「……ふむ。やはりアリアだとうまく作用しないか……」
ヴァシリは一人研究室に閉じこもり、これまでに立証してきた資料を並べ思案に耽っていた。
「カトリーナの強化魔法は肉体にのみ左右する。アリアの場合、〈聖剣〉への適合そのものが強化魔法のようなものなのだろうな」
期待していた最上の効果は得られなかったが、それでも破格の能力だ。
〈深淵の森〉における最高戦力はマリアンヌとフィン。
マリアンヌはモンスターであれば条件不問の殲滅力を持ち、フィンは格上が相手でも即死を避け盾としての役目を必ず果たす史上最高の盾。護るという目的を達成する上で彼を超えうるのは防護の魔法を扱う聖法国の守護神以外に居ないとヴァシリは評価している。
「フィンがあの森で負傷すらしなくなるとすれば……」
〈深淵の森〉の問題点は、自分達の力が通じなくなることだ。
力が抜けるというか、上手くいかないというか、全力の半分程度まで能力が落ちている感覚。あまりにも強い魔がそうさせるのか? 因果は不明だが、とにかくそうなってしまう。
他の〈不浄領域〉ではそのような特殊条件はない。
〈聖剣〉ならば祓える魔も、〈深淵の森〉は濃すぎるのか消し去ることが出来なかった。
「いずれ世界は飲み込まれる……だが、それは今日じゃない」
ヨハンの手記にはそのような情報はなかった。
アニカも同様で、〈不浄領域〉に関する知識は持ち合わせていない。
世界の滅びは仄めかされているが、それは全て人の足掻きで回避できるものだ。では、明記されていない、誰にも語られていない滅びは?
それは果たして、人間がどうにかできるものなのだろうか。
「……だが、鍵はある。〈深淵の森〉に、鍵が」
アニカより齎された情報により、あの森の重要度は一気に増した。
祠の存在。
封印された滅んだ神とその尖兵とも言うべき悪趣味なモンスター達。
本来のヴァシリや【払暁】を辱め無惨に殺したであろう尖兵の正体が判明し複雑な心境にもなった。だが、明確な目標がわかったのは非常に大きい。
「…………神。果たして、勝てる存在なのか?」
アニカ曰く、勇者ならば勝てる。
聖剣を手にした勇者がいなければ勝負にならない。
ゲームシステム上は勇者と勇者への補助、敵に対するデバフが最も有効だとかなんとか……つまりは、アニカが集めたパーティーは彼女なりに世界の滅びへ対抗するためのものだったのだ。
「……やるしかないのだろう。わかっているさ、ヨハン」
既になんの知恵も齎さない本の表紙を撫でて、ヴァシリは呟いた。
「と言うわけで、いよいよ本格的に〈深淵の森〉の攻略に着手することにした。今後の計画に関しては各自資料を確認してくれ」
【払暁】、【星天】、【超滅】にセラフィーヌとフェンナを加えた人員を集めたヴァシリが話を始める。
「以前、アリアのもつ〈聖剣〉が〈不浄領域〉そのものに干渉することが可能だったことから研究を進めていたんだが、〈深淵の森〉は特別製でね。どうにも〈聖剣〉を使っても消せないことがわかった」
「……それはつまり、無限に広がり続けるのか?」
「現状手立てはないよ」
ヴァシリの言葉に思わず訊ねたカルラが絶句する。
〈深淵の森〉の恐ろしさはよく理解している。
己の磨き上げた技が通じないあの森では一手の掛け違えで命を落としかねない。
彼女ら、金等級冒険者ですらそうなのだ。
あれが世界中に広がってモンスターが湧くようになれば、人類になす術はない。
「……私の【治癒】であっても、どうにもなりませんでした。〈聖剣〉で無理な以上わかっていたことでしたが……」
「【聖撃】も同様でした」
「……そう言うわけで、現状手立てはないんだけどね。ただ、それは〈不浄領域〉に対する現状の理解度であって、確定した未来のことじゃあない」
確かに絶望的な話だが、ヴァシリからすればまだまだ悲観するには早いと言える。
少なくとも三千年間己の破滅を回避するために生きてきたのだ。
そうなると確信はしているが、それまでにどうにかできないと決まったわけではない。アリアと出会いフィンに救われた彼女の心はその程度の事実で打ちのめされるほど弱くなかった。
「〈不浄領域〉が広がり続けるのは、それはそれだ。今回の目標は〈深淵の森〉そのものへの攻略だよ」
そう言いながら手に持った紙をパシッと叩く。
各々が目を落としたのを確認してからヴァシリは口を開いた。
「今回新たに参加した【超滅】は自分達を強化し相手を弱体化させる戦い方を専門とするパーティーだ。実力も確認済み、彼女らの戦い方は〈深淵の森〉を踏破するにあたって有効だと……いや、彼女らこそが鍵になると判断した」
その言葉と同時に、【超滅】へと視線が集中する。
じっと見つめられたアニカはやや気まずそうにしながら喋り始めた。
