第十一話 「献身」
しばらくした後部室に入ってみるとひろゆきは本来の目的である麻雀指導に戻っていた。
「この場合、一見すると二萬切りが手広く見えるけど実際には……」
一卓一卓回りながらだったが内容自体は論理的で大変わかりやすく部員達は皆真剣な面持ちで講義を受けている。
(たいしたもんだな……)
その様子を少し離れて赤木はその様子を伺っていた。
本人は否定するだろうが……その様子は巣立った雛を見守る親鳥の心境に似た、何とも言えない感覚を感じていたことだろう。
「アカギッ!」
トコトコとした足取りで近寄る小さい影があった。
言うまでもなく天江衣である。
「衣と打とう!今すぐに!」
天真爛漫と形容する他ない屈託のない笑顔であった。この笑顔を見せられて堕ちない人間など存在するのだろうかそれ程までに彼女の笑顔は眩しかった。
「いや……今日はもう打たねえ」
否、ここに存在した。見る見るうちに瞳に涙を浮かべ、癇癪を起した幼子のように顔を赤くした。
「何故だ!アカギや透華ばかり打って狡いぞ!」
「泣いてもダメだ、昨日から打ちっぱなしで疲れんたんだよ」
もちろんこれは詭弁であるその気になれば飲まず食わずで3日間打ち続けるだけの気力や集中力を持ち合わせており、若返って今の自分ならば体力的な面から考えると100時間打ち続けても問題ないだろう。
それでもなお、衣との勝負を避ける理由は面倒だということもあったが、今は先ほどの勝負の余熱が残っており衣と打つ気にはなれなかった。
「そんなに打ちたいならいくらでも相手がいるだろ」
「……アカギやトーカ達以外は薄弱だから誰も衣と打ってくれない」
いじけたように視線を落とす。周りを見てみれば卓も他の部員も数が余っているというのに、誰も衣とは打とうとはしない。
むしろ目線をそらし、腫れものを扱うように関わろうともしない。
(肝心の本人がこんな態度じゃ無理もないか……)
何もいじめられているわけでもない、単に衣自身が人と人との歩み寄り方がわからずに壁を作り他人を寄せつけようとしないのだ。
赤木のような無頼者ならばそれでよかったかもしれないが衣自身他人の愛情に飢えていることも薄々だが赤木は感じておりそんなジレンマが衣自身を苦しめていることも承知だった。
(まあオレがとやかく言うことじゃないか……)
そもそも……こういった他者との触れ合いは赤木自身得意というわけでもないしそんなことに首を突っ込むほど下世話な性格でもない。
「他の奴らは弱いから打ちたくない……そう言いたいんだな?」
「……そうだ、プロと言っても皆口先だけの烏合共ばかりだ」
その言葉を聞くと同時に衣を何とかするための唯一無二の策を思いつと赤木は不敵に笑った。
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「それで、一見ここは二萬切りが手広く見えるけど期待値的には……」
と、ここで何者かがスーツを引っ張った。
「ん?」
しかし振り向いても誰もいない、気のせいかと一瞬思ったが。
「衣は卿との対局を所望する!」
「えーと……」
少し視線を落とすとそこには兎のようなカチューシャを身に付けた子供(?)がいた。
「ひろゆきを倒せばアカギは当夜ずっと衣の相手をすると約束した!故に衣と打ってもらおう!」
「いや、だからね……お譲ちゃん」
「お譲ちゃんではなく!」
なんとも一方的な要求だったが目の前の子供をどうしたものかと思案していると。
「いいじゃねぇか、受けてやれ」
そこへ現れたのはいわずもがな赤木である。
「俺にこの子を押しつけましたね……赤木さん」
「さあ?なんのことやら」
その表情を見て元凶は赤木だとひろゆきは確信した。
「今回は仕事で来たんで……そのこういうのはちょっと……」
本来なら赤木との一局だって連盟にバレたら後でとやかく言われるのに
二回もアマチュアを相手したとあっては何を言われるかわかったものではない。
「固いこと言うなって……一回くらい打ってやれ」
「でも……」
あくまで渋るひろゆきだったが、透華を含め部員たちは遠巻きに見ているだけだった。
(あわよくばもう一度井川プロと打てるかもしれないですわ……衣、赤木ファイトですわよ!)
