怪異をぶちのめす   作:富士伸太

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食人シェフ 熊見峠亜文
猿鬼


 

 

 

 小学校の裏山には祠がある。

 

 誰も、何のためにあるのか知らない。学園七不思議として扱われているものの、フェンスに阻まれて誰も行くことはできないし、フェンスを越えて裏山を歩いたとしても南京錠で固定された小屋の中に安置されているため、祠を見ることは不可能だ。

 

 だが子供は蛮勇なものだ。そして子供らしい蛮勇を保ったまま大人になる者も……もとい、大人になりきれない者もいる。

 

「ショーマ、マジでやんの?」

「当り前だろ。こんなところ、前の自殺スポットなんかより全然楽勝じゃん」

「でも、ここだけはマジだからやめろって脅されてたじゃんか」

「やめろなんて言うの当たり前だろ。地主がうるさいからだよ。そんな子供だましにいつまでも騙されてんじゃねえよ」

 

 中学二年生、ショーマこと田中翔真もそんな少年であった。

 

 小学校の頃に肝試しをしたものの、フェンスを越えられなくて失敗したという些細な挫折感を贖うため、そして配信で人気を得るために、廃墟に忍び込んでは撮影を繰り返した。

 

 視聴者の多くは同級生の友達ばかりで十人程度だった。だが配信を続けるうちに徐々に学外のフォロワーの増え、「危ないことはやめろ」と苦言を呈する者もいれば「もっとやれ」と煽る者も現れ始めた。

 

 ショーマはそんな荒れたコメント欄を見てほくそ笑んだ。自分も配信者の仲間入りを果たしたのだと。ただ仲間内に持て囃されているだけじゃない。自分は世界に繋がったのだと。

 

 だから今こそ、挫折を与えたものを克服すべきだ。翔真はそう思って、小学生のときは超えられなかったフェンスを乗り越えた。

 

 その先は真っ暗闇だ。その暗闇に踏み出すことこそ、自分が成長した証なのだと思い、ショーマはLEDライトで足元を照らす。

 

「時間は21時ちょうど。そろそろ配信始めるぜ」

「やっぱ止めようよ翔真」

「ヨシキ、お前さぁ……ここまで来て何言ってんの? いやなら帰るか? 俺はやるけど」

「ここまで来てそんなこと言うなよ……」

「だったら早く来いって」

 

 泣きそうなヨシキに苛立ちを覚えながらも、ショーマは歩き続けて到達した。

 

「祠だ……あったぞ……!」

「ええ……? 本当だ……あったんだ……」

 

 ショーマがライトで照らした先には、まるで寺のミニチュアのような木の祠があった。しめ縄が飾られ、そして墓用の真っ白い湯呑が置かれている。だがそれらはひどく古ぼけていて、まめに手入れされているようにはとても見えない。

 

 震えあがるヨシキをしり目に、いいロケーションだとショーマは舌なめずりをした。

 

「よし、調べるぞ」

「も、もう俺帰るぞ! 知らないからな!」

「なんでだよ、ここまで来ておいて」

 

 ヨシキは何も言わずに逃げていく。

 ショーマは呆れながらその背中を見送った。

 

 二人とも、過ちを犯した。

 

 ショーマの竹馬の友ヨシキはこの異常事態を当然ショーマも気付いていると思っていた。ほんの僅かながらも霊感のあるヨシキは、この邪悪な気配を自明のものとして受け取っており、ショーマはそれを承知で足を踏み入れているものと、今までずっと誤解していた。

 

 そして霊感を持たざるショーマは、何にも気付くことはなかった。目標に到達した喜びの中で大事なことを忘れていた。

 

 祠の上から木造の小屋が覆いかぶさるように立っていたはずなのに、なぜかそれが撤去されているということに。

 

「それにしても古くせえ祠だな……きったね、なんだこりゃ」

 

 それが意味するのは祠そのものを封じ込める大事な何かが取り払われ、邪悪な気配が少しずつ漏れ出ているということだ。封印の護符が貼られた小屋は老朽化を理由に撤去され、御神酒は涸れ果て、そしてしめ縄は今にも千切れそうだ。あとほんの少しでも力が加われば、完全に封印は解き放たれる。邪悪なる者はその最後の一押しを、今か今かと待ちわびている。

 

 そして今、愚かな少年……ショーマは、しめ縄に手を伸ばした。

 

「うわっ!?」

 

