(────あー、絶対ロクでもないことが起きる。間違いないわね、この感じ……)
【星天】ホームにて、足早に帰宅したアストレアのことを考えて胃をキリキリと引き締められる痛みを味わいながら、アリシアは飲酒していた。
エルフに酒文化はない。
だが彼女はヴァシリ・アリアとの旅を経て人間社会に対する理解が深い。それこそ、興味を持ち旅立っていったアストレアに負けず劣らずといった具合だ。何なら世界中を旅したことで彼女の方が見識も経験も深いかもしれない。
ヴァシリに勧誘されて里を出た当初はカルチャーショックの連続でとても体験するどころではなかったが、半年もすれば「ああ、これはあの時の……」「これにはこういう効果と意図があるのね」とわかるようになり、酒を美味そうに飲む冒険者の姿もあり手を伸ばし──今となっては熟練冒険者らしいザルっぷりを披露している。
(あの子、何掴んだのかしら。私達の関係を知ったアストレアが黙っていられるわけもないし、致命的に手遅れなことではないんでしょうけど……フィンくんの何を知ったらそうなる? マゾバレしてたらこんなもんじゃすまないでしょうし、そもそも自我を喪失しててもおかしくないわ)
姉なりに妹のことを理解しているアリシアは、アストレアがフィンに対して幻想じみた恋をしていることは理解している。それが決して悪いわけでもないし、理想的な英雄ではなかったとしても離れたり想いが冷めることもないだろう。
ただ、それはそれとして、アストレアはフィンを英雄視しすぎだ。
幼い頃から英雄譚に憧れており、ヒト以外へ百発百中の預言をするハイエルフの大長老に『世界にとってどうでもいいから君は好きに生きなさい』と言われ絶望し、奮起して世界最強に至るも預言は覆すことが出来ず運命を辿るかと思われていた時に現れた、預言を覆す人の英雄。
目の前で陵辱の限りを尽くされ、数えきれないほどの致命傷を負いながら、仲間を守るのだと吼えて耐え抜いた超人だ。
それでいて普段は誠実で真面目、ユーモアもある上に女性関係も乱れていない。
(…………そりゃあ頭もおかしくなるか……)
アストレアに関して言えば、同情の余地はある。
過激派になってでもおかしくない。
むしろ姉妹が乱入してきたことで『仕方ないからハーレムで』と闇落ちしながらも言える時点でかなり理性があった。
(でもねぇ。あの子、私とフィンくんがエッチなことしてるって知ったら絶対殺しにくるでしょ。間違いないわ。あの子が先に抱かれて次に私達ならともかく、事実上私が一番最初の女だもの。……ハァ……私のバカ……なんであの時流されちゃったかなぁ……)
実際、あそこで断ることも出来た。
フィンは無理やりするのは絶対にダメだと言っており、嫌ならやらなくていいと本心から言っていた。しかしそこはアリシア、感情を読み取りふんわり期待と好意を滲ませていることを読み取ってしまい、「自分にもチャンスがあるのでは?」と気の迷いを抱いてしまった。
「……結局、私のせいか…………」
だってしょうがないじゃない、好みの男の子で英雄でヴァシリやアリアの身内なのよ。
自分より強くて魅力的な女たちに囲まれてきた男の子が、見抜いたからには地獄についてきてもらうと裸で迫ってきた。
そんな条件で断れるわけないでしょ。
優越感、独占欲、単純な性欲……色んなものが渦巻いて、アリシアはフィンと身体を重ねてしまった。
「一時の感情が命取り……よく言ったものよね……」
ちびちび酒を飲み後悔しているアリシアだったが、静かな酒盛りは続かなかった。
「アリシアさん? いるか?」
「んぶっ……ちょ、ちょっと待ってちょうだい。布巾、布巾……いいわよー」
不意打ち気味にドアをノックされ噴き出した酒を拭いてから、アリシアは許可を出す。
「失礼する。……お、飲んでたのか」
「ええ。たまにはいいでしょ?」
「深酒しなければいいんじゃないか?」
「だいじょーぶだいじょーぶ、フィンくんも飲みましょ」
