栃木県山間部の、小さな事務所。
観光施設ばかりの中に紛れ込んでいる合同会社スターズ・エンチャントメントは小さな旅館をリノベーションした温かみのある社屋。東京にも事務所を置いていたが、本当にやりたいことをやるには……夢を叶えるお姫様たちを育てるにはここが最適だった。本当に大事な、お城だった。
ここですべてが始まった。朝も晩も必死に働いて元手を作り、アイドルを生み出すための会社を作った。事務所、レッスン室や更衣室、休憩室やお風呂があり、ここでいろんなことをやった。スカウトしたアイドル志望の子に名前と衣装とレッスンを与えてデビューさせて、熱い日々を駆け抜けた。激務で寝る時間がほぼないなんて全然平気だった。
それがあっという間に終りを迎えた。
ああ、くそっ、裏切り者が出るなんで、あんな恩知らずだったなんて、思いもよらなかった。決して失われることのない絆で結ばれた仲間だと思っていたのに。
なんてことのないレッスンだってのにハラスメントだ体罰だと騒ぎ立てて、眠いとか遊びたいとか腑抜けたことを抜かして……有名になる道は厳しいってさんざん教えたのに「やりすぎだ」「話が違う」と逃げ出そうとして。
ネットで集客した勢いで地方局のレギュラーを獲得し、ライブイベントにも出て、出演や露出を増やしたり楽曲を作るために靴をなめるような真似だってしてた。それだけの努力をあいつらは「頼んでない」、「そこまでして続ける気はない」と、うんざりした顔で言った。
挙句の果てにマスコミに垂れ込まれた。アイドル事務所なんて大なり小なり似たようなことをやっているし、こんな小さな事務所にできたことなんて本当に些細なことなのに。本当に無茶苦茶なところを叩いて晒せばいいものを、弱くて純粋なところほど槍玉に上げられる。すべてはこれからだったのに。何かを得るために何かを犠牲にするなんて当たり前なのに。
……そう、犠牲だ。
対価を払えるなら誰でも夢を追える。どんな夢だって叶えられる。だから命だって惜しくはない。
『那須川ゆめ。あなたの思い、この世界から失われるのは大きな損失ですよ』
だから手を差し伸べてくれる人がいたのはきっと運命だった。
融資が打ち切られ、貸し剥がしが始まり、このまますべてを無くして余生が続くくらいなら綺麗なまま死にたいと思って……事務所で首を吊った。
そして確実に死んだはずの私に、声をかけてくれた人がいた。
あの人……彼、あるいは彼女の正体はわからない。私はオカルトになんか詳しくはないし興味もない。興味があるのは闇の中の幻想ではなく光り輝く幻想だから。
だから手を組むことにした。あの人にはあの人の思惑があるが、そんなものはどうでもいい。対価を払えばサービスを与えてくれる。犠牲を増やせば、より輝かしいものが生まれる。シンプルな世の中のルールを理解しているだけで十分だった。
「レッスン室は今やサーバールームか……ま、仕方ないわね。この中にたくさんの人の思いが詰まってるんだもの」
地縛霊となった私は、生前と同じようにパソコンを操作していた。
なんでも、霊としての力が高まれば、物体を触ったり誰かに話しかけたり、生きている人間のように振る舞うことができるらしい。あの人から与えられた力を使えば、キーボードを叩いたり、法務局や税務署に郵便物を送る程度なら何も難しいことはない。
その力を使ってやっているのは、動画配信SNSの運営、そして配信者事務所だ。
夢が叶うという謳い文句で若者たちを集め、審査に掛けて、才能ある若者を発掘する。アイドル事務所や配信者事務所の業務に、「対価」あるいは「犠牲」を組み込むことにした。魔力と呼ばれる精神エネルギーだ。審査に落ちた若者から魔力を徴収する。そして審査をくぐり抜けた勝者と、私、そしてあの人で分配する。
魔力という言葉の響きが嫌で、システム上では「魅力」と呼称することにした。ただそれだけで自分のやる気も上がったし、若者たちも魅力を求めてアプリをインストールした。
最初は、若者たちから魅力を奪ってしまうことに抵抗があった。だがすぐにそんな思いは消え去った。審査に臨む連中はどいつもこいつも甘ったれたガキどもばかりだったから。
本当に犠牲を払う覚悟があるならば、こんな未熟で稚拙な姿をカメラの前に晒せるはずがない。怒りを覚えた。私を裏切ったアイドルたちの方が、ずっとずっと、可愛くて、美しくて、躍動的で、はかなく、綺麗だった。
……彼女たちを超える配信者を見つけなければならない。彼女たちの選択は間違っていた、私の示す道を外れさえしなければ、普通に生きていては絶対に見られない場所にたどり着けたはずなのだと、証明しなければいけない。
