7月9日 龍門渕高校
地獄の期末テストから解放された生徒達は目前に控える夏休みに思いを馳せ、あちこちで夏休みの予定について話し合う姿が多くみられた。
「……って言ってもどーせインターハイの特訓と屋敷の仕事と宿題で貴重な夏休みが消費されるんだろーなぁ……」
「アハハ、そうだね」
話の冒頭から溜息を吐いてくれたのは、龍門渕高校1年井上純だ。
「まったく……食欲も失せるっつーの」
食べかけの菓子パンを手に持ち純は愚痴をこぼした。
「そうなんだ……ところで今何個目?」
「4個目」
「…………」
最後の一口を口に放り込んだと同時に休憩時間終了を告げるチャイムが鳴った。
「みなさん席に着いてください。えー今日は突然ですが転校生を紹介します」
毎度聞き流しているHRの連絡だったが今日は特別だった。この半端な時期に転校生がやってくるというサプライズに教室中がざわ…ざわ…している。
「は―い、静かに。それじゃあ入ってきて」
扉を開け初めに目につくのは老人のような白い髪で、目は友好性がまったく感じられなかった。そしてそのような人物は16年生きてきた人生の中でも1人しか該当しない。
「……赤木しげるですどうかよろしくお願いします」
全身から「近づくな」オーラ全開でよろしくとはこれ如何に。
とりあえず純は口に含んだメロンパン(5個目)を吹き出さなかった自分をほめてやりたかった。
第六話 「見極め」
そして話は昨日の夜までに遡る。
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龍門渕邸
『イケダ食品毒物混入!』『毒入りウドン3ヶ所』
「まったく……最近は物騒ですわね……」
テレビからもたらされる情報は、いずれも世の中がすさんでいることを嫌でも認識させられる物ばかりだった。
「透華様…例の件でお話が……」
音もなく透華の背後から現れたのは忠実かつ有能な執事であるハギヨシだった。
「ご苦労、相変わらず仕事が早いですわね。褒めて遣わしますわ」
「いえ…あくまで執事ですから……」
主の言葉に誇ることもなく謙遜する様子は、まさに執事の鏡と言うに相応しかった。
「それで……調査しましたところ透華様の証言と一致する人物は存在しませんでした」
「そう……」
聞く限りは調査に失敗したらしいがこの程度のことを一々報告するほどハギヨシは無能ではない。
「次にこちらの資料を……」
差し出された資料に添付された写真……そこには老いてはいるものの昨日屋敷に現われた男の姿が映っていた。
「これは……」
「ええ……10年ほど前日本で五指……いえ、最強と呼ばれた雀士の情報です」
曰く、麻雀をものの10分で完全に理解した。
曰く、7万点差を二局で逆転した。
曰く、一晩の勝負で5億稼いだ。
など、恐らくは脚色されているだろうが目を疑うものばかりだった。
「信じられませんわね……三流作家でも、もっとましな設定を思いつきますわよ」
話にならないとばかりに資料を机の上に投げ捨てた。
「お気持ちはわかりますがお嬢様……普通こんな噂を流したところで誰も相手にしません。しかし、今なお語り継がれていることを考えますと恐らくは……」
言われて昨日の対局を思い出す……確かにあの悪魔じみた闘牌を見せられては信じるしか無かった。
「なにより衣様に勝ったと聞きますし……」
あとで智紀から牌譜をもらわなければ…と思いつつ考えてみた。
もしあの男が我が龍門渕に来ればふがいない男子麻雀部が一気に全国トップクラスのチームになるのではないか。そうなれば……
『龍門渕高校男女共々優勝!』
『打ち手も一流!スカウトも一流|龍門渕透華!!』
そこには惜しみない賞賛を向けられる自分……これ以上目立つことはない。
……少々オーバーすぎる気がしないでもないが……。
「これですわっ!」
善は急げ、透華はさっそくハギヨシに指示を飛ばした
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所変わって深夜の公園。
昼間はにぎやかだった公園も深夜とあって居るのは不良かホームレスぐらいだが今日は人の姿は見られなかった……自分達の他には。
「あーキミ?学生がこんな遅くまで、うろついちゃダメじゃないか」