机に突っ伏して顔だけフィンに向け、グラスをプラプラと揺らした。
フィンが取り繕わなくなってきたのと同時に、アリシアもまた、フィンを相手に見栄を張らなくなっていた。
見られたくない恥部まで互いに見た仲で一体今更何を気にすると言うのか。
なんならカルラの目の前で鞭を使ったSMプレイを披露してしまったことで、アリシアの価値観は完全に崩壊した。フィンを相手に男に好かれる女の振りをしてもしょうがないと思うようになり、自然とだらけた姿を見せるようになったのだ。
当然、フィンは全く気にしていない。
民家に泊まった際に身体の疲労からベッドで非常にだらしない姿を見せたが、フィンから滲んだ感情は好感。一体何が琴線に触れたのか問えば、『自分の隣に裸でだらけた女性がいるのが無性にエロかった』などと言い始め『あ、もう遠慮しなくていいわこれ』と悟ったためだ。
それ以降も多少ぞんざいな物言いをしても気にしないどころか悦んでいることを読み取り続け、アリシアはフィンを尊重しつつも無意識に喜ぶような厳しい言動を取る完璧な成長を遂げていた。
「そうしたいのは山々なんだが、相談しなければいけないことがあってな」
「相談? 真剣なやつ?」
「ああ。かなり真剣だ」
フィンの感情を読み取り、アリシアは一気に酔いが醒める。
焦燥に恐れ、そして期待と喜び。
矛盾する二つを抱えて表面上は変わらぬ様子を疲労するフィンに慄きつつ、アリシアは訊ねた。
「……な、なにかしら。あの、あのね、フィンくん。私いま、結構良い気持ちだったの。日中からお酒飲んで将来のことを考えたり過去を振り返って後悔したり、どうしてこうなっちゃったんだろうって嘆いて悲観に明け暮れながら酔っ払って気持ちよくなってたの。ね、ね、良いでしょ? 今日くらいのんびりさせてよ。せっかくカルラの一件が穏便に着地したんだから」
「アストレアが何かを掴んだらしい。カルラが説得して例の家に連れて行くから用意して欲しいと」
「──…………」
実は、フィンの持っている情報はアストレアと大差ない。
アストレアが何かを掴みショックを受けているらしい。
あくまでそれだけで、カルラはわかったような発言をしていたがフィンは全くわかっていない。カルラの思惑も実はよくわかっていないだが、後半部分がアリシアにとっては死刑宣告も同然だった。
(例の家? え? あそこ? あそこに連れてくる? 私を連れてフィンくんも? え? 巻き込むつもり? ヤるつもり? 殺られるのは私なんだけど。カルラ? 裏切った? ……カルラァアアァッ!! う、う、う、ううう!! うう! 裏切ったわねアンタッッ!!)
ゴトッ!
手に持っていたグラスが机の上に落ちる。
入っていた酒が溢れるが、彼女にそれを気にする余裕はない。
(ふっ、ふっ、お、お、落ち着きなさい私。まだそうと決まったわけじゃない……いい納め方を思いついたのかもしれないわ。それに、本当に私達に関係ないアストレアの悩みを発見したのかもしれないし……そんなわけないわね……私を指名する理由がない……となると、あの子も巻き込む気? む、無茶よ。アストレアが私と
アストレアをどうにかして連れていく。
その時点でフィンの秘密を多少開示することが確定しており、アリシアを呼び出す時点で自分のことを話すのも確定。
つまり、逃げ道はない。
乗れば死、乗らなくても死。
己の預かり知らぬところで死神の鎌が首に添えられていることに気がついた彼女は、顔を真っ青にした。
「ほ、ほ、ほ、ほひっ……」
「だ、大丈夫か?」
「だ、大丈夫。ま、まだ私生きてるわよね?」
「い、生きてる生きてる。大丈夫かアリシアさん」
「ふっ、フゥッ、ふっ……ほ、他には? 何か言ってた?」
(い、いいえまだよ! まだ終わってない! もしかしたらカルラは口先でアストレアを誘導するつもりなのかもしれない! それで感情を読み取れる私を必要としてるのかも──!)
