怪異をぶちのめす   作:富士伸太

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偽神 絶海入道 2

 

『さあ来い……来い……隔てられた世界へ……むぅ!?』

 

 絶海入道の指が絡みついた足は、思いの外重い。

 もう片方の足で踏ん張っているか、それとも何か鎖か紐のようなもので耐えているのか。

 

『少年よ、臆したか? 夢が叶うのだぞ?』

 

「もう一度聞く。俺が望む異世界に連れて行く。その言葉に嘘はないんだな?」

 

『そうとも! 我が世界はおぬしを欲しているのじゃ!』

 

「俺の能力で、好き勝手にやらせてもらうぜ? その結果、何が起きたっていいんだな?」

 

『好きにするがよい! できるものならのう……!』

 

「言ったな?」

 

 すると、絶海入道が掴む足は途端に軽くなった。

 このまま水面……絶海入道の結界の入口へと引きずり込み、その後は少しずつ食らっていけばいい。

 そう思って絶海入道が少年の顔を見た瞬間、何か過ちをしたのではないかという思いに囚われた。

 

『なぜ……笑っている……?』

 

 獲物は、引き返せなくなった時点でようやく嘘に気付く。

 異世界などどこにもなく、自分はただ罠にかかった哀れな獲物なのだと。

 それは獲物の生存本能でもあり、また絶海入道の露悪趣味でもある。

 

 絶海入道は獲物が水面に衝突する直前、今まで喰らってきた獲物のしゃれこうべを映す。すると獲物は手足をばたつかせ、ここから逃れようとする。その瞬間が絶海入道は好きであった。

 

 人は、不幸や転落に気付いて逃れようとしたところで決して運命には抗えない。絶海入道が絶海入道であるかのように、これらはすべて定められたことなのだ。もがくばかりなのが人間だ。

 

 だというのに、少年は拳を握りしめて笑った。

 

『貴様……なぜ、嘲笑った……?』

 

 その表情は、初めて殺した僧に見えた。

 

 そうだ……あのとき、嘲笑されたのだ。

 

 後ろから殴られて飯を奪われた僧は、儂を見て驚きもしなかった。

 それどころか「何のために旅をしている」と問いかけてきた。

 まるで殴られたことなどなかったかのように。

 

 毒気を抜かれた儂は思わず答えてしまった。江戸へ行きたいと。だがあの僧は、本物の絶海は、儂を嘲笑した。江戸に行ったところで意味などない、帰れと。

 

『人を襲って奪うことを覚えたおぬしは何者にもなれぬ。すでに人の道に外れておるのだぞ。故郷に帰り、まず人になることから始めよ』

 

 それは嫌だと答えた。

 なぜ、どうして、そんなことをせねばならぬ。

 奪われた者が何かを奪って何が悪い。

 村の長者も、侍も、奪うばかりであろうが。

 

『悪いに決まっておるだろう。村の長者は侍に奪われておる。侍は、もっと上の侍に奪われておる。奪われてるからと言って奪う者の真似をするのは、そやつらを許すということだ。お前から奪った者どもに『お前たちを恨むのは筋違いであった』と真心から懺悔できぬのであれば、そんな言葉は二度と口にするな』

 

 血を流し、死に瀕しながら僧は言った。

 

 奪われたことを許せぬのであれば、忘れられぬのであれば、人から奪うな。

 

 それは握り飯を返せということだ。

 どうしてもそれができなかった。

 泣きながら飯を食らい、そして僧は嘲笑した。

 そこから儂は人であることを捨てた。

 

『なぜ嘲笑う! 何が……何が悪いのだ!』

 

「悪いに決まってんだろうがよ。俺を騙し、突き落としたな? そんなつまらねえ手口で大物ぶってんのがおかしくないわけねぇだろうが」

 

 少年が水面に叩き落され、そして我の世界へと入った。

 

 そこは奈落のような海。

 

 儂の絶望のように深く、深く、だがどこにも繋がっていない。ここには数百の魂を閉じ込めているが、決して誰かと話すことも触れ合うこともできぬ。正気を失い死を願う以外に何もできぬ。それが命だ。それが人生だ。それ以上の何かになれぬ。儂が許さぬ。

 

『……ふん。その減らず口が次も聞けるか楽しみじゃ』

 

 少年の体が絶海に沈み込んでいく。

 それでも諦めることのない瞳が苛立たしい。

 一ヶ月か、いや、半年は漬けておこう。

 それとも三日ほどで引き上げて絶望に染まる様子を楽しもうか。

 

「お前とは『縁』ができたぜ」

 

 その言葉が最後となり、完全に少年の体は絶海の中へと落ちていく。

 溜飲が下がるはずが、何故か苛立ちが消えなかった。

 

 腹立たしい。

 いや、それだけではない。

 何かがおかしい。

 まるですべてが誰かの予定通りであったような。

 

「獄氷符」

 

 そのときダム湖が、絶海入道の肉体を巻き込むように凍った。

 

 

 

 

 

 

 深夜のダム湖のほとり。

 