 ショーマが手を触れた瞬間、しめ縄が燃えた。

 火傷するかと思って反射的に手を引っ込めたが、なんともない。

 熱さはまったく感じていなかった。むしろ寒いくらいだ。

 

 だが、確実に言えるのは、しめ縄は跡形もなく消え去っている。ほんのわずかに残った黒焦げも、風に流されて消えた。

 

 その風は、祠の奥から吹いてきている。

 

「なんで何もないところから……?」

 

 まるで祠の奥に、洞窟や何かがあるかのように存在感を主張している。

 だが小さな祠の裏側にはただ森が広がっているだけだ。

 おかしい。

 こんなことはありえない。

 だというのに、「何かがある」という存在感をひしひしと感じる。

 

 そして、ショーマは好奇心に負けて手を伸ばし……その一押しで、祠が完全に崩壊した。しめ縄と同じように熱を持たない炎が巻き起こって、跡形もなく消える。

 

「えっ……いやいやいや、嘘だろ? 幻覚か?」

 

 質の悪い冗談のようだ。

 こんなの映像に流しても誰に信じてもらえるはずもない。

 そうだ、今回は失敗したのだ。

 何かよくわからない偶然が起きた。

 だから引き返そう。

 一刻も早く来た道を戻って、ヨシキに合流しよう。

 あいつを責めたい気持ちもあるが、今はただ、誰かと合流したい。

 ここに一人ではいたくない。

 そんなショーマの恐怖を嘲笑う声が響いた。

 

『……お前、祠を壊したのか?』

「だっ、誰だ!?」

『お前、壊したんだな?』

「……誰だって聞いてるんだよ! くそっ、ヨシユキだな? お前、俺をビビらせる動画撮ってるんだろ? ったく騙されたぜまったく、はは……」

『お前、壊したんだな!』

「だっ、だからなんだよ! あーそうだよ俺だよ! いい加減ネタ晴らししろって……ぐっ」

 

 答えた瞬間、何者かによって凄まじい力で首を掴まれ、そのまま後ろの木に叩きつけられた。

 

「いって、ふざけんな…・・ぐっ、くせえ……!? なんなんだよ畜生……!」

 

 黒いもやのようなものがかかってよく見えない。

 見えないのに、確かに何かがいる。

 魚と犬と鶏の混ざったような強烈な臭気と生暖かい温度と湿度。

 首を絞めつける、ざらついて汚れた指先の感覚。

 猿か熊かと思ったが、そんな獣が人語を話すはずもない。

 

『じゃあ、いただきます』

「ハァ!? 何を言って……ひいいっ!?」

 

 生臭い吐息が顔にかかり、その不快感にショーマが顔をそむける。

 その瞬間、耳たぶをかじられた。

 

「いてえ、いたい、なんで、どうじで」

 

 くちゅくちゅと堪能するように咀嚼する音が聞こえる。

 遊びや嫌がらせではない。

 あるのは、食の喜びだ。

 そこにいるのが何なのかわからない、ただ化け物としか言えない。

 そんな存在に、自分は食べられようとしている。

 それに気付いたショーマの目からは涙が零れ落ち、ただひたすらに許しを願った。

 

「ごめん、ごめんんさい……悪かったです……」

『お前は、美味しい』

「離して……離してくださいぃぃ……」

 

 そんなときだった。

 

「……何か勘違いしてないか? お前が謝るべきはこいつじゃないだろ」

 

 自分より確実に年上の男の声。

 学校の先生かと思わせるような声だが、咎めるというよりは純粋な疑問を口に出しているかのようだ。

 ここでそんなことを聞いてどうするんだという怒りがショーマにこみ上げるが、だがそんなことよりも大事なのは、誰かが来てくれたということだ。

 

「えっ、あっ、すみません……! だから助けて……!」

「いや、俺でもねえよ謝るのは」

「じゃあ誰なんですか! 誰にでも頭を下げるから! 謝るから!」

「いいか、お前が謝るべきはこの祠の管理を受け取った不動産管理会社の銀座燕次郎であって、こいつでもなければ俺でもない。そもそもだ」

 

 男が、言葉を切って睨んだ。

 睨まれたと思ってショーマは怯えるが、違った。

 男が睨んでいるのは、よく見えない謎の怪物の方だ。

 

「お前は、封印を解いてくれたこのガキに、感謝すべきなんじゃあないか?」

『感謝……なんで……?』

 

 怪物が、不思議そうに言った。

 

