「…………」
「…………」
三人が居なくなった寝室で、アストレアとフィンは二人、冷めてしまったティーを飲んでいた。
会話はない。
チラチラとフィンを覗き見るアストレアは何度か口を開こうとして、「あ」とか「え」とか音を発するも、フィンに視線を向けられ押し黙る。
そんなことを続けて数分──ティーカップを置く金属音と共に、フィンが喋りはじめた。
「……アストレア」
「なっ、なに?」
「先に謝らせて欲しい。すまなかった」
「……別に、謝られるようなことされてないわよ。これが知らない連中に謀られたってんなら、容赦はしなかったけど」
アストレアとしては、非常に複雑な心境だった。
まず第一に、フィンに対する負い目がある。
続いてカルラに齎された『フィンがマゾヒストであり、過去の出来事で悦んでいた』という情報を受け入れられず気絶。目を覚ましたら拘束されていた上に実の姉妹が想い人に対してハードな行為に励み、想い人の喘ぎ声や無様すぎる姿を見せつけられ再度気絶。
極めつけに、大声で目が覚めたかと思えば、想い人が性癖を存分に曝け出し複数の女性を困らせている事実を理解させられた。述べた通り、これがフィンを強引に巻き込んで──そんなことだったとすれば、アストレアは怒り狂いその場で襲撃していただろう。
だが、明らかにそうではなかった。
フィンが一人で楽しそうに述べる言葉に誰もついて行けてなかった。
この五年間、あんな楽しそうにしているフィンは見たことがなかった。
おそらく、それを引き出したのは──……
(…………確かに昔から、妙に察しのいいところはあったけど)
姉のアリシアは昔から空気を読むのが非常にうまかった。
長女として厳しく育てられたのもあるが、王女として人の行商人や他亜人種の長一族などが里を訪れた際次期後継者として手抜かりのないもてなしをしていたのはアストレアも覚えている。
将来、【勇者】と共に世界を救う運命を背負っていた長姉。
コンプレックスが無かったとは言えない。
自分が強くなって運命すら覆ったことでかつて里に思っていたことは消化されたものの、エルフや王女としてのレッテルが剥がれた時、自分が魅力的な女だと思えたことはないのだ。
だからこそ、実の姉が真っ先にフィンの何かを知ってしまったことに、アストレアはそれほど驚かなかった。
(今更過去を悔やむような私と姉さんじゃ、出来が違う)
元より分け隔てなく他者との交流ができた姉と、コンプレックスや預言に踊らされここまで来てしまった自分。どちらに心を開くのかと言われれば、前者に決まっている。
「それでも、アストレアのことを……あまりにも見ていなかった。悪かった」
「────。……いえ。そう思われても、しょうがないもの。それよりフィン、初めから説明してくれない?」
「……わかった。まずは、俺がアリシアにおかしい奴だと悟られたのは〈深淵の森〉での出来事が関係している」
「……え? あそこから?」
そんな変なことしてたの?
普通にいつも通りの光景で【勇者】と【天聖】がショックを受けてた──そこまで思い出してから、フィンの話を待つ。
「どうにも、アリシアには感情を読む能力があるらしい」
「…………。……あー……ああああ! そ、そういうっ!? え!? 初耳なんだけど!?」
「打ち明けたのは俺が初めてだとさ」
苦笑と共に紡がれた言葉に絶句する。
姉がどうしてフィンに告げたか理解出来たからだ。
アリシアも『感情が読める』なんて能力を誰かに伝える気はなかったのだろう。
両親は知らないが、少なくとも姉妹の自分が言われていないし、姉がそんな特殊能力を持っていると噂になったこともない。
「は……はああぁ!? ずっ、ずる! ずるじゃないの! フィンの秘密を暴いて!? フィンに秘密を伝えて!? 二人でひみつのかんけいってコト!? そんなっそんなのっ!! 勝てるわけないでしょ!」
「いやー……暴かれたというより、俺が暴露したというか……」
「暴露したァ!!? 私達にはッ…………い、言えるわけないわね……」
