メイクデビューを終えた、キンイロリョテイとオースミサンデー。
オースミサンデーは体格の劣るキンイロリョテイに先着を許すが、彼女のレースへの向き合い方に興味を持ち始めていた。
◆オースミサンデー 1996年12月2日(中1週)
「はぁ」
食堂で昼食を終えた昼下がり。
ため息を吐きながら、引っ越しの準備を進める。
作業は順調だが、ため息の原因は午前中の出来事。
山中トレーナーや梅コーチと、昨日のメイクデビューの反省会をした。
メインの反省どころは敗因を分けた出遅れ。
緊張感あるレースで、「帰りたい」と発言した娘がいてスタートへの反応が遅れた。
嘘のない至極マジメな失敗なのだけど、
「ふっ、メイクデビューで帰りたいって、そりゃ驚くよね。あっはっは!」
と、山中トレーナーに大笑いされてしまった。
叱られなかったし、それは良かった。
でもでも、真剣に取り組んだレースの失敗を笑われると、恥ずかしくなって耳を塞ぎたくなる。
とは言え次のレースまでは話題にあがるんだろうなぁ。
羞恥心をこらえながら荷造りを終えた。
とうとう、このプレハブ小屋からも今日でさよなら。
やっと栗東寮での生活がスタートだ。
寮の部屋はよく争奪戦になる。
特に新入生が入ったばっかりの6月からの半年間は寮ではキャパが足りず、
学園内にある宿泊機能のあるプレハブ小屋や、
学園近くのウィークリーマンションに寝泊まりするのも珍しくない。
現に私もその一人だ。
素人目には「寮を増築すれば良いのに」とは思っちゃうな。
ともあれ、新入生は半年と経たずに大半が学園を去ってしまう現状があるから、
先生たちも対応が難しいのだろうけども。
あれ、引っ越し先は何処だっけ?
用務員の海本さんから貰ったプリントを見直す。
えっと、栗東寮B館の201号室。
これって、二階の角部屋かな。
近くの段ボールを一つ抱え、栗東寮へ向かう。
これからの住処はどんな感じなんだろう。
同室の娘はどんな娘なんだろう。同級生かな?先輩かな?
先輩だったらトレーディングのコツとか聞きたいな。
新しい環境に少しテンションが上がってきた。
◆キンイロリョテイ 同日(中1週)
「ニャッ、ニャー」
ん?さむっ、てか重っ。
目を開けると、胸にキジトラの猫が香箱座りしていた。
「なんだ、トラさんか」
仰向けで胸をつぶされながら窓をみると、キレイに猫一匹が入れるくらいには開いていた。
「二階でベランダも無いってのに、毎度お見事なもので」
トラさんはトレセン内にはびこる野良猫の一匹だ。
こうやってサボって昼寝している俺を起しては、エサの催促をしてくる。
寮の外だとエサを与えても見向きもしない癖に。
プライドが高いのか、それともボス猫なのか。
まぁ、そこがかわいい所でもあるけど。
トラさんを払いのけて、冷蔵庫を漁った。
食堂のおばちゃんは俺を見るなり、多すぎるくらいに料理を配膳してくれる。
小食だから食べきれない、かと言って無駄にするのも気が引けるからストックしている。
多分、チビな俺を気遣った善意だろうから、下手に要りませんとは言えないんだよなぁ。
「とは言え、朝に焼き鮭3枚はやりすぎだよなぁ」
今朝の鮭が残っていた。タッパーを開けて触ってみるが流石にまだ冷たい。
レンジで温めるべきか悩んでいると、黒い毛玉の無法者が首を突っ込んできた。
仕方なくそのままタッパーを床に置くと、迷わず食べ始める。
食べてる間、猫の背中をさするが当人、いや当猫は意に介さない。
エサを与えても床にこぼさないし、隣に響くような大声でも鳴かない。