厄介なことに赤木は警察に絡まれていた。
(まったく、昔は何も言われなかったんだが……窮屈なったもんだなこの世は)
愚痴ってどうなるものではないが愚痴らずにはいられなかった。
「とにかく……君、名前と住所は?」
「…………………」
名前はともかく10年前死んだ自分に住む家などあるわけなく、答えられずに黙っていたが、警官からすれば今時の若者が反発しているようにしか見えなかったらしい。
「なんだその態度は!」
(仕方ない……あまり事を荒立てたくはなかったが)
このままでは補導されかねず、赤木が拳に力を入れたその時だった。
「こんなところにいましたの?捜しましたわよ!」
今まさに連行されそうな状況に突然待ったをかける人物が現れたのだ。
(あいつは今朝勝負を吹っかけてきた……たしか透華とか言ったな)
「お知り合いの方ですか?」
「ええ…先日不慮の事故で両親を亡くした従弟をこちらで預かることになったんですけど……どうやら道に迷ったようでして、そうですわよね?」
もちろんそんな話があるわけもなく口から出たでまかせだったことは明白だった。
「ええ…なにぶん土地勘がないもので……住所もわからないから困っていたところなんですよ」
なぜ自分を庇い立てするのかはわからないが、この場を乗り切るには口裏を合わせる他なかった。
「さ、行きますわよ」
(選択権はない……か)
警察の手前振りきるわけにもいかず赤木は黙って透華の後をついて行った。
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「……さっきは助かった礼を言おう」
「……これくらい礼を言われるほどではありませんわ」
屋敷へと向かう車中に赤木は礼を述べるが、どう聞いても感謝している風には見えなかった。
「それで……俺なんかを拉致してどうするつもりだ?」
社交辞令も何もない赤木の問いによって、車内を包む息苦しさが一気に増した。
「拉致なんて人聞きが悪い言い方をしないでほしいですわね」
「サツに絡まれているところを見計らって、選択肢のない俺を無理やり車に乗せる……これを拉致と言わずしてなんと言うんだ」
赤木からすれば当然の反応だったが、透華は心外とばかりに眉をひそめた。
「そ、そんな卑怯な真似しませんわ!本当にあなたを見つけた時なにやら厄介なことになっているから、助けただけですわっ!」
本気で否定しているところを見る限り嘘はついていないのだろう。
演技という可能性もあったがこんな腹芸ができるようには見えなかった。
「……疑って悪かったな。それで要件はなんだ?」
「単刀直入に言いますわ。あなたをスカウトしに来ましたの!」
「…………なんだと?」
予想もしなかった要求にさすがの赤木も我が耳を疑ってしまった。
「だからあなたの雀力を見込んで我が龍門渕 高校に入っていただきたいんですわ」
「断る」
微塵も考えることなく光の速さで赤木は答えを提示した。
「あら、悪い話じゃないと思いますわよ?」
「もともと勉学とかそういう物には縁が無くてな……悪いが断らせてもらおう」
学校での勉強など生きていく上ではなんの役にも立たないことを知っており、赤木のような一匹狼であればなおさらだった。
「私の誘いを蹴って何処かへと消える……それも結構ですわ。けど、いろいろ問題があるんではなくて?」
「……どういう意味だ」
透華の含みのある言い方に今度は赤木眉をひそめる番だった。
「あなたの事は調べさせてもらいましたわ。衣の言う空から降ってきた云々はともかくあなたには戸籍がない。そうですわね?」
「………………」
黙って話を聞く赤木を尻目に透華は話を続けた。
「借家を借りようにも契約できませんし今日みたいに警察の御厄介になってしまったら色々と不便ですわよね?」
「……なかなか痛いところを突いてくるじゃないか」
以前は幾許かの金を握らせてそう言った不都合を握りつぶしたが、今現在自分は無一文なのだ。住む家はおろか今日の夕食さえありつけないのが現状だった。
「……それで、結局お前は何が言いたいんだ」
回りくどい言い回しに業を煮やし一気に話の核心に迫った。
「ズバリあなたが龍門渕高校麻雀部において成果を上げたのならあなた名義の戸籍を用意しますわ!」