「あー……知ってるやつもいるだろうけど、おれとドレイクが動いて、カトリーナとミューズが補助をする。これが基本で、強化幅やそいつらの身体能力に左右されるんだよ。〈深淵の森〉だと魔法とか弓が弱くなるんだよな? だったら、ガンメタ出来ると思うぜ」
「ガンメタ……と言うのはよくわからんが、つまり対策できていると」
「そゆこと。ついでに言えば、強化は素材の強度に依存する。元の強度が高ければ高いほど、より高い倍率で強化されるんだ」
「元々強ければ、強いほど……」
カルラはハッとして隣を見る。
「……私が改めて調査した結果として、この中で最も強化されるのはフィンだ。〈不浄領域〉内での試験も終えている。フィンを強化し、相手を弱体化させ、我々で葬る。これが、〈深淵の森〉攻略の手順だ」
ヴァシリの宣言に、それぞれが違う反応を見せる。
「なるほど。フィンはもう、あのような致命傷を負わずに済むのだな」
カルラは嬉しそうな表情で。
「そうね。もう。あんなのは見たくないもの……」
アストレアは悲痛な表情で。
「え、ええ。フィンくんが傷付かなくなるのは良いことよね、うん……」
アリシアは目を逸らした。
「……すまない。俺が無様を晒すあまり、皆に不快な思いをさせていただろう」
「フィンさん……そんな、気になさらないでください。私達がもっと強ければ、あなたばかり傷つけさせるようなことにはならなかったのですから」
「マリアンヌ……」
マリアンヌが微笑む。
それに対しフィンも困ったように笑った。
それを見て複数人がなんとも言えない顔をしたが、ヴァシリやアリアは気が付かなかった。
「ですが、これでようやく……」
マリアンヌは言葉を続けようとして気が付いた。
フィンが強くなる。
つまり、フィンは今よりもっと優秀になるのだ。
これまでですら一度たりとも攻撃を逸さなかった男が強化されればどのようになるのか。それはもう、単騎で全て解決できる超兵の誕生ではないか、と。
(フィンさんが強くなることは、とても嬉しい。フィンさんが怪我をしなくなるのは、もっと嬉しい。フィンさんが一人で全て解決できるようになれば──……うれ、しい……)
フィンは攻撃力の無さを理由に盾役を担っている。
では、攻撃力を手に入れたらどうなる?
フィン・デビュラがカルラやアリアと同等の火力を手に入れたらどうなるか。
怪我もしない、攻撃にも困らない、敵の攻撃も一切漏らさない、そんな戦士。
(あ、れ…………?)
嬉しい。
そうだ、間違いなく嬉しい。
これまでマリアンヌはフィンが傷つくたびに心を痛めてきたのだ。誰よりもフィンが一番苦しんでいるからと嘆くことも必死に抑えて。
だからフィンが傷付かなくなって、自分の手すら飛び越えていくのは、嬉しいはずなのだ。
だけど──彼女の心は、喜び以外の感情も発露させていた。
(私…………どうして、寂しいって思ってるの……?)
「……マリアンヌ? どうした?」
「っ、あ、えっと、すみません。ちょっと考え事をしてしまって……」
「そうか……。体調には気をつけろよ。最近無理させてるのに言うことじゃないが」
「……いえ。言っていただけるだけで、嬉しいです」
フィンが心配そうに見つめている。
それだけで、先程まで胸中に抱いていた寂しさは吹き飛んだ。
「……ねぇっなに堂々とイチャイチャしてんの! そういう場所じゃないんですけどっ!」
「ま、まあまあアリア。大人の対応見せましょ? ね?」
「ここで引かなきゃ大人じゃないってんなら──私は大人じゃなくていい……!」
「むっ。ちょっと、どいてください」
「どかないもん。良いよね、フィン?」
「……まあ、程々にな?」
会議中だと言うのに立ち上がり勝手にフィンの膝の上に座ったアリア。
ヴァシリはアリア贔屓だしフィンは基本的に甘い。
【超滅】の面々は何かを察した表情で見つつ、アニカだけは『やっぱり竿役じゃん!』と引き攣った表情だった。
(…………ねぇ、カルラ)
(……なんだ。何も言うな。何も……)
(いや、だって……あんまりにも、あんまりじゃない……?)
(言うな…………言うんじゃない……)
カルラとアストレアの二人は小声で話しながら、アリシアの方を見た。
そこには無理やり笑みを浮かべながら唇を噛み締め血を流しているハイエルフの姿があった。
(…………絶対フィンがやらかしまくってるんでしょうね、これ)
(あんな澄ました顔で性欲持て余してるからな。当然、欲情しているだろう。アリシア殿には心底同情する……)
(一人だけわかるってのも、考えものね……)
(……どっ、同情してんじゃないわよ!! 肝心なところで役に立たないわねぇっ! 私を一人にしないでよ!!)
「……あ、アリシア。どうした?」
「なンでもないわよォ〜……! お、おほほ……!」
「そ、そうか。……何かあるなら、相談に乗るぞ?」
「なンにもないから。良い?」
「わ、わかった……」
鬼気迫る様子のアリシアに気圧されたヴァシリは頷くことしかできなかった。