変に手のかからない部分がある。トラさんは元は飼い猫だろうか。
「コンコン」
そんな風に猫を愛でているとドアがノックされた。
げっ、トレーナだろうか。ひょっとして今朝の仮病がばれたか。
居留守をしていると、ドア越しにくぐもった声が聞こえる。
「すいませーん。今日引っ越し予定のオースミサンデーなんですが、ここが空きがある201号室であってます?」
なんだ、新入りか。何の用だろう。
トラさんをエサごとベット下に避難させる。
もちろん寮内はペット厳禁。
トラさんは野良猫でペットではないが、そんな言い訳が通じるかは分からない。
一見するとトラさんが見えないことを確認して廊下に出た。
部屋を出て一番最初に目についたのは段ボールだった。
「あ、あの初めまして」
声が聞こえたのは段ボールのさらに上、ポニーテールをしたウマ娘がぎこちない笑顔を振りまいていた。
目の前に現れたのが、段ボールを抱えた大柄のウマ娘だと理解するのに、少し時間がかかった。
1年には思えない体格と肉付きをしている。
「えっと、引っ越しって何の話」
「用務員さんから聞いてないですか?今日、引っ越すって」
そういうと、デカい女は床に段ボールをドスンと置いて、ポケットを探りだす。
ドスンって言ったぞ、今。ドスンって。
「ほらこれです」
渡されたプリントには確かに、俺の部屋201号室に本日引っ越し予定の記載がされていた。
「ホントだ」
確かに用務員のウーミンが、それっぽい事を言ったような、言わなかったような。
ウーミン優しいから、いつも聞き流しちゃうんだよね。
「とは言っても散らかって準備出来てないんだよね。
元々、部屋には俺しかいないけど……」
「えー荷物まとめちゃいました」
散らかっているのは嘘だが、どのみち部屋に人を入れれる状態じゃあない。
どうしようか頭を抱えていると、妙にドスの聞いた声が廊下に響く。
「キ~ン~イ~ロ~!」
「げ、タイミング悪い時にめんどい人来た」
「聞こえているぞ、馬鹿者。
先ほど大きい物音がしたが、何かあったのか。下の階まで響いていたぞ」
ワンレングスカットのウマ娘、エアグルーヴが松葉杖を突きながら歩いてくる。
誤解されると面倒だ、俺は床に置かれた段ボールを指さして弁明する。
「音?あぁ、この娘が引っ越し荷物をさっき落としちゃって。で、この娘がー」
「オースミサンデーさんだな。そう言えば今日はオースミさんの引っ越し日だったか」
新入りの紹介をしようと思ったが先を越された。
「え、俺も聞いてなかったのに何で知ってるの?」
「馬鹿者。引っ越しのスケジュールは1階の掲示板に公開されているわ。
それにオースミさん自体、お母上は地方三冠バだぞ。入学当初から注目されていた」
「へぇー有名人なんだ」
「あ、あの一様、昨日一緒のメイクデビューに出てたよ」
「そうなんだ、気が付かなかった」
俺がそういうと、二人はため息をついた。あー、これ言ったらマズいやつか。
急いで話題を変えよう。
「でこちらがエアグルーヴ先輩。
この前、パドックでフラッシュにびっくりして絶賛骨折中~」
「骨折はレース中の名誉の負傷だ馬鹿者」
「やっぱりエアグルーヴ先輩でしたか。会えてうれしいです。
この前のオークス見ました。不利を受けたのに凄い走りで感動しました」
「ありがとう。今はこのなりだが、次の女帝の走りに期待してくれ」
「はい、絶対見ます」
「良い返事だ。キンイロもこれくらい可愛がり甲斐があるといいのだが」
「えー、だって、寮でのお節介な先輩しか見てないからね」
俺がそういうと、今度は二人とも頭を抱えた。え?これも言ったらマズいやつ?