自然と、審査の目も厳しくなった。ただ審査をくぐり抜けて魅力を与えられただけでは成功しない。歯がゆい。レッスンを受けさせたい。闇雲にファンと交流なんてしなくていい、もっとやるべきことがあるはずだ。媚びるなら力を持つ者に媚びろ。誰にも手の届かない星になれ。そう願っても幽霊となった体ではどうすることもできない。
ああ、もっと力があれば。魅力を奪い取らなければ。生きている者より強く、美しく。だが魅力を奪えば奪うほど、自分の力が増していく。そして気付いてしまった。私自身も魅了を奪う内に若返り、美しくなっていると。
他人に期待なんてする必要はない。この力さえあれば、私は、私の思うがままの、唯一無二の本物になれる。
「……悪くないわね。素質はある」
そのとき、新たに審査に挑戦する一人の少女が現れた。
ジャンルは古典邦楽。高校の制服でお決まりの曲をお琴を弾くだけだ。珍しくもなんともない……が、彼女の所作はとても丁寧だった。どこか普通の人間とは違う幽玄の美を感じる。
(磨けば光るかもしれない)
魅力を奪ってやろうと思っていたのに、「育てたい」という欲望が疼く。ああ、失敗してほしい。そうすれば私は何の迷いもなく食らうことができるのに。
そんな私の願いに応えるかのように、少女の手がもつれた。音楽が途切れる。慌てながらも復帰したが、動揺が伝わるような爪さばき。プレッシャーに負けた。そうとしか言えない。
これが通常のオーディションならば情を与えたかもしれない。アイドル養成学校の機能があれば拾い上げていた。だが今はもう、そんな領域から大きく外れてしまった。隙を見せたのが悪いのだ。この世界はどうせ食うか食われるかなのだから、私が食べても問題ないはずだ。
「この魅力は……不思議ね……。素質があったということかしら……?」
普段よりも潤沢な魅力がサーバーに満ちていくのがわかる。
ああ、早く食べたい。
あの子の魅力を食べれば、今までにない領域へと進むことができる。そんな気がする。
「お腹、空いたな……」
私は、事務所を出てサーバールームに向かった。
サーバールームには、いわゆるインターネットサーバが置かれているわけではない。電子計算機上で動く部分は外注先で行われている。
ここにあるのはシステムの本当の根幹部分……魅力を徴収し貯めておく、魅力のサーバーだ。
精神エネルギーを擬似的な液体に変換して貯蔵することができる、巨大なティーポットのような不思議な容器には、多くの若者たちの精神エネルギーがなみなみと溜め込まれている。まるで造り酒屋の仕込蔵やビール工場のような雰囲気さえ感じる。
審査が終わって送られてきたばかりならば、まだ他人の精神エネルギーと溶け合ってはいないはずだ。水に浮く油のように分離している上澄みをすくって飲むくらい、横領とさえ言えない正当な報酬だろう。そのはずだ。
「少しだけ……今入ってきたばかりの魅力を……」
舌なめずりをして、ポットの蓋を開けた。
だがそこにあったのは、少々予想とは異なっていた。
「……紙? どういうこと?」
蓋を開けると、水面には何枚もの紙が浮いている。
あの人の持ち込んだ装置が故障したのだろうか……と思ったが、紙を見ると一枚一枚に魅力が込められているのがわかる。どういうことなのかはわからないが、むしろ好都合だ。他人の精神エネルギーに溶け合う前に回収することができる。
「いただきま……あっ……ぐう……!?」
「……私を、食べようとしましたね?」
紙を集めようと手を伸ばした瞬間、紙が集まって腕となった。
その腕が私の首を絞める。
「ぐっ……だっ、誰よ……!」
「あなたはもっと、厳格にシステムを維持する機械のような恐ろしい怪異と思っていましたが……助かりましたよ。人としても怪異としても下の下」
「誰って聞いてんのよ……!」
両手で相手の腕を掴み、無理やり引き剥がす。
難を逃れた……と一息ついたかと思いきや、腹を蹴られて巨大ポットから床に叩き落される。
「なんなのよ……人の家に忍び込んで乱暴して……許されると思ってるわけ……!?」
苛立ってしょうがない。
どうしてこんな酷いことをするのか。
「それは自分の胸に聞いてみるといいでしょう。ここに溜め込まれた魔力の量……一体どれだけの人間を犠牲にしたのですか」
腕だけだったものに更に紙が集まり、胸、頭、胴体、足と、人間の部位ができあがっていく。
裸体の少女の体が出来上がり、その上に紙切れが集まって巫女の装束となった。