「他に……アリーシャも含め、『人数はそちらに任せるが、アストレアも連れていく』と言っていただけだが」
「……………………あ、アリーシャも? 連れてくの?」
「そう言っていた」
(……………………そう。そうなのね、カルラ……)
アリシアはカルラの意図を理解した。
この件で三姉妹が拗れるのならば、いっそ全員抱き潰してしまえと言うことだ。
首を突っ込んできたアリーシャ、何かを掴んだアストレア、フィンにちょっかいを出してるグリセルダ……までは今回巻き込むかはさておき、三姉妹は全員共犯にする目論見だろう。
元より、次に抱き込むとしたらエルフと決めていたのも大きかった。
(…………ふ、ふふ。そう。やるの。やるって言うのね? ああそう。わかった。よくわかったわ、カルラ……)
カルラがどんな手段でアストレアを連れてくるかは不明だが、きっと穏便には進まない。流血沙汰で済めばいい。きっと、地獄になるだろう。
だがもう計画は進められている。
後戻りはできない。
渡っている石橋は既に落ちているのだ。
濁流を渡り切るしかない。
前に前に前に。
進む他なし。
不退転の覚悟を抱いたアリシアは、キッと目を見開いた。
「…………そう、わかった。カルラがそう決めたなら、良いわ」
「俺にできることはあるか?」
「フィンくんにできること……ええ、あるわ。沢山ね」
「そうか。なんでも言ってくれ。力の限りを尽くそう」
「頼りにしてるわ。じゃあまず──アリーシャを例の家に連れて行くから、先に行ってちょうだい」
「わかった。待機でいいんだな?」
「ええ。アストレアがいつ頃に来るのかわからないけど……アリーシャを連れて行き次第、ヤるわよ」
アリシアは両手の指を使って卑猥なジェスチャーをした。
「なにっ。……い、妹だろ。いいのか?」
「フ……フフっ。うふふふっ! もちろん良くないわよッ! でもねェッもう賽は投げられたの! 私達に後退の二文字はないっ! フィンくんの後ろの穴もなくしてあげるわッッ!!」
「お、おおおっ!! アリシアっ本気か!?」
「ええ、ええ! フィンくんは妹達の目の前で本気で愉しんでくれればいい! 精々見せつけてあげればいいのよ! こっちがどれだけ命懸けなのかをっ! 舐めんじゃないわよっ! こちとら長女よ!? 穴の一つや二つ、埋めてやろうじゃないっ!!」
「あ、アリシア……!! 最高だ! お前に会えて本当によかった! 愛してる!!」
「黙りなさい!」
「おおっ!?」
シュンっ!!
アリシアが机の引き出しから取り出した鞭がフィンの胸を打ち、その衝撃と快楽で震えた。
「いい……? 今日のフィンくんは、
「おっオオっ!?
「黙りなさい豚人っ!」
「ぎゃひいいいぃっ!!」
「ヒッ……き、きもすぎるっ……あ、じゃなくて、本当にこれで悦ぶのね……。マゾってすごい……」
全力で叫んで痙攣するフィンにドン引きしながら、アリシアは引き出しに鍵をかけて隠してある本を取り出す。
書物の題名は──『SMプレイ初心者用教本』。
無理なく真っ当に性壁を開拓し、大きな事故を無くすために作られたその本は、アリシアが恥で死にそうになる思いをして手に入れたものだ。
全てはフィンを喜ばせるため。
娼館で働く選択肢が無くなりカルラすら怯えてしまったことで必然的に自分が鞭を手にするしかなくなった彼女は、後学のためと己に言い訳をし入手するに至った。
前回剛腕を振るいフィンを喜ばせたが、無我夢中で行ったことであり、意識してやったわけではない。
やるからには質を。
教本から学ぶところから始めましょう。
生真面目な部分が作用していた。
なお、購入する際店主にセクハラじみた問答をされたが、フィンによるセクハラ責めを経験していたので不快感しか抱かなかった。
好きな男にオラオラと責められるのと、どうでもいい男にニヤニヤセクハラされるのではまるで別物なのだ。
(もうこうなったら勢いで押すしかないわ。アリーシャにフィンくんの本性を見せつけて流して、アストレアもカルラと一緒に抑えて勢いで流す! フィンくんを殺しに行くことはないでしょう。それを利用するっ!)
動揺しているとはいえ、このやりとりを聞かれないように部屋の空気を操り防音にしている抜け目の無さ。
冷静沈着とはいかずとも、いざという時のアリシアには爆発力があった。
壊れた笑みを浮かべ、彼女は嗤う。
「く、くくく……あははははっ!! お父さんっ、お母さんっ! 私は今──地獄にいるわ……」
ツゥ──頬を涙が零れ落ちた。