「(……この姉妹は乱高下が凄まじいな)」
クワッと目を見開いたかと思えば意気消沈する感じは姉に似ている──口にすればアストレアの機嫌を著しく損なう言葉を飲み込んだフィンは、そのまま話を続ける。
「最初は自己犠牲で気持ちよくなってると思われてたみたいでな。ホラ、〈深淵の森〉だと毎回身体のどこかぶち抜かれてるだろ」
「あ、ああ、そうね。…………え? ん?」
「ん? どうした?」
「…………まさかとは思うんだけど……フィンは、あれも気持ちいいの?」
「ああ、絶頂するほどに気持ちいい」
「────……」
アストレアはもう一度絶句する。
「初めて痛みが心地いいと感じたのは子供の頃、アリアに轢かれた時だった。気持ちよさを感じたのが初めてで不思議だったんだが、どうにもあの感覚が忘れられなかった。だからダメ元で師匠に弟子入りして、そこからは最高の日々を過ごしたよ。毎日毎日、朝から夜までみっちり師匠に両手で丁寧に、入念に蹂躙された。たまらなかった……アリアに追い付くために快感まで得られて、俺の人生はなんて心地いいんだと思った。アリアにどれだけ手を伸ばしても届かない、俺が死ぬ気で足掻いてもアリアや師匠は片手一つで容易く殺せるって事実が男としてのプライドなんかもぐちゃぐちゃにしてくれた。あれはもう、心身に加え魂まで犯されていると言っても過言じゃない」
「えっ……え? えっ?」
「師匠とアリアに置いて行かれて、役立たずだと宣告された気分のまま王都にやってきた。受付に並んでただけで『田舎に帰ったほうがいいぜ小便たれ』とか『ガキは帰ってママのおっぱいでの飲んでろ』とか言われて、これが冒険者なんだと期待した。紹介されたパーティーは、初手で足を引っ張ったら殺すと宣言するカルラに俺達に対して興味を持ってないアストレア、無理やり笑顔を浮かべているマリアンヌ……ギスギスしたパーティー……足を引っ張る俺……最悪で、最高の、素晴らしい日々だった…………」
心の底からよかったと、恍惚とした表情で語るフィン。
そんなフィンの言葉が耳に入るたびに、脳が震え、指先が固く凍りつく。
一体、今、どんな顔をしてフィンを見ている?
わからない。
身体の感覚が朧げで、力が入らなかった。
「カルラはもちろんだが、アストレアの言動も最高だった。いつ盾役として不適格だと判断されて追い出されるか、ドキドキワクワクで胸が痛くて夜も眠れなかった。古傷の痛みと不安、心身に影響が出て追い込まれるほどに心地良くもなっていく。苦痛と快楽が同居するこの感覚は、病みつきになる……毎日デザートを食べているようだった」
「う………………はっ、はっ、はっ……」
「とまぁ、そんなこんなで今ここに至るわけだが、アリシアに呼び出された時に俺はマゾバレしたと思ってしまってなぁ。勢いのままにバレたなら開き直っちまえと思って全部ぶちまけたら──気絶された」
(そ……そりゃそうでしょ……)
気絶したいのを必死に堪えながら、アストレアは懸命にフィンの話に耳を傾けた。
「アリシアは誰にも言わないから少しくらい手伝うわと言ってくれてな。調子に乗ってアリシアの目の前で妄想しまくったらいい加減にしろと怒られて、そのまま流れで、こう……やってしまった。そうしたら、互いにどハマりした」
「どっ!!!! どハマり……」
「カルラにはアリシアがつけたキスマークでバレた」
「キスマーク!!!???!?」
「そうこうしてるうちにアストレアが俺とアリシアの関係で何かを知ったんじゃないかという疑惑が上がり、今こうなった」
「…………ど、どうしてそんな疑惑が出たのよ」
「最近元気なかっただろ? それを見て、アストレアがそんな風になる理由が俺の何かを知ったくらいじゃないかって話になって……ああ、自意識過剰なのは自覚してる。俺もそう思う」
(そっ!! そうだけどそうじゃない! マリアンヌとあんたの会話でショック受けてただけなのにっ! なんで!? どうしてこんなことになってんの!?)