 展望台から谷川さんが転落し、絶海入道の結界の中に入ったのを確認したところで私たちは行動を開始しました。

 

『誰かと思えば……一年ほど前に見た顔であったなぁ……息災にしておたか?』

 

 氷漬けにされた絶海入道がにたりと笑う。

 だが、この程度で動じることはないのは予測済みです。

 

「雷撃符」

 

『むっ……?』

 

 氷の護符を放って身動きを封じた後は、もっとも得意とする雷撃を放つ。

 稲光が周囲を照らし、昼間のような明るさが広がっていく。

 

『ぐっ……貴様……! 神になんたる不敬を!』

 

「神を名乗る意味はありませんよ、絶海入道」

 

『……なんじゃ、つまらんのう。素直に話を受け入れればよいものを』

 

 身動きを封じられてダメージを与えられたはずが、絶海入道は痛痒も感じていないとばかりに淡々とした声を放つ。

 

 絶海入道のすべては偽り。

 言葉は嘘。

 能力もまた嘘。

 そしてその素性さえも恐らくは嘘。

 その正体は、何者でもない。

 あるいはその嘘こそが正体。

 

「あなたを誰もが恐れ、そして入念に準備をして戦いに挑んだ。それゆえにもっとも効果的な対策をとれなかった」

『対策? そんなものなどないよ。儂に勝てるなどと思うのは……』

「桜さん!」

『はいさ! 行くよ!』

 

 蕎麦に控えていた桜さんが、愛刀『濡刃黒髪』を懐から取り出した。

 

 彼女はいつの間にかあの短刀を使いこなしている。まるで歴戦の剣客のごとき堂に入った構えで振るっているのですが、恐らくはあの短刀が力を貸しているのでしょう。

 

『どうだぁー!』

 

『この絶海入道を舐めるな……!』

 

 斬撃を食らい、絶海入道は苦悶の声を上げる。

 だが致命傷には遠い。

 奴は怒りの声と共に氷を砕いて動き始める。

 そしてぎりぎりと拳を握って、乱暴に殴りつけてくる。

 体はひどく柔軟なのでしょう。まるで軟体動物やゴムであるかのように拳を伸ばし、私たちのところに拳打を浴びせかけてくる。

 

『うっわ! デカくて厄介だよリンちゃん!』

 

 桜さんが斬撃を飛ばして牽制しますが、絶海入道は自分のダメージも躊躇うことなく私を狙ってきました。

 

『ふん、伊達や酔狂で神を名乗っていると思ったか?』

 

 この圧力……ダンスマカブルを遥かに超えています。

 どれだけの異能者や退魔師を食べたのでしょうか。

 

「自分の矮小さに耐えられないから神を名乗っていたのでしょう。だから必死に、偽りで塗り固めていた」

 

『貴様……!』

 

「あなたの本当の得意技も、神秘には程遠い。先ほどのようなただの力押し。結界に封じ込めるのも、以前に食べた別の怪異の真似事に過ぎないのでしょう?」

 

『その減らず口、勝ってから言うことだな……!』

 

 谷川さんや桜さんとはまるで異なる、駄々っ子のような暴力が襲い掛かる。拳が飛び跳ね、蹴りが乱舞し、ダム湖の周囲が爆発したかのように土がえぐれてはじけ飛んでいく。

 

「……那須川さん」

 

『やーっと呼んでくれたね♪ 盛り上がっていこーよ!』

 

 祓い棒を取り出して那須川ゆめを顕現させると、彼女の魔力が肉体に伝わり、服が変化していく……悔しいことに、自分の力が膨れ上がっていくのがわかります。

 

『わかってるね? 観客はいるよ。見えていないだろうけど、きっと感じることができる……いや、あなたの力であなたを感じさせて、魅せればいい』

 

「すみません、そういうフレーバー的な台詞は不要なので仕事をしてください」

 

『ちぇー』

 

『どこぞの悪霊を下僕にしたのか? その程度で儂に勝てると思うならばお笑い草だ』

 

 わたくしたちの姿を見た絶海入道がせせら笑う。

 だが、那須川さんが艶然と微笑む。

 

『あらそう? 魔力量はけっこうあるみたいだけどぉー、わたしたち三人に勝てるほどじゃないでしょぉー?』

 

『……そうだとして、いいのか?』

 

「何がおかしいのですか」

 

『儂を倒すということは、儂の結界に囚われた者が死ぬということじゃぞ?』

 

 にたりと笑う。

 絶海入道は、人質を押し出してきた。

 この怪異は捕えた魂をすぐさま食うことはない。

 それは趣味であると同時に、こうした場面における人質だ。

 ここまでは想像通りだった。

 

『結界に囚われた者が死ぬ、ですってぇー。聞きました奥様?』

 

 那須川さんが妙にわざとらしい言葉を放つ。

 その芝居に付き合う気はないが、気持ちだけはわかります。わかってしまいます。

 

「あなたごときに彼を殺せるはずがないでしょう」

 

 私がそう言った瞬間、ダム湖の湖面が黄金色に輝き始めた。

 彼の魔力が、絶海の中で満ちて飽和し始めた。

 

 

 

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