教室の黒板に、谷川礼二と名前を書く。
クラスメイトの視線が集まっていて妙にやりにくい。
「転校生の、た、谷川くんですが……何度も聞いて申し訳ないんだけど、きみ、本当に高校生?」
「もちろん。浪人も留年もしてません」
中年男性の担任教師がおっかなびっくりに質問した。
普通に無礼な気がするが気持ちはわかるので丁寧に返す。そもそも俺自身、自分の写真を見て高校生だというのはちょっと無理があるように思う。
異世界に行った年月を加味すれば俺は26歳だ。肉体再生スキルがあるから老化は遅いはずだが、それでも異世界で付けた筋肉とか、鍛えた分についてはごまかせない。
「ずいぶん鍛えてるな……」
「部活やんのかな……」
「レギュレーション違反だろあれ。インターハイ出れるのかよ」
妙にざわめかれている。
場違い感はあるが、高校卒業まで我慢してくれ。
「と、ともかく、朝のホームルームは以上です。ではよろしく」
担任教師が俺の紹介をしたあとはそそくさと去っていく。
緊張していたのか、出欠も取り忘れてる。
『いやあ、同居人として誇らしいなー。みんなドキドキしてるよー?』
桜が俺の頭の中に直接声を響かせてきた。
姿も消して教室の様子を楽しんでいる。
(そりゃ怖がってドキドキしてるんだろ。クラスメイトには悪いが、我慢してもらう)
『そればっかりじゃないと思うけどなー。ところで、放課後になったら音楽室に行ってもらえる?』
(そういえば忘れ物があるとか言ってたな)
突然の事件によって命を失われたわけで、当然、死の準備などできていなかっただろう。何か名残惜しいものが残っているなら回収してあげたいところだ。
とはいえ、学校に故人の荷物が残っているものだろうか。学校が回収して故人の家に届けるような気もするが。
「あ、あのー、谷川君に聞きたいことあるんだけど……」
「ん?」
俺に声を掛けてきた女の子がいた。
眼鏡をかけた背の小さい、どこか気の弱そうな子だ。
『うおっ、カナちゃんだ。久しぶりー。元気してたぁー?』
姿を消した桜が、カナちゃんと呼ばれた女の子のほっぺを触る。
まあ幽霊だし触れていないんだが。
「な、なんか寒気が……なんだろう……?」
「ええと、で、何か用か?」
「あ、ごめんなさい。ええと、その……谷川君って、あそこに住んでるって本当?」
「悪霊が出るってデマが出回ってる賃貸マンションに住んでるのは事実だ」
「デマなんですか……? でも、あそこに行くと怪我したって人が……」
「デマだ」
俺が強く断言すると、カナちゃんは反論できずに気まずそうな表情を浮かべた。実際、幽霊が出るのは本当だし、事故も確かに起きた。
だが、悪霊はもういない。
「で……もしかして桜の後輩か?」
「なんでわかったの!?」
しまった、話を急ぎすぎた。
だが俺の居所を知っていてこのタイミングで話しかけるのは、こういう用件しかないだろう。
「丁度良かった。ちょっと遺品探しをしたくて、放課後に音楽室に行きたかったんだ」
「遺品探し……」
その言葉に、カナちゃんは妙に神妙な顔つきになった。
「……放課後の音楽室はいつも吹奏楽部が使ってます」
「まあ、音楽系の部活が使うよな」
「私、桜先輩と同じ吹奏楽部だったんです。ぜひ私に案内させてください!」
と、前のめり気味にカナちゃんが言った。
◆
今日の授業が終わった。
全然わからなかった。異世界で過ごした年月で義務教育の内容をぼろぼろと忘れていたらしい。翻訳系スキルがあるので英語と古文はなんとかなったが、数学は全然ダメだ。中学の数学から復習しないと危ういかもしれない。
放課後、音楽室に行く途中で理系科目全滅しそうだとカナさんに話すと、カナさんがようやく緊張を解いて笑ってくれた。
「谷川くんって文系なんですね。私もです」