「助けてくれた人間に感謝の念はないのか?」

『助けてくれた……? 違う』

「違う?」

『祠を壊したのは、こいつが、ただのバカだから。腹をすかせた俺の前にいるんだから、俺に食べられるのも仕方ない』

 

 嘲笑が響き渡る。

 暗い森の木々に反響し、それを聞くだけで正気を失いそうになる。

 

 だというのにこの男は、何度も問いただした。

 

「最後にもう一度だけ聞く。感謝は、ないんだな?」

『ごはんに、頭下げるバカ、いない』

 

 暗闇が、集まっていく。

 

 どんな光さえも届かない闇が集まり、それは獣よりも汚く、野太く、そして凶悪な腕となった。

 

 その腕が、男の顎を殴りつけた。

 

「寝起きにしちゃ悪くない。悪くないが……軽いな」

 

 トラックが電柱にぶつかったのかと思うような異音と振動が響く。

 

『それ、瘦せ我慢』

「そうだな、痩せ我慢だ」

『ばーか』

 

 そしてもう一度、怪異の腕が男の顔を襲った。

 ばきり、という音が響く。

 ショーマはその瞬間目を閉じ、そして目を閉じた暗闇にも耐えられずに目を開ける。

 

「うわっ……うわあわわわわわ……死っ、死んで……死んだ……?」

 

 男と、目があった。

 ショーマを守っていた男の背中。

 背中が見えるということは男の顔は見えないはずだ。

 だというのに、首が180度回転してショーマと男の目が合った。

 

「すみませんすみませんすみません、助けてください助けてください助けてください!」

 

 土下座しろと言われたらするし、脱げと言われたら脱ぐし、足を舐めろと言われたら舐める。もはやショーマには一片のプライドもない。

 

 そんな姿を、首が180度回転した男が厳しい目で睨みつけた。

 

「……おい」

「へ?」

「俺は謝れとは言った。だが、命乞いをしろとは言ってない」

「……あ、え、なんで……喋れるの……?」

 

 そんなとぼけた言葉を無視するかのように、男は後ろ向きになった自分の頭を両手で掴む。

 

「おりゃ」

 

 ごきごきごきごきごきと凄まじい音を立てながら、首が元通りに戻る。

 

 そんなバカな。

 

 ショーマは医学的知識などないが、それでも、首が折れたらまず人は死ぬ、死なないとしても寝たきりになるくらいのことは知っている。ショーマの常識が、首を無理矢理戻す怪音と共に崩れていく。

 

『お前、面白いな……』

「さて、次は俺の番だぜ」

 

 何事もなかったかのように男が構えた。

 ゆっくりと右手を伸ばし、指を伸ばし、小指から丁寧に折りたたんで拳を作る。

 両足でしっかりと大地を踏みしめて、怪物と相対した。

 

 このときショーマは、親に連れて行った両国国技館での相撲を思い出していた。

 

 ショーマは体格がいいだけのデブがぶつかり合うことの何が面白いのだとバカにしていたが、巨漢たちが土俵で四股を踏む姿はどこか神聖なものに感じて、学校から帰ったあとのNHKの相撲中継を楽しむようになっていた。好きな土俵入りは雲竜型だ。

 

 その雲竜型よりも、恐ろしく神聖なものが目の前にある。

 

「ちぇりゃあ!」

『がぁっ……!?』

 

 怪物が、殴られた。

 殴られた衝撃で杉の木に叩きつけられ、その太い幹をなぎ倒して更に後ろの杉の木へと叩けられ、そんな破壊的な所業が五回繰り返された。ワンテンポ遅れて杉の木が倒れて凄まじい地響きと土煙を上げていく。ショーマは思わずせき込んで、げほげほと激しい咳をした。

 

『ごっ……ぐがっ……はぁっ……はぁっ……』

 

 怪物は力なく倒れ込み、不規則に痙攣している。

 許容量を超える痛みにのたうち回ることさえできない。

 恐怖の権化のような怪物の有様に、ショーマはどう考えてよいかさえわからなかった。

 

「猿芝居はやめな。猿の怪異の癖に、芝居が下手だぜ」

『……うるさいっ! なんだ、なんなんだ……!』

 

 怪物が立ち上がって男に殴りかかる。

 死んだふりをして少しでも体力を回復しようとしていたのだろう。

 そして男はそれを見透かし、怪物に殴られながらも殴り返す。

 

「がむしゃらに攻撃するしかないだろう。俺もそうだ」

 