「まったく……お前らしい。ともかく二人ともケガが無いようでよかった」
「松葉杖の人が言うと説得力が違うね」
「やかましい、引っ越しは順調か?」
あ、この話題はマズい。返答に困っていると新入りが先に答えてしまう。
「それが、キンイロさん引っ越しの予定を聞かされていなかったようで。
お部屋が片付いていないそうなんです」
「それなら今日中にキンイロにやらせればいい。恐らく用務員の話を忘れているだけだ」
「いやー、ほとんど事実だから耳が痛い。けど、今日中は厳しいよ」
「そもそも、お前は言うほど部屋を荒らすタイプだったか。どれ女帝がチェックしてやろう」
お節介な先輩が部屋のドアをあける。松葉杖の病人相手に無理に止めるわけにもいかなかった。
「なんだ、部屋は綺麗じゃないか。
ん?おい、キンイロ。なぜベットや机が一つしかない」
セーフ。ベット下のトラさんには気づかれたなかったようだ。
「そんなに目くじら立てないでよ。2つを繋げてるから一つに見えるだけだって。
ベットを横に2つ並べたらダブルサイズになるかなって」
「馬鹿者。寮のレイアウトを勝手に変えるな。
何故、お前が一人で部屋を使えていたと思っている」
「俺が特別だから?」
「違う。入寮初日に壁に穴を開けたからだ。
補修される今の今まで、他の生徒を入れられなかったのだぞ」
「あれは不運な事故だった。逆立ちした時に手が滑って」
「それは以前聞いた。とりあえず、今日中に部屋のレイアウトを戻しておくように。
多少の騒音は見逃してやる」
「えー、マジで。今の状態にするのに一週間くらいかかったのに。
せめて3日は欲しいんだけど」
「それでは同室がかわいそうだろう。異論は聞かん。
オースミさん、キンイロはその……突飛な所もあるが、根は悪い奴じゃないんだ。
仲良くしてやってほしい」
そう言ってエアグルーヴ先輩は部屋を出ていった。
悪い奴じゃないは、あまりフォローになって無いですけどね。先輩。
エアグルーヴが退出した後、新入りが引いてないか様子を伺っていると、
当の本人は急に俺の手を取り、無理やり握手してくる。
「リョテイちゃん、改めまして、今日から同室のオースミサンデーです。
オーちゃんって読んでください」
「え、あ、うん」
こうゆう距離間が近い奴は得意でもないが、嫌いでもない。
「いやー、メイクデビューでご一緒したリョテイちゃんと同室とはビックリ。
しかも、あのエアグルーヴ先輩ともお友達だなんて」
「お友達ってよりかは一方的に目をつけられてる感じだけどね。
あの人101号室でちょうど下の階だから」
「でも、相手はG1ウマ娘。年に20人と出ないトレセン内の憧れの的だよ。
普通、あんな対等に話せないよ」
新入りは目をキラキラさせて、そう言った。
貶されてる気もしたが、その意図はなさそうだ。
「まぁ、俺がレースにあんまり興味ないのもあるかもな」
「リョテイちゃんってホント変わってますね」
オースミサンデーは微笑んだ。ついさっきのひきつった笑顔ではない自然な笑みだ。
「あ、リョテイちゃんお近づきの印に」
持ってきた段ボールから、ガサゴソとそれを取り出し、俺に手渡す。
「ナニコレ」
「なにって、握力計だよ」
「それは見ればわかるよ。なんで同室に握力計渡してるんだよ」
「えー、喜ぶかと思っただけど」
「やったぁ、握力計貰っちゃった。最近欲しかったんだよね、うれしい。
とはならんだろ。ウマ娘への認識がズレてるだろ」
「ウマ娘用ですよ?200㎏まで測定できますよ?」
「いや、そのセールスポイントで状況変わらないから。
握力計の時点で要らないから」
「そうなんですね。私は去年の誕生日プレゼントで貰って大喜びでしたが」
「喜ぶ奴ここに居たよ。これ渡す側どうなんだ。
と言うか、誕生日プレゼントをホイホイ渡しちゃダメだろ」
「そこはご安心を。今年で握力200超えたので、その握力計じゃもう測れません」
「は、やば。もうボルダリングやハンマー投げでプロ目指した方がいいでしょ」
「なに冗談言ってるですか、ウマ娘は走ってこそすよ」
「それもそうか」
トレセン学園に入学する前から周りのウマ娘は、何か狂ったようにレースに打ち込んでいた。
まるで、他の道では生き残れないみたいに。
「せめて、試しに一回測ってみませんか、握力」
「え、やだ」
「一回測ってみましょうよ。ちなみに私の握力は200kg以上です」
「え、怖い怖い。握力を脅し文句にしないで、真面目に逆らえないから」