朝に話をして以来、カナちゃんはこの学校についてあれこれと教えてくれた。学生食堂はあるけどいつも行列になるとか、裏口からコンビニに抜ける方法とか、この教師は厳しいとか優しいとか。彼女は思った以上に耳聡いようで、1日目にしてこの学校の過ごし方をよく学ばせてもらった。
「計算は苦手でな」
「私もです。それで、あの……桜先輩とどういう関係なんでしょうか……? あと、あのマンションに住んでる理由とか……」
「俺は桜のハトコなんだ。俺の祖母が、桜の祖母の妹ってことになる」
「なるほど、桜先輩の親戚なんですね……だからあのマンションに」
しみじみと納得してくれているところ悪いが、真っ赤な嘘だ。
ただ、どうしてあのマンションに住んでてここに通っているかというカバーストーリーは必要だ。桜が『説明に困ったらあたしの親戚ってことで話通してよ』と言ってきたので、そうすることにした。
「で、遺品整理していたら音楽室にまだ残ってるものがあるらしくてな」
「あれ……? 遺品はほぼお返ししたはずなんですが……?」
「部室の隅に隠してるんだとさ」
雲取桜。
享年十七歳。雲取家の末妹。近隣の都立梅多摩高校に通う女子生徒で、吹奏楽部在籍。勉強よりも部活動に熱心で、パーカッション、つまり打楽器担当のリーダー的存在であり、他の部員たちから愛される子だった……というのが週刊誌に書かれていた。
恐らくこの様子だと事前情報に相違はないのだろう。
『部としてはめっちゃギスってたし『愛されてた』はないわー。悪霊の噂流してそうな子も何人か思い浮かぶし』
(心を読むなよ)
『いや、絶対いるんだってば、あのマンションに悪霊が出るって噂流したやつが。そりゃ実際に霊障とかはあったにしても、週刊誌に好き勝手言ってた人がいるから怨念が強くなったところもあるし』
(意趣返ししたいのか?)
『さーて、それはどうかなー?』
桜がニヤニヤ笑う気配が感じられる。
ま、無茶なことをしたなら止めればいいだけの話だ。
怨霊になる気配もなさそうだし。
そんなことを思いながら音楽室の扉を開ける。
『この部屋の奥に楽器倉庫あるから、そっち行って』
「楽器倉庫に入るぜ」
「えっ、えっ!?」
案内もされずにずかずか歩いて倉庫に入る俺を、多くの部員は呆気に取られてみていた。
「えっ、誰? 入部希望者? ていうか高校生?」
「ふ、不審者じゃないのか」
「転校生です。それで桜先輩の親戚みたいで」
「雲取さんの親戚!? どういうこと!?」
『うわっはっは、大騒ぎになってるぅー! おもしろ!』
俺の登場に驚いた部員が、カナさんの説明によってさらに驚く。
それを見た桜が面白がっている。
騒ぎがこれ以上大きくならないように、さっさと用事を済ませるか。
(それより、どこにあるんだ?)
『あ、そうそう。レコードの棚あるでしょ。クラシックの曲が入ってるやつ。その隙間に入れといたんだ』
「あの、た、谷川さん!? 勝手に触らないでもらえると……ていうかホントにここに遺品なんてあるんですかぁ……?」
『……ってことは倉庫整理サボってたな? ここはパーカス担当なのになー』
カナちゃんの警告や桜の呟きを無視して、目当てのものを見つけた。
封筒……というか、手紙だ。
「これか」
『うん。カナちゃんに渡してくれる?』
「あの、なんかもしかして、誰かと話してます? 誰か……いたりするんですかぁ……?」
カナちゃんが桜の気配に気付き始めた。
もしかしたらこの子にも霊感があるのかもしれない。俺が来る前のマンションの気配も感じ取れたのだろうか。
「そんなことより」
「そんなことよりで流すんですかぁ!?」
「カナちゃん宛てだ」
カナちゃんの顔から血の気が引く。
震えた手で手紙を受け取り、読み始めた。