 ショーマの目は、気付けば怪物の姿をはっきりと捉えられていた。

 男の魔力に当てられて一時的に霊感が上がっただけなのだが、そんなことはショーマは知る由もない。ただひたすら、男と怪物の殴り合いを食い入るように見ていた。

 

 不思議なことに、男は攻撃を避けるそぶりを見せなかった。

 どうして、と思った。

 あえて喰らっているのかとも思ったし、事実そのようなところもあった。

 

 だが気付いた。

 ショーマは、常に男の背中を見ている。

 つまり自分が守られていると。

 

 このまま殴り勝ってくれと祈ることしかできなかった。

 そんな自分の矮小さに嫌気が差し始めたとき、ショーマは気付いた。

 

「爪だ!」

 

 怪物が殴り合いの最中、密やかに爪を伸ばしていた。

 手ではない。足だ。

 だがその足は人間のものとは違って、手のように指が長い。

 その長い指から、分厚く、硬く、熊よりも太く長い凶悪な爪が男を狙っている。

 

 そして殴り合いの中、怪物はナイフを突き立てるかのように腹を狙った。

 

『ばかめ……油断したな……!』

「武器に頼ったな」

『このまま腹を裂いてはらわたを食って……あれ……? 抜けない……くそ、離せ……!』

「清めの塩を肌にすり込んである。そんなナマクラじゃ破れないぜ」

『はな、離せ! やめろ……!』

 

 男が腹に力を籠めると怪物が苦悶の声を上げ始めた。

 腹筋に締め付けられた爪がみしみしと悲鳴を上げ始め、やがてばつんという生々しい音と同時に、怪異の苦悶の声が悲鳴へと変わった。

 見れば涙を流している。

 ショーマは無意識に自分の足をさすった。

 爪を無理矢理引きはがされる痛みを想像してしまった。

 

 そして、気付けば怪異の方に同情していた。

 一体どこの誰が、こんな男に勝てるのだろうか。

 

「ねえおばあさん、おばあさんの爪はどうしてそんなに長いの? どうしてそんなに口が大きいの? ただのオシャレか? 俺を食うためじゃないのか?」

『ばかにぃ……するなぁああ……! 俺が、食う側だぁあああ!!!』

「ガキの命を愚弄したのはお前だ」

 

 怪物が、飛び掛かった。

 その頬を男が殴りつけると雷鳴のごとき轟きが森林に響き渡る。

 すべてが終わる頃、余波の衝撃によってショーマは意識を手放していた。

 

 

 

 

 

 

「……ってわけでちょっと遅れた。すまんな」

 

 その後、駅前で待っていた桜と福内に事情を話して頭を下げた。

 

「流れで怪異を殴り殺さないでくださいよ……。異神や邪神になりかけていた凶悪な怪異だったのですが」

 

 今日の夜は俺、桜、福内の三人で出かける予定だ。だがその前にヤボ用を済ませなければいけなくなった。

 

 銀座さんが管理している土地に「昔からある祠に子供がイタズラをして困る」とボヤいて、つい安請け合いしてしまった。

 

 集合場所の駅に行くついでに見回るだけのつもりだったが、タイミングよく……あるいはタイミング悪く子供が無断で土地に入り、肝試し感覚で祠に悪戯をしかけたので、つい乱入してぶちのめしてしまったわけだ。

 

「邪神か。確かにちょっとしぶとかった」

 

 オンボロな社に封印されている割には妙にしぶとかった。

 

「……小学校近くに封印されていた怪異、猿鬼(えんき)は平安時代に封印されていた恐ろしい怪異というか……当時の陰陽師も封印するしかできなかった存在なんです」

「細かい事情は知らんが、ガキを呼び寄せて食おうとしてた。多分、封印が緩んで近くのガキの無意識に訴えかけてた……ってところだろうな」

「そ、そうでしたか……」

『ていうか服汚れてんじゃん! もー土だらけだし!』

「大丈夫だ。服はちゃんとカバンにしまって汚れてもいいスウェットで戦ったからな」

『お手洗いで着替えて、ちゃんとおててと顔洗ってきて! その格好で電車乗るなんてママ許しませんからね!』

 

 なぜか桜が母親面して怒るが、反論のしようがない。

 大人しく降参だ。

 

「わかったわかった。身支度するから少し待っててくれ」

 

 こうして俺たちは、出発することになった。

 目指すは、退魔師協会だ。

 

 

 

 

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