わたしが紗月さんの恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった⁉︎) 作:ふじごがつ
続く予定。
閑静な郊外にぽつりと建つアパートの一室のインターホンを、数分悩んだ末に私は人差し指でそっと押した。
しばらくすると、扉の奥から鍵が開いた音がした。
「いらっしゃい、甘織。どうぞ上がって」
「お、おじゃましまーす……」
紗月さんが開けてくれた扉を、身を屈めて潜る。
まるで不法侵入する泥棒のような体勢。ここがGTAの世界なら容赦なく撃ち殺されているぞ、甘織れな子よ。もっと危機感を持たないと……。
「何回も来ているはずなのに、どうしてあなたはそう緊張するのかしら? 来たことすら覚えていられないダチョウの脳みそ程度の頭なの?」
「はあ……⁉︎ 誰が豆粒ぐらい小さな脳みそだって⁉︎」
「そこまで……言ってないわね。まあ、そんなことどうでもいいのよ。それに、母さんはきょう、帰ってこないから緊張するだけ無駄よ」
「え……」
つい、驚きの声が漏れてしまった。
きょうは帰ってこないってことは、紗月さんは誕生日を家族に祝ってもらえないってことと……おんなじ意味だから。
わたしはたぶん、家族とは仲がいい方だと思う。
誕生日だって、各々(わたしは例外として)友達とか仕事仲間の人と遊びに出かけたり、プレゼントをもらって帰ってきたりすることはあったけど、夜ご飯は決まって家族で食べていた。
他の人がどうとかは、クインテットのみんなともあんまし家族の話はしないからわからない。でも、誕生日を一人で過ごすのは寂しいと思う。……わたしの勝手だけど。
靴を脱がずに一人で考え込んでいると、紗月さんは外を歩いて汗ばんだわたしの頬に躊躇なく手を添えた。
「あなたの物差しで私を測るなんて許さないわ。それに、真唯たちにカフェで祝ってもらった時にも、誕生日のことを忘れてたと言ったはずだけど」
「さ、紗月さんが忘れてたとしても……あの紗月さんのお母さんが忘れることは……」
せっかく、紗月さんが誕生日の夜にわたしを呼んでくれたのに、こういう雰囲気を悪くするような話はしたくない。
喉から声が出ないように、ぐっとズボンの裾を握る。
すると──。
「うるさい」
紗月さんはそう言って、わたしの頬に手を添えたまま顔を近づけ、キスをしてきた。
最後に紗月さんとキスをしたのは、真唯との勝負の日。あれからあんまり日は経ってないとはいえ、一厘ほどは生まれたはずのキスに対する免疫が限りなくゼロになってしまっていた。
夕方とはいえ、猛暑の中を歩いてきたわたしにとって、紗月さんとのキスが立ちくらみを引き起こすのは必然だった。
紗月さんは慌てたようにわたしの脇に腕を通し、申し訳なさそうな声で呟いた。
「私がお願いしたの。……きょうは甘織がくるから、時間を作って帰ってこなくていいって」
紗月さんの表情は、真っ赤なリンゴのように染まっていた。
そもそも、わたしが紗月さんの家にお呼ばれした経緯として、──カフェでプレゼントを贈るのがひと段落してから、ラインが届いた。
『きょうの夜、私のバイトが終わった時間に、家にこないかしら? 別に、用事があるならそっちを優先してくれてもかまわないけれど』
あの場でみんなに対して言わず、わたしだけに連絡してきた意味を察せないほど、わたしは鈍感じゃない。
嬉しかったけど、少し怖かった。
ここでわたしだけが紗月さんの家に行ったら、クインテットの関係がまたおかしなことになるんじゃないか。一応元カノの家に遊びにいくのは、人としてどうかとか。
いろんなことが頭をよぎったけれど、紗月さんが初めて見せた……真唯に本当の意味で勝ったときの感情のまま……誕生日を過ごしてほしかったの。
紗月さんに促されたまま部屋に入り、扇風機の前で涼む。文明の利器に頼っていると、紗月さんが台所から氷の入った麦茶を用意してくれた。
きんきんに冷えた麦茶を火照った体に流し込み、一呼吸。
「って、紗月さんが主役の日なのに、わたしがもてなされてどうすんだ……!」
空のコップをちゃぶ台に置くと、からんと氷の音が鳴った。
紗月さんは一瞬フリーズするものの、無をまとっていた表情にいたずら心が芽生えてしまったのか、紗月さんの瞳にひとすじの暗影が宿った。
「そうだったわね。きょうは私が主役。だったら、0時になるまで甘織は私の言いなりってことでいいわよね」
「え? わ、わたし……お泊まりの準備はしてきてないんですけど」
「そう、じゃあスマホ貸してくれる?」
「ぷ、プライバシーの問題が」
「スマホ、貸して、くれる?」
「はぃ……」
紗月さんの圧にわたしはひれ伏し、スマートフォンという警察以外には渡してはいけない個人情報の塊を差し出した。
すると、紗月さんは人差し指でタップを繰り返し、耳にスマホを当てた。
「以前、そちらのお宅でお泊まりさせていただいた、琴紗月です。ええ、お久しぶり。急に連絡して申し訳ないのだけど、れな子さんを一日お借り……いえ、お泊まりすることになったのですが、大丈夫でしょうか?」
……電話? 誰に?
わたしがクエスチョンマークを頭に浮かべていると、聞き慣れた厚かましい声が漏れ聞こえてきた。
『わっかりましたー! ママとパパにはわたしから言っておくんで安心してください‼︎』
「妹かいッ! まあ内容的にわかってましたけども……!」
紗月さんの鋭い眼光が肌を突き刺す。
「人が電話しているときに大きな声を出さないでちょうだい」
「す、すみません」
こ、このぉ……。それわたしのスマホなんだぞ! わたしの妹なんだぞ!
「と、というか、わたしがお泊まりにイエスって答えてないのに決めないでよ! わたしの体はわたしのものなんだよ⁉︎」
「そのうるさい口を塞ぐために実力行使に出ても問題ないのだけれど。それとも、キスされたくて喚いているのかしら」
「ちがっ! なんでもそっちの方向に持っていくな! 変態ッ!」
「変態なのはあなたでしょう?」
紗月さんは手に持っていたわたしのスマホをちゃぶ台に裏向きで置くと、わたしの体に覆い被さるように四つん這いとなった。
あまりの顔面の強さに抵抗できず、わたしはその勢いのまま体を床に寝かせてしまう。
扇風機が回っているとはいえ、紗月さんの頬を汗が伝う。それは重力に逆らうことなく、わたしの額に落ちてきた。
こんな美人でも汗かくんだ。でも、わたしの汗とは成分が違う。ぜったい香水とかにしたら何万本も売れるような……? なんでこんなこと考えてんだ? ああ、現実逃避か。
紗月さんの吐息が素肌をなぞる。その感触に体がびくんと震えた。わたしの体に伸びてくる手の行く末を見届ける覚悟はなく、じっと目を閉じる。
ぱち。
まだ目は開けられていないけれど、何が起こったのかは感覚でわかる。わたしのワイシャツのボタンが外れた。
「ほら……わざわざ下着、変えてるじゃない、変態れな子」