なぜカルラがわざわざ自分のところまでやってきて秘密を勝手に暴露したのか、その理由を知り愕然とする。
なぜなら、ほぼ全て偶然と勘違いによるものだからだ。
マリアンヌとフィンの会話で心無い言葉を浴びせていた過去の自分を思い出し、その言葉が今でもフィンの心を蝕んでいると理解したアストレア。過去は消えない、やったことを無かったことには出来ないと悔やんでブルーになっていた所に、颯爽と現れたカルラ。
仲間だし同じ選ばれない同士だと思い話を聞いていたら暴露されたのはフィンのこと。
知らん女に奪われている上にカルラも肉体関係にあって尚且つフィンがどうしようもないマゾヒストだと告げられ、心身に悪影響があったことと寝不足だったことが重なって気絶。
一方、妹の想い人とやむをえない事情で繋がったアリシアは命の危機を察知。
ここに至るまで妹の本気の殺意を何度か感じ取っていたのも災いした。
殺される前に巻き込むという覚悟を決めてしまい、目の前でマゾプレイを見せつけて冷静さを失わせる姦計を披露したもののあえなく失敗。
問答無用で攻撃してくるわけでもなく冷静だったアストレアに「このやり方はよくないんじゃないか」と考え直したことで、こうしてフィンと二人話す機会を得られた────全て偶然。全て勘違い。
「…………い、いみわかんない……」
「……悪いな。俺がマゾなのが悪いんだ」
「え、えぇ? ちが、違くない?」
「いや。俺がマゾじゃなければこんな拗れることはなかった。マゾじゃない俺は、フィン・デビュラは、少なくとも外面は取り繕えていた筈だ」
「…………どういうこと?」
「【払暁】の盾役、金等級冒険者であり【天聖】の弟子にして【勇者】の幼馴染であるフィン・デビュラなら、こんなことにはならなかった。違うか?」
「……フィン、あんた。なに言ってんの……?」
「俺が……俺がもっと特別であれば。高潔で非の打ちどころのない、【勇者】の幼馴染に相応しい男だったら。そう思うだろ」
────フィンの瞳がアストレアを捉える。
ぐらりと魂が掴まれたような感覚だった。
「くだらない人間なんだ。それでも、師匠に育てられた。アリアの幼馴染で、追いつきたいと思った。王都に来て、アストレアやカルラに負けない男になりたいと思った。いつだって理想は理想のままで、俺の手は届きやしない。〈深淵の森〉でもそうだ。仲間を庇うことしか俺には出来ない。あんなので、役に立っているなんて口が裂けても言いたくない」
「…………やめて。もう、そこまでにして」
「なぁ、アストレア。俺は、役に立ってるのか? 本当は俺よりずっとすごい奴がいて、俺は踏み台にされるだけなんじゃないか? そうだったらいいとすら思う。だってそうじゃなきゃ、ここから先に進めない。〈深淵の森〉の先にいけない。そうだろ?」
「違うッ!」
アストレアは膝立ちになり、フィンを抱きしめる。
「違う、違うから! あんたが居たから私は、私達は生きてる! あんたが居なかったらもうここには居ないの!」
「…………」
「だから、だから……もう二度と、そんなこと、言わないで……謝るから……なんだってしてあげるから…………」
フィンがマゾヒスト。
それがどうした。
そのおかげでフィンは生きてこれた。
アストレアやカルラの言葉に打ちのめされ、現実に苦しめられても進んでこれたのだ。それに感謝こそすれど、忌み嫌うことなど、あってはならない。
「…………ふ、ふふっ」
「……フィン?」
「い、いや……アストレアだぞ。あんなにずっと厳しい言動で俺を悦ばせてくれたアストレアが、俺を…………」
「な、なによ……悪かったわね……私も、あんたのこと好きなんだし…………」
しおらしく呟くアストレア。
そんな彼女を見て、フィンはゆっくり抱き抱え、そのまま押し倒した。
「きゃっ! ……へ? フィ、フィン?」
「ふー……あのなアストレア。俺は確かにマゾだが……男だ。みんなに嫌われないために娼館にすらいかず、最近覚えたてのえっちにどハマりしてる、年頃の飢えた男なわけだ」
「う、飢え!? ちょっ、ち、力つよっ……」
先程までと変わり、ギラリと力の漲る瞳がアストレアを見つめる。
「更に言えば、ついさっきまで中途半端なプレイに興じていたせいでおあずけ状態だ。わかるな?」
「あ、当たって!!? え!!?!? デッ!!!?!」
「嫌なら抵抗してくれ。嫌じゃないなら、目を瞑れ」
ぎゅ、とフィンの手がアストレアの両腕を押さえ込む。
力は強いが、逆らえなくはない。
だがアストレアは、ビクッと身体を跳ねた後、フィンの瞳を見つめ返した。
(────あ。ダメだ、これ……)
「…………はぁ……。あとでちゃんと謝らせて。これまでのこと」
「いや、別に気持ちよかったし事実だったから気にしてないんだが」
「……あんたが強かっただけで、私のしたことは最低だから。ちゃんと謝らせて欲しい」
「……わかった。俺としては、アストレアのツンケンした態度はかなりクるから辞めないでほしい」
「は〜〜……注文の多い英雄なんだから」
「はは。……ん? 英雄?」
「なんでもいいでしょ? ……ん」
アストレアは瞳を閉じる。
全てが解決したわけではない。
むしろ、今もなおこんがらがってねじ曲がった問題の最中にある。
それでも────今は、今だけは、なにも考えたくないと思った。
(…………ほんと、ヤな女……)