「くっ……!」
福内が護符を放つ。
雷撃や爆発が海中で巻き起こり、それは確かにアビス・スクイドに命中した。
だがアビス・スクイドはまったく怯むことはなかった。
「これが俺からの試練だ。嘆きの大海、中層の守護者アビス・スクイドに勝て。勝利を手にしたそのとき、お前は新たなる領域への一歩を踏み出す」
「踏み出す前に生きていればいいのですがね」
と、福内が皮肉を言うが、二人がここで死ぬことはない。ここは俺のイメージの中だ。福内と桜が「死んだ」と俺が認識しない限り、臨死体験で済む。だがそれを話せば難易度が下がってしまい試練の成果が目減りしてしまうので黙っている。
「粘膜に包まれた皮膚の下には堅い骨みたいなものがある。再生力も高いし、生半可な攻撃は通用しない。気を付けろよ」
「でしょうね……!」
福内が護符をばらまくが、アビス・スクイドの触手を防ぐのに手一杯だ。
シンプルに大きく、堅く、力強い。
相手の得意なフィールドで押し勝つには、今の福内の力だけでは足りていない。
「クォオオオ!」
アビス・スクイドは福内を仕留められないことに痺れを切らしたのか、早々に切り札を切った。
「ぐっ……これは……引き寄せられていく……?」
アビス・スクイドの触手の根元には口がある。凶悪な嘴はダイヤモンドよりも硬く、鋼鉄や岩石など容易にかみ砕く。
その口の先端に、黒い球体が生み出された。球体はとてつもない吸引力で、海水、岩、デスシャークの肉片など、あらゆるものを吸い込んでいく。泡に包まれた福内と桜も例外ではなかった。徐々に徐々に、アビス・スクイドの口内へと引っ張られていく。
「重力魔法だ。あの黒い球はなんでも吸い寄せるし、吸い寄せられたものは噛み砕かれて死ぬ。踏ん張れ」
「のんきに言ってくれますね……!」
「こいつをクリアできたら試練は突破だ。Aランク冒険者になれるぞ」
空、もしくは海中のモンスターの撃破は、一流冒険者と呼ばれるAランクになるためには必須だ。貴族にタメ口を叩いても怒られない。だからなんだという話だが。
「ランクは知りませんが、こんな怪物を退治できるならば仕事には困りませんね……!」
『あったまきた! リンちゃん! やっちゃうよ!』
目を回していた桜が立ち直った。
いや、それだけではない。泡に自分の魔力を浸透させて意のままに動かせるようになった。危機的状況で、自分の能力や魔力の使い方を急速に学んでいる。
「そのつもりですが……桜さんはどうするおつもりで?」
『あのグネグネしてる触手が来たらぶった切るから、リンちゃんはその隙になんかいい感じにガッとやって』
「抽象的ですが、了解しました」
『あとれいちゃん』
「なんだ?」
『ここってれいちゃんの記憶とかイメージの世界なんだよね? 実際にサメとかイカがいるわけじゃないよね?』
「そうだ」
俺が頷くと、桜は物凄いジト目でこちらを睨んだ。
『すけべ』
……なんで?