「じゃぁ、私が変わりにベットとか机とか家具の場所を戻すので、
報酬としてリョテイちゃんの握力が知りたいです」
俺の非力さを知られるのは好きじゃないが、重労働には替えられない。
「まぁ、それならいいか」
少し腕を震えさせながらも、全力で握力計を握りしめた。
「はい、55.3㎏。なんでそんなに握力を知りたがるんだ」
「お母さんの受け売りでなんです。『体重こそ走力、握力こそパワー』
リョテイちゃんにはメイクデビューで負けちゃいましたが、体重も握力も負けてません。
きっと前回は実力が発揮できてなかったんです。次のレースでは負けませんよ」
筋力を誇示するように、ウキウキでマッスルポーズを取り始める。
はぁ、脳筋で思想がかなり偏っている。
この先の寮生活、コイツとやって行けるだろうか。
この後、オースミサンデーが軽々とベットを持ち上げて、
食事中のトラさんが見つかるのは、また別のお話。
◆キンイロリョテイのヒミツ
→睡眠環境や家具の配置には強いこだわりがある。
◆オースミサンデーのヒミツ
→1歳差の妹「マキシムトライ」がいる。
妹も来年トレセン入学予定だが、かけっこで妹に負けた事はない。
◆エアグルーヴのヒミツ
→女帝エアグルーヴとして、トレセン生の規範になろうとしている。
口調から怒って見られがちだが、後輩の面倒を見るのは好きで、一種の息抜きにもなっている。
◆×××のヒミツ
ロジータ(競走馬/オースミサンデーの母)
ロジータは牝馬でありながら、南関東で圧倒的な人気を実力を持った地方馬。
南関東三冠(浦和桜花賞/羽田盃/東京ダービー)を達成。
そのうち羽田盃と東京ダービーは牡馬混合のレースで、ロジータ以外は皆牡馬の状態から勝利している。
「オールカマーではレコード勝ちしたオグリキャップと0.7秒差の5位」
「ラストランの川崎記念(当時重賞扱い)で単勝1倍」
「川崎競馬場で活躍を称えたロジータ記念が新設される」
などエピソードの多い馬である。
1996年 第1回秋華賞
本作開始(1996年12月)の二か月前、エアグルーヴが出走し完敗した秋華賞だが記念すべき第1回開催となる。
第1回秋華賞はファビラスラフインで騎手は松永幹夫。
パドックでのフラッシュ撮影で一番人気であったエアグルーヴがパニックを起こした事でも有名。
秋華賞の開設は1996年にあった番組改正によるもので、
同様に高松宮杯とNHKマイルカップも新設された。
因みに、1995年以前に牝馬三冠が無かった訳ではなく、エリザベス女王杯が牝馬三冠の最終戦となっていた。
エリザベス女王杯は元々クラシック牝馬限定で芝2400mのレースだったが、
この改正で3歳以上の2200mという、現在のレース条件になっている。
ファビラスラフイン(競走馬)
実況では「ファビュラスラフィン」とも呼ばれており、なんともセレブリティを感じさせる名前。
フランス産・日本調教馬で、1996年のJRA賞最優秀4歳牝馬(現:JRA賞最優秀3歳牝馬)。
秋華賞の勝ち時計は1:58.1で、これがかなりの好タイム。
2025年現在、秋華賞の歴代4位(第6回のファインモーションも同タイム)の勝ち時計。
2014年の第19回秋華賞で、ショウナンパンドラに1:58.1を出されるまで、17年間レースレコードだった。
(もちろん単純比較は禁物であるが、秋華賞の勝ち時計だけでみると、
あのジェンティルドンナや、アーモンドアイよりも早い)
また、96年ジャパンカップは必見。
勝ち馬のシングスピールに惜しくもハナ差で敗れたものの、
5歳牡馬の相手に最終直線でデッドヒートを繰り広げている。
(尚、シングスピールは5か国で出走し、最終的にG1競走を4勝している)
翌97年には骨折や屈腱炎とケガが重なり、一試合もできず引退。
96年の1年間、全7試合と言う短い現役時代を駆け抜けた馬だったが、短すぎる現役時代が惜しまれる。
松永幹夫(元騎手/現調教師)
現役時代は牝馬限定戦に強く、「牝馬の松永」と呼ばれた。
オグリキャップから端を発した第二次競馬ブームでは、
イケメンな顔立ちから「ミッキー」と愛称が付き女性ファンが多かった。
(96年秋華賞のジョッキーインタビューから、当時の甘いマスクと人気がうかがえる)
96年3月に調教中の落馬で、肝臓提出の重症を負っていた。
しかし、秋に復活して早々に秋華賞の勝利と、こちらもドラマチックな年となった。
調教師としてはレッドディザイアやラッキーライラックなどを管理していた実績もあり、今後の活躍に期待したい。