透華のとんでもない発言は意外にも赤木の心を動かした。
(この女の言う通りこの体……加えてこの状況は厄介だな……)
昼間何軒かの雀荘を回ってみたがどこも未成年というだけで門前払いされたのだ。
裏を訪ねれば話は別だが、タネ銭も持たない餓鬼を打たせるほど甘い連中でもなかった。
(……しかしこの女ただの世間知らずのお嬢様かと思いきや、中々強かじゃないか)
初めは要求を包み隠さず提示し、相手が難色を示したらさらにもう一つの手札を明かす……単純ながらこれ以上有効な交渉術はない。
「……ひとついいか」
「なんですの?」
「何故わざわざ自分から赴いたんだ?誰か別の人間を使いに寄越すことも出来ただろう」
もっとも……そんなことをすれば交渉のテーブルにすらつかなかっただろうが。
「あら、用がある方から出向くのは人として当然ですわ」
さも当然かのように答える透華を見て赤木はフッと笑った。
「ああ、まったくそのとおりだ、だが往々にしてこういう当たり前がわからない人間の方が多くてな……その点じゃあお前は合格さ」
思えば……自分をスカウトしにきたいずれの組も組長自らやってきたことなど一度もなかった。
(まあ、このままじゃ近いうちに不法入国者に間違われて逮捕されるのがオチだ……しばらくは世話になっておくとするか……)
こうして透華は赤木をスカウトするという人類未踏の偉業を成し遂げたのであった。
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「というわけだ……」
一通りの経緯を昨日の3人に話したが、みな驚いたような、呆れたような表情を浮かべている。
「透華らしいというかなんというか……」
「つーか普通戸籍を作ってやるなんて誰も言わねーよ」
一は透華の性格を……純は龍門渕家の無茶苦茶さに苦笑いを浮かべていた。
すると黙って話を聞いていた智紀だったが、時計を確認すると口を開いた。
「そろそろ時間……早く部室に行った方がいい」
「そういえば今日だったな。赤木のせいですっかり忘れてたぜ」
「何かあるのか?」
首を傾げる赤木だったが、ここへやって来たばかりなので当然と言えば当然だった。
「ああ、今日は麻雀部の練習にプロが来るらしいんだ」
「……すごいじゃないかお前らのお嬢様は」
「ああ、凄すぎてため息しか出ないぜ」
普通一部活にプロ雀士がコーチにつくことは、まずあり得ない、何らかの「援助」があったことは明白だった。
そんな透華の振る舞いに赤木は呆れる他なかった。
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「遅いですわよ!」
「アカギ!」
部室に入って一番に聞こえてきた透華のどなり声は予想できたが、衣がこの場にいることは予想外だった。
「悪い悪いこいつを引っ張ってくるのにちょっと手間取ってな」
純の言う「こいつ」は現在衣に抱きつかれ迷惑そうにしている。
「まったく……今日はせっかくのゲストがやってくるというのに……」
「……興味無いな」
憧れのプロが来訪するとあって興奮を隠しきれない透華に対し赤木の反応は冷ややかなものだった。
「まあ、いいですわちょうど全員集まったことですしそろそろ入ってもらいましょう」
透華が合図を送ると誰かが部室に入ってきた。
「改めて紹介しますわね、3割7分2厘という驚異の勝率。日本を代表するプロ雀士―――――井川ひろゆき八段ですわ!」
本日招かれたゲスト、それは東西決戦を共に戦ったあのひろゆきだった。
ククク……前回、たしかにプロが登場すると言ったが具体的に誰を出すかまでは指定していない……つまり我々がその気になれば、ひろゆきをプロにして登場ということも可能……!
……というわけでひろゆき登場です。彼がプロになった経緯は次回ということで……。
さて、作中ではあまり言及しませんでしたが「あの赤木がおとなしく入学するわけねーじゃん」と、思う方もたくさんいると思います。
しかし原作を見る限り真意は不明ですが、赤木は沼田玩具店で一カ月働いていたりするので「生きるためには仕方ないか」くらいの認識でおぜうさまの申し出を受けたんだと思います。
まあ、それでも多少無理やりだった気もしないでもないです。要反省ですね。