本来なら窘める役のはずである透華がこれでは他からの援護は望めなかった。
「それに……こいつ、こんなナリだが……かなり打てる」
赤木にここまで言わせるのも珍しい……というよりも赤木の眼鏡に適う雀士がこの世にどれだけいるのかという話だが。
ひろゆきは溜息を一つ吐くと
「わかりました……打ちますよ、構いませんね?龍門渕さん?」
「もちろんですわ!それに、連盟への口止めはお任せくださいな!」
急遽決まった二回戦ではあるがひろゆきのうんざりとした心境とは裏腹に透華はよくやったと赤木と衣に笑顔を振りまいていた。
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席順は以下の通り
東家 衣 25000
南家 透華 25000
西家 井川 25000
北家 智紀 25000
東一局 十順目
「ツモ!」
ひろゆき手牌
四四四六七八⑥⑦⑧⑧456 ツモ⑧
「タンヤオツモ赤1、2,000―4,000」
「むー」
先手を取ったのはひろゆき、前局の流れをそのまま受け継いだように立直からわずか3巡でのツモ和了りでまず一歩リードと言ったところか。
「純、もしかしてあいつの能力はかなりバラつきがあったりするのか?」
以前打ったころは聴牌すらままならなかったというのに今はそんな気配すら見えなかった。
「ああ、衣は夜……というより満月じゃないと全力が出せない多分今の衣はアンタと打った時の6割くらいだろうよ」
理由はわからないがなと、純は付け加えた。
「ふぅん……やっぱりか」
「っていうかなんでお前はわかるんだよ!?」
この一局ひろゆきが和了ったからといって、衣の力が弱まっていることと結び付けるのは早すぎる。
事実赤木と打った時だって全く聴牌できなかったわけではなかったからだ。
「わかるさ……空気が違う」
「空気?」
空調の話かと一瞬思ったがそんな抜けた話ではないだろうと首を振った。
「気配……といってもいいなあの夜に打った時に満ちていた気配が微弱……こりゃひろは楽勝かもしれねえな」
デジタルな思考を持つ人間からすればオカルトじみた感覚と切って捨てるだろうが純にはその感覚がよく理解できた。
「確かにお前の言う通り衣は本調子じゃない。でもな……」
そう言うと卓上の衣に目を見やる。親を蹴られた衣はむくれた表情でひろゆきを睨みつけている。
「衣は子供より親をやるのが好きなのに!」
その様子からではとてもではないが赤木が認めた理由がさっぱり掴めなかった。
(だというのに何だ……この胸に掬う嫌な予感は……)
東二局 親…透華 三巡目 ドラ三萬
ひろゆき手牌
①⑥⑥⑧⑧155669中北 ツモ9
依然として好調な流れを受けた東二局。
早々と七対子の一向聴という様相でこの局もひろゆきの和了る流れと誰もがそう思っていた。
打 中
「ポン」
動いたのは衣。その次順
ひろゆき手牌
①⑥⑥⑧⑧1556699北 ツモ⑤
赤⑤筒引き。少しの小考の末。
打 ①筒
「ポン」
またしても動いたのは衣。これで2副露
衣河 二一57
(捨て牌からすると混一か?対々か?あるいは両方……?)
ひろゆき手牌
⑤⑥⑥⑧⑧1556699北 ツモ②
(なら……切るべきはこっちか)
打 1索
対面をケアした打ち回し、守備に寄った思考だったが……。
「ロン」
(なにっ!?)
衣 手牌
1③③③白白白 ポン中、①
「対々和白、中。8,000」
わずか6巡の電光石火の和了……
「昏鐘鳴の音が聞こえるか?」
今までのあどけない様子は既になく、そこにいるのは邪か鬼か。
「――――世が暮れ塞がると共に」
或いはもっと恐ろしい何か……。
「貴様の命脈、断ち切って見せよう!」
幕を上げたひろゆき対天江衣の闘い。
ひろゆきはこの先待ち受けるであろう苦戦の予感を確かに嗅ぎ取ったのであった。