「いや、意味がわからないんだが」
『いや絶対すけべだもん! あのヌラヌラした触手もれいちゃんのイメージなんでしょ!?』
「イメージなのは否定しないが、間違いなくそういう生き物だったからな。それに向こうはそういう対象として襲ってくるわけじゃなくて、シンプルにエサだと思ってるわけで……」
『言い訳無用! 後でお仕置きだからね!』
妙に理不尽な怒られ方をした。
いや、理不尽な目に合わせてるのは俺の方なので反論はできないのだが。
「お仕置きは受けるし、願いがあるなら叶えてやる! だから桜! 今のお前の全力を出してみろ!」
『言ったね!? 何でもするって言ったよね!?』
「言ったぞ! 何でもしてやる!」
『よーし、やる気出てきた……!』
桜がナイフに力を込める。
黒い刃の威圧感が増していく……というか、物理的に大きくなっている。
まさに日本刀そのものだ。
「これは……ナイフにリメイクされる前の姿……?」
一瞬、桜の後ろに誰かがいるのが見えた。
和服の楚々とした女性のように見えたが、すぐに消えてしまった。
「あれは……濡刃黒髪か……?」
霊だとしても桜とは違って、意識はずいぶんと希薄なように見える。
数百年前の刀に宿った霊だとすると、長い月日が経ったために人間としての自己認識は喪失しつつあるのかもしれない。だが少なくとも、桜に悪感情を持っていないことだけはわかる。
『てやーっ!』
桜が刀を振るった。
その斬撃は泡の表面をすり抜けて、アビス・スクイドの作り出した小さなブラックホールに直撃した。
「クォオオオオオオオオオオ!?」
魔法が破壊されて、その余波がアビス・スクイドを襲う。
アビス・スクイドのダメージは決して軽くはないが、それでも怒りの形相で無事な触手を桜に伸ばした。
だがすでに、アビス・スクイドの弱点は露出している。
「……爆炎符!」
どんな生き物であっても、鎧や硬い皮膚、骨格や甲に覆われた外部よりも、内側の方が脆いものだ。
俺は例外だが、少なくともアビス・スクイドは自分の口の中に魔法が放り込まれるなどと想定はしえちない。
「クィィイッァアアア!?」
その大きな口の中めがけて炎の力が封じ込められた護符が放り投げられ、大爆発を起こした。
その瞬間、俺の瞑想が解ける。
海の中にいた二人は、気付けばマンションのベッドにいた。
俺は座禅を組んで目を瞑っているだけだ。
暗い部屋にかちこちという時計の音だけが響く。
『戻ってこられたぁー! あーもう、死ぬかと思った! 死んでるけど!』
「流石に……疲れました……。1日の間にどれだけ働かせる気ですか……」
桜は、部屋の電気を付けて冷蔵庫のコーラをぐびぐびと飲み始めた。
一方で福内の方は、動く気力がまったくないらしい。
ベッドに横たわったまま、指一本さえ動かせないでいる。
考えてみれば、ダンスマカブル事件を解決し、その深夜にイメージ内の世界とは言え凶悪な魔物と戦ったわけで、相当な疲労度だろう。急がなければいけない理由もあることにはあったのだが、ちょっとやりすぎたかもしれない。
『リンちゃん大丈夫? 何か飲みなー』
「……少し休んだら……そうさせてもらいます」
「魔力が馴染めば動けるようになる。イメージの世界での成長は現実世界の成長と連動する」
「それはどういう……おや……?」
まったく動けなかった福内の表情が、心なしか健やかになる。
「嘆きの大海、クラーケンの寵児アビス・スクイドは多くの船を沈めた海の狩人。こいつを倒すことは人間が大海原を取り戻すための絶対条件だった。これを打破することは、聖王国においては魔王討伐に匹敵する名誉だった。多くの人の祈りの念、鎮められた船乗りの無念が俺に集まり、レベルアップを果たした。その一端をお前たちに託そう」
先程から、俺の魔力のごく一部が福内と桜の体に浸透していく。
魔力を分け与えるというよりは、呼び水となって彼女たちの潜在能力を刺激した、くらいのものだ。
「……これは、確かに強くなった実感が湧いてきます」
『ちょっと調子良くなった感じはするかな。あ、あと実体化がラクになったような』
福内は手の指を握り、開き、自分の力を確かめている。
桜はあまりピンと来てなさそうだが、効果はありそうだ。
「これで絶海入道と戦えるか?」
「……はい、行けます」
福内はやる気に満ちている。
試練に挑む前は戸惑いが見られたが、今、確かに自分の力が上がっていることを実感しているのだろう。
「じゃあ早速……」
『流石にもう無理! 明日も無理! せめて三日後くらいにして!』
桜に叱られ、そういうことになった。