテインを愛飲している。
疲労回復に効果があるらしい。商品化に向け絶賛調整中とのこと。
◆オフサイドトラップのヒミツ
好きなもの:93年有マ記念
嫌いなもの:屈腱炎、過剰な期待、ナリタブライアン
◆×××のヒミツ
収得賞金
本作の[収得奨励金]は、現実の収得賞金を元にしている。
現実の収得賞金もかなり面倒な仕組みになっており、詳細は調べていただきたい。
特に目を見張るのは、収得賞金を積み上げる条件の厳しさである。
観戦者視点ではどのレベルのレースであっても、掲示板に入れば健闘した印象をうける。
だが、収得賞金は重賞レベルでも2着までしか加算できず、
重賞以降のレベルのレースでは1着しか収得賞金は加算されない。
重賞で3着になっても収得賞金の積み上げが0というのは何ともシビアな世界である。
競馬の厳しさを一番に体現しているように思える。